最も罪が重い痴漢行為
最近、首都圏の電車で目立つものに、「迷惑行為」のポスターがあります。
これら3つの行為を止めるよう呼びかけるものです。
中には痴漢行為だけを単独で押しとどめるものもあります。
携帯電話については、ここ数年の新しい動きであり、迷惑な行動だという認識を広める目的であることが分かります。
暴力については過去記事で触れたように、JR駅員の乗客による暴力被害が急増したので対策を練ると宣言したことからも、納得のいく動きです。
ちなみに個人的にいえば、今の若い人は喧嘩の仕方を知らないのがちょっと気になりますが、素手でさえあれば暴力沙汰はあまり気になりません。
私の時代は大らかなもので、殴り合いの喧嘩は日常茶飯事でしたし、アメリカ在学時代は竹刀1本でショットガンを相手に喧嘩をしたこともあるくらいです。
ところが、電車内での痴漢となると一気に話が変わります。
まず、頻度です。正式な統計はありませんが、間違いなく毎日のように加害者と被害者がいることでしょう。喧嘩よりも圧倒的に多いのは想像に固くありません。
また、人によって差はあるというものの、被害者である女性の不快感は間違いありません。
ちなみに、顔の広い私でも痴漢を「されるのが好き(趣味)」という嗜好の女性はさすがに2人しか知りませんし、男性に痴漢を「するのが好き(趣味)」という女性(痴女)は知り合いには皆無です。
私の高校時代の同級生で大学の社会学部の卒論に痴漢をテーマにした女性がいました。彼女はミニスカートにタンクトップのまま朝の満員電車に乗り込んで、集めたケーススタディを元に論文を書き上げましたが、こんな例は滅多に見聞きしません。
不快感といえば、私は新社会人の時に「女性版痴漢」に出会ってしまい、下着の中にまで手を入れられた経験があります。周囲には「うらやましい」等と男女問わずに言われましたが、とんでもありません。相手の女性は20代後半の奇麗な人でしたが、頭はパニック状態。身体は固まってしまい、どうしていいか、まったくわからない。ただ、気色の悪さだけが無反応の脳に伝わってきます。
痴漢に初めて遭遇した女性の気持ちが分かるような気がします。女性の場合はそれに「恐怖感」という感情が加わることもあるのですから、もっと悲惨でしょう。
満員電車という一種行動を封じられた監禁状況下で、かつ「偶然かも知れない」「間違いだったら相手に申し訳ない」という善意に付け込んだ心理的封鎖状態で、相手(女性)の不快な行為におよぶことは、卑劣な犯罪以外の何ものでもありません。
並列に並んだ3つの迷惑行為でも、その頻度と危害性でトップなのが痴漢なのです。
私の知り合いで痴漢容疑で逮捕された人間がいます。裁判の結果、求刑1年6ケ月、執行猶予4年を言い渡されました。立派な犯罪です。3つの迷惑行為の中で実は最も厳しい犯罪なのです。
のっけから、重い話になりました。
テーマがテーマだけに、軽い論調は誤解を呼びかねないので、後半の一部を除いて控えています。
今回は電車内での痴漢について、コンサルタントの見方をご紹介します。
いつも以上に真面目な記事です。
地方や海外に住んでいる読者の方々にはピンと来ない内容かも知れません。ご容赦下さい。
痴漢とマーケティング?関係あるの?
さて、このテーマをメールマガジンの記事にするよ、というと友人たちはまず口を揃えて同じ質問をします。
「えっ?だってマーケティングのメールマガジンでしょ?痴漢とどう関係があるんですか?」
当然の疑問です。
では、マーケティングと痴漢がどうかかわりあうのか。
1番目は直接的な関係です。例えば「痴漢撃退グッズ」などの分かりやすい商品開発がありうるでしょう。
2番目はマーケティング手法の社会的運動への応用です。痴漢というより痴漢防止キャンペーンに関わります。
鉄道会社のポスターや警察を含めたキャンペーンは正にマーケティングの分野でいうコミュニケーション戦略です。マーケティングは物を売るだけではありません。ソーシャル・マーケティングという分野があるくらい、選挙やマナー訴求など社会的な動きにはマーケティングの理論や手法が使われます。
3番目については今回は省略します。
ここでは、マーケティングは人間の欲望を扱うだけに「性」は避けて通れないテーマのひとつであること、昨今の痴漢キャンペーンの成功は女性の「性」に対する意識の変化が大きく影響していること、の2点だけを理解して頂ければ結構です。
女性の犠牲の上で成り立っていた社会
今まで痴漢行為を直接マーケティングの視点で取り上げることはありませんでした。
商品を売るマーケティングと犯罪である痴漢がイメージにあわない、マーケティングを「きれいきれい」な分野だと勘違いしている専門家が多いことも一因です。
しかし、それ以上に、痴漢の数の少なさと痴漢が社会的に裏の存在だったことが原因です。
実際に遭遇する人数が多いと言っても、それは暴力と比較したときの話です。
電車内で痴漢に遭遇した経験のある女性は、大都市圏内のある調査によると70%を超しますが、全体で見ればその頻度は毎日から1年間に1回くらいと大きな幅があり、平均すると数カ月に1回程度です。
痴漢の人数については、検挙した数しかわからないので正確な数字はありません。ただ、推計はできます。
私の記憶で申し訳ありませんが、ある雑誌で痴漢についてのデータがありました。
首都圏の女子高生の痴漢経験率は80%にもおよびますが、勘違いの余地がまったくない悪質な「スカートの中」「下着の中」の痴漢は15%。
常習犯1人につき20人の女性の被害者がいるとすれば、
つまり、痴漢の絶対数は1%にも満たない割合しか存在しないことになります。
マーケティングで扱うにはあまりにもミクロな存在です。
しかも、痴漢の被害は混雑時間をずらす、比較的空いている車両に移動するなど、ある程度の工夫で回避できるものです。実際、女子高生の多くは出口近くの混雑する車両には乗らない、混雑する急行には極力乗らない等の対策をとっています。たまに、遅刻しそうになった時などに痴漢に出会ってしまう訳です。
これらは「女性側がコストを支払う」ことでの回避です。つまり、早起きをしたり、安全だけど改札口から遠い車両に乗らざるを得ないといった、男性一般よりも余計なことを考えたり、行動したりしなければなりません。
社会的に抑制されてきた「性」犯罪
このコストを支払うことによって社会が成立してきたことを利用して、もっと悪質な痴漢も抑制されてきた経緯があります。
2年ほど前に私が身近に遭遇したこんな事件がありました。
一人暮らしの22才の知り合いの女性の元に1本の電話がありました。やくざのようなすごんだ声で、彼女の服装や3日前に引っ越してきた隣人の名前を言い当てた上で「俺は今、外から見ている。これから、窓際でいうことを聞け」と、とても紙面ではご紹介できない性的行為を強要されました。運悪く、彼女は恐怖心が先に立つと何もできなくなってしまうタイプです。言われるがままに従ったのです。
延々2時間の苦痛の時間の直後、私のオフィスに泣きながら電話をかけてきた彼女を落ち着かせ、恥ずかしくて親に連絡できないといっていた彼女に両親にコンタクトを取るよう指示。また、警察に電話するよう伝えた上で、彼女の家にタクシーで直行しました。
落ち着いていたはずの彼女は、私が到着するとまた泣きくずれてしまいました。
何と、警察にも母親にも
と言われてしまった、というのです。
泣きじゃくりながら
と問いかける彼女に
と、なだめ、ようやく寝入った彼女の寝顔を見ていました。
ふと部屋を見渡すと、彼女の下着やティッシュ、コンドームなどが散乱し、苦痛の時間の凄惨さを物語っていました。さすがに、肉親には見せられる光景ではありません。軽く片づけた後、彼女の側で一晩近い時間を過ごして、親御さんの到着を待ちました。
彼女はある国家試験の1ケ月前でしたが、見事に立ち直り、堂々と合格。今では、新しく見つけた彼氏とののろけ話を聞かされています。
ここで、私は彼女の母親や警察を非難するつもりはまったくありません。
母親は「自分の身は自分で守りなさい」ということを教えようとした訳です(タイミングはかなり悪かったことは認めますが)。
一方の警察は私のミスで彼女に通報させてしまいましたが、もともと社会の秩序を守るために作られたものです。個人を守ってくれる組織ではありません。
たとえ彼らが殺人犯を捕まえようが、それは被害者を考えてのことではなく、殺人犯を捕まえないと第2第3の殺人鬼が発生してしまい、社会がパニックに陥るからです。
痴漢が社会化しつつある
さて、痴漢は長らくそのような潜在的な動きによって、影に隠れた存在でした。
ところが、最近の鉄道会社のキャンペーンを初めとして、意識の変化が見られてきました。いや、実際に行動の変化が出始めています。
男女関わらず、身近なものになってきているのです。
その実例をあげましょう。今度は男性です。
1昨年のある日、1本の電話がありました。警察からです。内容は私の友人の身元引受人になって欲しいというものです。
10年来の付き合いで、警察のお世話になるような男ではないのがわかっていましたから、変だなと思いつつ連絡のあった交番に行くと、彼がソファに座って待っています。案の定、明るい表情です。
交番の奥に通され、説明を聞きましたが、友人はどう考えても痴漢をするタイプではないので詳しい事情を担当官に聞こうとしました。最初は「人は見かけによらないから」「もう始末書を書いたし、被害者の女性に土下座をしてもらったから」と言っていた担当官でしたが、食い下がるとおもしろい話が彼の口が出てきました。
ここで、非常に興味深かったのは担当官の次の一連の発言でした。
特に今回は被害者の女性が弁護士事務所に勤務していました。こうなると、ややこしいことになるのは間違いありませんから、お友だちのことを考えると、嘘でも謝ったほうが得なんです。
他の交番は知りませんが、本当の痴漢はお灸を据える意味もあって、身元引受人を奥さんにしますが、そうでない場合はお友達のように友人に連絡するようにしています」
「その男女が知り合い同士の場合は別ですが、もし、当の女性ではなく例えば男性に面識のない女の友人に頼んだりすれば、彼はアウトです」
「吊り革に両手でつかまることくらいでしょうね。近くに吊り革がなければ、半径50センチ以内には近づかないことです」
「それはつまり男性は満員電車に乗ってはいけないということですね」
「はい、そうです。それ以外に完全に回避する方法はないでしょう。私見ですが」
始末書は1回なら罪にも前科にもならないんです。だから、お友だちのように女性に痴漢だと間違えられた人でも、いきなり逮捕してしまわないで済みます。
本人はその後の電車には気をつけるでしょうし」
友人の経験はまだまだ珍しいケースです。
しかし、担当官は以前と比べて社会的な変化があることを敏感に嗅ぎ取っていました。始末書の位置づけの彼の中での整理は、この動きが拡大した時の心の準備なのでしょうか。
「李下に冠を正さず」と都市のメカニズム
痴漢が社会的にあぶり出されるようになって、最近、ちょっとした兆候が見えます。
コギャルの中に、これでこずかい稼ぎをする連中が出現しているのです。要するに痴漢されたと因縁をつけてカツアゲをする訳です。今までのカツアゲと違うところは
●相手は男性、特にサラリーマンが狙われやすい
●「警察に突き出すか、それとも金で解決するか(5万円が相場)」とホームで脅す
●相手に本当に触られることもあるが(当たり屋のように多少でも被害があったほうが交渉力が高まります)、完全な因縁でも良い
援助交際という資金源を断たれた彼女たちの新しい手法です。自分の身体を酷使することなく、同等以上の金が転がり込んでくる訳ですから、実に賢い方法です。
「痴漢カツアゲ」はまだまだ一部のイノベーター(?)の動きですが、痴漢キャンペーンの成功とともに裏で増加することは間違いないでしょう。
また、カツアゲは確信犯ですが、女性が「痴漢だ」と思い込んでしまえば、絶対的な正義になります。先の男性の例がそれですが、予備軍の動きは見え隠れしています。
とは、私が話を聞いた女性の半数以上のことばです。
実際、中には
相手は私の顔が見えないので、男性と間違えているんです。
障害罪で訴えてやろうと思ったこともあります」
という声も上がっています。
という意識の変化は良いことですが、世の常として初期段階ではセンセーショナルに捉えている一面もあります。
一方で、男性側といえば、従来の慣習に寄りかかって、あまりにも無頓着です。
痴漢に間違えられないようにどんなことをしているかという質問に対する回答は「手を自分の胸の前で掲げておく」「女性に対して背中を向けるなど位置を考える」程度でした。
空いている車両や時間帯に変更するなどといった回答は1人だけ。
という過激な意見を持った男性もいましたが、そろそろ
と女性に言われる時代が目前に控えているのに、あまりにも無神経な発言です。
は真実ですが、往々にして社会では通用しないことがあります。
「李下に冠を正さず」ということわざがあります。
痴漢という存在が日本の歴史始まって以来、初めてこれだけ関心を呼び、注目され、取り締まりの動きが出ています。皆、ある意味、疑心暗鬼の「魔女狩り」状態になっています。そんな中で、スモモ(李)の実のなっている木の下にいるのは愚の骨頂です。
思い込んだ被害者を非難できません。無頓着な自分こそ責めるべきです。
「イヤなら乗るな」の男女どっちの発言も喧嘩腰に聞こえますが、人間の自然な行動です。危険な場所に人間は近づかないからこそ「スラム化」という現象が起こります。ロスを代表とするアメリカの都市のダウンタウンは、こういった経緯でゴーストタウン化していきます。
ダウンタウンは元々交通の便が良い場所です。
生活するにも店やサービスが集中して、「便利」なところだったのです。
郊外に移り住めば、わざわざ、クルマを買って通勤して、買物も遠くまで行かなければならない。
それは「コスト」です。そのコストに見合うだけの「身の保全」に価値があったから、アメリカの住人はそのコストを支払った訳です。
ところが、そういう人が増加して、商売に十分見合うだけの人口が見込めるとなった時、徐々に郊外型のショッピングセンターやレストランが発達し、支払うコストが当初より低くなります。それを見て、さらに人口がダウンタウンから流出する。
これと同じメカニズムが現在の痴漢問題で見え隠れします。
マーケティング・ビジネスに身を投じている私にとって、痴漢問題は男女雇用均等法、セクハラ問題と並んで、高い関心を持って持ち過ぎることはないテーマなのです。
実験再び、今度は痴漢
さて、重い話が続いたので、多少軽快な話に移りましょう。
痴漢について、こんな話を知り合いの女性3人と話をしていたら、彼女たちが盛り上がってしまいました。次の内容はメールマガジン用に言い回しを変えたので固くなっていますが、彼女たちは普通のOLさんです。
●最近の女性の意識の変化は「満員」という共通のコストは仕方がないにしても、女性であるがゆえに支払わなければならなかった「痴漢の危機」を解消し、男女差をなくそうという動きになっている。
●一方で、満員電車内は、ある意味パーソナルスペースの確保合戦のようなものだ。男も女もできるだけ自分に快適な空間を作ろうとする。もしかすると、女性は無意識のうちに「痴漢キャンペーンを利用して」「自分に都合の良い空間」を作ろうとしているのではないか。
●つまり、薄着であればあるほど不快感が増し、必要以上に相手の男性を痴漢だと思い込みやすいのではないか
●もし、そうであれば、夏の満員電車ほど女性一人に当てられる空間は広くなければならない。逆にいえばそういう時ほど男性は気をつけなければ大小を問わず、肘てつ攻撃や痴漢疑惑の被害に会う確率が高くなる
とうとう、彼女たちの友人たちを加えて実験をしてみようということになってしまいました。
仮説としてはかなり真実に近いとも思いますが、小規模とはいえこういった調査データは見たことがないので、おもしろい話です。第一、過去記事のファミレスの時のように、「ひどいのはわかっていたけど、数字を見てみると改めてびっくりする」というケースもあります。実際に実験してみることは大事なことです。
通勤通学時間に最も多い痴漢なので、この実験だけですべての痴漢問題を説明できるわけではありませんが、貴重な経験です。何といっても、女性からの発案なので、その問題意識を尊重しました。
私のアドバイスを元に、実験の手順は以下のとおりとしました。
●サンプル数(被害者役)は発案者3人の友人たちを含めて総勢10人。
●加害者役3人は男性2人、女性1人。うち男性2人は彼女たちのリーダーの知り合いで、「信用できる人」という条件で集めてもらった。
●男性加害者は被害者役の女性のとなりで、以下の動作をする。
▼手を下におろしたまま(被害者の臀部に触れる可能性がある)
▼手を脇や胸元に上げておく(被害者の胸と脇腹に触れる可能性がある)
ただし、意図的に被害者役の身体に触ってはいけない。偶然に触れてしまった場合はその場所と回数と触った程度をレポートしてもらう。
加害者役の唯一の女性は被害者の背後に立ち、臀部に手のひらで2回触れる。
●加害者役は最初の女性だけは被害者役にならない。被害者は自分の実験が終わると、次の被害者の加害者となる。こうすることによって、実は実際に自分を触ったのが男性ではないことを知るが、被害者役になっている間は現実に近い精神状態になる。
●メインテーマであるファッションについては、次の3つの服装をしてもらう。
▼キャミソール・ドレス
▼ジーンズとTシャツ
▼スーツ
1つの実験が終わる度に下車し、あらかじめ決めたスケジュールに従って待ち合わせた駅にクルマに乗った別部隊が待ち構え、その中で着替える。
●一定時間(約10分間)の実験後、どれだけ不快感があったかを聞く。
●事後に「被害者役になって、普段と比べてどれだけ緊張したか」「どれだけ痴漢の存在を意識したか」「普段、どれくらい痴漢に対して不快感があるか」という補助質問をすることにしました。
これらの結果で、実験段階の不快感データの極端な個人差を補正します。
大がかりな実験になってしまった
いやはや、ファミレスの時と比べて、相当大がかりな実験になってしまいました。
彼女たちがずっとテンションが上がったままだったからこそできたようなものです。
こんな実験は大学の心理学や社会学のゼミで女性が主催するのなら良いのですが、提案が彼女たちとはいえ、主催は男性の私ですから気を使うことおびただしい。
リーダー役の女性には「森さん、気を使い過ぎですよ。そんなのが本当にイヤな子なら、この実験をやろうなんて言わないメンバーばかりです」と笑われてしまいました。
いずれにしても、できるだけ現実に近い状況でかつ安全な方法を選んだつもりです。
このデータで気をつけなければならない点が2つあります。
前回のファミレスの記事のときはまがりなりにも実務ではなんとか使える30サンプルありましたが、今回は10サンプルです。従って、基本の分析データは%ではなく人を単位にしました。
●実際の心理状況に近いとはいえ、
▼実験なので実際よりは少なくとも安全
▼実験なので、実際より痴漢という問題を意識している前者は不快度を低め、後者は高める働きをします。ですから、大ざっぱにいえば、プラスマイナス・セロのはずです。
薄着と痴漢の関係
前置きはそれくらいにして、まずは実験結果をご披露しましょう。
■不快度(5段階評価のうち「かなり不快」と答えた人数)
項目 | かなり不快(人) | 総人数(人) |
---|---|---|
キャミソール | 7 | 10 |
スーツ | 5 | 10 |
ジーンズ | 3 | 10 |
統計的な信頼度はないとはいえ、思わず納得してしまうきれいな結果が出ました。キャミソールはジーンズと比べて同じ条件なのに2倍も不快感があります。
実験に参加した女性のことばを拾ってみても、それがわかります。
実験だから意識しているというのではなかったと思います」
■痴漢行為の正解率
項目 | 正解率(%) | 触られたと思った回数総計(回) | 意図的に触った回数(回) | 揺れのため偶然に触れた回数(回) |
---|---|---|---|---|
キャミソール | 20.4 | 71 | 20 | 61 |
スーツ | 42.7 | 35 | 20 | 54 |
ジーンズ | 30.0 | 21 | 20 | 55 |
【注】加害者役の女性が被害者に意識的に触ったことが分かった場合を正解とした。
予想どおりキャミソールの正解率が異様に低い結果になりました。
ジーンズでは感覚が鈍くなるので、正解率は低いだろうことは容易に想像できました。一方、同じ低い正解率でもキャミソールの場合は構造が異なります。
つまり、キャミソールだと生地が薄いし、痴漢を無意識に警戒してしまうので、意図的に触っていないのに触られたと感じることが多くなります。結果的に正解率が下がってしまうのです(「触れてしまった」回数61回よりも「触られた」と思う回数71回の方が多いことに注目)
情報と痴漢の存在
次に、痴漢についての情報を与えた後で、どう不快感が変化するかを見てみました。
痴漢についての情報は、日本初の痴漢専門誌「フィンガープレス」の廃刊後に同じ出版社によって設立された痴漢サイトから抜粋、編集した痴漢の実態です。それぞれの手記は実話かどうかは定かではありませんが、満員電車で被害者の女性の下着に手を入れて弄ぶ内容です。
http://www.tokyoweb.or.jp/dx/fcmenu.htm
協力者に必要以上に精神的ショックを与えてはいけませんので、比較的過激度の低いものを選定し、編集しました。
■情報提供後の不快度(「かなり不快」)
項目 | 情報提供後(人) | 【参考:情報提供前】(人) |
---|---|---|
キャミソール | 9 | 7(10人中) |
スーツ | 8 | 5(10人中) |
ジーンズ | 6 | 3(10人中) |
ものの見ごとに、不快度が増してしまいました。
当たり前と言えば当たり前です。
お化け屋敷に行く前に恐怖映画を見せられたようなものです。怖くないという方がおかしいくらいです。
■情報提供後の痴漢行為の正解度
項目 | 正解率(%) | 触られたと思った回数総計(回) | 意図的に触った回数(回) | 揺れのため偶然に触れた回数(回) |
---|---|---|---|---|
キャミソール | 18.8 | 78 | 20 | 58 |
【参考:情報提供前のデータ】 | ||||
スーツ | 42.7 | 35 | 20 | 54 |
着替えが面倒なのでスーツでしか測定していませんが、正解率も一気に下がりました。意図的に触ってもいないのに触られたと思った回数が上がったので、正解率が下がるキャミソール・タイプの結果です。
お化け屋敷でお化けが出るのがわかっているので、ビクビクしているようなものです。全神経が集中してしまうのは人間の本能です。また、ちょっとした風に揺れた柳にびっくりするような心理です。
実験後の彼女たちのコメントも、それを裏づけています。
もし、キャミソールで実験していたら、もっと触られたと思う回数が増えるのは確実だったと思います」
そう。
実は、痴漢キャンペーンは、狙ったか偶然かはわかりませんが、これに類似した効果を発揮します。
何年も大都市に住んでいるOLさんや朝が早い女子高生にとっては、
「当たり前」
「だからこそ、痴漢を避けるノウハウがある」
という認識でしょうが、そうでない層も少なからず存在します。
●混雑する電車にめったに乗らない主婦
●大学は大都市だが朝や深夜の混雑を知らないでいた女性
にとっては、痴漢キャンペーンは「痴漢という存在が実在するのだ」ということを頭にたたき込む役目を果たします。
もちろん、キャンペーンは
「今まで我慢してきたけど、そんな必要はないんだ」
という「勇気」を与える効果もあります。
生活者の頭にあるものが唯一の真実
このデータを「女性の過敏な自意識が痴漢問題を大きくしている」「だから女は…」と解釈するのは早計ですし、あまりにも浅はかに過ぎます。
犯罪としての痴漢は確実に存在します。過剰防衛でない限り、自分の身の危険に対する防衛本能を批判する権利は誰にもありません。そして、大事なことはマーケティングでは「相手(生活者)が思ったことが事実」なのです。それが、「物理的な事実」であろうがなかろうが関係ありません。
「ソニーはかっこいい会社だ」と思えば、かっこいいのです。ソニーの社員がNECの社員と比べて流行遅れのスーツを着ていようが、日立よりも頭が固かろうが、関係ありません(そうだと言っているわけではありません。念のため)。
逆に日立は「かっこ悪い会社だ」と生活者が思えば、いくら、先進的な社員がいようが、先進的な商品を作ろうが、「かっこ悪い」のです。
そして、「ソニーはかっこいい会社だから、そこの製品を買う」のであれば、売上げという「事実」になって跳ね返ってきます。
女性の意識の変化は痴漢キャンペーンがあろうがなかろうが進んでいます。
痴漢キャンペーンに対する「実像を伴う」女性の意識や行動の変化は、根っこである価値観の変化が形になって現れただけです。
それだけ根が深いものに基づいた意識が社会の変化を促さないわけはありません。
いや、少なくとも意識が変化すればマーケティング戦略の方向性もまた変わるのは、生活者の鏡としての側面を持つマーケティングでは当然の帰結です。
どんな形になるのか。じっくりと見極めるのが私の仕事です。