■ウィスキー市場が縮小した本当の理由【サントリー】 

artc20010115女子高生に次いで私が苦手なお酒の話です。
お酒から若者の心理的思考をたどって、またお酒に戻り、そして他業界へのヒントが出てくる、私の得意な「風が吹けば、桶屋が儲かる」ストーリーです (笑)
久々にメビウスの輪的論理展開をお楽しみ下さい (^^;

サントリーは清涼飲料水の会社です

ご存じのとおり、ウィスキーは市場縮小の一途をたどっています。
トップ企業のサントリーは、もはやウィスキーの会社ではなく、DAKARAやCCレモンを代表とする清涼飲料水メーカーです。

これは比喩ではなく、すでに事実です。
サントリーの売り上げに占めるウィスキーやリカーの割合は一気に下落し、2,800億円(酒税抜き売上)になってしまっています。一方の清涼飲料水部門は4,500億円。完全に逆転してしまった格好です。

一体、何が原因なのでしょうか。
様々な専門家が、諸説を紹介しています。

曰く、「泥酔する現代人が少なくなった」
曰く、「ビールなどの軽い酒類に生活者が逃げた」
曰く、「『俺の酒が飲めないのか』という、体育会系が少なくなった」

そのどれもが説得力があります。
泥酔する若者が以前より減り、スマートにお酒を飲む姿が、私が若かった30年前の昔より増えました。
ビールの消費量はウィスキーなどのハードリカー(強いお酒)と比べて、伸びています。発泡酒を含めると、勢いは依然として衰えていません。

「俺の酒が飲めないのか」が少なくなったのも確かです。
「飲むなら飲めば?」という姿勢の人が多くなったので、お酒に弱い私は大変楽になりました。

でも、何かが決定的に足りない気がします。
現象としては確かにその通りなのですが、その根底に何かがあるような気がしてなりません。
現象の根底にある「なぜ、泥酔者が少なくなったのか」が分からないと、気になってしかたがない。

泥酔者が少なくなった理由はいくつも上げられます。
例えば「他人に対してスマートに生きるようになったから」
これはこれで納得できます。
自分の弱みを見せることを極端に嫌う10代、20代の若者が増えているからです。

そうなると、酔っぱらってみっともない(と考える)若い人が、お酒を控えるようになるのは、当然のような気がします。
しかし、根本的な疑問として、こんなに長い不況なら、お酒に逃げる人がもっともっといても不思議はないと思うのです。失業率5%の時代です。

もしかしたら、新聞などがかき立てるほど、生活者は本当は不況を感じていないのか?だから、酒に逃げるほど追いつめられていないのか?
それとも、追いつめられすぎて、お酒に逃げることもできないほど経済的に逼迫しているのか?

疑問を残したままにしておくのも身体に悪い(笑)ので、今回は、そこを突っ込んでみたいと思います。
テーマは「ウィスキー(ハードリカー)はなぜ減少したのか。その背景として、生活者にどんな変化があったのか」です。

酒文化どっぷりの母さんに聞く

「昔と比べて、お酒を飲む機会は増えましたか、減りましたか。体力の減退は計算に入れないでください」
こんな質問を40代以上にすると、決まって「減った」と答えが返ってきます。

「お酒の誘いが少なくなった気がする」
「後輩や部下を酒に誘っても、喜ばなくなった」

こんな質問を20代や30代にするのは愚問というものです。
だって、彼らは初めから今のスタイルのままですから、「昔と比べて量が減ったか?」と聞いても「いいえ」と答えるしかない。

その代わり、麻布十番に近い六本木で「ビアード」というバーを経営している友人に聞いてみました。
彼女がここで営業を始めたのはつい3年ほど前ですが、元々、日本バーテンダー協会会長の娘で、小学生の頃から親父さんの銀座の老舗バーの世界にいたという、筋金入りの酒文化人間です。

「今の若い人?そりゃ、昔と比べたらお酒は飲まなくなったよね、全然」

昔気質のバーの内装なのに、売りは元シャンソン歌手&元主婦である彼女の手作り料理という一風変わったコンセプトの店内で、姉御肌の彼女は人気の鰯(イワシ)の梅煮を私の目の前に差し出します。

「うちは昔気質だから、ちゃんとバーテンダーをおいているじゃない?
でもさ、一番出るお酒はやっぱりワインなんだよね。
カクテルや水割り、ソーダ割りを頼む客は減ったよね。

バーテンダーの世界でも腕を振るう機会が少なくなったのは仕方がないとあきらめてるよ。
経営的に言えば、ワインなんて注ぐだけだから手間はかからないし、カクテルだって簡単なものに限定してうちの娘たちにやらせれば、高いバーテンの人件費は要らなくなるよね。
だけど、やっぱりバーテンの腕がちゃんと出るカクテルを注文して、バーテンとのちょっとした会話を楽しんで、母さん役の私に説教されてという昔ながらのバーを大切にしたいのよ」

「お酒の飲み方はどう?」
「うちの元亭主みたいに泥酔するまで飲んじゃう客は50代くらいまで。
それも、彼らは体力が衰えているから、量は進まない。
20代、30代の若い人たちは、さっと飲んで、さっと帰る。お酒に比べて利益は少ないけど、手作り料理を看板にしたのは、正解だったと思うよ。
お酒だけじゃ、うちみたいな新参者の経営は成り立たないもの…っていうか、料理をメインにしたバーにしろって言ったのは行生じゃないか!(笑)」

はい、そうです。すみません(笑)

どう調べても、お酒の消費量は減っています。しかも、同じ年代を比較しても、昔と今とは明確に違う。
また、若い年代ほど減少量が多そうです。

「なぜだろうか?」
「うーん、今の人はスマートだからね。
私もこの世界が長いから、若い男性が連れの女性を口説くのを、『母さん』として手伝ったりすることもあるけど、そんな時でも飲み方がスマートだもの。
ま、口説き方が下手な子は下手なのは昔と同じだけどね(笑)」

スマート…また出てきたキーワードです。
使いやすいのかしら、この言葉。

煮詰まった時のコンサルタント

ダメモトで若い人たちに聞いてみました。

「うーん、飲む人はたくさん飲みますよ。酔っぱらうくらいに。
もちろん、飲まない人は全然飲みません。
それでもいいって、周りも認めているし。無理に飲ませても仕方がないって」

シストラットの元バイトの女子大生です。
彼女はほとんど飲まないクチです。

「聞いた話だと、昔は先輩が後輩に無理矢理飲ませたりしたらしいですね。今でも、体育会系では聞きますね。
でも、そんなことしたら、先輩は後輩に嫌われてしまうじゃないですか。昔の人たちはどうしていたんでしょうか?それでも嫌われないのかな」

「人は人、自分は自分」
「人に嫌われたくない」

2つのキーワードが出てきました。

嫌われるといえば、私が20代後半の時に転勤先の大阪でこんなことがありました。
仲がよい喫茶店のマスターが、ある初老の男性を指さして私にこうささやきました(関西弁を標準語に直しています)。

「いやぁ、森さん、あの人ね、そこのJRの駅長さんをやっていたんですよ。それで、今日、退職日だそうです。
『長い間、お疲れさまでした。これから第2の人生ですね』
と声をかけたら、あの人、なんていったと思いますか?
『本当に嬉しいです。何が嬉しいって、部下におべっかを使う必要かなくなったのが嬉しい』
サラリーマンって、そんなに大変なんですか?森さん?」

当時20代の若造に聞いたって、分かるわけはありません(笑)
年齢的には確実に私が彼の部下なのでしょうが、そんなに気を使われて、おべっかを使われても嬉しくもなんともない。やっぱり国鉄は大変なんだろうか、組合が…と思ったのを今でも覚えています。

つまり、こういうことなのでしょうか。

「『後輩や部下に嫌われたくない』心理の変化で、今までは無理矢理飲まされた分のお酒の販売量が減少した。
無理に飲む必要がないので、お酒が飲めない人の数が多くなり、販売量が減った」

確かにそういった側面があることは納得がいきます。
でも、それだけの理由で、酒類の販売量はあんなに減ってしまうのでしょうか。
1つの理由ではあるのでしょうが、真犯人は別に潜んでいそうです。

ここで煮詰まってしまいました。
迷路に入り込んだ時に私がするのは、次の3つのうちの1つです。

とりあえず放ったらかしにしておく
表現が無責任ですので、誤解されないように「問題意識を体内で発酵させる」「問題意識を保ったままにしておく」という言葉を使うこともあります(本当か? (笑))。
手当たり次第に頭の隅から、色んな情報をかき集めてみる
締め切りがあるときはこの方法しかありません。
コツとしては一見関係がなさそうなところを刺激してみて、ピンと来る情報にぶち当たったら、細かく見る。違ったら、また他のエリアを刺激してみるというやり方です。
後述するように、今回の記事はこの方法を使っています。
街に出てみる
締め切りがある時でも、かなり煮詰まって時間切れになりそうなヤバイ状態の時に無理矢理、頭をかき回す方法です。
普段からクルマを使わずに、徒歩と電車で移動している私ですから、今さら街に出たところで変化はないはずです。
従って、別名「悪あがき」ともいいます(笑)
それでも不思議なもので、「迷ったら、現場に戻れ」を信条とする私だからなのか、火事場の底力のごとく街に出ると何とかヒントがつかめてしまうことも多い。

どれもうまく行かなかった時、どうするかって?プロにそういう質問をしてはいけません(笑)

若者にヒットした商品をヒントに考える

さて、煮詰まった今回はお酒というテーマから一旦外れてみます。
ポイントは「過去からの変化」ですから、ヒントが転がっていそうなところは時代毎の「今時の若者」を観察することです。
酒類の市場が減少したのは、ほぼ15年くらい前からです。その頃に変化した若者関連商品やブームといえば…

J-WAVE、東京ディズニーランド、シングルCDミリオンヒット続出スタート、居酒屋ブーム、ワンレンボディコン、ウォークマン…
ん?ウォークマンがちょっと引っかかりました。お酒との関連を考えるのは後回しですので、今は覚えておきましょう。

続けてもうちょっと年代を広げてみます。
プリクラ、ミニテトリンやたまごっち…
ん?これも引っかかります。

次に行くと、携帯電話…
ありゃ、いきなりビビビと来ました。

そして、最近。電車内での化粧や飲食。
商品ではありませんが、これもピンと来た新しい生活者行動です。

私が引っかかったのは、ウォークマン、たまごっち、携帯電話、車内での飲食や化粧の4つです。これがお酒の飲み方の変化とどう関係あるのかはさて置いて、これらの商品で思い浮かべることをちょっと検討してみましょう。

これら4つのうち、最初の3つのヒット商品については、説明の余地はないでしょう。みんな知っている有名な商品ばかりです。

ウォークマンは「いつも好きな音楽に囲まれていたい」という若い人たちの願い(ニーズ)を刺激した。
たまごっちは「自分だけのペットが育てられる」。
携帯電話は「いつでもどこでも、取りたい人と連絡が取れる」です。

これらの共通点は「パーソナル」「個」などという単語を使う人もいますが、私にはわかりにくいので「わがままの実現」あるいは「自分の世界を守る」と呼んでいます。

今の若い人たちは「わがまま(自分の世界)」なのか?
少なくとも私たち中年の若いときと比べると、「わがままで(自分の世界に)いられる」のは確かです。

体育会系で先輩後輩のしがらみがなくても良い、上司に「無礼講だ」とウソばかりつかれて、無理に酒を飲む必要もない。
その代わり、自分の世界に浸ることができる商品が次々と現れたからです。
ウォークマンしかり、携帯電話(特に、しがらみが少ないメル友や出会い)しかり。
ラッシュアワーの不快なはずの満員電車内でも、ウォークマンや携帯電話があれば、自分の世界と外界を遮断することができる。

車内での飲食も「自宅の行動をそのまま持ち込めるわがまま(自分の世界)」です。
2年前の過去記事で電車内での飲食の話をしました。そこの結論は「小さな波ですが」で始まるものでしたが、すでに当たり前の情景と化しています。

実際、東京地下鉄で「痴漢」「携帯電話」と並んで「車内で食べ物を食べること」が、他の乗客に迷惑であることを注意したポスターまで掲載される始末です。

確かに、食べ物はお菓子、パン、携帯食品、500mlペットボトルの飲料など様々な飲食が頻繁に観察できます。
それと相前後して、車内での化粧直しも日常茶飯事の出来事です。
昨日も、満員電車で堂々とプリクラをハサミで切り取り、その切りカスを床に平然とまき散らしたコギャルがいました。彼女たちにくずを拾わせようとしましたが、痴漢のえん罪が怖いので止めました(笑) あ、いえ、マジです。

ネットの常識?ヌードモデル自動販売機

それがなぜ「わがまま(自分の世界)」かって?
私は隣の若い女性が食べていた菓子パンのジャムやクリームを2回スーツに浴びせられた経験があります。

座席に座った私の前の若い人から、電車が揺れた途端、ペットボトルからお茶やコーヒーを浴びせられたこともあります。
また、隣の席で化粧直しをしていた女性が、私のスーツのズボンに口紅を落としたせいで、家庭騒動になりかけたことがありました。

これらすべて、相手の反応は「どうも」だけです。
「ごめんなさい」と謝ることはほとんどありません。

「他人に迷惑をかけていないならいいじゃないか」

というのは若い人たちの常套文句ですが、それには10万円のスーツをダメにすることも許容すべきだという意味を含んでいるようです。

「混んでいるからしょうがない」

が彼らの言い分ですが、昔なら

「混んでいるなら、はじめからそんなことするな」

が当たり前のことでした。しかし、その思考が通用しないのが彼らです。

「他人のために自分が我慢するなんて、はなっから考えていない」

からです。
もちろん、

「自分のために他人が我慢する」

なんて考えてもいないのですが。

これを「わがまま(自分の世界)」と言わずして、何を「わがまま(自分の世界)」というのか?

実は、彼らにも「わがまま(自分の世界)」という言葉は存在します。「ジコチュー(自己中心的)」といった言葉に進化していますが、考え方は同じです。「仲間のことを考えないで、自分の都合ばかりを優先すること」です。

「あれ?」と不思議に思った方は正常です。
そう。彼らにとって「他人と仲間は違う」のです。仲間は「ジコチュー」は許せない。他人は「許すとか許さない」とか考える対象ですらない。
例えていえば、「人を殺すのはいけないことだけれど、虫を殺しても構わない」のと同じ。
つまり、彼らにとって仲間は「人」だけど、他人は「虫ケラ」です。

一見、私が感情的になっているように見えますが、

「浮浪者を『駆除する』」
「親父『狩り』」

といった表現の事件を見ていると、他人は虫ケラだと考えているという指摘もあながち間違っているとはいえません。少なくとも若い人たちは他人を

「自分たち仲間と同じ知的水準をもった高等生物」

とは思っていないのは確かです。

インターネットはその匿名性ゆえに「わがままになれる(自分の世界に入る)」ことに拍車をかけました。
ネットは個人の世界を広げたと言いますが、半分正解だが半分間違っていると私は思っています。

確かにネットでは、普段なら知り合うことがない人たちと知り合うことができます。
また、マイナーな趣味を持つ人間でも、ネットなら仲間が見つかります。
それまで、「自分は特殊なのではないか」と悩んでいた人間も、ネットで自分と同じ趣向を持つ者がいることで安心感を覚える。

しかし、ネットはむしろ世界を狭くしている、いや、世界を狭くしても生活できるようになってしまった側面があります。
元来、匿名性であり、他人に対して利害関係がないネットでの人間関係ですから、それが普段なら街では警戒して知り合うこともない人たちと知り合いになれます。

ところが、

「気軽に知り合いになれる」匿名性が、逆に
「気軽に別れることもできる」にも変化します。

結局、ちょっとでも気に入らなければ

「どうせ、ネットで会ったのだからいいや」と関係を断ち切る。

実社会では、しがらみがあってなかなかできなかったことでした。

もっといいましょう。
人間というのは、贅沢になると今のモノを大事にしなくなります。
昔は

「そんなわがままばかり言っていると、友人がいなくなってしまう」

恐怖感が足枷となって、「わがままになれない」ことを覚えたものです。

しかし、ネットでは

「どうせこいつとは別れたって、すぐに次が見つかるから、ま、いいや」

となる。結局、自分の価値観と合う人間としかつき合わない訳ですから、他の思考が刺激になることはない。つまり、どんどんと自分の世界をせばめていることになります。

その結果、他人を人間として見なくなる。
人気レストランが

「忙しいし、客を邪険に扱ってもどうせ来るんだから」

と接客が荒くなったり、

「次から次へと乗客が殺到するから、客を人間ではなく『大量輸送の資材』」

のように扱う鉄道会社のようなものです。

写真モデルである女性の友人が嘆いていました。

「例えば『モデル探してます、モデルやります』の掲示板に、書き込むとするじゃないですか。
私はヌードもできるので、それを書くわけです。

ところが、返ってくるカメラマンのメールがひどいものなんです。
『いくら?』としか書いていなかったり、『こうしてくれないと困るんだよ』と命令口調だったり、『ヌードのまま新宿の歩行者天国を歩いているところを撮りたい』と要求してきて『それは(犯罪なのにで)できません』と断ると、掲示板で「あのモデルはわがままで、カメラマンをバカにしている」と罵詈雑言が返ってくるんですよ。

私は現実社会でも事務所に所属してモデル活動をしているだけに分かりますが、ネットの人たちは『自動販売機のボタンを押せば、ヌードモデルがポンと出てくる』感覚の人が多いですね。
彼らは相手つまり私たちモデルを人間ではなく、CGキャラクターのように扱うんです」

もちろん、ネットの匿名性や利害関係のない人間関係は悪いことばかりではありません。
人間関係の不満をすっきりさせるために、ネットで楽しくやってストレス解消をするならまだ健康です。「社会人のためのストレス解消」は、昔から趣味やスポーツなどが請け負っていたのが、ネットにも広がっただけですから。

しかし、ストレス解消が、その世界に没頭してしまうと、精神的なバランスが崩れる。現実社会でのルールやマナーそして常識を忘れてしまう人間が続出する。

中年酔っぱらい二態

話がずれました。
若い人たちは自分の世界に潜り込んでいるという話でしたね。
さてさて、現代の若い人たちの最近の変化を追っていくと、こんな観察ができました。
これと、酒類の販売数量の減少はどう関係あるのか。
あは。もう分かる人は分かってしまいますね。
でも、素知らぬ振りで続けます(笑)

そんなことを考えていたある日でした。夜の満員電車で2つの出来事がありました。若い人ではありません。両方とも中年男性です。
ただ、共通点があります。それは2人とも酔っぱらいだったという事実です。

ある酔った中年男性が酔いつぶれた友人らしき人間を抱えて、終電間際の混雑した山手線に乱入してきました。友人が倒れそうになって、他の乗客にもたれかかろうが気にせず、大きな声で「おお、次は原宿だぞぉぉ」などとわめいています。

とうとう、「あんちゃん、ぶつかるなよぉ」と隣の男子学生風の男にいいがかりをつけはじめました。もちろん、ぶつかったのは千鳥足でおぼつかないその酔っぱらい中年です。

さすがに見かねて、私が声を出してしまいました。

「おいおい、迷惑なのはあんただよ」
「何い?」と、今度は私をにらむその中年。
「静かにしなさい。ここは満員電車だ」
「何だとぉ?友達が酔っぱらってるんだ、お前はそれを置いて行けというのか」

ふう、私はそんなことは一言も言ってません(笑)

「それならそれでもいい。とにかく静かにしなさい」
「おまえは日本人じゃないな。こんなに困っている人を見捨てるのか?」
「日本人でも何でもいい。とにかく黙りなさい」
(もっとも、私はアメリカの大学を卒業していますから、半分アメリカ人ですが(笑))
「名前は何という?」
「森だ。森行生」
「どこに住んでいる?」
「●●だ」

人の名前や住所を聞くと黙りこくるのだと思っているのでしょう。そういうところだけは酔っていても頭が働くようです。

「それでは聞こう。あんたの名前は、住所は、会社名は?」と私(笑)
「そんなことはどうだっていい、おまえは日本人じゃない」

あーあ、まったくうるさい。酔っぱらいはこれだから大嫌いです。
だって、スーツ姿の彼の襟には、しっかりと某大手商社のバッジがキラキラ光っているというのに(笑)

次の出来事はもっともっと、おとなしいものです。
またもや満員電車の中。終電です。
あとひと駅で私が降りる駅でした。
隣の若いヒゲ面男性が私の方になだれ込んで来ました。

びっくりして振り返ると、他の乗客も慌てて四方に散らばろうとしています。
元々、終電間際のギュウギュウ詰め電車なのに、どこにそんな余裕があったのかと思わせるほどの民族大移動でした。

ふと、震源地らしき場所を見ると…
な、なんと、座席に座った酔っぱらい中年男性が、スーツのズボンのジッパーを当たり前のように開けているではありませんか。

それだけではありません。
その間から覗くち●ちんからは黄色い液体が勢い良く吹き出ています。いえ、ウソです。しょぼしょぼと…でした。あ、いえ、そんなことはどうでもよろしい。
酔っぱらいはしっかりと手を添えて、こぼれないようにしていました(笑) あ、いえ、十分床にこぼしている…というか…

私も東京暮らしは長いですが、こんな情景は初めてです。
元凶は40代くらいのどこにでもいそうなサラリーマンでした。
彼も有名企業のバッチを誇らしげにスーツにつけていましたが。私の過去のクライアント企業です。あ~あ(笑)

エセ流行論と「わがまま総額一定理論(?)」

この2つの出来事でピンと来ました。
なあんだ。自己中心的なのは若い人たちだけではないではないか。
大人ぶっている中年だって、十分に、いや、十分以上にわがままではないか。

現代の若者たちが「自己中心的」になったと力説するのは簡単です。丁度、さっき私が書いたような論調にすれば、いかにも「最近の若い奴『だけ』が自分勝手になった」ような趣旨の文章ができあがります。

もちろん、それを書く中年の私は「自分はそんなことはない」という安全圏内に逃避しながら…です。
かくして、エセ流行論ができあがります。
その構図はいつも同じです。

「イマドキの若い者は…」
「まったく若い奴らの考えていることはわからん…」

言われた当の本人たちは反論のしようがない。
だって、彼らは物心がついたときのままですから。
しかし、大人たちは忘れています。自分たちが若かった頃も同じようなことを言われていたことを。

例えば「かっこいい」という言葉は40代の私たちが若い頃の流行語でした。今で言う「イケテル」です。
当時の大人たちは怒ったものです。

「ちゃんとした日本語を使いなさい。まったく今の若い連中は言葉の使い方を知らない」と。

でも、先の2例を見れば良く分かります。
何も自己中心的な、わがままなのは若い人たちに限らない。
当の大人だって、十分に、いや十分すぎるほどわがままです。
ただ、1つだけ違いがあります。

若い人たちは携帯電話やウォークマンといった

「機械のチカラを借りてわがままになる」のに対して、中年は
「お酒のチカラを借りてわがままになる」

お酒は古くからあるものなので「わがままの解放」としての役割が隠れている。しかも、「酔っぱらい」を甘やかす文化が日本に根付いているので、中年のわがままは気がつかれない。
一方、機械は目立つので、それを借りた若い人たちのわがままは「特殊、特異」と見られます。

ということは、結局「わがままの総額」は今も昔も変わらないのに、目に見える携帯文化をきっかけにしている若者は批判され、隠れたお酒文化を利用している中年は隠れたままという構図ができあがるというわけです。

そんな「わがまま文化」によって、影響を受けたのはお酒だけではなさそうです。
お酒には「自分の世界を作る」他に「他人と仲良くなる」というニーズもあります。そのうちの、一方のニーズが携帯電話を代表とする新しい商品に奪われたのですが、他にも似たような商品がありそうです。

例えばクルマ。
クルマの基本的なニーズは「人やモノをA地点からB地点に運ぶ」や「他人と仲良くなる(デートなど)」ですが、「自分だけの空間を作る」や「気分転換」ニーズもばかにできません。
例えば、一人で深夜にドライブするのは、そのニーズの現れです。
それが、場合によっては携帯電話に奪われたとしたら…

携帯電話、いや「自分の世界を作る商品群」が影響を与えている業界はまだまだたくさんありそうです。
あなたの業界がその犠牲者でなければ良いのですが。

そのためには、少なくとも「自分だけは(日本人だから)許されるべきなのだ」という、あの甘ったれた酔っぱらいたちのようなわがまま思考から抜け出さなければ、真実は見えそうにないようです。

【後日談】2001.10.23

本記事の公表後、何人もの読者の方から「ウィスキーではなく、他の軽いアルコールに移ったのではないか」というご指摘がありました。確かにその傾向があります。
ただ、今回の記事は実は途中から「ウイスキーの減少の理由」ではなく「酒類(一人当たり)の減少の理由」に変化しています。それを明確に書かなかった舌足らずの記事のため、皆さんにご迷惑や余計な疑問を持たせてしまうことになりました。ごめんなさい。

そのため、ちょっと補足します。

●酒類の販売量そのものは全体として増加している
アルコール分を足し上げたものは、昭和40年の36万キロリットルから、平成9年の87万キロリットルへと、ほぼ2.4倍も消費量が増加しています。

●成人飲酒者一人当たりの消費量は漸減
しかし、女性の酒類市場進出などを背景に成人飲酒者一人当は増加しており、一人当たりの消費量はむしろ減っています。

年度 純アルコール消費量(キロリットル) 指数 飲酒者一人当たり消費量(リットル)
昭和40年 364,640 100.0 13.7
45年 483,225 132.5 14.6
50年 585,743 160.6 14.8
55年 658,291 180.5 14.5
60年 733,399 211.1 12.9
62年 756,586 207.5 13.0
63年 787,687 216.0 13.5
平成 元年 772,742 211.9 12.9
2年 754,646 207.0 12.4
3年 820,975 225.1 13.3
4年 829,571 227.5 13.4
5年 826,109 226.6 13.2
6年 833,051 228.5 13.0
7年 835,296 229.1 12.8
8年 833,855 228.7 12.9
9年 869,889 238.6 13.2

【出典】【大臣官房障害保健福祉部精神保健福祉課】(現在リンク切れです)
http://www1.mhlw.go.jp/topics/alcohol_11/kousei.html
グラフ

●未成年者の消費が不明

このデータには未成年者は入っていません。私が15歳の頃の昭和45年には未成年者はコソコソ隠れて酒を飲むのが大半で、その数も圧倒的に少なかったものです。
しかし、今はご存じのように、中学生でも居酒屋に堂々と出入りする時代。

つまり、昭和45年の「成人一人当たり」の消費量の中の未成年者は、限りなくゼロとして扱っても良いことになります。
しかし、それ以降、例えば平成9年のデータは未成年者の人数を入れないと正確なデータが出てこない。

仮に、成人の1/3の人数が未成年で飲酒しているとすると、平成9年の13.2リットルは「成人・未成年合わせた一人当たり」の消費量は

13.2リットル ÷ (1+0.3) = 10.15リットル

となり、昭和45年の飲酒量から大きく下がっていることがわかる計算です。

一人あたり飲酒量

つまり、一人一人が(ウィスキー、ビールに関わらず)酒を飲む量が減っている。だから、一人サントリーやウィスキーだけの問題ではないという問題意識から、この記事を書いたのです。
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