■デジカメは電気羊の夢を見るか?【デジカメ】 

artc20040401お待たせしました。デジカメの登場です。
草稿を3回も新たに書き直し、延べ2,000行(原稿用紙90枚)にもなってしまった記事です。こんなことをしているから記事がお休みがちになってしまうのですが、できるだけクオリティの高いものをお送りしないことには、長い文章を読む皆さんに申し訳ないと思ってしまいます。
タイトルに意味はありません(笑)。プレードランナー・ファンの方、ごめんなさい。


上へ下への大騒ぎ

デジカメが人気です。
普及率はほぼ15%と7人に1人が持っている計算です。インターネットブーム前のパソコンの普及率と同じくらいだから、かなりの数です。
逆に言えば、7人中6人が持っていないので、まだまだ伸びる市場です。家電量販店ではパソコンの売上失速のために、主役をデジカメに移しています。

だからといって、デジカメは儲かるかというと、これまた違います。競争が激しく、カメラメーカーだけでなく、フィルム、パソコン、家電メーカーが入り乱れて、各社、乱戦模様です。
1年に2回も3回も新製品を出さなければならない。せっかくの投資や製造設備の回収もできないまま、次の機種を発売しなければならない。価格は次々と下がっていく。メーカーの悲鳴が聞こえてきそうです。

しかも、売れ筋は決まっていません。誰がトップになるのかは見当もつかない。
例えば、今回のデジカメブームの仕掛け人カシオは当初こそ、売上げナンバーワンの名を欲しいままにしていましたが、今では10位にはいるかどうか。

トップグループを出たり入ったりしながら、会社全体でコンスタントに売れているのがオリンパス。
最近では、富士フィルムが頑張っているか思いきや、これまでまともな機種を出していなかったキャノンが一気にトップに躍り出た…と思ったら、番外だったソニーが巻き返しを計り、トップの座に。

ふと、気がつくとかつて二番手グループをきっちり走っていたエプソンが精彩を欠き、初期に話題作を排出したリコーがまたまた新製品で頑張ろうとする。

20万円以上の高級一眼レフ機種となると、オリンパスが頑張り、キャノンも評価が高い。普及機では今ひとつだったニコンがデジタル一眼レフではしっかりと売れている。30万円以上もする高価な機種だというのに、下手をするとアマチュアが持っていたりする。

おとなしいのか、やる気がないのは日立や東芝。OEMの覇者、三洋電機は自社ブランドでは全滅。
ミノルタは意欲的だが、今ひとつヒット商品がないし、コニカは脇役のまま。
巨艦松下ですら、参戦はしているものの話題に欠け、外資の雄コダックは「売っている」というだけの静けさ(業務用では別ですが)。

いやはや、この混線、混乱、混迷状況は、かつての電卓(古くて済みません)やワープロを思い出させてくれます。
あの時も、何十ものメーカーが入り乱れてくんずほぐれつの大奮戦を展開しましたが、最終的に勝ち組はシャープとカシオ。
ワープロは知らないうちにパソコンに飲み込まれて、富士通、シャープ、NECの御三家が、全員仲良くあえなく沈没。

そうなると、当然、デジカメも勝ち組、負け組が出てくるのは誰が見ても明らかです。ただ、どのメーカーが生き残るのかは誰にも分からない。
さすがの私も予想がつきません。

少なくともやる気のないメーカーはどこかで脱落するのは間違いありませんが、必死のメーカーが残るかというと、それぞれ各社事情があって、必死にならざるを得ない企業の数が多すぎます。

一方、デジカメの普及によって、犠牲者が出現してしまいました。
プロカメラマンたちです。
私の古くからの友人は40年近くカメラの世界で飯を食ってきましたが、昨年秋、とうとう廃業宣言をしました。現在はタクシーの運転手をやっています。カメラはあくまでも趣味で残すという彼の疲れた表情には、かつて大企業のパンフレット写真を撮りまくり、独立後は毎日のようにキャバクラで1晩10万円を散在した面影はどこにも見られません。

廃業直前の彼の売上げは3万円、0円、8万円、2万円、0円・・
こずかいにもなりません。
元々、バブルが崩壊し、売上げが減っていたとは言いながらも、毎月数10万円の売上げがありました。それが一気に減ったのが一昨年の冬から。
実は丁度、デジカメの普及率が第一基準点の6.8%(クープマンの目標値と呼ばれます)を超えたのが同時期なのです。

ちなみに、彼は職人気質のカメラマンで、デジカメを結局導入しませんでした。
それと符丁を合わせたかのように、唯一残っていたまともな仕事である新入社員採用パンフレット用写真の受注がなくなった。
ネットで情報を収集し、応募までこなすことが当たり前の時代になったからです。

写真需要が少なくなった上に、残った仕事を奪い合い単価が下がってきたところに、それに対応できるデジカメ導入をしなかった。
ある意味、典型的な環境不適合のケースです。

カメラとフィルムという数10年も続いた1つの産業と、それによって生活していた様々な職業が風前の灯火にさらされています。

今回はそんなデジカメという革新的な商品を素材に取り上げます。

テーマは
「生活者の視点から見ていくと、デジカメはこれからどう進化していくのか」
です。

出身地で分かるメーカーの事情

さて、デジカメメーカーを眺めていると、大雑把に言って出身地で分類できます。

●パソコン/パソコン周辺機器メーカー
(▼エプソン) (▼NEC)
●家電・AV機器メーカー
▼ソニー ▼三洋電機 ▼松下 (▼日立)
(▼東芝) ▼カシオ
●カメラメーカー
▼オリンパス ▼ニコン ▼キャノン ▼リコー
▼ミノルタ (▼京セラ) (▼ペンタックス)
●フィルムメーカー
▼富士フィルム ▼コニカ (▼コダック)

【注】( )はやる気があるのかないのか分からないメーカー。森が判断した。

パソコンやパソコン周辺機器メーカー出身企業が多いのは、デジカメは当初、ホームページに掲載する写真を撮る機械として発達したからです。
大ブームの立て役者、カシオはここに分類されます。

家電・AV機器メーカー出身企業が名を連ねているのは、ブーム当初デジカメの主要部品のCCD(デジカメのレンズやフィルムのようなもの)はビデオカメラ用を流用していたからです。
今では家電業界が伸びる可能性のある数少ない市場のひとつですから、攻める側です。

「攻める側」があれば「守る側」があります。
カメラメーカーとフィルムメーカーが「守る側」です。
デジカメはフィルムを使いません。すべて、スマートメディアやコンパクトフラッシュといった、フロッピーディスクの進化系のような電子記憶メディアに記録されます。

すると、もし、8ミリフィルムがビデオカメラに席巻されてしまったように、レコードがCDに取って代わられたように、普通のフィルム・カメラ(銀塩カメラと呼ばれます)がデジカメに世代交代でもされようものなら、カメラメーカーやフィルムメーカーは消滅するしかありません。

従って、彼ら「銀塩組」は必死になって、デジカメ市場で生き残らなければ明日がない(写真フィルムは業界では銀塩フィルムと呼ばれます)。

「画素数の多い」から別のニーズに移った

さて、ここでちょっとデジカメ市場のおさらいです。
デジカメの祖先は遠く20年前にさかのぼります。
ソニーが参考発表したマビカというカメラです。
外見は普通のカメラですが、フィルムの代わりにフロッピーディスクに画像を記録する革新的な商品です。

その後、家庭用の普及機カシオQV-10が発売され、ホームページを趣味で作っていた人たちに大受け。
一般用デジカメは鮮烈なデビューを果たしたのでした。
プリクラ並の画質は印刷するとみすぼらしいが、ホームページではそこまでの性能を要求していなかったので、35万画素という低性能のハンデが目立たない。

そこからは一気に各社入り乱れての混線に突入します。
カシオはたちまちのうちに後方に追いやられ、新規参入企業の増加とともに、栄枯盛衰劇の幕開けがスタートしてしまったのです。

しばらくは解像度がすべての決め手でした。解像度が高ければ高いほど綺麗な写真が撮れる。
35万画素ではホームページくらいの需要しかない。
年賀状のハガキ程度すら耐えられないレベルの画質しかありません。

それが85万画素、120万画素、200万画素と次々と綺麗な写真が撮れるようになる機種が人気を博します。
乱暴に言ってしまえば、その時々の人気トップモデルは進化したCCDを搭載した機種をどれだけ早く発売できるか、ただ1点だけでした。

ここまでの生活者の(デジタル)カメラの最大ニーズは「キレイに撮れること」です。銀塩カメラ、特にコンパクトカメラでも最大のニーズですから、理解できるポイントです。

それが300万画素クラスのモデルが出たあたりから変化してきました。
今までの市場の動きからすれば、300万画素機が出ると200万画素機が消えるはずです。キレイでない機種は捨て去られるだけだからです。
しかし、現在はそうならない。

むしろ台数の面から見ると、200万画素は現在の売れ筋ですらあります。
ようやく先月、300万画素モデルの販売台数が200万画素モデルを追い越したばかりです。300万画素モデルの登場から約1年も経ってからです。

最近、大ヒットを飛ばし、一躍トップグループに躍り出たのはキャノンやソニーですが、原動力となった機種は、決して当時の最高画素数である300万画素や400万画素ではありませんでした。一世代古いとされている200万画素なのです。

デジカメは「キレイに撮れる」から別なニーズに移りました。
…と言われていますが、私にはどうにもしっくり行きません。その話は記事の後半に譲るとして、ここでは「画素数の多い」から別のニーズに移ったとだけ言っておきましょう。

もちろん、画素数競争がなくなった訳ではありません。
10万円を超えるコンパクトカメラタイプ高級機や一眼レフタイプでは、まだまだ高画質を求めるユーザーが多いのが現状です。

デジタル一眼レフは30万円以上もする高級機種ですが、2年前にキャノンがEOS D30(300万画素)を発売し、ニコンがD1で続き(300万画素)、冨士フィルムがS1 Proで三つどもえの合戦が静かに繰り広げられていた…と思ったら、ニコンがD1Xで500万画素をモノにしたのが昨年。それに対抗してキャノンが600万画素モデルのEOS 1Dを出したと思ったつかの間に、同じく600万画素なのに価格が半分近いEOS D60を今年の春に投入。

慌てた(?)ニコンが600万画素の対抗モデルD100を「開発発表(今、一生懸命作ってるから、待っててね宣言)」。しかもキャノンよりも5万円ほど安い25万円台の実売価格になりそうだと噂されて、カメラヲタクの目が光る。
ほぼ同時期に、冨士フィルムも600万画素モデルS2 Proを開発発表。前の機種がプロにもそこそこ評判が良かっただけに、今回も穴になりそうな気配です。

ニーズ別に銀塩カメラ対デジカメを見る

これまで見てきたのはデジカメは「きれい」一辺倒から別のニーズが出てきたということです。
それは今までのカメラのニーズを見ればよく分かります。
二眼レフから一眼レフ、コンパクトカメラ、レンズ付きフィルムの流れを見ると、カメラのニーズは次の4つであることが分かります。

●きれいに撮れる
●軽くて、小さいこと
●安いこと
●使いやすいこと

それでは、ひとつひとつ見ていきましょう。
きれいに撮れることは論を待ちません。せっかくの写真ですから、きれいに写りたい。仕事の写真はクリアに写したい。
特殊なケースでなければ、デジカメはすでにこの条件をクリアしていることは、すでにお話ししました。

軽さと小ささは、まさにデジカメならではです。
銀塩カメラ業界では、つい最近までAPSフィルムを一生懸命普及させようと努力していました。今までのフィルムよりも小さいので、カメラがコンパクトにできることが最大のメリットでした。
実際、APSの初期の頃に売れたのが小さなレンズ付きフィルムとキャノン・イクシと呼ばれる超小型カメラでした。

しかし、APSといえども、今までのフィルムの2/3の大きさです。フィルムを使う以上、カメラはどうあがいてもフィルム以下に小さくできません。
一方のデジカメはそんな業界の努力をあざ笑うかのように、もっともっと小さくできます。画像を収納するメモリカードは切手代の大きさで、かつ厚さ数ミリというコンパクトさです。それ1枚で500枚も写真が撮れるのです。
小さなデジカメに人気が集中するのはあまりにも当然です。

実際、今まで鳴かず飛ばずだったキャノンやソニーがヒット商品を出せたのも、その小ささが故です。
ワイシャツの胸ポケットにすっぽりと収まってしまう。

小さいデジカメがヒットした理由は簡単です。
生活者、特にコンパクトカメラを使うような写真に詳しくない人が欲しいのは、カメラではなく写真だからです。カメラはそのための必要悪。きれいな写真さえ撮れればカメラは耳かきサイズでも良いのです。
カメラは存在感がなければない程良い。カメラマニアとはまったく違った発想です。

安いこと。これもまた論を待ちません。
チェキを除き、ポラロイドカメラが一般家庭に売れなかったのは、画質の悪さもさることながら、そのフィルム代金が敬遠されたからです。
一方のデジカメは先ほどお話ししたように、フィルム、現像、焼き付けにかかる費用はありません。

まったく印刷せずにパソコンのモニタで楽しむ分には、ランニングコストは限りなくゼロです。
多少、本体価格が高くてもすぐに元が取れてしまいます。
計算するとフィルム代金500円、現像(焼き付け除く)2,000円とすると、5万円のデジカメを買っても20回撮影すれば元が取れてしまいます。

使い安いことはコンパクトカメラを買うような人たちにとっては、極めて重要なことです。
かつて、「バカち●んカメラ」と揶揄されたコンパクトカメラがここまで普及したのは、オートフォーカスのおかげです。
シャッターを押すだけでピンぼけがなくなる。

その一方、デジカメならではの「使いやすさ」とは…
ホームページを持っている人や仕事に使っている人にとっては、これほど使いやすいカメラはありません。
だって、銀塩カメラの場合はこんなにステップが必要です。

●フィルムを抜き取る
●DPEショップに行く
●住所氏名などの手続きを待つ
●DPEショップに行く
●写真を受け取る
●スキャナでスキャンする
(●スキャンニングの際のゴミなどを画像加工ソフトで取り去る)
●圧縮してjpg形式で保存する

この7つのステップがたった1つになるのです。

●カメラとパソコンにケーブルを取り付ける

大抵の場合はソフトが自動的に立ち上がって勝手に画像をパソコンに転送してくれますから、後は待つだけ。

(または●カメラからメモリカードを抜き取る●カードリーダーにカードを差し込む●パソコンで操作をして画像フォルダをコピーする)

だけど、ホームページを持たない一般の人にとっては…
「デジカメが銀塩フィルムカメラより使いやすい」点はありませんでした。
せいぜいが、ネガがないので整理がしやすいことと、現像に出さなくて済むので、早く見ることができることくらい。

意外に面倒なデジカメ印刷

印刷だって、デジカメは意外に面倒です。
銀塩カメラの場合は5ステップですが、トータル時間で30分ちょっとで済みます。

●フィルムを抜き取る(10秒)
●DPEショップに行く(通勤などのついでなら10分)
●住所氏名などの手続きを待つ(普通で10分)
●DPEショップに行く(ついでなら10分)
●写真を受け取る(2分)

しかし、デジカメで写真を印刷しようとするとステップは3つしかないものの、標準的な36枚撮りだと約120分もかかってしまう。

●パソコンに画像データを移動する(3分)
●画像加工ソフトを立ち上げて、写真を選ぶ(10分)
●印刷する(3分/枚×36枚=108分)

銀塩ならば工場でプロが写真の焼き付けをしてくれるので、フィルムが5本だろうが10分だろうが、客にとっては必要な時間に大きな差はありません。せいぜいが受付に多少の時間がかかるくらい。
しかし、デジカメは印刷時間がそのまま自分の作業時間になってしまいます。

考えようによっては、デジカメはまだまだ使いやすくなったとは言えないのです。

「森さん、それはおかしいですよ。
『使いやすい』というのは、森さんの基準で言っているとしか思えません。
だって、撮った後にすぐに見られると、飲み会などで盛り上がるじゃないですか。
銀塩では絶対にできない技ですよ」

それは認めましょう。
それでは、質問です。
写真を年間50枚撮る人がいたとします。さて、飲み会の写真はそのうち何枚ですか?
10枚だとすると、そのたった10枚のためにデジカメを買う理由がありますか?

逆にいいます。
飲み会の場を盛り上げるためだけの道具なのに3万円のデジカメを買いますか?
実際、「撮ったその場で見て楽しみたい」というニーズはある調査で14%しかありませんでした。7人に1人の割合。決して大きいニーズではありません。

これまでを整理すると、デジカメはこうやって銀塩と戦ってきたことがよく分かります。

●きれいに撮れる    【銀塩と引き分け】
●軽くて、小さいこと  【デジカメの勝ち】
●安いこと       【撮れば撮るほどデジカメは安上がり】
●使いやすいこと    【銀塩の勝ち】

しかし、実はこの分析が当てはまらない人たちがいます。
まずは、パソコンを持っていない人たち。
いくら、デジカメのランニングコストが安いと言っても、それはパソコンやプリンタを持っていればという条件付きです。

デジカメのためにわざわざパソコン(10万円)とプリンタ(3万円)を買うとすると、5万円のデジカメを買えば、全部で18万円になります。すると、72回(2,592枚)を撮影しないと元が取れません。

大体1回につき20枚撮って、月1回撮影の平均的生活者なら約11年経たないと元が取れない計算です。これでは、とてもではありませんが銀塩カメラの方が圧倒的に経済的です。

写真撮影の枚数が多く、現在のデジカメのメリットを享受できる割に、何らかの理由でまだデジカメを持っていない人たち…それは女子高生を代表とする若い女性たちです。

彼女たちが本格的にデジカメ市場に入り込んできた時こそ、銀塩カメラの終焉です。そして、それが近いことを知っているからこそ、フィルムメーカーは必死になってデジカメ市場を制覇しようとしている、いや守ろうとしています。

そして、彼女たちを最後に味方に付けることができるメーカーが生き残るというわけです。

カメラは未成熟商品であるこれだけの理由

前述のカメラニーズ4つの中で「使いやすさ」が大きな問題点だと私は思っています。
なぜか。
カメラの場合「使いやすい」ことと「きれいに撮れる」ことが密接な関係だからです。
「使いにくい」と「写真が失敗する」からです。
失敗は「きれいに撮れない」ことを意味します。

オートフォーカスが良い例です。
昔のカメラは一々ピントを合わせて、露出を決めないといけませんでした。そうしないと、暗い写真になったりピントが合わなくて、きれいにならなかったからです。

でも、オートフォーカスや自動露出はそんな面倒なことは一切カメラに任せて、自分はシャッターを押すだけで済む機能です。プロのような写真は撮れないかも知れないけれど、失敗がない写真が撮れる。

しかし「きれいに撮れる」ことが大事だとするなら、素人が撮ってもプロのような鮮明な写真が撮れなければ意味がありません。同じカメラであっても腕の差で写真の出来上がりに善し悪しが出るのは、どうにも納得が行きません。

「それは仕方がないでしょう、森さん。
私たちはプロではないから、テクニックがものを言うのがカメラという世界だからですよ」

私の後輩でカメラマニアです。

いいえ、テクニックという技術や習得が必要な商品はすべて未成熟な商品だと言い切って良いです。
テレビは電源ボタンを押せば、誰でも映像を見ることができます。チャンネルボタンを押せば、画像が切り替わります。
習熟した人がやっても、初心者がやっても結果は同じです。

一方、カメラはシャッターと呼ばれるボタンを押す行為は同じでも、初心者とプロでは出てきたもの(写真)はまったく違う。
これをして「成熟商品」だと呼ぶマニアの感覚は、高校時代から写真部に所属しており、恐らく一般の人よりも写真が上手であるはずの私にさえも、さっぱり理解できません。

友人でプロカメラマンがハタと膝を打って同調してくれました。
彼とはいつも毒舌を交わす間柄です。

「森さんはいいよなぁ、楽で。紙と鉛筆さえあれば商売できるんだもの」
「こらこら、キミこそ楽だよ。(シャッター)ボタンを押す指の動きだけで商売になるんだから」

という会話を交わす仲です(笑)
その彼曰く。

「いやあ、よく考えたら森さんの言うとおりですよね。
確かにいわゆる『きれいな写真』を撮るのは大変ですよ。
フレーミング(アングルや構図)を決め、ライティングを調整し、レンズを選び、露出計で計ったシャッタースピードや露出を参考に自分の好きなように微調整し、モデルにポーズをつける。

『きれいな写真』で一番大事なのはピントですが、それだけではない。
こんな面倒なことを勉強したり実体験してテクニックを修得しないと『(プロのような)きれいな写真』は撮れない。

私たちはプロだから、基本的な撮影技術は身に付いてしまっているけど、まったくの素人さんには不可能でしょうね。
それと同じようなことを素人さんが勉強しなければならないというのは、どう考えてもカメラは『成熟』ではないですね。
もっとも、成熟されたら我々はメシの食い上げですが(笑)」

いや、それだからこそ、カメラはつくづく未成熟だと思います。
「きれいに撮れる」ニーズは決して失ってはいません。オートフォーカスやフラッシュでの赤目軽減といったカメラの機械技術は「汚くならない」というだけです。「きれい」にはほど遠い。
カメラはまだまだ進化します。いや、すべきです。

頂点がプロではない支流が本流になるか

さて、ここまではデジカメは今までのカメラの延長上、あるいはカメラの代替品としてのお話でした。
きれいにしても何にしても、あくまでもその頂点や目標すべき所は「プロ・カメラマン」です。彼らにどれだけ近づけるかが大きなニーズの方向です。

しかし、それだけなのでしょうか。
デジカメは写真というものを進化させないのでしょうか。
確かに映像はカメラという「静止画」から、ビデオカメラという「動画」を進化させました。ゆくゆくはSF映画に出てくるような「立体動画」のようなものも出現するでしょう。

確かにそれは大きな進化です。
しかし、「頂点はプロ」という構造は変わりません。

実は、銀塩カメラの進化系としてのデジカメは生活者が選んだ道です。
デジカメは初期の頃に2つの方向を生活者に提示しました。
1つは銀塩カメラの代用です。これがホームページを趣味として制作する人たちに受け入れられました。

もうひとつは、画像加工で遊ぶ道です。
簡単なものなら写真をセピア調にすることや文字を入れることができる。凝ってくると、スケッチ風にアレンジしたり、コラージュのように様々な写真を組み合わせたり、色調を大きく変化させたりして遊ぶことができる。そんな道です。

当然と言えば当然の提案です。
デジカメだと写真をスキャナで取り込むより楽なので、こういう遊びがしやすくなります。
デジカメならではの提案です。

最初のデジカメ普及機で現在の市場を作った功労者であるカシオは、この道を選びました。解像度を上げる競争には加わらなかったのです。カメラ側で色を変えたり加工する商品を出したのですが、売上げはさっぱり。とうとう、カシオは解像度競争へと路線を変更しました。

カシオの気持ちは分からなくもありません。
女子高生たちが写真にペンで書き込んだりして遊んでいるのを見て、需要があると踏んだのでしょう。

しかし、市場はそれを選択しなかった。
パソコンを持つ人たちと、写真で遊ぶ人たち(=女子高生)が違ったからです。

ただ、彼女たちの潜在能力はあなどれません。
彼女たちは「きれいでない写真=プリクラ」を流行らせました。
彼女たちは「きれいには写らないカメラ=レンズ付きフィルム」の先鞭を付けた人たちです。

従来のカメラの概念(つまり使い方)をまったく気にせずに、自分たちの「面白い」と思う基準で写真を撮る機械を選ぶ。それが彼女たちです。
デジカメの本当の進化は彼女たちがデジカメ市場に入り込んだ時に現れます。

しかし、私が注目しているのは、それらとも違う別な使い方です。
ある日、知り合いの20才の女性が旅行に行くというので、会社のコンパクトデジカメを貸しました。
彼女はパソコンは持っていたものの、スマートメディアの扱い方を知らなかったので、撮影後、会社に来てもらって画像データをパソコンに吸い上げました。

モニタ画面に映った写真は、今までの写真とは違う「別物」だったのです。「驚愕」という言葉がふと頭をよぎりました。
彼女の写真はピントがずれていたり、暗かったり、手ぶれと言うにはあまりにも穏やかすぎる表現ほど、画面が流れていたり。とにもかくにも「すさまじい」写真の数々でした。

ところが、彼女は悪びれる様子はまったくありませんでした。
得意げに、いかにこの時の旅行が楽しかったのか、彼氏がいかに魅力的な人なのか、そこに写っている友人たちがどんな人たちなのか。
普通の写真の束を持ち、喜々として解説する普通の若い女性のそれでした。

「へぇ、でもずいぶんぼけてるから、ひなちゃんの友達の顔が分からないね」

気を使ってこう言うと、

「あはは、ごめんね。私、フラッシュが嫌いだから。あっ、でも、この写真なら雰囲気がつかめるかなぁ。
あのね、この人はね、●●で××な▼▼の人なんだよ。それでね…」

そう。
彼女にとっては、いわゆる我々旧世代が考える「きれいな『旅行の記念写真』」は、どうでも良い存在だったのです。
そこにあるのは、自分の貧弱な記憶や想像力を補うための「鮮明な写真」ではありませんでした。
彼女は彼女なりに記憶が蘇れば良いだけです。
それが他人にどう見えようが一向に気にしない。

それよりも、

「デジカメっていいよね。
フィルムや現像代を気にしなくていいから、バシャバシャ撮れるもん。
失敗だろうが何だろうが、写真やネガを整理整頓する場所がいらないから、いくらでもシャッターを押せるし」

という彼女の言葉に代表されるように、「自分の記憶をとどめておくだけで良い存在」を、最も安価にそして最も手っ取り早く手に入れる存在が、デジカメでもあるのです。

結局、彼女が撮ってきた写真は都合400枚。銀塩なら軽く25,000円はかかってしまう分量です。
いつも、財布に1,000円しか残っていないと自身のホームページの日記に書くような彼女にとってみれば、フィルム代金や現像・焼き付け代金が無料であるため、「今までできなかった写真を撮ることができた」初めての存在なのでした。

(残念ながら、それらの写真はありませんが、彼女のホームページ
薔薇檸檬館を一度ご覧あれ。)

おもしろいので、友人のデジカメを借りて(私のはいまだにひなちゃんが持っています(笑))、他の人に貸し出して自由に撮ってもらいました。
確かに大半は「従来の」記念写真としての使い方でしたが、1/4はひなちゃんのような「ダラダラ写真」を撮ってきます。

それも、面白いのは、彼女たちの写真の前半は「普通の写真」なのですが、途中から「ダラダラ」が始まるのです。

「まきちゃんは、前後で写真の感じが違うよね」と私。
「はい、フィルム代がいらないんだと気がついた時から、撮り方が変わりました。
それまでは、大事に1枚、1枚を撮っていたし、スナップでも真剣に撮っていました。
でも、それに気がついてからは、何かあるとすぐにバッグからカメラを取り出して、バシャバシャ撮るんです。
何だか、日記メモという感覚です。
これ楽しいですっ!
このカメラ、もらえません? (笑)」

あげません。
ひなちゃん一人で充分です (笑)

カメラの革命児デジカメがもたらすもの

デジカメがこれからどのように進化して、どのような使われ方をするのか。
まだまだ観察をしてみたい気がします。
しかし、ひなちゃんのような若い人たちが出現するのは間違いなさそうです。そして、そうなると写真という文化が変化するのは確実だろうと考えています。

そして、実はもうひとつ、大きな可能性があります。
デジカメはその構造上、限りなく小さくすることができます。
また、カメラという存在は前述のように無用の長物です。欲しいのは写真、以上です。

すると一体、何が起きるのか。
過去記事で私が時計の話をしました。実はそれと同じようなことが起きても何ら不思議はないのです。

時計は「時間さえ分かれば良い(=写真さえあれば良い)」。
そのためには「時計というものは無用の長物だ(=カメラは無用の長物だ)」
時計は「デジタルになって、どこにでも潜り込ませることができるようになった。
その究極が携帯電話である(=デジカメは限りなく小さくなって、どこにでも潜り込ませるようになる。
その究極はまだ分からないが、携帯電話でもおかしくはない)」
そのため、「時計をはめる人がどんどんと減ってしまった(=そのため、デジカメいやカメラを持つ人がどんどん減ってしまうこともあり得る)」

デジカメはカメラの革命児でした。
しかし、その革命児がもしかしたら、カメラという存在を消し去る役目を果たすことになったら…
うーん、これは面白いことになりそうです。

でも、ワタクシ的には、あの性能でレンズ込みで35万円くらいになりそうな、ニコンD100が早く欲しいぞ!
signature




こちらの記事もどうぞ


 
この記事はいかがでしたか? 今後の参考のために教えて下さい。

メールアドレス
(匿名アドレスの場合は
そのまま送信してください)
ご感想 かなりおもしろい
ややおもしろい
どちらともいえない
ややつまらない
かなりつまらない
わからない
コメントがありましたらどうぞ
【ヒミツ】等と書いて頂ければ公表はいたしません。
ご安心下さい。