ビッグマックのような写真アルバム
私のような中年が「ああ、若い人の文化だ」と思うものの一つがあります。
10代後半から20代前半の女性とある程度仲良くなると、必ずといって良いほど出現するもの。写真が一杯に詰まったアルバムです。
アルバムといっても、現像したときに必ずついてくる、あの質素なアルバムです。ビックマックさながらに写真がぎっしり入っています。ゴムバンドで止めただけの写真の束を150枚も見せられることもあります。
その大半が相手の女性が写っている写真です。
旅行先で女友達とニッコリ、カラオケパブでわいわい。卒業式の写真もあります。
水着姿も目のやり場に困りますが、露天風呂の写真もあるので中年には目の毒だったりすることもしばしばです。
一時期はプリクラがその代用品になった感がありましたが、まだまだその勢いは止まっていません。
いや、eggというファッション誌が女子高生の間でブレイクしたように、勢いはむしろ加速していると言ったほうが正しいのでしょう。
知らない方に説明すると、eggは街での10代女性のファッションを紹介する雑誌です。ただし、アンアンのファッション・コンクールや読者モデルのように「素人をプロに仕立てる」のではありません。「素人は素人のまま撮る」のがeggの最大の特徴です。だから、カメラマンもいるにはいますが、それよりも普通のスナップ写真が目立ちますし、その上にカラーペンでごちゃごちゃと文字やら絵やらが書き込んであります。今では普通に良く見るあの目が痛くなるような写真です。
余談ですが、eggの前身はHeaven’s Doorという素人モデルのディスコファッション誌でした。
この雑誌に登場する女性たちは、まさに当時のマハラジャやキング&クイーンなどのディスコでお立ち台に乗って扇子を振り回している人たちだったので、肌の露出が過激なファッションばかりでした。
加えて、この出版社の主力誌が女子高生セミヌード誌とSM誌なので、出版社の意図にはおかまいなく、コンビニでは男性誌と並んでいたのが笑えました。当然、eggも創刊時は男性誌コーナーにありました。
まさかこんなに女子高生の中でブレイクするとは夢にも思いませんでした。
なぜ生活者が写真フィルムメーカーににじり寄ったか
唐突ですが、今回は写真がテーマです。
しかし、写真フィルムメーカーの戦略の話をしたところで、おもしろい記事が書けそうにありません。デジカメとの攻防戦の話は別に用意していますので、ここでは角度を変えてテーマ設定をすることにします。
写真フィルムメーカー、特に市場の70%を占める富士フィルムは、写真フィルム市場をいかに拡大するかという視点でのマーケティング活動や商品開発をしています。ところがどうにも総花的なのです。それはそれでトップ企業としては正しい戦略です。しかし、拡大というより維持するだけの力しかなく、どこか優等生的で力強さを感じさせません。
例えば、コニカのヒット商品である赤ちゃん専用のフィルム「ママ撮って」のように、ある特定の生活者層を刺激したり、ポラロイドのような特定の用途で力を発揮するような商品の普及に力を注ぐような「成長のためのアンバランスさ」がありません。
いや、確かに富士フィルムもポラロイドタイプのカメラ持っているし、写ルんですのようなカメラの根底を覆すヒット商品も出しました。また、最近ではチェキ (名刺サイズの写真ができる低価格のポラロイドカメラ) がヒットしています。
でも、これらはあくまでも「トップだからオールラウンドにカバーしています」という企業としての活動です。
企業イメージ調査を見てもそのことが分かります。富士フィルムのイメージは「フジ」という企業イメージであって、個々の商品やターゲットではありません。例えば、コニカは「ピッカリコニカ」のイメージが強いし、ソニーは「若者」や「AV機器」のイメージが強い。
細かく言えば、トップ企業のイメージは「全てに強い=総花的」でなければならないところがあります。でも一方で、小学生のときから算数も国語も平均的に成績が良い子どものようなものです。それより、他はそこそこ平均的だけど理科だけは滅法強い人間のほうが結局偉大な実績を残します。
が本来求められる成長するためのトップ企業の姿です。
女子高生の間で写真がコミュニケーションの道具として使われるようになったのは、決してメーカーの意図ではなく、彼女たちが無理矢理に工夫して自分たちの文化に商品を合わせているだけです。
そこで、今回は写真フィルム業界がいかに戦略を立てたかではなく、生活者が写真フィルムににじり寄ったのはなぜかについてお話しします。
その中でも女子高生を中心とした若者にフォーカスを当てることにします。
彼女たちの心理をのぞき込むと、「今後のスタンダード」となりうる要素を幾つも抱えているのがかいま見えるからです。
セーラー服恐怖症の私ですが、私服なら大丈夫です。
写真ご披露現象のひとつの理由
冒頭に上げた写真ご披露大会は、彼女たちの言語表現の能力不足を補うものとして発達した文化だと最初は思っていました。
彼女達を見ていると、「私って、こんな人なの」ということを伝えたくて写真を新参者の私に見せていたからです。
共通言語としての日本語の語彙が貧弱な彼女たちですから、写真抜きでは私との会話や自分を描写するのにかなり苦労するのです。
確かに、女子高生の言語表現能力は退化しています。
ただし、巷で良く言われるように、彼女たちが「文字文化」を喪失したと思うのは早計です。
彼女たちの書く文章量は、例えば一般主婦の優に数十倍にも上ります。実にまめに友人に手紙を書いています。また、手帳にも細かくその日にあったことをメモしています。日記です。ある女子高生は1日平均でレポート用紙3枚分の手紙を3年間書き続けています。年間約1,000枚。クラブで男の子と出合ったり、カラオケボックスで遊ぶ合間に、です。主に授業中ですが。
筆記用具も文具業界でヒットしています。
良品計画のボールペンや写真等の上に書けるカラーペンなど、女子高生が支える大ヒット商品が目白押しです。
さて、そんな大量の文章をこなす彼女達ですが、言語表現能力が退化した代わりに、ビジュアル表現能力は飛躍的に進化しています。矢印を多用する。ハートマークでその時の気分を表現するなどの文化や技術は見事に発達しています。
文字という意味性とビジュアルという記号性を融合させた、新しいコミュニケーション表現文化の発達ともいえるのが彼女達の文字文化なのです。
電子メールでも、文字だけでは行き違いからケンカになることも多いので、フェイスマークを多用する人がいますが、これは、かつての女子高生の文化をパソコン通信時代 (主にnifty) の電子メールが取り込んで、インターネットに繋がった文化です。
海外ではこんなにフェイスマークはありませんし、多用する人にnifty時代から活動的にメールやフォーラムを楽しんでいた人が多いのは、そのためです。
ちょっと見ただけでもこんなに種類があります。
(^o^) (^O^)v (*^_^*) \(^o^)/
(@_@) (;><)エーン φ(..)メモメモ ワクワク,o(^-^)o
(゚゜;)バキッ\(–; ) は~い (^o^)/
(-_-)/~~~~ピシー!ピシー! o(>< )o チガウ o( ><)oチガウ
(。。)(゚)(。。)(゚゚)ウンウンウンウン
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またねっ(*^^)/。・:*:・゚’★,。・:*:・゚’☆
おやすみなさい。(-_-) ゜゜zzz
さて、先程説明したように、写真ご披露現象が彼女達に流行したのは決してメーカーの戦略でも策略でもありません。
元々、私の時代からビジュアル文化が発達し始め、当時の古い人たちがついていけないといった傾向がありました。だから、「若い人」の正常な進化の中に写真という産業がすっぽりはまった、という感じです。
例えば、今のおやじ世代が若かりし頃の1970年代のサイケデリック文化やピースマークは、シンボルや図形で自分達の感情や思想を表現しようとする姿勢でした。決して、文字だけで伝えようとはしていません。そういう意味でビジュアル文化はすでにその頃から始まっていました。
まんが文化もその一例です。
日本のまんが文化はすでに小説やノウハウ本と同じくらいのクオリティの内容を、「まんが」という表現手段で伝えようとするエンターテイメントとして立派に昇華しています。
例えば、手塚治虫の「火の鳥」は物語やテーマ性は立派な文学のそれですし、水島新二の野球まんがは一級エンターテイメント小説のそれです。
ここでも進化の方向性、つまり、文字とビジュアルの融合性への道はまったく同じであることが分かります。
数か月前が「懐かしい」?!
実はもうひとつ、大事な心理・意識が写真に大きく関わっていたのです。
発端は私に自分の写真を見せるときに必ずつぶやくことばが「懐かしいなぁ、それ」であることに気がついた時でした。
最初は、気にも止めませんでした。
しかし、何回もそのセリフを聞いているうちに「変なことを言っているな」と思い始めたのです。だって、写真に写っている情景は、たった数か月前の写真なのです。私の感覚では「懐かしい」は、せめて10年は経過していないといけません。
それが、たった数か月です。
「彼女は若いから、私の10年が彼女の数か月という感覚なのだろうな」としか最初は思っていませんでした。しかし、よくよく考えてみると、いくら女子高生の意識のスピードが早くても、10年と数か月とでは40倍ものスピード差があることになります。常識では考えられません。
釈然としないまま時が経ち、ある日ふといくつかの会話を思い出しました。
「はぁ。それって、いつ頃ですか」
「そうさねぇ、30年くらい前かね」
92才のたばこ屋のおばあちゃんと話をしていたときのことでした。
彼女は店先に出るとつり銭を間違えることも常連客の顔を忘れることもない、しっかりした女性でした。
「やっぱり、あの人でもボケるのかな」
と感じたのを覚えています。
今度は、20代前半の女性です。
「え?だって、それって、40才になってもできないヤツはできないよ。20代でそんなことできる人なんか見たことがないよ」
女性には結婚というイベントがあるからと言っても、欲張りというか世間知らずというかわがままというか…いやはや。
上の会話は今までも耳にしていました。でも、おばあちゃんは「ボケ」、OLさんは「わがまま」程度にしか考えていなかったのです。
時間の感覚は私が正義だと思っていました。私の常識がみんなの常識。
だから、おばあちゃんもOLさんも女子高生も「みんな間違っている。俺は正しい」から、自分で理解できないことは「ボケ」「わがまま」と否定することで、自分の常識を守ろうとしていたのです。
コンサルタントとしてまだまだ修業が足りません。
同じ日を「お久しぶりです」「先日はどうも」という感覚
時間感覚の違いは女子高生だけの問題ではなさそうです。本格的に考えてみることにしました (メルマガでは女子高生に焦点を当てたままです。悪しからず)。
まず、辞書を引いてみます。でも、時間を表すことばの定義ははっきりしません。
「少し、長く時間が経過したと感じられることを表す」
●懐かしい
「以前のことを思い出して、もう一度会い (見) たいと思う気持ちだ」
日本語の場合、例えば「数時間」「数回」には、ちゃんとした定義があります。「数」は2~3あるいは5~6です。従って、「数時間」は「2~6時間」、数回は「2~6回」のことです。決して「8~12時間」や「20回」を意味してはいません。
しかし、辞書は「しばらく」は「少し、長く」という、正反対のことばでお茶を濁し、「懐かしい」は「以前のこと」と「少なくとも未来や現在じゃない」というあいまいな定義でごまかしています。
従って、こんな面白い現象が起こります。
1999年11月25日放送「笑っていいとも!」の「テレホンショッキング」で、19才のこずえ鈴が35才の高島礼子と電話で挨拶を交わしているときでした。この2人は1度食事をしたことがあるとのことですが、いつなのかはわかりません。
高島礼子 (35才) 「先日はどうも」
「先日」というのは辞書では「昨日、一昨日などよりもさらに少し前のある日。このあいだ」とあり、あいまいなままですが、少なくとも「何日」単位であることが伺えます。でも、「お久しぶり」は、たいていの場合「何年」単位で使われることが多いのが「とりあえずの日本語の常識」です。
同じことがらを、19才と35才は別な表現をする。
実に奇異な会話でした。
ことばの定義は、共有する事柄を通じて知ることが往々にしてあります。
例えば、「懐かしのメロディ」などのようなテレビ番組が君臨していた時代は、その中で紹介されている曲が「懐かしさ」の時間を定義してくれます。10年以上前に流行った歌謡曲や演歌がたくさん紹介されれぱ、「懐かしい」は10年以上の期間を指すものだということがわかります。
でも、今は「懐メロ」番組は全滅です。誰も「懐かしい」の中身を説明してくれません。
するとどうなるか。価値観を共有しているグループの独自の定義や常識が幅をきかせ、放置されることになります。ローカルルールです。
ヤマンバのようなアイシャドウも口紅も白で異様なファッションも、どんなに大人が「気持ち悪い」「みっともない」と言おうが、「他人に迷惑をかけないからいいじゃん。こっちのほうがかわいいし」で済んでしまいます。また、32センチ丈のマイクロミニと厚底ブーツをはいていて、一緒に歩いている母親に「(下着が) 見えるでしょ」と言われても「見えないよ。うるさいなぁ」と一喝する (本当は見えていましたが)。
なぜか。
それらを「かわいい」と言う友人がいるからです。
「自分だけが良い」と思っている訳ではありません。そこまでの勇気はありません。でも、グループ内の人間の評価さえもらえれば安心、居心地が良い。だから、万引きが流行れば罪の意識はあまりなくやってしまうし、援助交際は友人同志の数珠繋ぎで拡大します。
しかし、時間を表すことばは実にややこしい。はた目からは違う意味で使われていることが分からないからです。
「懐かしい」は、女子高生もおやじも同じことばを使用します。
しかも、「数時間」のような明確な定義がないことばです。見過ごしてしまいがちで、実は大きな意味の違いがあることに気がつきにくいのです。
「女子高生の時間感覚調査」
そんなことを考えていたら、ちょっと古い資料が見つかりました。
おもしろいのでご紹介します。
タイトルはズバリ「女子高生の時間感覚調査」 (97年8月)。
今はなき、流行をテーマにした専門誌「アクロス」が出典です。
『昔は良かった』と思うときがある | yes 88.7% |
今までの常識では、このフレーズは中年おやじや老人のものでした。
この質問に共感して○をつけたのは、平均年令16.2才の女子高生であることを忘れてはいけません。
ここですでに、女子高生の時間感覚が私のそれとずれ始めているのが分かります。
実際、注意して彼女たちの会話を聞いていると、確かにこういったフレーズは良く出現します。「ムカツクゥ」「てめぇ」などと言うことばに気を取られていると気がつかないことがらです。
あなたにとって『思い出』といえるのはどのくらい前のことですか
1~3週間以前 | 16.0% | |
1~3ケ月前 | 26.4% | |
半年前以前 | 30.2% | 【小計】72.6% |
1年前以前 | 25.5% | |
その他 | 1.8% |
出ました。
やっぱり。
実に70%の女子高生が半年前はすでに「思い出」になってしまっていました。
どおりで私がいくら聞いても、数か月前が「懐かしい」と彼女たちが言い張る訳です。本気でそう思っている。
具体的なものを見てみましょう。この調査ではテレビ番組を挙げて聞いています。
次の項目は、まだ記憶に新しいか、懐かしいか、良く覚えていないか、お答えください。
【テレビドラマ】 | まだ記憶に新しい | 懐かしい | 良く覚えていない |
---|---|---|---|
バージンロード (3ケ月前・97年春) |
51.9% | 26.4% | 15.1% |
ロングバケーション (1年3ケ月前・96年春) |
40.6% | 50.0% | 6.7% |
未成年 (1年8ケ月前・96年春) |
35.8% | 50.0% | 11.3% |
101回目のプロポーズ (5年8ケ月前・91年春) |
4.7% | 55.7% | 28.3% |
3ケ月前の「バージンロード」はさすがにまだ懐かしいとはいえませんが、1年3ケ月前の「ロングバケーション」はすでに半分が「懐かしい」と答えています。しかも、おもしろいことに、それを過ぎると「懐かしい」が一定しています。半分以上には増えません。代わりに「記憶が新しい」が減り「良く覚えていない」が増えます。
次のデータです。
友達にあって「久しぶり」と感じるのは、どのくらい会わなかったときでしょうか。
2~3日 | 1.9% | |
---|---|---|
1週間くらい | 34.0% | 【小計】59.5% |
2~3週間 | 23.6% | 【小計】74.6% |
1か月 | 15.1% | |
2~3月 | 18.9% | |
半年以上 | 5.6% |
なんと2~3週間会わないと6割、1か月で7割が「久しぶり」になってしまいます。高島礼子の「先日はどうも」とこずえ鈴の「お久しぶりです」の奇異な会話も納得です。
先ほど「私と女子高生の40倍のスピード差は常識では考えられない」とお話しましたが、女子高生との時間感覚のスピード差は本当に36倍だったのです。中年が若いつもりになってはいけません。
境界線があいまいになっている現在の女性像
アクロスのデータで女子高生達が本当に半年前や1年程度でも「懐かしい」「思い出」となっていることが分かりました。
でも、どうしてこうなってしまったのでしょう。
確かに、私たちの時代でも先のことは考えずに突っ走っていたことは事実です。
大人から「もっと将来を考えなさい」なんて言われても「へのカッパ」。就職した会社の同期の男性が、結婚を考えて貯金をしていると聞いたとき「へぇ、しっかりしているなぁ、でもおやじ臭いなぁ」と思ったこともありました。私といえば「25才までは自分に投資するから、貯金はゼロ」が目標でした。お金の使い道はナイショですが(笑)
これが若さの証だといえばそのとおりです。
でもさすがに、3か月前を「懐かしい」とは思ったことはありません。
また、1年先くらいはとりあえず頭にはありました。私自身は獣医になりたかったので、想像しやすかったのも確かです。
と友人。
分かりやすい回答です。でも何かが違う。情報が早くても、受け入れる側が求めていなかったら上滑りするだけです。「大衆は情報操作で踊る」は必ずしも当たっていません。情報提供側の傲慢です。
と別な友人。
お、これはちょっと引っかかります。
ブルセラ時代ほどではありませんが、今時の女子高生は「女子高生」であることに、メリットを充分に感じています。援助交際では「女子大生では価値が低くなるけど、たった1年違っただけで、女子高生のブランドなら数倍のお金で売れる」と自分の価値をわかっていました。
皮肉だけでなく、ルーズソックスやセーラー服を堂々と着ていること自体、女子高生であることを誇りに思っている証拠です。昔は、制服が恥ずかしくて、遊びに行くときもロッカー・ルームでわざわざ私服に着替えていたものです (補導員がうるさいという事情もありましたが)。今や、セーラー服のまま、街頭でたばこをふかす時代です (あ、また皮肉っぽくなってしまいました)。
そんなことをつらつらと考えていたら、第2のヒントに出会いました。
新宿駅南口の立ち食いやきそば屋でのことです。若いカップルが隣にいました。女性はどうみても20才前後に見えますが、男性は14~15才。幼さが顔一杯に広がっています。兄弟かと思っていたのですが、会話を聞いていると恋人同士。しかも、同級生であることが分かりました。中学生カップルです。
最初は「女の子は成長が早いなぁ」と感心していたのですが、「いや、もしかしたら逆じゃないか?」と発想を変えてみると、次々と走馬燈のように色々な情報が頭を駆けめぐってきました。10代の若い女性が大人っぽくなったのではなく、逆に20代、30代の女性が子供っぽくなったとすると、色々なところで辻褄が合うのです。
例えば、今の30代の女性は昔と違って、見た目も考え方も極めて若いのはご存じのとおり。20代半ばとまったく変わらない。「初めてマックでバイトをしていたとき、30才の主婦の人がいたんだけど、自分達と話が合うんです。若いなぁ、と思いました」とは、ある女子大生の弁です。
実際、シストラットのウェブマスター河瀬は29才で、先日結婚した主婦ですが、普段のファッションは大学生のバイトよりもコギャルです。さすがに、32センチ丈のマイクロミニははきませんが、厚底サンダルやプラスチック・ブレスレットなど、シストラットで最もコギャルっぽい格好をしています。
また、外人の友人が日本に来ると、「日本の女性はなぜ、みんな子供っぽい服装なんだ」と怒るのです。例えば、リボンは海外では子供の象徴なので、大人は恥ずかしくてファッションに取り入れられないのだと言います。
確かに、腰に大きなリボンがあしらってあるワンピースや小さいリボンがポイントになっているハンドバッグなどが目立ちます。
そして、ご存じキティちゃんを初めとしたキャラクター・グッズの嵐。
外人には異様に見えるようです。
昔はというと、思い出したのが奥村チヨという歌手です。
若い人はカラオケで見かけることはあるかも知れませんが「恋の奴隷」という、エッチっぽい曲で大ヒットを飛ばした女性です。1960後半から70年代の歌手です。
あの曲がヒットした時、「大人の女性」の色気がムンムンしていました。今で言えば、藤原紀香のフェロモンを数倍アップしたような雰囲気です。
当時の彼女を知っている人は、奥村チヨは30代のイメージが根強いようです。私も、その時の彼女が21才だったことを知ってびっくりしたものです。
そう、昔は「大人は大人、子供は子供」と線引きが明確でした。大人は大人の雰囲気で色っぽく豪奢で、子供は子供らしく可愛くて、というのが常識。また、大人は胸も大きく、ウェストも締まって、大人らしい体つきでなければならなかったのです。
ところが、今は、その境界線が無くなっています。大人側が子供ににじり寄り、子供がブランドものを始めとして、大人っぽくなって行く。ましてや、今時の女子高生はスタイルが良く、昔の大人よりも大人の体つきをしています。もう、何が何だか分からない混沌とした状態です。
40倍のスピード差は本当だった
これで疑問が解けました。
女子高生は自分達の将来像が見えてこないのです。大人の女性がどんなに仕事をしていても自己を確立しても、それは中身です。女子高生に見えてくるのは「なぁんだ、似たような格好をして、似たようなことをしているだけじゃん」という表面だけの類似性です。で、「ばばぁが何言ってんだよ」と。
自分達には何の不都合もありません。欲しいものは手に入る。やりたいことはできる。責任はない。そして、企業は彼女達にすり寄って、彼女達の好きそうな商品を次々に送り込んでくる。女子高生であること。こんな楽な商売はありません。
将来と現在の差があいまいになったら、興味関心が現在にフォーカスされるのは当然です。課長になっても部長に昇進しても給料は大して変わらず責任が増えるだけ、となったら、現在の平社員の生活をどれだけ楽しむか、充実したものにするかに関心が移るのとまったく同じです。
そして、興味のフォーカスが当たると、細かい事までも気になるのは人間の心理というものです。まんが「あしたのジョー」のマニアが看板にしか出ていない対戦相手の名前を思い出すために、全20巻を読み直すようなものです。
加えて、女子高生は将来への羨望も期待も想像もできないのですから、過去に焦点が当たるのも当然です。ちょっとした過去であっても「懐かしい」と感じるのは、将来に対して意味あるものが見つからず、単に「ばばぁになること」「女子高生というメリットが無くなること」に対する淡い恐怖感の裏返しと考えれば、40倍のスピード差も素直に納得することができます。
ベースアップという名のもとに給料が自動的に上がってきたのに対して、長い不況時代に突入して先行きが見えない不安の中、「バブルの頃は良かったな」と過去を振り返るサラリーマンや経営者と同じ心境です。
そう。女子高生の時間感覚は、短期間にしか興味が持てない人間の「ちょっとした差が、ものすごく気になる」心理から来ているものだったのです。
これでは、幾ら彼女達にインタビューをしても分からないのは当たり前です。マニアは自分がマニアであることは自覚できません。他人に話をして、びっくりされて初めて「自分の知識や感覚は他の人間と違うのだ」と分かるからです。
女子高生をスケベ心ヌキで見つめてみたら?
最後にもう一度、写真に戻りましょう。ここまで来ると話は簡単です。
女子高生の「懐かしい」「思い出」を他のグループや自分達のグループ内でビジュアル言語で共有する最も安くて手っ取り早い方法が…そう、写真であったのです。
写真フィルム業界は本当にそこに気がついているのでしょうか。
富士フィルムの対応や戦略を見ている限り、かなり疑問です。いや、社内で気がついている人はいるのでしょう。でも、それが企業活動として表面に出てこない限りは気がついていないのと同じです。
プリクラが写真フィルム業界からの発想ではないところに、この業界の病理が潜んでいる気がしてなりません。
他の業界も似たようなものです。
矢継ぎ早に新商品を送り出してはいるものの、彼女達の時間感覚をきっちり捉えた商品開発を少なくとも大手企業が実施しているのは見たことがありません。せいぜいが、プリクラが流行ったので、同じ事が家庭でもできるとプリンタメーカーやソフトメーカーが猿真似をしているに過ぎません。
とさじを投げてしまう前に、もうちょっと彼女達を真正面からスケベ心ヌキで見つめてみなければいけません。彼女達の定番には「ポッキー」のような永遠のブランドもちゃんとあるからです。キティちゃんだって、なんだかんだいいながら、かなり息の長いキャラクターです。
女子高生を本気になって攻略すれば、新たな展開が見えるのは確実です。
ただ、セーラー服恐怖症の私はごめんです。
仕事は他のコンサルタントに頼んで下さい(笑)
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