■胸の谷間の奥に見えるは夢か幻か【男女雇用機会均等法】

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「寄せて上げて」

ワコールがグッドアップブラを初めて世に送ったのが1992年。
その大ヒットに追いつけとばかり、他の下着メーカーも一斉にバストを強調するブラジャーを市場に投入したのは、記憶に新しい出来事です。

この商品は「女性の下着だから関係ない」とばかり思っていた世の男性にとっても衝撃的でした。
同じく大ヒットした先輩格のヒップアップパンツは知らなくても、グッドアップブラの存在を知らない男性が極端に少ないことを見てもそれが分かります。

ここに興味深いデータがあります。
ちょっと古いものですが(1994年)、女性が自分あるいは他の女性のボディに対してどう感じているかをワコールが調査したものです。

●現在の体型と理想的な体型

項目 現在 理想
身長 158.9cm 161.3cm 2.4cm
バスト 82.7cm 84.5cm 1.8cm
ウェスト 60.4cm 58.9cm ▼1.5cm
ヒップ 86.6cm 85.3cm ▼1.3cm
体重 49.3kg 47.2kg ▼2.1kg

より身長が高く、ウェスト、ヒップは細く、体重はもっと軽く。
しかし、バストだけは豊かに。これが「首都圏に住んでいる平均的」な日本人女性の理想です。

次のデータです。

●セクシーな女性とは

順位 項目
1位 豊かな胸 56.0
1位 表情のある目 56.0
3位 足首のしまった脚 46.0
4位 形良く上がったヒップ 40.0
4位 細いウェスト 40.0

【参考】

順位 項目
健康的 28.0
存在感がある 20.0
知性 18.0
清潔感 16.0
意外性 8.0
やさしさ 2.0

「セクシーな女性」の条件では第1位がバストです。

1980年代の「女性が定義するセクシーな女性」は外見ではなく、(精神的、経済的)独立、しなやかさ、強さなどの内面的な要素でした。隔世の感があります。

(もっとも、「セクシー」という言葉には、男性と同じく「色っぽい」の概念と「理想的な、かっこいい」概念とが入り交じっていますので、本当は調査質問の設計にはもっと注意を払う必要があります)

●自分のボディで一番嫌いなところと、最も男性の視線を感じるところ

項目 嫌いな部分(%) 男性の視線を感じる(%)
36 44
おなか 26 4
バスト 16 26
ヒップ 12 6
2 6
2 0
ウェスト 0 2
特にない 6 14

脚が「嫌い。見て欲しくないのに男性の視線を感じてしまう」のトップで、バストは2位。
男性の友人の話を聞いていると、ヒップの6%はかなり低い数字です。背後からの視線なので、彼女たちは気がつかないのでしょう。

これらの数字を見るだけでも、現代女性の「寄せて上げて」のニーズがあることが良く理解できます。

ここまでだと、何だかちょっと危ないメールマガジンのように見えてしまいますね(笑)
ご心配なく。
今回の記事のテーマ「も」マーケティングに関わるお話です。

「痴漢」「セクハラ」と続いた「新男女関係3部作」のトリをつとめるのは「男女雇用均等法」です。
(番外編の「恋人たち」は書籍版で発表する予定です)
テーマそのものは法曹関係ですが、「マーケティングという視点から見るとこんなことが言える」が本記事の骨子です。

「男女雇用均等法」は以前から携帯電話に次いで、男女問わず期待の声が高かったテーマでもありました。
そんな期待の中、のっけから怪しい話でごめんなさい。
でも、もうちょっとバストの話におつきあい下さい。

なお、地方都市と首都圏とでは事情が違うと思いますが、その点はご容赦下さい。

日本始まって以来の注目

これほど女性がバストの大きさを強調したり、バストが大きいことが良しとされた時代は日本の歴史始まって以来のことです。

例えば1980年代までのアイドルは大きなバストをわざわざ隠していたものです。
榊原郁恵、小泉今日子、太田広美、アグネスチャンなどの大きなバストを持つアイドルは、さらしを巻くなどの涙ぐましい努力をしていました。

様子が変わったのが、1980年代の後半に大ヒットしたワンレン・ボディコン時代からです。過去記事(百貨店)でお話をしたので重複は避けますが、少なくとも「女性が女性らしさを強調することは、実は良いことなのだ」の思想を一般女性に広げる大きな役目を果たしたのは事実です。

その後から、下着メーカーのブラのカップサイズ別の売り上げ比率が変化しました。
Aカップ、Bカップの比率が減少し、C、Dカップが増えました。それだけではありません。当時、国産メーカーが滅多に開発しなかった、EやFカップも登場したのです。

日本人女性のバストがいきなり大きくなったのではありません。
バストが大きいのが恥ずかしくて、ワンサイズ小さいブラをつけていた人たちが、正常なサイズのものを買うようになった結果です。
Dカップのブラををつけていたのに、きちんと測ったらHだったという極端な例もあります。

さて、豊かなバストは女性ならではの特権です。
バストを強調するということは男性に媚びを売るとの考え方もありますが、それは過去の話。今では「女性」という「性」に誇りを持つことでもあります。
なぜ、女性心理が変化したのかはさておき、こういった時代に、一見すると逆の動きがあります。

「男性」「女性」という2つの区別された概念ではなく、「男性」も「女性」も同じに扱えという「男女同権意識」です。
それが形になって現れたもののひとつが今回のテーマ、「男女雇用均等法」です。

女性の権利主張については「婦人運動」と呼ばれる社会的な動きから、前回のようなセクハラのように局地的なものが拡大されたものまで、様々な形態があります。それを逐一紹介したのではスペースが足りません。
「仕事」という観点での「同権」に絞って考えてみましょう。

深夜労働禁止を勝ち取った女性運動家

最近の朝日新聞にこんな記事が掲載されていました(切り抜きが見つからず、記憶でお話ししています)。
男女雇用均等法が施行され、女性の深夜勤務を含めて、男女の区別がなくなった労働条件が認められたことを紹介した記事の中でした。

コメンテーターは、女性の深夜労働について反対の意を掲げ、法律を作らせた婦人運動家です。

「私たちが一生懸命守ってきた女性の労働強化防止だったのが、逆に女性蔑視の対象になってしまった・・これも時代ですかね」

さて、現代の男女差別は日常生活ではかなり少なくなっています。いや、痴漢えん罪問題のように逆転した局面すらあります。
「戦後、強くなったのは靴下と女性」などと言われなくなってから久しいですが、言われなくなったのは「当たり前になった」からです。

この原稿を書いている最中も、電車の私の隣席に乗客が座ったので座る位置をずらしてあげたところ、反対側に座っていた若い女性が身を揺すり、肘を私の脇腹にぶち当てて抗議してきました。
悪いことをしていないのに、ほうほうの体で席を立って逃げたのは私です(笑)
だって、肘って、目一杯突かれると痛いんですよ。女性の暴力反対!(^^;

男の暴力はこちらも対抗手段がありますが、女性の場合は報復手段が痴漢えん罪の可能性があるので、シャレになりません。車中の携帯電話を注意された腹いせに痴漢で逮捕させるご時世ですから。

事実、この1年間で私は3人もの無実の男性を助けました。
そのうちの1つは、ある若い女性が携帯電話で彼氏らしき相手と口喧嘩をした直後、ガラガラに空いていた車内なのに、いきなり後ろの男性の髪をつかみ、引きずり回した上で
「てめえ、ケツ触りやがったな!警察に突き出してやる!」
ですもの (^^;
痴話喧嘩のストレス解消や八つ当たりで無差別民間逮捕なんて、渋谷駅で包丁を振り回す高校生と大差ありません。

街を歩いていると、勘違いしているというか何というか、一部の女性が暴れまくっているイメージすらあります。権威をかさにやりたい放題という輩は女であろうが、男であろうがみっともいいものではありませんし、私が一番嫌いなタイプです。
(もちろん、心優しき女性も多くいますよ。男もそうですが…ふう (笑))

シロアリのようなオフィスの男女差別

結果、男女差別の聖域(?)として残っているのは、現在では職場での扱いによるものがメインです。
そんな職場で女性が感じる差別の最も典型的なものは、

「同じような仕事内容なのに、男性社員と給与や昇進スピードが違う」

です。
もうひとつは

「男性社会なので、女性が就職あるいは従事できない業種や職種がある」

です。
前者は一般企業に見られますが、後者は電車の運転手、調理師などが代表的なものでした。

後者については近年かなり減ってきました。表だって「女性お断り」とは言えないからでしょう。
しかし、職場の不公平は陰に隠れているので、シロアリのようになかなか退治できません。

その中でもマーケティングや調査業界は男女差別がない代表的な業種のひとつです。
男女半々や女性が多い、あるいは女性だけの会社も多く存在します。
シストラットは私を除くとバイトを含めて全員女性。
ある海外専門の調査会社も15人の社員全員が女性。

私が以前在籍したコンサルティング会社も女性が多かったところでした。
この会社では事業部ごとに面接をしますので、私もたくさんの人に会ってきました。
その時、女性から良く聞かれたのがこんな質問でした。

「男女差別のある会社はイヤなんです。
ここはどうなんでしょうか?」

最初にこの質問に出くわしたとき、どう説明して良いやらまったくわかりませんでした。
しばらく考えた末、私の回答はこうでした。

「男女差別はまったくありません。男も女も同じ扱いです。
私はこの事業部20人のうち、何人が女性なのかすら覚えていないのです。
女性を特別視していないのが、これで分かっていただけますか?」

本当に覚えてなかったのです。
後で数えてみたら、事業部の女性比率は60%でした。男性より多い。

正真正銘、男女差なし

そんな質問をする彼女たちを入社後に観察してみると、おもしろいことに気がつきました。
この業界は出入りが激しいのが特徴です。入社しても1~2年で辞めてしまう。これは男女関係ない傾向です。

私が入社したときは250人の社員の最後でしたから、社歴の順番でいえば250番目です。
しかし、その会社を2年半後に退社したときは100番以内でした。1年間で3分の1が入れ替わってしまうほどの変動です。それでも、業界平均並の離職率です。

例に漏れず、女性差別を気にして入社した人も退社していきます。しかし、彼女たちに共通の転職理由があるのです。
それは「この会社にいると、私は潰れてしまう」でした。

この理由自体は彼女たちに限らず一般的な退職理由です。過去記事でもお話ししたように、私も月間450時間もの労働時間が3ヶ月も続き、死にそうになったことがありました。
共通の理由はその後にあります。
どういうことか?と問いただすと、こんな回答が返ってきます。

「この会社は残業ばかりで徹夜もしょっちゅう。
家に帰るとバタンと倒れるように、化粧も落とさず床に潜り込んでしまいます。
こんなことをしていたら肌に悪いし、ダイエットもできない。第一、おしゃれすらできない。
こんな生活は耐えられません」

本人、女性差別はイヤだと数ヶ月前に私に質問していたのをすっかり忘れています。

「この会社はそういうところだよ。それを分かって入社したんだよね」
「想像と違いすぎます。
男性はいいですよ。そんなこと気にする必要はないのですから。
私は女です。こんなに女の人に優しくない職場だとは思いませんでした」
「ヲイヲイ(苦笑)、面接の時にどんな質問をしたか覚えているかい?
うちは正真正銘『男女の差はない』んだよ」

「ハッ!?」
一瞬、しまったという顔をする彼女。

「それでも極端すぎます。
普通の会社にある生理休暇もないし、女性には女性特有の事情というのがあるんです」
「それをそのままクライアントに言えるかい?」
「え?」
「クライアントは『女性の事情』など考慮してくれない。
それなら、コンサルティング企業もそういう事情は考えない。
この世界はそういう世界。ただ、それだけの話だよ。
それ以上でもそれ以下でもない」
「でも…」
「別な例を出そうか。女性のコックさんしかいないレストランがあったとしよう。
ただ、その店はコックさんが生理の時は味覚が正常に働かないので、行く度に味が違う。とんでもなくおいしい時もあるけど、塩辛くて食べられない時もある。
さて、そんな店に行きたいかい?」
「…いいえ。行きたくありません。
…では、森さんは女性がコックになってはいけないと思っているのですか?」
「誰もそんなことを言っていないよ。
人の揚げ足を取ることで議論を進めようなんて、コンサルタントとしてまだまだ修行が足りないね。
それはさておき、女性のシェフはたくさん存在する。彼女たちは、みんな、だからこそ味が変わらないように努力をしている。
そして、当たり前のことだけど、彼女たちは職場では一切化粧なんかしていない。
おしゃれもしない。食べ物に匂いが移ったり、イヤリングや指輪が食べ物に落ちたりする危険があるからね。
女性シェフたちはおしゃれもしたい、装飾品を身につけて楽しく仕事をしたいという気持ちは普通の女性とまったく同じだよね。
ただ、彼女たちは『女性や男性』という前に『職人』として、そういうことはやってはいけないと思っているだけだよ」

ハードな仕事なので身体が保たないと辞めていく人は、男女限らず多いのがこの世界でもあります。だから、「厳しすぎて身体が保ちません。だから辞めます」で止めておけばいいのです。「女性云々」なんてのは単なる甘えです。

アンアンだか何だか知りませんが、「できる女はこんな風にあんな風に」といったチャラチャラな姿勢でこの世界に入ったからでしょう。結局、「できる女は男女差別がない職場で…」というステレオタイプを持ったままですから、女性であることから抜け出せていないだけです。

私たちはプロとしてプライドと意地をかけて仕事をしています。
クライアントは自分の責務をまっとうする責任感をぶつけてきます。
そんな真剣勝負の世界には男であろうが女であろうが、ミーちゃんハーちゃんの入る余地はありません。

コンサルティング業界のもうひとつの女性たち

もっとも、こんな女性ばかりではありません。
私は古い人間ですから「真剣勝負」だの「意地」だのといったことばを使いますが、もう一方の種類の彼女たちは実に自然体で仕事に接しています。
ハードな仕事でもきちんとおしゃれを楽しみ、髪を振り乱すときは振り乱し、でも仕事を楽しんでいる女性がいます。

「入社したとき、男女差別なんて気にしませんでした。
私は自分が好きな仕事を納得してできれば良い。
それさえあれば、男女差別があってもなくてもかまいません。
声高に差別がどうのといっている人を非難するつもりは全然ありません。
私は私の好きなようにやって、結局、ふと気が付くと男女差がない会社に在籍していただけです」

こんな女性もいました。

「クライアントの企画部門の大半が男性スタッフです。
中には女性を見下す人も対等に考える人もいます。
だから、森さんの扱いを分けて自分のポジションを作るんです。

女性を対等に見るクライアントには、
『ほらね。私の師匠はこんな人なんです。すごいでしょ。何かあってもこの人がバックについているから大丈夫』
と師弟コンセプト。

一方で、女性を見下すクライアントにはこういう風に接します。
『ほらね。森さんってすごいでしょ。でもね、森さんは社内でも人気の人だから、そうそう御社に時間が割けないんですよ。
でも、私を通してくれれば、何とかしますよ』
とタレントマネジャー・コンセプトで自分を作る。
そうすると面白いように森さんをツール(道具、武器)として使えます(笑)」

細い身体で、徹夜続きでも平気な彼女はケタケタと笑います。

「彼らは女の人だから見下す訳ではありません。
そういう人は若い人も見下します。
女だから損するなんて考えても仕方がないですよ」

かといって彼女は「女を捨てている」訳では決してありません。
立ち居振る舞い、言葉遣い、口調、表情、ファッションすべてが調和して、「美人に見える」典型が彼女です。

こんな女性は最近本当に多くなりました。
過去1年間を振り返っても、クライアントで2人出会いました。
1人は社長秘書。もう一人は保守的な化学メーカーの管理職です。

社長秘書の女性は20代後半か30代前半の小さな身体に、一杯の元気が詰まっている女性です。
顧問の方に「あの会社は彼女でもっているようなものですよ」と言わせるだけのパワーがある。

もうひとりの女性管理職には、つい数日前に出会いました。
彼女は数字に対する執着心がほれぼれする位に高い人でした。
彼女の上司が「シェアは26%~27%くらいですかね」と私に説明するやいなや「いえ、28%~29%です」と言い切る。

たかが1%の差ですが、彼女の数字へのこだわりが見えてくるのです。
メガネをかけた童顔で20代にも見えると思えば、話の内容やその企業の体質から30代後半か40代にも思える年齢不詳の人でしたが、初めて会って1時間半の間、
「かぁ~っこいい!!」
と驚嘆せざるを得ないキビキビ感が伝わってくるのです。

マーケティング的発想、男女差別

別の女性コンサルタントがこう漏らしました。

「男女雇用均等法・・ね。
もしかしたら迷惑な話かも知れません、私たちにとっては…
だって、男女の差別というか区別があるから、私は得をしている側面があります。
例えば、女の人はそれぞれの生活ステージで変化します。
ビジネスの世界では女性が少ないじゃないですか。
だから、クライアントの担当者は女性向けの商品だと私たちを生活者とイメージをダブらせてくれるんです。

独身の時は独身女性消費者の代表として、私の話を聞いてくれる傾向があります。
結婚すれば若い有職主婦、子供ができれば母親の代表。
考えようによっては、この世界ほど女の人が年を取っても有利さが続く業界はないと思います。
女性であることが有利になる業界です」

マーケティング的にいえば、彼女のような考え方は正解です。
マーケティングは世の中の流れを変える力はありません。でも、その世の中の仕組み制限や資本力や生活者からのイメージの制限がある中で、どうしたら最も効率よく自社企業が成長していくかを探る学問です。

例えば、歯を虫歯から予防するのではなく、軽い虫歯なら治してしまう成分が入ったガムを開発し、これを広く生活者に教えてあげたいという企業がある。
この商品によって恩恵を受ける生活者はたくさんいることでしょう。画期的な商品です。誰もが待ち望んでいたもの。
このことは「世の中の流れを変える」に相当します。

しかし、リカルデントと呼ばれるこの成分は、ワーナーランバートという名のガムメーカーが全世界で独占販売権を持つので、薬局ルートでは売れません。
そうなると薬事法の壁があるので、ストレートに「軽い虫歯を治す」とはいえない。
だから、常磐貴子を登場させ、「歯に良い」といった歯にものがはさまったような言い方のテレビ広告しかできないのです。

せっかくの商品なのに様々な制限があるのです。
その中でどうしたらリカルデントを使った商品を世の中に普及することができるのか。
ガム以外の商品での展開や製薬メーカーとの提携による薬局ルートの開発といった検討も含めて考える。
これがマーケティングの考え方です。
(ワーナーは決してうまくやっていませんが)

政治や革命家、あるいは社会運動というのは

「だったら、法律を変えてしまえ。
せっかくこれだけいい商品なんだから」

という発想です。

どちらがいいか悪いかの問題ではありません。
アプローチの違いです。
ただ、それぞれの方法の善し悪しはあります。
根本的に社会の構造を変えてしまえるのが政治や社会運動です。過去、革命と呼ばれるものは産業革命を除き、すべてこれでした。

しかし、この方法の欠点は時間がかかることです。
明治維新などの革命は別にして、世の中を政治で変えたり社会運動で変えるには数十年単位の時間が必要です。実際、男女均等の概念は婦人運動が始まって100年たった今でも完全ではありません。

マーケティング発想なら男女差別も何十年も待たずに今すぐでも何とかなります。
自分以外の他人の面倒までは見ることができませんし、自分の理想を実現することはできないかも知れませんが、少なくともやりたいことの2番目か3番目は実現できる。

どうせ、もって生まれたもののために、やりたい職業に就くことができない人も多いのです。色盲のために医者になれない、背が低いためにスッチーを諦める、身体が成長してしまったために競馬の騎手になれない。

女性であることで就きたい仕事に就けないなら、さっさと見切って次の選択肢を探す。男女差のない業界に行く。これもひとつの立派な生き方です。

ちなみに、マーケティング的なアプローチの場合、おもしろい流れができあがります。
私の例をお話ししましょう。

メーカー時代に男女関係ない環境の調査会社の女性達をたくさん見てきました。だから、女性が男性と同じような扱いを受けるのは当たり前という感覚でした。
従って、テレビ広告制作のためにモデル・オーディションをニューヨークで行う際、広告代理店の女性スタッフが同行するのは当たり前だと思っていました。
その2年後、「実は…」という代理店の営業部長のことばにびっくりしたのです。

「あの時は大変だったんです、森さん。
一般スタッフの女性が海外出張するなんて前例がなくて、大議論になってしまったのです。
結局、私が『クライアントの要請だから』の一声で実現したんです。
あの次の年から総合職制度が設立されたし、彼女が格好の前例になったので、そんな議論はなくなりましたが」

ここで興味深いのは、この広告代理店にとっては政治的な運動から「形」としての男女均等を受け、私からは「実質的な」男女均等の影響を受けたわけです。つまり、政治とマーケティングの方向が一致して影響を与えたため、上辺も中身も男女均等になったという点です。

アプローチの入り口は違っていても目指す方向が同じなら、相乗効果を発揮する時代が来る。世の中の変化の縮図がこの事例に端的に現れているのでした。

ヒトである前に女でありたい

冒頭の女性のバストの話はどうなったかって?
はい。ようやく、その話の番です。

もう一人、今度はメーカーの一般事務のOLさんに登場してもらいます。

「『男女差をなくすとかの極端な世相はかえって迷惑』というのは、実感できます。
私は人のサポートをするのが好きなんです。
うちの会社で、男女雇用均等法から総合職に移りたいという人が続出してから、社内の女の人たちの空気がそれを許してくれないんです。

一般職を選ぶ人は
『やる気のない人』
ひどい時には
『自分たちの努力を邪魔する人』、
呼ばわりです。
最近、段々とこんな会社がイヤになってきました」

過渡期にありがちな選民思想です。
ある流れが作られると、そのことの善し悪しは別にして、その流れに乗らないといけない雰囲気になってしまう。

もうひとり。

「男女雇用均等法って、私には関係ないです。
私は人間である前に女でありたいと思っています。
そして、女であることに誇りを持っていますし、女であるまま死んでいきたいんです」

彼女もOLさん。メーカー勤めの25才です。

「私にも興味がある職業があります。
でも、その職業に就くためにおしゃれは諦めなければならない、ミニスカートはダメ、恋愛もままならないというなら、迷わず女であることを満喫したいと思っています。
私のような年齢になると
『仕事に生きる女の人はかっこいい。あんたみたいなのは、できそこない。男に媚びる嫌らしさ。現代女性の面汚し』
のようにボロクソに言われる時もありますよ、友人から(笑)

でもいいじゃないですか。
『私が彼女たちに自分の価値観を強要しないのだから、私も放っておいて』です。
元々、ああいう『みんな一緒』というのも好きじゃないです。
彼女たちがヒステリックに『男女同権』と叫べば叫ぶほど、またそういう人たちが多くなればなるほど、堂々と『女であること』を誇りに言える気がします」

久しぶりに会うので、私が好きそうだからと、下着が見えそうな丈のボディコンに身を包み、元々Eカップのバストをさらに強調した出で立ちで喫茶店に現れた彼女は胸を張ります。うーん、私はそういうのはあまり興味がないのですが、気持ちだけは受け取っておきます(笑)

「よくそんな懐かしいボディコンスーツなんて持っていたね」
「あはは、これでも私、クラブに行くときは浴衣とか着て行くんですよ。
いいでしょ、八つ口から手を差し入れて、うふっ(はあと)」
森さん赤くなってる。きゃ、かわいい(笑)」

ふう、頭もいいし、仕事もてきぱきとこなす、優しい子なんですが…
以前書いたセクハラの記事、書き直そうかな…逆セクハラをテーマにして(^^;

胸の谷間と男女均等法の熱い関係

実は社会学的に言えば、彼女は典型的な心の動きをしているのです。
少数グループが世の圧力を受け続けると、その特徴をシンボルにして、そのグループの良さを改めて見つめ直そうとする動きが活発になります。一種の開き直りですが、前向きのそれです。

その典型がアメリカの黒人問題。
少数民族として差別を長らく受けてきた彼らはマルコムXを旗頭に

「Black is beautiful(クロは本当は素晴らしいことなのだ)」

をスローガンに掲げた運動を開始したのでした。

その結果、白人にすり寄ろうとしていた黒人はめっきり減り、堂々と自分は誇り高く生きるべきだと勇気を持つようになったのです。

ここに1枚の運転免許証があります。28年前のノースキャロライナ州の免許証です。
そこには

Race : O(人種:Oriental – 東洋人)

とあります。他には、

W(White – 白人)
B(Black – 黒人)

の2種類。

肌は白くても1%でも黒人の血が混ざっていれば、黒人の烙印を押されてしまうアメリカ社会ならではの表記です。
普通に考えれば、2種類の血が混ざっていれば多い方の表記になるのが正しそうな気がしますが、そうではないのです。

そんな中での

「Black is beautiful(クロは本当は素晴らしいことなのだ)」

なのです。
自分が寄って立つところ(専門用語でアイデンティティといいます)をはっきりとさせ、それに自信を持つことで自分というものに自信を持つのです。

女性が女性であることに誇りを持ち、それを分かりやすく強調しようとする。
胸の谷間の深さは、その思いの強さです。
人間である前に女でいたい。女のまま死にたい。
男女均等が常識になればなるほど、一方で、そんな思いを強く持とうとする人たちが現れる。

表だって実行せずとも、他の女性達にも共感を呼んでいるからこそ、胸の谷間を強調することが恥ずかいことやふしだらなことという、旧来の価値観が消滅した。
かくして、胸の谷間を許容する社会ができあがります。

「男の目は」って?今さら、男がどう言おうが、どう考えようが気にする彼女たちではありません。自分たちがかわいい、おしゃれ、いけてると思えばそれでいい。
自分たちの周りの男が表だって批判や非難をしない限り、彼らの目を気にする時代はとっくに過ぎています。

この記事では男女雇用均等法について、様々な前向きの価値観を持った女性を紹介してきました。
一番大事なのは、差別を受けるだけの議論、差別を否定するだけの議論をすることではありません。
女性にはいくつもの価値観、つまりニーズがあります。
そのニーズにたったひとつの商品(価値観)だけで押し込めようとするのが、マーケティングでは最も稚拙な方法とされます。

それぞれのニーズに敬意を払い、それぞれのニーズが充足できるように選択肢としての商品を用意する。それがマーケティング的なものの考え方です。
そして、女性のニーズもまったく同じ。様々な価値観が平行して存在できるような社会を作る。
私の苦手なミーちゃん、ハーちゃんに対しても。
これがマーケティング・コンサルタントが考える男女雇用均等法のあり方です。

とはいいながらも、男である私にとって、げに不可思議なのは…やはり女性です。
だからこそ魅かれるのですが。

【使用画像】巨乳新聞
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