新ゲーム機、今年11月発売
噂の新ゲーム機が発表になった。セガの次世代機だ。
現行機種のセガサターンは、プレイステーション、NINTENDO 64と共に「次世代機御三家」として頑張っていた(PCエンジンFXやネオジオ、ジャガーは御三家に入っていない。あっ、撤退した3DOも…)。
特に、セガサターンは御三家の中では最も早い時期に発売し、最初の1年間はプレイステーションと抜きつ抜かれつのデッドヒートを演じていたのは記憶に新しい。その結果、累計500万台の出荷数を誇っている。
が、負けた。
知らないうちにミリオンセラーとなってしまった「バイオハザード」のジワジワ増と歩調を合わせるようにプレイステーションが販売台数を伸ばした上に、結果的に300万本の大ヒットとなった「ファイナルファンタジーVII(FF7)」のプレイステーション移行発表によって、サターンは息の根を止められてしまった格好となった。
プレイステーションの勝ちが決まり始めた1996年の東京新宿電気街のクリスマス商戦は悲惨だった。FFF7の翌年2月発売に先行して、プレイステーションが次々と品切れ、あるいはレジの前に10メートル以上の列が並ぶのに対して、「クリスマス・パック」と銘打ったサターン(とNINTENDO 64)は店頭在庫の山を築いていた。「敗者とはこういうものか」と、今更ながらその残酷さに目をそむけたくなるような光景だった。
日本でもアメリカでも敗者となったセガ・サターン
国内では完全王者のプレイステーションだが、海外、特にアメリカではパッとしない。
国内で敗者の烙印を押されたもうひとつの「次世代機」NINTENDO 64 が、アメリカでは圧倒的な人気を取り返したからである。「取り返した」というのは、日本で独占状態だったスーパーファミコンはアメリカでは余り元気がなく、セガのジェネシス(日本ではメガドライブ)がスーパーファミコンと市場を二分していたからである。それを任天堂は取り戻した。もちろん(?)サターンはアメリカでも元気がない。
結局、日本では独占だがアメリカではダメなプレイステーション、その逆のNINTENDO 64、そして、どちらの国でもダメなサターンという構図になってしまったのだ。
現に、1997年は過去最高の利益を叩き出したソニー、ポケット・モンスターのヒットによって息を吹き返したゲームボーイの好調も手伝って、堅調な利益を出している任天堂とトップ2位は元気だ。それに比べて、頼みの綱のバンダイとの合併の突然の解消、期待を込めて買収したもののフタを開けたみたら債務だらけのアスキー買収劇など、近年セガは大殺界ではないかというほど不運に見舞われている。
サターンの失敗とは直接関係していないが、企業というものは下降線を辿ると盛り上げるのは相当なエネルギーが必要となる。あせりによって、正常な判断ができなくなるのが大きな原因の一つだから、サターンの失敗はまったく無関係というわけではないだろう。
【注】アスキー買収は正確には親会社のCSKです。読者の匿名さんありがとうございました。
とんでもないスペック。でもそれがアダになる?
さて、発表されたセガの新世代機、ドリームキャストの中身をまず見てみよう。ひとことで言えば「とんでもない最新スペック」である。
肝心のCPU(中央演算処理部)の主要スペックは不明だが、グラフィック処理は128ビット。プレイステーションの32ビット、NINTENDO 64の64ビットとは一線を画している(確か、日立のH4は64ビットCPUだったような気がするが、もしそうなら、NINTENDO 64と同等の性能にグラフィック関連を進化させただけのCPUとなるが)。動作スピードも200MHzととんでもない速度である。
メモリもプレイステーションの2メガバイトに対して16メガバイトと8倍(ウィンドウズCEをベースにしているので、実際のゲームに使えるのはもうちょっと少ないだろうが)。
ゲームで肝心のポリゴンの表示スピードもプレイステーションの約2倍。もう、何もかもがライバルの上を走っている。
それに、なんと、CD-ROMが12倍速!プレイステーションの標準速(1倍速?)とは比べ物にならないとしても、私がオフィスでメインに使用しているマック(8500/180)の内蔵CD-ROMが8倍速なので、それよりも性能が良い。
それでいて、2万円~3万円の価格で発売すると言う。普通のパソコンなら30万円では買えない代物だ。いや、今でも64ビットのCPUを搭載するパソコンは出現していない。100万円クラスのワークステーションで使用されているだけなのだ。
プレイステーションやNINTENDO 64の時もそのスペックに「オイオイ本当かい?」と驚いたものだったが、それと同様の感動だ。
ここはマーケティングのサイトだから、ヲタクっぽい話しはこれくらいにしておこう。
とにかく、高性能のマシンが安い、そして、ライバルのプレイステーションやNINTENDO 64真っ青の性能だということだけを分かってもらえば良い。
これだけを見るとドリームキャストの成功は約束された印象を受ける。
なにしろ、ファミリーコンピュータからスーパーファミコン、そしてプレイステーションへの主役移行は性能が圧倒的に上、というのが常識だからである。パソコンだってどんどん性能が上がり、売れ筋が変わっていく。
しかし、「性能だけ」では主役になれないのも、この世界の常識の「ハズ」なのだ。
現にプレイステーションより1段性能が良いNINTENDO 64は日本ではサンザンだ。第一、スーパーファミコン時代のセガのゲーム機メガドライブはハードの性能から言えばスーパーファミコンより上だったのだから。それを最も知っているのはセガの「ハズ」である。
ソフトがカギを握るという当たり前の話
どこかでも聞いた話ではないだろうか?
そう、ベータとVHSのビデオ戦争やカセット・テープとDATの関係に酷似している。また、一部の方には記憶が残っているだろうが、過去のMS-DOSとCPM/86の関係にも似ている。
それらは皆、ハード的には競合よりも性能が上だと言われていても惨敗した商品の数々である。
では何が成功のキーを握ったのか。
ソフトである。
これも一部では当たり前のように議論されている。VHSは映画に力を入れ、レンタルビデオが起爆材となって、ベータを駆逐した。
セガは「そんなこと、今更あんたに言われなくても知っている」と言うのだろう。
現に、アメリカでジェネシス(メガドライブのアメリカでのブランド・ネーム)がスーパーファミコンと同等に競争できたのも「ソニック・ザ・ヘッジホック」というソフトとハリネズミのキャラクターがマリオを凌ぐくらい人気が出たからであり(もちろん、ゲームが大ヒットしたからだ)、サターンも「キラーソフト」という、「そのゲームを遊びたいために、そのハードを買う」くらい力があるソフトを同時発売したくらいだからだ。
ちなみに、サターンのキラーソフト、「バーチャファイター」はハード発売直後に50万本以上売れた。ハードの出荷数量が50万台弱だったから、平均すると1台のハードにつき、1本以上売れた計算になる。妙な現象だが、別に1人が「バーチャファイター」という格闘ゲームを2本も3本も買ったのではなく、ハードが品切れになったため、ソフトも品切れになっては大変、とソフトだけをあらかじめ買っていた生活者がいたということなのだが。そのことが如実に示すように「バーチャファイター」は立派なキラーソフトになったわけである。
だったら、なぜ、『セガは知っているハズ』や『わかっているハズ』という、皮肉っぽい書き方をするのか。
私がセガを信用していないからだ。もっと正確に言えば「セガの企画部門」を信用していない、と言っても良い。
セガは技術屋さんの企業である。だから、ハードもソフトも実に素晴らしい仕事をする。「バーチャファイター」等は「よくぞここまで頑張った」と感嘆するほどポリゴンで作られたキャラクターが動いた。ゲームとしての完成度も極端に高かった。もちろん、周囲の評判も同様である。だから、ガタガタとはいえ500万台「も」売れたのだ。
しかし、後がいけない。
その技術を生かすべき企画部門がまったく仕事をしていないのだ。
毎日クラブで飲み歩いているという意味ではない。「やるべきことをやっていない」と言っているだけである。
セガの問題その-1:ソフト軽視の姿勢
消費者はハードを買っているのではない。そのハードで動く「ゲーム」を買っている。
ところが、幾らセガ社内のゲーム開発部門「AM2研」が頑張っても、月間1本もゲームを発売できるほどの技術者はいない。
一方、ゲーム自体は月間で少なくとも30~40本は市場に現れる。年末などは200本ということも珍しくない。すると、セガの社内技術者ができることは限られている。つまり、セガ以外のゲーム開発会社に頼らざるを得ない。
しかし、セガにはその支援体制がまったくできていない。
プレイステーション発売当初、ソニーは社内にゲーム開発部門を持っていなかった。だから、ナムコを初めとする任天堂に反旗を翻す大手ソフト会社を味方に付けた。それだけでなく、広くプレイステーションのゲームを制作してもらうよう、中小のソフト会社にも声をかけた。中には任天堂の許可が下りず当時の主流だったスーパーファミコンのソフトを作らせてもらえなかったような企業も多かった。また、業界では「サギ」のように言われている人物が創立した「怪しい会社」にも、ソニーは声をかけ、業界人の失笑を買ったという一面もあったほどである。「ゲーム業界を知らないのだから、だまさても仕方がない」という風潮だったのだ。
確かに「クソゲー(クソのゲーム)」も多く出現した。特に、ソニーがテレビ広告で大々的なキャンペーンを繰り広げた「ビヨンド・ザ・ビヨンド」という、ドラクエタイプのゲーム(RPG)は、その悪評は天まで届くかという勢いだった。マニアをして「ソニーは『サギ』のような会社に引っかかったのではなく、ソニー自体がサギの会社だった」と言わせしめるゲームだった。
技術力の優れたソフトハウスとしかつき合わないセガ
一方、セガは任天堂とは別の意味で、外部のソフト会社に対する好き嫌いが激しいので有名でもあった。一言で言えば「技術力の優れた会社としか付き合わない」という方針だったのだ。
その気持ちも分からないではない。
技術者が毎晩徹夜してでも完成させたハードだ。特に、サターンは当初1台につき1万円以上もの赤字を出してまで低価格を実現した。そして、同僚のソフト部門はゲーム技術にかけては天下逸品。自分たちのハードの性能を極限まで利用して素晴らしいゲームを作ってくれる。技術者冥利に尽きるというものである。
一方、外部のソフト会社の中には、その性能の数分の一しか使わず、単に金もうけ「だけ」のために、ゲームを作る輩も存在する。そして、アメリカで質の悪いゲームが乱売されたおかげでハードもいきなり売れなくなってしまった「アタリショック」の事例もある。だから、「良い」ゲームだけを作りたい、送りたいという気持ちもあったのだ。
しかし、ここに問題がある。
「良いゲーム」とは、楽しいゲーム、没頭できるゲームである。
確かに良いハードなら、それが作りやすいが、良いハードでないと作れないわけではない。ポケットモンスターを実現させたゲームボーイやミニテトリン、たまごっちがそれを如実に証明している。
一方で、画像技術は素晴らしいが、ゲームとしてバランスが悪い、つまらないストーリーというのも存在する。
確かに、セガの言う「良いゲーム」である「バーチャファイター」も「ソニック・ザ・ブーム」も、技術面でも優れていたが、企画面でも優秀な作品であった。
セガの問題は「良いゲーム」の定義がまったく一面的であることだし、その技術者の「エゴ」を飲み込んで、企業活動を展開できない企画部門の問題であるのだ。
その顕著な例は、契約するソフト会社の選択に限らない。
例えば、ソニーは「これぞ」という会社には資金援助をする。特にドラクエ・タイプのゲーム(RPG)は、開発に時間と手間がかかる。開発費は優に3億円をくだらない。
中小のソフト会社では負担できない額である。だから、資金援助をする。
セガも同様なことをしているが、規模はプレイステーションの半分程度である。
ソフト開発の支援環境、という隠れた施策
また、プレイステーションはソフト開発のための支援プログラムが充実している。
パソコンの世界では常識だが、ゲーム機には基本的にはエクセルやワードのような、数字や文字を扱うようなソフトは付属していない。そのままだと、「0」と「1」の数字だけでソフトを開発しなければならない。
例えば、画面に「ゲームスタート」という文字を表示させるだけで「01000111001101」などといった分けの分からない数字の羅列が必要となる。いくら技術者と言っても、これではあまりにも効率が悪い。従って、「ゲームスタート」という文字を入力すれば画面に「ゲームスタート」と表示させる裏方のソフトが必要なのだ。そして、それを提供するのがハード会社である。
ソニーは外部のソフト会社と契約するときに過剰に「技術水準」を追いかけない。だから、「どんな人でもゲームが作れるように」と、使いやすい支援ソフトを作ろうとする。一方、セガは「どうせソフト会社には技術があるのだから」と、支援ソフトの数も使いやすさもソニーより劣るものしか供給しない。いや、社内の優秀な技術陣に水準を合わせているから、彼らにとって使いやすいのは必ずしも外部に使いやすいとは言えない。
さて、同じソフト会社の開発陣が両方のゲーム機を使うとすると、何が起こるか。
プレイステーションの方が開発が終了しても、サターンではまだ半分も開発が終わっていない事態が発生する。もちろん、早く市場に投入すれば早く資金が回収できる。
優秀な技術者がいなくても、シナリオや企画がしっかりしていれば売れるゲームが作れる。ゲーム業界は急成長しているだけに常に技術者が不足している。この差は大きい。
もちろん、作り手側の勝手な都合でハードが売れるわけではない。
だが、その結果プレイステーションはいち早く「ゲームの数が多い=おもしろいゲームが多そう」というイメージを生活者に植え付けるのに成功。じわじわと販売台数を伸ばす。そのうち、本当におもしろいゲームが登場する。もちろん、ライトユーザーを狙ったり(セガは伝統的にセガのマニアに支えられている)、ソフト重視のコミュニケーション戦略を採用したマーケティング戦略をとったせいもあった。
実は、この図式はサターンだけではない。
サターンの前身メガドライブでも同じことをしているのだ。
ここまで来ると、もう、セガという会社の体質である。
学習機能がまったくない。
本当にこりないのだ。
だから、私はセガを信用していない。いや、「そういう会社だ」という信用(?)は、ありすぎるくらいにある。
ソフトなければタダの箱
この話を聞いて思い出すことがあるだろうか。
そう、NECのPC-9800シリーズである。
今でこそ、シェアを落とし続けているこのシリーズだが、一時期は日本のパソコン市場の60%ものシェアを誇っていた。
富士通、東芝、日立…そうそうたる競合企業がこの分野に挑戦してきた。が、PC-9800は結局シェアを落とすことなく、それらの企業は皆大敗を喫した。
その理由は1つ。
PC-9800シリーズには1万本を越すと言われるアプリケーション・ソフトがあったのだ。質は関係ない。競合企業が「対応ソフトは少ないが、皆品質の高いものばかり」と幾ら声を大にしても、PC-9800の牙城は揺るがなかった。
そして、皮肉なことにPC-9800の凋落も、DOS/V(WINDOWSの前身)なら、海外の豊富なソフトが使えるという事実が原因だったのだ。
パソコンはビデオやテープと同じ性質を持った商品だ。つまり、「ソフトなければ、タダの箱」である。そして、そのような商品の場合、ソフトの数が多ければ多いほど「自分に合った使いやすいソフトがあるかも知れない」と思うものなのである。
この傾向は現在もまったく変わっていない。
古くは、VHSが豊富な映画ソフトでベータを駆逐したし、現在ではDVDがソフトの数が少なくて苦戦している。
「だって、実際、1個人が使うソフトはは2~3本くらいだよ」
と言ったところで、消費者の気持ちは変わらない。
女性ならピンと来るかも知れないが、口紅などの化粧品がこれに酷似している。
例えば、売れ筋の色が3種類あったとしよう。
ならば、この3種類だけに絞っても売り上げは変わらないかというと、実は数分の1に減少してしまう。他の「どうでも良い」色の中から自分が選んだのだという意識がなければならないのだ。同様のことは、書店やCDショップにも見られる消費者意識である。そして、「ソフトなければ、タダの箱」の商品はその傾向が顕著になるのである。
ソニーがゲーム業界では新参者だったのに素晴らしい実績を上げたのは、流通改革や定価販売ではない。CDというビジネスの中で「ソフト重視」という基本方針が身体に染み付いていたという1点に尽きる。そして、セガはその点において「同じ失敗を何回も繰り返している」だけなのだ。
では、任天堂は…というと、詳しくは述べないが、「数重視」ではなく「質重視」の政策をとった。ゲーム市場の拡大を目指すためには必要な側面ではあったし、前述の「アタリショック」を最も気にしていたのが任天堂だったという理由がある。
が、しかし、任天堂が考えていたほど消費者の意識は進化していなかった。結局、数の論理に屈したのである。
セガの問題その-2:マルチメディアの夢
そして、セガはもうひとつ学習能力のないところを見せてしまった。
「ゲーム以外のゲーム」である。
サターンを発売したとき、そのスペックにマルチメディア機能を搭載した。だから、サターンでインターネットに接続できるし、パソコンと同じようにCD-ROMの写真集を見ることができる。
が、それらを利用しているユーザーはほとんどいない。
理由は2つ。
ゲームで遊ぶ人間はインターネットにもCD-ROMの写真集にも興味がない連中だからだ。つまり、ターゲットを完全に見誤ったのだ。
もうひとつは、それらを実現するにはオプションが必要なのに、ゲームで遊ぶユーザーには「オプション」という概念が希薄だという、これまたターゲットの理解不足だったのだ。
インターネットに接続して、この記事を読んでいる方々には「えっ?オプションってそんなに大層なものなの?」という感じかも知れない。
しかし、オプションが当たり前、というよりオプションの固まりのようなパソコンは商品の世界では異端児である。一般商品は、オプションではなく、それぞれを初めからパックにして「バリエーション」として販売する。クルマしかり、オーディオしかり、カメラもそのくちだ。オプションやアクセサリー(オプションの1種という見方ができる)は、その商品を買ったうちの10~20%の人にしか売れない。逆に言えば、80~90%の生活者は「パック」で買うのである。
オプション(でないとできないこと)が主流になることはありえない。
ゲーム機の世界でもあれだけ売れた任天堂のスーパーファミコンでさえ、ディスク・システムも通信パックも失敗して撤退している。本当に主流にしたければ標準装備にすべきなのだ。
もうひとつのオプション、通信環境
ドリームキャストはモデムが標準装備なので、一見「主流」に見える。
が、通信を使ったゲームをするには最も重要な「オプション」の存在を忘れている。
そう。電話回線と電話料金である。
通信ゲームで遊ぶには電話回線は必須である。当たり前だ。
が、家庭内で毎日1時間以上自由に電話回線を使うことができる、恵まれた環境にあるユーザーはほんの一握りである。
現在、なぜこれだけ携帯電話やPHSが普及したのかを考えればすぐにわかる。
家族に文句を言われない「自分専用」の電話に対するニーズがあれだけ多かった、ということなのだ。反対側から見れば、それだけ家庭の電話を自由に使うには障壁がある、ということに他ならない。
「いや、インターネットやってるじゃないか。市場も大きい」という声が聞こえそうだ。
が、インターネットの家庭内での普及率は高々4%である。一方、ゲーム機の普及率は40%を切るくらい。たとえ、ドリームキャストがその4%に相当するユーザーを獲得したとしても(すでにインターネットをやっている人間はドリームキャストでインターネットやゲームをやろうとはしないだろうが)、100万台である。現在のサターンの累計販売台数が500万台。それでも「失敗した」と判断しているのだから100万台では話にならない。
「当たり前のことを当たり前にする」ができない
これまで書いてきたことは、ほとんどが「当たり前」のことである。読者の方達の「なんだ、みんなが言っていることをそのまま言っているだけじゃないか」という声が聞こえそうだ。
でも「なぜ、セガがそれをできないのか」ということを反面教師にして欲しいのだ。そして、「では自分の会社は?」という問題意識を持って欲しい。
社内の確執、上司の勘違い、技術への自信…細かく言えば色々な要素がビジネスの現場に横たわっている。企業の担当者はそれらの対応に忙しい。そこで、憤慨し、同僚と議論しているうちはまだ健康体だ。しかし、時がたつうちに「当たり前」のことができない環境が企業を蝕んでいく。次第に「当たり前」のことが「当たり前でなくなって」行く。「社風」や「業界の慣習」と「当たり前でないこと」が混在して行く。恐らくセガ社内では「うちは技術の会社だ」と胸を張っていることだろう。
成功のシナリオ
そんなドリームキャストだが、上記と逆の現象が発生すれば成功する可能性はある。
2.パソコン普及率最17%を背景に、オプションに対する一般生活者の意識がすでに変化した(昨今のパソコンの販売台数のうち、オプションが必要でないノート型パソコンや一体型パソコンが60%以上であることは目をつむる)。
3.インターネットの普及が加速し、長電話ならぬ長通信をしても家族から文句を言われる環境でなくなった。
うーん。でも、これが実現するには10年かかりそうだ。