■Smoke or Die?【嫌煙権運動】

禁煙マーク

日本最大の買収劇

本年3月9日、JTがアメリカで第2位のたばこ会社、RJレイノルズの海外販売権を9,500億円で買収したと報道されました。
日本企業による最大の買収額と言われています。
周囲の人たちの反応を見ていると、若干の誤解があるようです。

JTはレイノルズ自体を「買収した」のではなく、海外販売権を買い取っただけです。
つまり、アメリカ本国では「セーラム」「キャメル」「ウィンストン」等の同社ブランドは、今までと同じようにレイノルズが製造、販売します。
そして、JTが海外販売権を取得しても、製造はあくまでもレイノルズです。
だから、ソニーや松下の買収とはちょっと様子が違います。

意外に知られていませんが、たばこは最も国際的な商品のひとつです。
海外の販売権の売買は日常茶飯事です。
例えば、日本で売られているラークはマールボロ、バージニアスリム、パーラメントやPMライトを持つ最大の外国たばこメーカー、フィリップモリス社のブランドですが、アメリカではL&Mという小さなたばこ会社のブランドでした(今は消滅しました)。フィリップモリスは海外販売権を買い取ったのです。その最大の目的は日本市場。

当時のラークはアメリカでは22位の弱小ブランドでした。日本の販売本数のほうが多かったくらいです。海外では日本の他にはエクアドル(だったと記憶しています)で売れていただけ。彼らの狙いが日本市場であったことは明らかです。

というのも、今でこそマールボロやバージニアスリムが人気ですが、当時はパーラメントですら一部の夜のブランドに過ぎませんでした。私が若い時は「やーさんのラーク、トルコ嬢のパーラメント」と言われていたのです。今のイメージといかに違うことか。

だから、フィリップモリスは日本市場への足がかりとして当時の「洋モク(外国たばこ)」のトップブランド、ラークの販売権が欲しかったのです。

これはこれで、大変おもしろいマーケティングの事例ですが、別な機会にゆずりましょう。
JTがレイノルズの海外販売権を生かして頑張って欲しいと、愛煙家の私としては密かにエールを送っています。

私は愛煙家です

葉たばこさて、このメールマガジンで私は、「1日120本の喫煙本数」とか「直径30cmの灰皿を山のようにして」といった表現を堂々としています。私はたばこが大好きだということを隠さないでいられます。

が、現実の愛煙家にとっては厳しい世の中です。
たばこが吸える場所がどんどんなくなって行くからです。
仕舞いにはアメリカのように、「たばこを吸う人間(や肥満)は自己コントロールができない、ダメ・ビジネスマン」とレッテルが貼られてしまうのでしょうか。
「いや、既にそういうイメージがあるよ」と言われたこともあります。

自分を振り返ってみると、実にたばこと縁が深い人生でした。
私の父親はたばこ関係の仕事に従事していました。私の学費や食費はたばこから生まれたものです。
私が渡米した先はノースキャロライナ州。全米の葉たばこ生産量の約40%を占める州です。そして、私はデューク大学卒業。たばこで大儲けした人物が作った大学です。

日本で就職した最初の企業は、時代のせいもありましたが、たばこは自由に吸ってよし。
ところが、その後、様子が変わります。
31才で転職した外資系企業は採用面接時の「ここのオフィスは禁煙ですか?」という質問に「違います」という回答があったから転職を決めたのに、1年後には禁煙。

次のコンサルタント会社も禁煙なら転職は止めようと思っていたのに、そうでないからと決めたとたん、時間禁煙そして完全禁煙に移行。
「転職条件と違うから、違約金を払え」と本当に言いたかったものでした。
転職条件のひとつに喫煙があるなんて本気にしている人はいませんから、裁判をやっても負けるでしょうが(笑)

そんな私ですから、シストラットのオフィスは全面的に喫煙OKです。
「森さん、独立したのはたばこが吸いたかったからでしょう」
と友人に言われたことがありますが、半分は本当です。

シストラットの社員やアルバイト採用の時には絶対条件が2つあります。
1つはナイショ(笑)、もうひとつは「たばこの煙がOKな人」です。
自分でたばこを吸う必要はありません。煙が気にならないことだけが条件です。事実、シストラット社内の喫煙者率は世間並みの3割です。特に多いわけではありません。

これがダメ、という方は双方とも持っている実力を発揮できず不幸になるので、どんな優秀な方でも涙を飲んでお断りしています。

クライアントでも同様です。
最近、「お客さんも禁煙」という会社が増えつつあります。
そういうクライアントのお仕事はお断りするようにしています。
というのも、たばこなしに1時間を越えると、私の頭の回転が鈍るのでクライアントに迷惑をかけることになるからです。
半分は言い訳なのは素直に認めますが(笑)

そんな、たばこ寄りの私ですが、今回はその元凶 (?) を実にうまく作り上げた、反喫煙運動の戦略を紹介します。

今回のケースは、企業のようにある1社が戦略を構築したのではなく、それぞれの反喫煙団体が勝手に動いているのに、あたかも1つのグループが動いているような無駄のない動きをしているという実に稀な例です。

当然、この事例は「社会をどう動かすか」という視点だけでなく「生活者の心理をどう変容させていくか=商品をどう売るか」という問題意識にも十二分に参考になると考えています。

なお、私はこの記事で喫煙の擁護をしようとしているわけではありません。事実をベースにうまく情報操作をした嫌煙権グループに感心していることを、あらかじめお断りしておきます。

人がたばこを吸う理由をひも解いて…失敗

アメリカ地図

さて、嫌煙権の話をする前に、人はなぜたばこを吸うのかという難しいテーマに取り組んでみましょう。

たばこのルーツはコロンブスが新大陸を発見したときにさかのぼります。
アメリカン・インディアンがたき火の中に「Y」の字になっている空洞の木の枝を差し込んで、悦に入っているのを発見し、これを持ち帰ったのが現在のたばこです。

たばこはヨーロッパ貴族の間でまたたくまに広がりました。
ちなみに、たばこ普及の功労者はラーレイ卿という貴族で、今でもアメリカの葉たばこ生産の40%を占めるノースキャロライナ州の首都はラーレイ市という名前です。私が高校時代を過ごした街です。

この州にはもうひとつたばこにちなんだ名前の市があります。ウィンストン・セーラム市です。そう、あのJTが買収したレイノルズのたばこ、ウィンストンとセーラムと同じ名前です。

こうした「異物を身体に取り込む」古い習慣は世界各国で観察されます。
例えば、お茶です。お茶や紅茶は、現代でこそ酒やたばこと並んで嗜好品の代表格のように言われていますが、元を調べるとそうでもないようです。

中国にある伝説があります。

ある高名なお坊さんがいました。彼は、悟りを開こうと不眠の瞑想に入りました。
ところが、6日たち7日目になるとどうにも眠くて仕方がない。ふと気がつくと意識が朦朧としている自分がそこにいます。悟りどころではありません。自分に腹を立てた彼は「この目がいけないのだ」とばかり、両目をくりぬいてお寺の庭に投げ捨ててしまったのでした。

そのお陰で彼は悟りを開くことができたのです。
彼が自分の目玉を投げつけた土から見たことがない植物が生えてきて、これを煎じて飲むと神経を集中することができることを弟子達が発見しました。彼らはそのお坊さんを讃え、瞑想に入るときはいつもそれを飲むようになりましたとさ。

この伝説の真偽はさておいて、お茶の原点は宗教の道具であることは間違いありません。どうも、アヘンやマリワナのような、現在では麻薬とされているものも、宗教の道具として使われた形跡があります。

うーん。これだけではたばこの理由にはなりませんね。
確かにインディアンの儀式にはたばこが登場しますし、それだけの特別なものとして扱われていることには間違いありません。たばこは確かに一種麻薬のような人の神経を通常とは違う状態にすることは事実ですが、私たちはオフィスでいつもラリっている訳でもないし、瞑想なんて高尚なことはしていません。ましてや、毎日20回もお祭りをするのでもありません。いつもお祭り騒ぎをしているうるさいヤツはいますが、特に喫煙者という傾向があるわけではありません。

もちろん、巷で言われているように

「たばこはほっとするひととき」
「会話のリズム」
「健康のバロメータ」
「単なる悪しき習慣」

という側面があることは認めます。が、どうもしっくりこないのです。
ほっとするのはたばこだけではありません。例えば、コーヒーを飲んで静かに窓の外を眺めても私たちはほっとします。
会話のリズムはたばこがないと、手持ち無沙太という訳でもありません。

つまり、たばこのメリットとされている理由は、たばこでなくても実現できるものです。だから、たばこを吸う理由としてはどうにも説得力が今一つ弱いのです。

でも、たばこはしぶとく生き残っています。似たような宗教上の小道具として使われた歴史があったのに、たばこは残ってアヘンは消えた。

いきなり別な話

不凍液ところで話はいきなり変わります。
以前おもしろい事例がありました。
不凍液事件です。あの、クルマに使う不凍液です。

たばこには、微量に不凍液が入っていました。不凍液はちょっと甘いので、味がまろやかになるのです。それに入っているジエチレン・グリコールという成分が癌の原因になると騒がれ始めたので、JTは不凍液を今後使用しない旨の記者会見を実施しました。

が、喫煙者の反響は拍子抜けするくらいに冷静なものでした。

「どうせたばこは身体に悪いんだろう。
だったら、不凍液が入っていたって変わらないじゃないか」

という反応です。

その直後、国産ワインに不凍液が入っていたことが判明。その主犯格のマンズワインは新聞を始めマスコミに散々叩かれ、挙げ句の果てに売上が半減してしまったのです。

たばことどれだけ違うことか。

ワインは「健康的」だから飲まれていたので、「不健康な」不凍液はその期待を裏切るもの。だから買わない、という公式が成り立ちます。たばこはその逆です。
たばこに何らかの魅力があるはずなのですが、それが何なのか。
さすがの私も煮詰まってきました。

気分を変えて嫌煙権運動を見る

ここで固まっていても仕方がありません。
気分を変えるために、目を転じて嫌煙権運動を見てみましょう。

反喫煙運動の発端は、1964年にイギリスの王国研究所のレポート「喫煙と健康」から始まりました。
たばこは癌の原因になるというものです。
現在までのたばこと健康の研究は、このレポートをなぞったり、より精緻な研究結果を付け加えたりするに過ぎません。それだけ偉大なレポートです。

これが世界中で大ヒット(?)。
1969年にはアメリカでテレビ広告が禁止になるなど、またたくまに広がっていきました。
この頃は丁度ベトナム戦争、キリスト教が若者に復活、サイケデリック、ピースマーク等の70年代文化の始まりです。日本の団塊の世代にあたるベビーブーマーが学生だった時期です。

その圧倒的なパワーを誇る彼らが動いたのですから、その力は測り知れないものがあります。時期の差こそあれ、ヨーロッパを初め世界各国で同じような動きが広まったのです。
ヨーロッパではとうとう、街頭のポスターや看板すら禁止になるくらいエスカレート。加えて、たばこ嫌いのサッチャー首相が誕生してしまったため、たばこ税が75%にもなってしまいました。当然、たばこの価格は上がります。日本で300円のダンヒルが、本国のイギリスでは600円という珍事が発生してしまいました。

それらの国では今や喫煙場所を探すのにも苦労するといった具合です。アメリカ出張は私の一番嫌いなものになってしまいました。

たばこ弾圧の歴史

歴史的に見て、たばこへの弾圧は政治的に行われることが多かったのは事実です。
トルコでは喫煙がばれたら死刑という法律があり、かなりの数の犠牲者を産みました。当のイギリスでもたばこを吸ったら禁固刑という時代があったほどです。

日本も20才未満の喫煙は法律で禁じられています。この法律は喫煙と健康問題が論じられるはるか昔の明治時代に制定されたものです。
ちなみに、たばこの年齢制限を実施している国は世界広しと言えど、日本だけの珍しいシステムです。

【注】後日、読者の方からアメリカ・マサチューセッツ州も現在では18才未満はたばこが買えないとのご報告がありました。

私がいた頃のアメリカ・ノースキャロライナ州では、酒は政府公認の酒屋でしか買えず、しかもカウンター越しでしか注文ができないという厳しいシステムでした。売り子さんは警察官のような制服に身を包んだ屈強の男だけ。公務員です。

その一方で、高校に喫煙所がありました。ノースキャロライナ州にとってたばこは重要な産業でしたから、喫煙に甘かったという事情があったのでしょう。また、当時流行り始めていたマリワナ対策だったという噂もありました。マリワナを吸われるくらいならたばこを吸ってもらおうといういかにも、政治家のおやじさんが考えそうな話です。

ところが、当の庶民(?)は逆です。

「Do you smoke?(<たばこ>吸うの?)」

と聞くと

「Smoke what?(吸うって、何を?)」

と聞き返されてしまいます。
つまり、たばこは身体に悪いから吸わないけど、マリワナは害がないから吸うよ、という答えです。

私の大学時代のレポートの一つはマリワナでしたが、調べてみると「害がない」のではなく「害の原因が見つからない」というだけです。マリワナを練りこんだクッキーを食べて目が右に固定されてしまい、首を回さなければ横が見えないという症状がきちんと報告されています。細かくは今回の趣旨ではありませんので割愛します。

話は脱線しますが、当時のマリワナの広がりを茶化したジョークがあります。

ある麻薬捜査官がマリワナの害を子どもたちに伝えようと、小学校の講堂で話をしました。
その途中、
「まぁ、君たちはまだ小さいから、マリワナなんて見たことがないだろう。ここにサンプルがあるので、参考までに見て欲しい」
と、彼はたばこ状に巻いたマリワナを3本自分の帽子に入れ、生徒たちに回すように指示しました。
が、手元に戻った帽子には1本もマリワナがありません。
回していた最中に全部取られてしまったのです。

怒った彼はこう言い放ちました。
「なんというヤツらだ。全員、身体検査して盗んだのが見つかったら、監獄へぶち込んでやる。
だが、1回チャンスをやろう。この空の帽子をもう一度回すから、盗んだヤツは元に戻すように」
無事、彼のマリワナは戻りましたが、帽子の中には30本ものマリワナが山のように積まれていたのでした。

嫌煙権の巧妙な戦略

肺話がずれ過ぎました。私の悪いクセです。
元に戻しましょう。
たばこの弾圧がじわじわと襲ってきているという話でした。

日本では、外国よりそのスピードが遅いとはいえ、確実にたばこに対する弾圧が見られます。駅構内、病院、公共施設、企業内。これらの場所では禁煙とするケースが圧倒的に増加しました。

ある関西の「商売がうまい」某神戸市では、知事の指示により官庁はすべて禁煙になったのに、たばこの観光デザイン (自治体は無料で掲載できます) に学生スポーツ大会の告知を載せて欲しいという申し込みがあったという冗談のような噂まで流れています。ご存じのように、大学生の半数は未成年です(笑)

日本ではテレビ広告が禁止になったのは1998年という事実が象徴するように、そのスピードは外国のそれと比べるとかなり遅いものでした。

でも着実に弾圧は進んでいます。
彼らの戦略は明快です。
当初は直接喫煙者に対してメッセージを伝えようとしていました。
「たばこは健康に悪い」「たばこは癌の原因になる」です。

ご丁寧にも喫煙者と非喫煙者の肺のレントゲン写真を並べ、「こんなに肺が汚れている」としたのです。実は、肺が汚れている写真の持ち主は60才、非喫煙者は10代ということは知られていません。が、インパクトがあったのは事実です。

まず、それで数%の喫煙者が去りました。また、禁煙をトライする人も増えました。

禁煙と言えば、マーク・トウェインの名言があります。

「禁煙なんて簡単だ。俺なんか15回もやったよ」

嫌煙権運動より以前の話ですが。

次に着手したのが、副流煙の訴求です。
たばこには、吸うとフィルターから入る「主流煙」と、火がついた先から出る「副流煙」があります。副流煙には主流煙の数倍ものニコチンが含まれているという事実です。つまり、たばこは吸っている人だけでなく、周囲にも害を及ぼす殺人行為だという話です。

実は、この実験も縦横高さ50cm程度の箱に200本ものたばこを燃やし、その中に実験用二十日ネズミを閉じ込めて測定した結果であることも知られていません。通常の6畳部屋では約2千本ものたばこを一斉に吸わなくてはならない分量です。
当のネズミこそいい迷惑です。

【繰り返しますが、私は喫煙の擁護をしようとしているわけではありません。事実をベースにうまく情報操作をした嫌煙権グループに感心しているのです】

これが、瞬く間に大ヒット。
「将を射んとすれば、馬を射よ」戦略です。
今までは、「嫌煙権グループ vs 喫煙者」の対立で、非喫煙者は傍観者だったのを、一気に味方につけたのです。
小さな事実を拡大し「これがそうなら、身体に良いわけはない」という連想心理を巧妙に利用したのです。

一般的なマーケティング手法

花「えっ、違うの?」というなかれ。
どんなものにせよ、一辺に大量のものを身体に取得して正常でいられるわけはありません。

しょうゆを1升ビンごと一気呑みした学生が、急性の水分欠乏症で死んでしまったくらいです。しょうゆの中の塩分が細胞の水分を浸透圧で外に出したための事故です。
だからといって、しょうゆが身体に悪い、危険だなんて言う人はいません。

実は、この手法、一般のマーケティングでも良く使われます。
繊維が入っている飲料が一時期もてはやされました。繊維には水溶性とそうでないものがあります。水溶性の繊維には身体の掃除をしてくれる機能がほとんどありません。気休めにしかなりません。

また、天然のものがすべて身体にいいかというと、まったくの誤解です。毒物は人工のものより天然のものの方が毒性が強い場合が多いのです。

植物性の洗剤や化粧品は肌に良いと言われています。人工のものより良いことは確かですが、動物性の方が肌に優しいことはスクワラン(鮫の油。化粧品に使われた)程度しか知られていません。これは、飽和脂肪酸の比率が植物より動物の方が人間の肌に近いからです。
化粧品の場合は油肌の人はべたつくので敬遠することもありますが。

嫌煙権グループがうまかったのは、そのマーケティング手法もさることながら、第2弾の戦略をターゲットを喫煙者本人ではなく、非喫煙者にシフトしたことです。

嫌煙権グループが喫煙者を批判している分には、「まぁ、人それぞれの好みだから」と静観していられましたが、こと話が自分の健康に及ぶとなると、そうも言っていられなくなります。嫌煙権グループは正に数千万人の味方を獲得することに成功したのです。
この戦略は、小中学校生徒への喫煙の害の啓蒙など、一層深いものになっています。

この戦略は具体的にはどう効くか。
家庭内での喫煙禁止、ホタル族の出現(部屋でたばこを吸えないので、夜にベランダでたばこを吸う)など家族からの圧力が一気に増加します。
駅構内などの公共施設で、一般客からの禁煙要請が多くなる。
長距離の電車内でも禁煙車の設置どころか、全面禁煙路線まで出現。
これらは、非喫煙者を巻き込み、数の論理をいかんなく発揮した結果です。

こうなると、嫌煙権グループは寝ていても、たばこを世の中から追い出してくれます。
いや、当の嫌煙権グループですら、もう誰にも止められない。

ちょっと、まとめ

ここでわかるマーケティング理論がいくつかあります。
まず、連想心理をうまく使うと、情報操作が可能になるということ。

これは、一般のマーケティングではポジショニングと呼ばれる理論にも応用されています。例えば「大人のディズニーランド」という言葉を使うと、ディズニーランドの楽しさや明るさが連想され、かつ、大人でも楽しめる内容のものだということが一瞬にして連想されます。「男のディズニーランド」はちょっとエッチな連想が出てきます。その連想を自分の都合の良い方向に導いてくれる事実だけを流すという方法です。

次にわかることは数の論理です。
詳しくは避けますが、ある一定の割合を越えると、その商品は一気に世の中を動かします。商品分野によってもその比率は違いますが26%が目安です。嫌煙権グループは数の上からいえば数千人に過ぎませんでしたが、非喫煙者を味方につけることで、その数を一気に半数近くに増やしてしまいました。26%なんていう数字ではありません。

【クープマンの目標値の解説を見る】

3番目は事実(らしきもの)を使って、常識を変えたこと。
ビールの過去記事でも触れましたが、イメージや常識に対抗するには何の根拠もない「新常識」などという訳のわからないキャッチフレーズはまったく無意味です。イメージにイメージをぶつけても、先にあった大きくて深く根付いているイメージに勝てるはずがありません。

「コクがあるのにキレがある」等の「事実」っぽいものが必要です。
嫌煙権グループは「医学界」というお墨付きのある「事実」を極めて巧妙に利用しました。

しつこいようですが、まだすっきりしない

コーヒーさて、そこまではわかりました。

嫌煙権グループが巧妙に戦略を立てていたかどうかは別にして、かなり的を射た戦略を実施したことは確かです。

が、まだ、ひとつすっきりしません。

冒頭の疑問です。

不凍液が入っていてもなお「どうせ身体に悪いんだから」と開き直れる喫煙者、歴史的に見ても死刑の恐怖を前にしてもたばこの魅力に勝てなかった喫煙者が、そう簡単に屈するとも思えないのです。

いや、確かに、喫煙者の全員が全員、私のようにたばこフリークと言うわけではないことはわかっています。実際に禁煙した友人も山のように見てきています。でも、どうにもすっきりしません。

…と、ふと学芸大学のバーガー・キング(偶然にも、バーガーキングはJTの経営でした)でクライアントとのアポの時間調整の合間に、この原稿を書いている時に気がつきました。

たばこには他の商品と違うところが幾つもあります。
火で燃やして成立する商品はボンベなどを除くと、たばこだけです。
また、1日の平均喫煙本数が20本ですから、1日に20回も消費する商品は他にはありません。
酒呑みだって1日1~2回。飲料だって、ヘビーユーザーで毎日1~2本。

…ん?1日20回も消費ができるのは、たばこが持つ「荷搬性」つまり持ち運びの容易さゆえなのではないのでしょうか。

あっ、そうか。
嗜好品は世に数あれど、コーヒーやビール等はその「場」がなければなりません。バーやパブなどの「場」に行かなければならないのです。また、コーヒーや紅茶も「水」「カップ」「お湯にする火」「道具」が必要です。

でも、たばこ、特に紙巻きたばこは「たばこ本体」と「ライター」があれば、どこでも楽しめてしまうのです。
マナーの問題を別にすれば、路上だろうが、待合室だろうが、はたまた、ちゃんとしたレストランだろうが、いつでもどこでも楽しめてしまう。
こんな商品は今まで長い間ずっとありませんでした。

たばこ本来の姿

「携帯する娯楽嗜好品」

パイプこれがたばこの本来の姿です。

そうです。
良く考えたら、紙巻きたばこはパイプや葉巻などと違い、喫煙具が少なくて済み、高度な技術が不要なので「気軽なパイプたばこ」として、普及したのではありませんか。

パイプはパイプの本体、葉を押し込める金属のヘラ、刻みたばこを入れる携帯用の皮袋、家にストックするための壺が最低限必要です。
技術面では、途中で火が消えないように吸ったり、ヘラで燃やした葉を押し込むタイミング、パイプが熱でひび割れないように、また、手で持っても熱くならないように、パイプの内側に炭を均等に張りつける技術が必要です。
とてもではありませんが、気軽にパイプたばこを楽しむには長い年期が必要なのです。特に、炭つけ作業は一歩間違えると高価なパイプを壊してしまうことにもなりかねないので、ヨーロッパでは専門職人が存在したくらいです。

たばこ本体とライターさえあれば事足りる紙巻きたばこに比べて、どれだけ違うことか。
それをすっかり忘れてしまっていました。

そして、両面からこのたばこ独自のメリットが薄れてしまったのです。
時代によるたばこそのものが持つメリットの低下と、競合商品の台頭と普及です。

たばこは、いつでもどこでも手軽に楽しめる商品ではなくなってしまいつつあります。
オフィスではダメ、駅構内ではダメ、朝のラッシュはダメ。
商品そのものが持つ性格ではなく、それを取りまく環境が商品の性格を歪めたり制限する。

まさに、携帯電話のマナーを徹底的に追いかけて行くと、電車内では使うな、運転中は危ない、混雑した路上では人にぶつかる、レストランや喫茶店では席を外せ…
「いつでもどこでも連絡がとれる」はずの携帯電話が、「一部の場所や時間でないと連絡がとれない」存在になりつつあるのと、極めて近くなっているのです。

ちなみに、現在関西地域でフィリップモリス社が電子式のたばこをテスト販売していますが、道具類の多さがネックになって成功することはないでしょう。

さて、2つ目です。それは対抗商品の存在です。
暇な時、今までなら、ちょっと時間を潰すのにたばこをくゆらすという選択肢を選ぶ人が多かったものです。が、現在はその他の選択肢がかなり増えています。携帯電話で友人とちょっとダベル。ウォークマンを聞きながら歩く。ミニテトリンやたまごっち、ゲームボーイで遊ぶ。
いつでもどこでも楽しめる商品が19世紀と比較にならない程多く登場しています。

恋人がうるさい、親がうるさい、妻がうるさい。そんな「たばこ」という商品を消費するくらいなら、たまごっちで遊んだ方が余程気楽でいい。ウォークマンでCDを聞いていた方が心地好いのです。
わざわざたばこに頼る必要がない。

「火の気のないところに煙は立たない」

こうやって考えていくと、たばこという商品は嫌煙権グループが存在していなくても、商品としての存在理由が薄くなっていたのです。彼らはそれを後押ししただけです。
もちろん、極めて巧妙にそれを実行したという点は評価されますが。

マーケティングや広告は何でもできる魔法のように語られがちです。でも、メーカーや団体がいくら頑張ったところで、また巧妙な戦略を立てたところで、「人間」側にそれを受け入れる心理的素地がなければ、失敗に終わるだけなのです。

「火の気のないところに煙は立たない」

マーケティングの真実です。

これからのたばこの未来は商品として決して明るくありません。
私は一匹狼なので、明るい未来なんかはいりません。回りが禁煙しようが「喫煙者は人間でない」と言われようが吸い続けます(前に在籍していた会社社長のおことばです(笑))。

ただ、これからも好きなたばこを買うことができることを祈るだけです。

アーメン。signature



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