オプションは別売りです
色々な商品のパンフレット、広告そして取扱説明書はメーカーの性格が出てくるので私は大好きです。小説のような感覚で、電車の中で読んでいます。ATOKやエクセル、オフィスのコピー機の取り説を「楽しんで読む」人はそう多くないようで、周囲に不思議がられることも多くなります。
その中で、最近特に見立つのが「写真の●●は別売りです」、「ハメコミ合成です」といった注意書きです。特に、広告やパンフレットで頻繁に見かけます。
ワープロで「用紙は別売りです」というような主従関係がはっきりしている場合は納得もいきます。このワープロを買うと、用紙がたくさん付属していると勘違いする消費者もいるだろうと想像できるからです。
しかし、例えば携帯電話のストラップの広告やパンフレットで「写真の携帯電話は別売りです」と書かれると、思わず笑ってしまいます。「そんな、ばかな」という感覚です。
数100円のストラップを買うと携帯電話がもれなく付いてくるなんてギャグですもの。
ラブホテルに泊まれば携帯電話が無料でもらえるご時世ですから、あり得ない話ではありませんが、常識的に見れば別売りなのは当たり前のことです。でも、それがパンフレットでは堂々とまかり通っている。
これはPL法のおかげで、ユーザーから苦情が来たときのために、あらかじめお断りしておくという企業防衛の成果です。いちゃもんをつけるのが好きな生活者もいるので、無駄ではあるものの仕方がないことです。
いずれにしても、こういった「お断り」は私たちにとっても重要なことでもあります。心の準備ができるからです。
例えば、デジカメを買ったとしましょう。自分はこれをパソコンにつないで使いたい。ところが、買ってみて気がついたのは、実は別売りの接続キットを買わないとパソコンでは写真が見られない。そんな時、何だかものすごい損をした気分になってしまいます。
でも、長年パソコンに親しんできた私は、初めからそのあたりを疑ってかかっています。パソコンにオプションは付き物だからです。まずメモリが標準で充分あるかどうかをチェックします。次に外部接続のポート、例えば、PCIの空きがあるかどうかもチェックするといった具合です。
私にとっては、それが「常識」だからです。でも、初心者にとってはオプションがなくても動くのが「常識」、パソコンに接続できるのが「常識」。
パソコンに繋がるのがデジカメの良いところだと、散々雑誌などで紹介されているからです。
今回は、「常識」にスポットを当ててみました。
常識ということばが「業界の常識」というように、ある特定の世界での話になったとき、ビジネスでは失敗の可能性が出てきます。逆にその常識を「本当の常識」に戻したとき、新たなビジネスの可能性が芽生えます。
ただ、1つだけお願いがあります。今回の記事は「当たり前」を題材としています。従って、頭を空っぽにして読んでみて下さい。「常識は常識じゃないか」というのではなく、常識を1度疑ってみる。そんな姿勢で読んで頂けば、おもしろく読めるかも知れません。
ハンバーガーショップにて
「はい。え~と、ビッグマック1つとフィレオフィッシュ1つ。それからアメリカン」
「ありがとうございます。735円となります」
長蛇の列に並んで、ようやくありつけた食事です。プレゼンテーションが終わり、ほっとしたひと時でもあります。
ヤマンバ娘やサボリのセールスマンでごった返している店内をよそ目に2階にあがった途端です。目の前に1枚のはり紙が誇らしげに目に飛びこんできました。
あわてて、レジに戻ってみます。1階のフロアには禁煙のはり紙など、どこにもありません。
店の外に出てみます。禁煙の告知はなし。
私は2階に上がって初めてこの店ではたばこが吸えないという事実を知ったのです。
おまけに、階段のかべには、もうひとつはり紙があります。
ごていねいなことに、2階にはスタッフが張りついて、商品を持ってない客を1階のレジに追い返しています。混んでいる時に、順番を無視して最初に席を取っておこうという不埒な客対策という訳です。
プチン。切れました。なぜかって? 後で説明します。
第2話。シーンが変わります。
終電だったので途中駅でおろされてしまいました。仕方がないのでタクシー乗り場に向かいます。
しかし、運悪く金曜日の夜です。タクシー乗り場は長蛇の列。延々寒空を30分も待たされたあげく、ようやく来たタクシーに乗り込みました。その途端、シートの目の前に「禁煙」のはり紙。
発車した運転手さんを慌てて制止しました。
「え?もうメーター下ろしちゃったよ。困るなぁ、お客さん」
「そんなの関係ないです。このクルマ禁煙だから」
「そんな。また、戻るの?ちょっとなんだから、我慢しなさいよ。体に悪いし」
「説教はいいから、とにかくドアを開けてください」
現代の雲助
1日120本を吸うヘビースモーカーの私だけでしょうか。
年に数回はこういう目に合います。
え?どういう目かって?
普通のおとなしい客なら、仕方がないとばかりに我慢してしまうような仕打ちです。
ハンバーガーショップの場合、普通人の感覚なら、お金を払ってしまったんだから、手に持っているハンバーガーは自分のもの。だから、捨てるのはもったいない。仕方がないから、さっさと食べて店を出よう。運が悪かったんだと自分を慰める。そんな出来事です。
タクシーも同じ。
発車してしまったのだからメーターは回っている。
ここで降りたら、お金を払わなければいけないかも知れない。もったいない。また、後ろの客に迷惑をかけるかも知れないし、運転者さんが言うとおり大した乗車時間でもないし、せっかくだから節煙のいい機会だと自分を精一杯納得させる。そんな出来事です。
ハンバーガーショップの店長やタクシーの運転手さんには申し訳ありませんが、私はそんな従順な生活者ではありません。いや、そんな姿勢は店だろうが人間だろうが、大嫌いです。
「すみません。店長を呼んでください」
「はい。私ですが」
「これ、返金してください」
「はぁ」
「この店、全席禁煙ですよね」
「はい」
「で、客はいつの時点でそれを知るのですか?いや、商品を買う前にそれを知ることはできますか?」
「…いえ。でも聞かれればお答えしますけど…」
「ふーん。全席禁煙の店は日本じゃ当たり前なんですか?事前に禁煙かどうかを聞かなければならないほど、一般的なのですか?」
「いえ、そうではありませんが…」
「じゃあ、それを知らずに買ってしまったらどうするのですか?」
「…お客様のご要望があれば、お金をお返しします…滅多にないことですが」
「頻度は私の関知するところではありません。では要望します。返金してください」
「…お幾らですか?」
「忘れました。あなたの店の商品なんだから、自分で計算してください」
後続のタクシーに乗ろうとすると、運転手さんがけげんな顔をしています。
「お客さん、タクシーは順番だよ。前のクルマに乗ってくれないと困るよ。私が叱られるんだから」
「いや、あれ禁煙車だって」
「あ、そうか。じゃあいいや」
何もなかったように、発車しました。
「お客さんみたいな人は気持ちいいやね」
「どうして?」
「だってさ、あれって違法なの知ってる?条令違反。禁煙車両はさ、クルマの外に『禁煙車』って書かなきゃいけないんだよね」
「ああ、それね。知ってますよ」
「そうそう。でも、あいつら、それだと客が減るからってんで外には絶対に看板出さない。
ずるいよね。タクシーに閉じ込めちゃえばこっちのものって感じで、本当に雲助みたいな連中なんだよね。俺らもさ、腹立ってんだ」
「私も同じですよ」
「だからさ、我慢なんかするこたぁないから、お客さんみたいにバシバシやってやんな。
あいつら、文句は絶対に言えないんだからさ。
あ、お客さん、もうやってんだよね。はははは」
人間は事前予測を素早くシミュレーションする精巧な存在
ハンバーガー・ショップにせよ、タクシーにせよ、私が腹が立ったのは「たばこが吸えなかったから」ではありません。正に、後続のタクシーの運転手さんが代弁してくれたように、「レジで精算を済ませてしまえばこっちのもの」「発車してしまえばこっちのもの」という商売根性が気に入らないのです。人の常識を逆手に取ったやり方。
こんな例は世の中にたくさんあります。英会話のうさんくさい教室、一時期のエステ、危ない風俗などリストアップすればキリがありません。
私たち一般人が生活をしていく上でのビジネスだけではありません。企業対企業のビジネスでも同じです。
メーカー時代に私が経験したように、広告代理店の大手企業から、当初の見積もりなどまるではなから存在していなかったように追加請求が続き、締めてみたら最初の見積もりの3倍になっていたなんてことがまかり通る。そんなビジネスのやり方も大嫌いです。
なぜか。
騙されている気がするからです。
ではなぜ騙されている感じがするのでしょうか。
飲食店でたばこが吸えるのは (分煙であったとしても) 私にとって「常識」だからです。
タクシーでたばこが吸えるのが私にとっては「常識」だからです。
それなのに、「事前予告もなしに」裏切られたからです。
私たちは生活をする上で、常に事前予測をして行動します。
●この本のページをめくれば、次のページ番号に移り、文章の続きが読める「だろう」 |
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-1秒後、続きの行が目に入ります。 |
●レストランでは「ヒレステーキ」とウェイトレスに言えば、数分から数10分後には、牛肉を焼いた食べ物が出て来る「だろう」 |
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-10分後、おいしそうな料理が出されました |
一般的に、これらのことは「常識」であり、「知識」「知恵」として「学習」し、私たちに蓄積されています。そして約束事を社会を構成する全員があらかじめ持っていれば、スムースな社会的行動をするのに役立ちます。
出版社は、「43」ページの後に「44」ページの内容を印刷するだけで、読者に続きを読んでもらうことができます。常識が出版社と読者で共有されていなかったら、どうなるか。わざわざ「続きは53ページをご覧下さい」などという注釈をつけなければなりません。
その常識が共有されていないと、読者は次の文章が書いてあるページを探さなければなりません。新聞の記事が散在していて読みにくいのと同じです。
レストランの経営者はメニューに「ヒレステーキ」と書いておけば、牛肉の焼いたものを欲しがる客に料理を提供できます。
レストランといえば、シンガポールでこんな経験をしました。
地場のレストランに一人で行ったときのことです。テーブルについてもメニューがありません。周囲の客の前には10種類以上もの小皿が並べられておいしそうですが、量が多い多い。おばあさん一人客の前にも同じような数の小皿。すごいなぁ、シンガポールの老人たちはこんなにたくさんの量を食べるんだ。
英語が通じないウェイトレスに身振り手振りで「メニューが欲しい」と言っても、ニコニコするだけ。とうとう彼女は道に面したキッチンに私を連れて行きました。「料理を選べ」と言っているようです。仕方なく、うまそうな料理を2~3品指名してテーブルに着きました。
またまたボディランゲージで「あのおばあさん、すごいね。あんなに食べるんだ」と言っても彼女はニコニコしているだけ。
真相は、シンガポールでは客が来店したら、ウェイトレスは小皿をテーブルの上に並べ、客は好きなものをそこから取って精算する仕組みだったのでした。
日本の常識が、いや欧米の常識が通用しないひとこまでした。
つまり、常識とは、人間が生活していく上で、無駄を省きスムースに行動できるように創られた工夫の産物なのです。
そして、こういった「約束事」「常識」が文章や文字で表現されると、取り扱い説明書、マニュアル、契約書、法律などの「ルール」になります。
事前の期待、つまり常識を裏切るようなことがあれば、場合によっては犯罪にすらなります。通信販売で注文した客は、写真に掲載されているシャツと同じものが来るだろうと思っています。これが「一般的なルール・常識」だからです。でも、到着したものがまったく違う色やスーツに化けてしまったら、苦情の対象になるだけでなく、詐欺として扱われることもありえます。
社会のルール、つまり法律や商慣習はこうして生まれます。
それは、決して社会全体とは限りません。六本木のバーで「うちはキャッシュ・オン・デリバリです」というはり紙があれば、その店が注文した飲み物や食べ物ごとにお金を支払うルールであることを知らせていることになります。いわば「ローカル・ルール」です。
どこまでがルールなのか
さて、そうなるとひとつの疑問が沸いてきます。
ルールは所詮人間が作るものです。だから、時代とともに移り変わります。
例えば、禁煙運動がまったくなかった30年前には、禁煙車両のタクシーは存在していませんでした。
いくらたばこの煙が嫌いな運転手さんであっても、「たばこお断り」とは言えませんでした。今でいえば「厚底サンダルを履いたヤマンバ娘はうちのタクシー乗車お断り」と言っているようなものだからです。当時は「『個人の好き嫌い』で客を選ぶとは何事だ」というのが「常識」でした。
また、テレビ画面や雑誌、広告に下着姿の女性モデルが出演しても、一部の婦人団体を除き「ハレンチだ」「女性の恥だ」と騒ぎ立てる一般消費者はいません。
なぜなら、現代の日本人は性に対する抵抗が少なくなったきたからです。
3つ目の例です。
冒頭での私とハンバーガーショップの店長との会話を思い出してください。
現在の日本ではまだまだ90%以上の飲食店で喫煙ができます。だから、飲食店で喫煙ができるのは当たり前ですし、それが暗黙のルールです。逆に、「うちの店は必ずしもそのルールではありませんよ」と注意を喚起するためには「禁煙席」という張り紙が必要です。
逆に、アメリカのように、もし、90%以上の飲食店が「禁煙」だったら、表示は「喫煙席」になります。
それを如実に実践したのがJRです。
JRは今でこそ「喫煙車両」という名称で他の車両と区別していますが、ちょっと前までは「禁煙車両」でした。時代が変わったので、名称を逆転させたのです。
余談ですが、シストラットでは原則として出張はグリーン車を使います。移動で無駄なエネルギーを使いたくないからです。ところが、グリーン車が全席禁煙の路線が多くなった今、社長の私が普通席、たばこを吸わない社員がグリーン車という逆転現象が起きています。社員は私に気を使っていますが、私にとってはグリーン車に乗ることより、喫煙ができる方が圧倒的にストレスが溜まらないわけですから、まったく気になりません。
飲食店の話に戻ります。
なぜ、飲食店では喫煙が可能なのか。それは、全席禁煙だと売り上げが上がらないからです。
例えば、サブウェイというサンドイッチのチェーン店はアメリカから進出してきた際、店を100%全席禁煙にしました。しかし、今ではほとんどのサブウェイでたばこが吸えます。禁煙だと売り上げが目標を下回ってしまったからです。
また、フレッシュネスバーガーもアメリカ資本のチェーンですが、当初全席禁煙だったのに、現在は喫煙席併用の店が増えています。
今をときめくスターバックスコーヒーはアメリカ資本なので全席禁煙ですが、早晩、喫煙OK の店になることでしょう。ドトールなどの180円コーヒー・チェーンでは利益率に限界があるため、エクシオーネを代表とした客単価が100~200円高いワンランク上のエスプレッソを売り物にする、スターバックスを真似た店でも喫煙可能な店が急激に増えてきているからです。
競争が激化すれば、サービスを売り物にする。あるいは、できるだけ多くの客を引き込もうとする。すると、全席禁煙と悠長なことを言っていられないのは、先輩格のサブウェイやフレッシュネスバーガーが証明しています。
今回の記事のテーマとは直接関係ありませんが、なぜ、禁煙にすると店の売り上げが落ちるのか。こんなに禁煙、節煙が騒がれている世の中なのに。
そのカギは20代女性です。
彼女たちの喫煙者率は増えているのです。
そして、外食のお得意さんは彼女たち、20代女性。
ターゲットとなるユーザーの行動を無視すれば禁煙店が敬遠されるのは当然です。
加えて、20代女性は喫煙本数が他の年代と比べて少ないとはいえ、そのほんどとは外食時に吸われています。親元、彼氏、仕事場ではたばこが吸えない彼女たちにとって、唯一たばこが吸えてリラックスできる。それがファーストフードを筆頭とする外食産業なのです。
数字で置き換えてみると
話をまたまた戻しましょう。
現在の日本ではまだまだたばこが吸える店が多く、全席禁煙の店は売り上げを落としていさえするということでした。そして、「約束」や「常識」は刻々と変化しているということでした。
それでは、同じ約束を共有している人たちが80%も存在していたらならば?
例えば、たばこが吸える店が80%も存在していれば?
たばこが吸えるのは当たり前という前提で行動しそうです。
70%は?そろそろやばくなりそうです。
50%は?たばこが吸えるかどうかの確認をしないといけなくなります。
30%は?確認するのが面倒になります。はじめから、そうでないところを選んだほうが手っ取り早い。
10%は?君子、危うきに近寄らず。もう、初めから期待しません。
この感覚は個人個人によって程度の違いはありますが、どこかで線引きができそうです。社会学的にいえば、どこかで常識化、慣習化されそうです。
例えば、一時期常識となった「携帯電話は繁華街ではつながらない」というイメージがありましたが、その時の日経トレンディの実験では80%が繋がっていました。数字だけを見ると、褒められたものではないものの、「80%もあれば繋がらない訳ではない」と思えそうなものです。
でも、生活者にとっては5回に1回繋がらない事実があると、もう「繋がらないものだ」というイメージが定着してしまいます。
例を変えてみましょう。
毎日買っている缶コーヒーの自動販売機。これの5本に4本はまともだけど、1本が空っぽだったら?
5日に4日は平穏無事だけど、残りの1日に必ず交通事故を目撃していたら?
「80%」という「繋がる」「中身が入っている」「怪我をしない」事象は数字だけで見れば、立派なものと捕らえられがちですが、実際は私たちの「予測」「常識」に対して大きな影響を与えているのです。
20%が「珍しい」
逆の例もあります。
大衆週刊誌、例えば週刊ポストや週刊現代などには、毎号といって良いほどヌード写真が掲載されています。ヌードがないのは週刊新潮など一部の週刊誌だけです。割合にしてほぼ2割。
私たちにとっては「おじさん向けの週刊誌にはヌード写真は当たり前」になっています。でも、外国人から見れば一般書店で売っている雑誌にヌードなんてとんでもない。
だから、国際便で堂々とヌードが掲載されているそれらの週刊誌を常備したために、海外から批判を浴びて提供を取りやめるようになってしまいました。
別の例です。
いまや、20代女性にとって必須アイテムともいえる携帯電話やPHS。
所有率は70%を越えています。だから、たまに携帯電話やPHSを持っていない女性を見ると、思わず「珍しいね」という本音がポロリと出てしまいます。
これら4つの例の2つ(缶コーヒーと交通事故)は、80%が「もはや当たり前ではない」例。
同じ80%なのに、「もう当たり前」が後者2つの例(ヌード写真と女性の携帯電話)です。
一体これはどう違うのでしょう。
缶コーヒーや交通事故は「損得に深く関わっている」から?
正解です。交通事故に会って入院なんてしたら、シャレになりません。5回に1回、いや、100回に1回ですら遭遇したくないものです。
一方、ヌード写真や携帯電話があったから、なかったからといって、生活に大きな影響を与えることはありません。「損得」の程度が違います。
でも、もっと大きいことがあります。それは、どちらが新しくて、どちらが古いのかという事象の性格です。
缶コーヒーを買えば中身がもれなくついてくるのは、私たちは100%経験しています。
過去の学習です。缶コーヒーの中身がないのは「新しい経験」です。
だから、たった5回に1回でも目立ってしまう。つまり、もはや、残りの80%は「当たり前でない」という印象に変わります。
一方で、今まで携帯電話を持っていない人が多かった。
それは、「古い経験」です。だから5人に1人「しか」いないと、「珍しく」なってしまいます。
人間は常に過去の経験やイメージに引きずられているとよくいわれますが、これはことばを変えると
だから、それが裏切られると困惑する」
ということなのです。
その分岐点は26.1%です。この数字を越えると「よく見る、聞くできごと=常識」と勘違いする人が出現します。つまり、4人に1人。そして、71.3%を越えると、本当の常識として認知されるのです。
マーケティングは「常識」を利用する
マーケティングでは、「常識」を利用することがよくあります。
ソニーは従来のものを小さくするのが得意です。そして、それは、生活者の中では半ば常識化しています。だから、パソコン市場に再参入した時も、小さい(B5サイズの)ノートパソコンをラインナップに含めた方が有利になります。実際、バイオのノートは一時期、出荷台数の40%ものシェアを占めた大ヒットとなりました。
マイルドセブンを知っている人にとって、マイルドセブンライトという新しいたばこが出現したら、「ああ、あのマイルドセブンの軽いやつだ」とすぐに内容が理解できます。実際、マイルドセブンライトは大ヒットしただけではなく、普通の1/3の広告コストで事足りました。
最近話題になっているデジカメは「わざわざ」生活者の常識に合わせた商品でもあります。デジカメは従来のカメラとはまったく異なる技術の商品です。でも、売れ筋のファインピックス、キャメディアは、できるだけ従来のカメラと操作感を似せようとしています。
なぜなら、生活者にとってはその方が使いやすいからです。従って、「わざわざ」シャッター音が出るように作っている機種も存在します(デジカメは構造上、シャッター音は出ません)
マーケティングでは生活者の中にある「常識」を探り、自社に有利なものを探し当て、それを利用した新製品を開発します。「ブランド資産」とマーケティングでは呼ばれる概念です。シストラットでは「レーダー理論」として理論化しています。
しかし、中にはその「常識」を悪用(?)する場合も出てきます。
本当は輸入の原料を使っているのに、あたかも国内の牧場で作っているようなイメージのパッケージデザインで売っているチーズや、デザインや形だけを変えて安易に「新登場」などと広告を流していた菓子業界などがそれに当たります。
もちろん、こういったケースのほとんどは、いつかどこかで生活者にばれて愛想を尽かされるのですが。
悪用とまではいかなくても、生活者の常識に無理矢理抵抗して失敗するケースも多く見られます。例えば、ブルボンが発売したチューイングガムは全く売れませんでした。生活者の常識にとって同社は半生ケーキやクッキーなどの会社であって、ガムの会社ではないからです。
「常識」とはモノを考えなくても済む便利な道具
人々の生活をスムースにしてくれる潤滑油、常識。
ところが、この便利な常識には大きなデメリット、弊害があります。
深くモノを考えなくても行動できる、生活できる反面、考える癖がどんどんなくなっていくのです。要するに「アホ」になります。
「アホ」であっても、私たちが生活していく上では許容されるかも知れません。人間としての向上はありませんが、食うのに困ることがないからです。
でも、これが仕事人、企業人となると話が変わります。
考える癖がついていない人間が商品を開発し、広告を作り、モノを売っていこうとすると、場合によっては全く売れずに会社が傾く、つまりメシすらも食えなくなる可能性が出てくるからです。
その代表格が「業界の常識」というヤツです。
というセリフを聞いたことがありませんか?
生活者の常識ならそれに沿ったものを作れば、生活者はそこそこ買ってくれますし、バイオのように大ヒットする可能性もあります。でも、業界の常識は違います。業界の常識に従ったからといって、商品を業界が買ってくれるわけではないからです。
「業界の常識」が「生活者の常識」と合致しているうちは問題ありませんが、生活者が知らないうちにどこかに行ってしまったら、それはもはや「業界『だけの』常識」ということばに変化します。
飲み屋に行って「ビール」と頼むとキリンビールが出てくる。これは、長らく「業界の常識」であり「生活者の常識」でした。しかし、今は違います。
また、ビール業界は「シェア1%の増減が不可能な業界」と言われ続けて来ました。ところが、シェアを数10%も変えてしまうスーパードライが、一番搾りが、そして淡麗 <生> がその後出現しました。
パソコンの家庭内普及率12%が10年以上も続いたパソコン業界。「これ以上パソコンは伸びない」のは当時10年前の「常識」でした。現在は皆さんご存じのとおり、パソコンは年率20%近く伸びている成長産業です。
このたった4文字をもっと真剣に考えることで、まだまだ企業は色々なアプローチが生活者にできるはずです。
ただ、1つだけ間違えてはいけないことがあります。
非凡(常識にとらわれないこと)は大事だとされます。
でも、ことマーケティングに関しては
です。
生活者の平凡(常識)がわからないで、非凡になってしまっては「ニーズをくみ取る(時にはうっちゃりをかける)」ことができないからです。
でも、よく言われるように「常識は疑ってかかれ」なんて格言は、私は勘弁です。そんなに、いつもいつも疑っていては疲れ果ててしまいます。
「禁煙」の張り紙がないハンバーガーショップでは返金してもらった方が気が楽ですし、タクシーは乗り換えればいいのですから。