■「細かいことで騒いでいるのは少数派ですよ」【電子書籍】

artc20121001今回は電子書籍の話題です。
「電子書籍元年」が何年も続いていますが、一体いつになったら「本当の元年」になるのかと待っている人は私だけではないはずです。
現在、電子書籍版の本を執筆中の私です。個人的にも興味がある分野です。
タイトルは一時話題になった某社長の名言です。ご存じの方も多いかと。


液晶テレビを買ったら3ヶ月間は番組が見られない

楽天の7,980円電子書籍専用端末、楽天koboがつい最近の7月、大きな騒動になりました。
普通、専用端末は2万円以上するのが当たり前なのに楽天koboは半額以下です。
楽天kobo専用の書籍取り扱い点数も100万点の予定。
日本IT業界の覇者、三木谷社長が大々的にぶち上げたのですから、期待も高まろうというものです。

でも騒動はそのことではありません。
ワクワクしながら発売日初日に買ったユーザーが次々に撃沈したからです。
koboの性能が悪かった?
いいえ、それ以前に使うことさえできなかったからです。

この話題に詳しくない方に簡単に説明します。
iPodでもWindowsでも、最近の電子機器はすべて最初にセットアップをする必要があり、koboもそれが必要です。
しかし、koboはその段階に決定的な問題がありました。

その1。パソコン用のソフトがインストールできない、インストールできても楽天会員ログインができない、koboのシステムアップデートができない、koboのアクティベーションができないという様々なトラブルが相次ぎ、「商品として使える」状態にならない。

その2。多数の人たちがサーバーに殺到し、セットアップがエラーになり、何回もアクセスするのでサーバーがパンク。接続すらできなくなる。

実は、初日の数時間は楽天のミスでテスト用のプログラムしかサーバーに組み込まれていなかったので、そもそもセットアップができないのは当たり前でした。
加えて、パソコンのユーザー名に漢字やカタカナが使われている場合は、セットアッププログラムが作動しないバグ(設計ミス?)もありました。

発売直後の楽天のレビューは564件中、1点評価が206件と約半分、5点評価は88件。まさに「阿鼻叫喚」という表現にふさわしい状態でした。

それだけなら、他にも例があります。
スクウェアエニックスのネットゲーム、ファイナルファンタジー11も10年前のサービス開始当初は似たような状態でした。
サーバーがパンク状態でアクセスできない。正常になったと思ったらバグが発見されてサービス中止。その繰り返しが1ヶ月続き、とうとう発売初月は無料化する事態になりました。

騒動に油を注いだのが楽天三木谷社長の日経ビジネス(日経新聞にも転載)のインタビュー。

「細かいことで騒いでいるのは少数派ですよ」
「95%の人が初期設定を終えているのです。(中略)5%の人は誰かって?途中で難しくて諦めちゃった人はいるでしょう」

余りにも無防備でユーザーの神経を逆なですることばでした。特に「初心者扱いされた」初期ユーザーは怒り心頭。

そんな中で、次の一手を楽天三木谷社長が打ちます。
楽天レビューの閉鎖です。
レビューが閉鎖されたのは楽天の歴史上初めてのこと。

「内容のほとんどが解決しているので、表に出たままだと『かえってミスリーディングだな』と判断し、いったん、落とさせてもらった」(楽天三木谷社長)

楽天レビューではすべての商品が

「解決していても、削除させてくれない」

のが従来のルールです。
koboだけが特別扱いです。
それに対してユーザーや楽天に出店した商店主は「隠蔽だ」「えこひいきだ」と再び怒り出す。

それよりも、私がびっくりしたのは、東洋経済のインタビューに対する楽天三木谷社長の返答でした。

「購入された端末のアクティベーション(初期設定)も90%以上終わっている。(中略)アクティベーションは同じコボの端末で欧米だと3カ月くらいかかって70%に到達するので、それに比べると、大変うまくいっている」(楽天三木谷社長)

楽天三木谷社長の判断基準が3カ月で70%の製品が使えるようになることだと知って驚愕しました。

新品の液晶テレビを買ったら3ヶ月間は番組が見られないのが当たり前、新車を買ったら3ヶ月間はエンジンがかからないのも当たり前という認識です。
日本製品の凋落の原因の一端をかいま見たようでした。
楽天三木谷社長は物作りをしてはいけない人のようです。

書籍点数にも問題がありました。

「100万点が目標」だったタイトル数が、
「当初3万冊」になり、
「発売時には2万冊」しか実際には存在しなかった。しかも、そのうち1万2千冊がどこでも無料で読める青空文庫。しかも、1円と有料。
「2012年末までに20万冊目標」が8月時点で6万冊しかない。
点数を増やすことは良いことですが
「ヌード写真集やゲイ写真集などが増え」
「ギターコード譜が8月1日の6千点から同12日には1万3千点に増え」
「1枚しかないのに1冊と数える、ウィキペディアの人名ページを9月17日だけで342冊を書籍として揃える(執筆時点の10月2日には消えていました)」

など、まともな書籍がまったく霞んでしまうような作業状況で、「水増しだ」と怒る人も出現。

すべてにおいて後手後手に回る対応で騒ぎが収まる様子すら見えません。

電子書籍の話題はiPadからだった

電子書籍が話題になったのはiPadが2年前に発売された時からです。
あれから、電子書籍を提供する母体は増えました。シャープのように大々的にぶち上げたものの、一気にトーンダウンした企業もありました。

「電子書籍元年」と言われ続けていますが、電子書籍の市場規模は
630億円(2009年)→
670億円(2010年)→
629億円(2011年)
と、むしろ昨年は減少しています。
電子書籍の市場規模がペーパーバックを2010年に追い越したアメリカの勢いとはえらい違いです。

でも、アンドロイド・スマートフォンのアプリ販売所である「Google Play」では、日本語の電子書籍が販売されはじめました。
2012年9月26日現在、コミック128冊、IT109冊、ビジネス55冊、文芸44冊、合計336冊の和書が販売されています(青空文庫は無料)。

一方で、今回の記事を配信するきっかけとなったキンドル(アマゾン)の10月発売説が話題になっています。
iPadの登場では電子書籍がブレイクしませんでしたが、本家アマゾンとなると話が変わります。
もしかしたら、今度こそ本当に「元年になるかも知れない」。

【注】この記事の発表直後にキンドルの日本市場参入が発表されました。

なにはともあれ、これだけ話題になり、関心も高い分野なのに、日本の書籍市場がどう変わるかをきちんと解説、分析した書籍や雑誌が少ないのは淋しいばかりです。
「出版社の危機」や「出版はこう変わる」「出版社を通さない個人著者が増える」といったような業界寄りの話ばかり。

「だったら、自分で書いてしまおうか」が今回のメルマガ執筆の動機です。
私だって、出版業界に詳しくはありません。
けれど、いつものように「生活者の視点」に立って見るとどうなるのか、なりそうなのかを考えることはできます。
いくら素晴らしい技術でも製品でも、生活者を忘れた商品は売れません。
だったら、生活者に視点を置いた電子書籍の分析があってもいい。

今回の記事は、そんな視点をつらつらとお話ししたいと思います。
テーマは
「生活者から見たら、電子書籍ってどーなのよ」
です。

本を手に取った時の手触りは永遠の文化

まずは、いつものように、今現在、どんなことが言われているのかを整理してみます。
電子書籍賛成派の意見はとりあえず放置します。彼らの多くは煽ることで商売上、有利になるので、本気で言っているかどうかも怪しいところがあるからです。

それでは否定派はどうか。
よく、メディアや読書好きな人のブログなどで、見かけるのはこういった論調です。

●本というのは、手に取ったり、ページをめくる「紙の感触」も大切な価値なので、本が廃れることはない
●紙と印刷の文化は不滅だ
●本の読みやすさは書体やデザイン(文字の空き具合やページの配置など)が大切だから、電子書籍に負けるわけがない

ひとつひとつ議論していきます。
「紙の触感が大切」なのは、読書好きの私としては個人的に同感です。
しかし、かつて熱心な音楽ファンは「CDやジャケットの感触が大切で…」といってましたっけ。
もっと言えば、CDが出始めの頃「CDは情緒がない。レコードには針を落とす瞬間が…」などと言っていた音楽ファンも多くいました。
それでも、レコードはCDに破れ、CDはダウンロードに破れつつあります。

音楽ファンでもカメラファンでも、熱心な人ほど「手に取った時の感触」にこだわる傾向があります。
しかし、音楽の本質価値は手で触れない「曲」であって、それを包む紙でもプラスチックでもありません。それらはあくまでも「おまけ価値」です。
もっとも、「文化」というものは、「おまけ価値」にも価値を見いだすほど昇華した存在でもあるのですが。

一方、文化とは対を成す「文明」は、「音がいい」「使いやすい」などの本質価値だけしか認めない。だから、残念なことに文化は文明に負けてしまうことがしばしばあります。
「紙の触感が大切」議論だけでは紙の書籍が電子書籍に負けない理由にはなりません。

2番目の「文化は不滅だ」は反論しなくてもいいですよね。
「文化は時代とともに常に流れ、移ろうもの」ですから。
歌舞伎だって、いまでこそ伝統芸能とか高尚なもののように言われていますが、元々は出雲の歩き巫女(ジプシーのような女性たち。一説によると女忍者「くの一」だと言われます)が、歌舞く(かぶく=変わった、面白いという意味)踊りや歌を披露していた、いわば「女大道芸人たちの、庶民の人たち向けの芸」だったではありませんか。

また、歌舞伎が女性から男性に移った理由や男色のまん延などの歴史は、歌舞伎を崇高だとする人たちは眉をひそめ、知っていても触れたくない話題です。
紙の書籍が文化なのは認めますが、「文化だって変わる」ので、文化が紙の書籍がなくならない根拠にはなりません。

3番目の「紙の書籍の読みやすさ」は個人的には同感です。
ページ数が多い小説をパソコンで読むと目が疲れ、紙の本の良さを痛感します。
でも、一方でビジネス文書、ニュースなどはパソコンで読むことに慣れてしまった自分もいます。
ここでは、読みやすさだけは「紙の書籍が有利」とだけ結論づけておきます。

さて、「紙の書籍の良さ論調」を繰り広げる人たちには共通点があります。
それは、新聞や雑誌などの紙のメディアでは(商業的なネットメディアを含みます)、「文章で生計を立てている人たち」で、ネットでは「本好き」と呼ばれる人たちです。
どちらも「一般の人たちの代表的な意見」ではない。

それでは、一般の人たちの意見はどうなのか。
生活者を大きく分類すると、「本好き」、「活字好き(読書好き)」、「普通の人」の3つに分かれます。

「本好き」は、読んで字のごとし、「本という物体が好き」な人たちです。
本は普通の人たちよりも数多く買いますが、オーディオ(機器)好きが必ずしも音楽好きでないのと同じく、「本好き」が必ずしも「読書好き」とは限りません。
読む読まないに関わらず、本棚に並んでいる本を見て満足している人たちが、これに当たります。
「本好き」は、実態がなく手で触ることが出来ない電子書籍には興味ありません。

「活字好き」は、本やネットに関係なく「文字をたくさん読むことが好き」な人たちです。「活字中毒」という表現もあります。
だから、彼らは、私の新書のように「文字数が少ない本は700円の価値がない」と言い切ります。恐らく、詩集も彼らはお金の価値がないと言うのでしょう。

「活字好き」は字をたくさん読みたいので、読みやすくデザインされた紙の書籍の方が気持ちが良いと感じる傾向が強い。
従って、彼らもしばらくは電子書籍には移行しないでしょう。
ちなみに、「活字好き」は「読書好き」と重なる部分が多いので、ここでは一緒にします。

問題は、全人口の7割~8割を占める「普通の人」が電子書籍をどう見るかです。

捨てる手間は週刊誌で年間52回

その前に、今度は出版物を2つに分けて考えてみます。
「ストックとフロー」というマーケティングではよくある考え方を使います。
つまり「保管される出版物か(ストック)」「捨てられる出版物か(フロー)」を分けることです。

「ストック(保管)出版物」は単行本を中心とした「書籍」です。
専門書もここに入りますし、著名な作家が書いた小説や古典などもここです。
最近まで百科事典を書棚に並べてインテリア代わりにする家庭が多かったものですが、これも「ストック」の代表例です。

一方の「フロー(捨て)出版物」の代表例は雑誌です。
読んだら、あとは捨ててしまってもいい。占いや趣味の本などの実用書もここです。

電子書籍を考える場合、これら2つの分類が重要になります。
「保管される出版物(ストック)=書籍」は、「紙を大事」にし、「読みやすさ」を大切にし、「書棚に並ぶこと」を大切にする「本好き」がイメージする出版物です。
実際、書籍の販売数は「本好き」と「活字好き」に支えられています。
年間61冊以上書籍を読む人は5%しかおらず、年間5冊以下の人は52.8%もいることを見ても、その構造は想像が付きます。

彼らは一様に「電子書籍は普及しない」と主張します。
なぜなら「自分が電子書籍なんて好きになれない」からです。
そして、彼らが言うように「書籍」はしばらくは普及しないでしょう。
出版社がいくらがんばっても、買う人がいなければ売れないからです。

一方の「捨てられる出版物(フロー)」の主な購買層は人数が多い「普通の人」です。
彼らは、読みやすくて、持ち運びやすく、保管する場所も取らず、捨てるときに楽ならば、紙だろうがデジタルだろうが、はたまたiPad、キンドルでも、どうでもいい。
彼らが欲しいのは紙の束ではなく、雑誌に出てくるファッションの情報やビジネス情報、はたまたスマートフォンの最新情報、つまり「中身」だからです。
だから「中身」さえ掌握してしまえば、紙の束は不要になる。

そうなると、

●持ち運び
●保管場所
●捨てる手間

が有利な電子雑誌の方が紙よりもいい。
後は、電子書籍(雑誌)や電子書籍リーダーの価格が価値のバランスに合っていれば、完璧です。
そう。私は、電子書籍の普及のカギは「捨てられる出版物(フロー)」にあると見ています。

それら3点をひとつひとつ見ていきましょう。
保管場所の問題と捨てる手間は「読む雑誌や書籍の数」に左右されます。
1ヶ月に1冊の月刊誌しか買わない人にとって、捨てる手間は大した問題ではない。
でも、週刊誌1誌だと月刊誌の4倍も手間が増えます。3誌だと12倍に膨れあがる。捨てる手間は最大年間で150回になります。
新聞は朝夕刊で月刊誌の60倍の約700回。

ところで、書籍では様子がまったく違います。
雑誌・マンガを除く読書量の平均が年間12冊程度なので、月1冊読む人では捨てる回数は年間12回で済んでしまいます。

人間は賢いので、この捨てる手間をできるだけ省こうとします。代表的なやり方は、一旦、保管しておいて、まとめて捨てる。新聞が良い例です。
捨てる手間は軽減されますが、今度は保管場所の問題にぶつかります。

保管場所も同じ考え方です。
本棚のスペースにも家賃がかかっていますから、こちらは、お金で計算しやすい。
坪7千円の家賃なら(45平米で10万円程度)、本棚2~3本で年間10万円もかかってしまう。
それが、電子書籍だとゼロになってしまうのですから、後述する本体価格と通信費の年間費用なんて、すぐに元が取れてしまいます。
こちらも、捨てる回数と同様、書籍(ストック)より雑誌(フロー)の方がメリットが大きくなります。

保管場所、捨てる手間と続いて、最後のポイントは持ち運びやすさです。
持ち運びやすさとは、大きさと重さのかけ算ですが、新聞見開き大の電子書籍リーダーなんてありませんから、実質的には重さの問題です。

私のように電車で本や雑誌を読む人間にとって、重さは大切な要素です。
1冊1冊は大したことはなくても、数冊まとまると2kg~3kgにもなってしまう。
例えば、現在の私のカバンには最大で、雑誌4冊、単行本2冊が入っています。合計1.5~2.5kg。
これにパソコンや資料、携帯電話、カバン本体の重さが加わると6kgになることも珍しくありません。カバンの肩ストラップを使っていますが、帰宅して服を脱ぐと左肩が真っ赤ですし、服で擦れているので肩の皮膚がかさぶた状になっています
だから、普段は意図的に荷物を減らしています。

電子書籍になると、雑誌と書籍の重さ1.5~2.5kgが電子書籍リーダー本体の重さまで下がります。
キンドルなら290g、iPadなら650gです。スマートフォンで読むなら120g程度。
最大で1.8kgは大した差ではないと感じる人もいるでしょうが、私はスマートフォン15台をカバンに入れて毎日通勤したくありません。

ただし、重さには個人差や状況差があります。
年令が若ければ重さは気にならない。私も30代の頃は7kg~8kgのアタッシュケースを毎日持ち歩いてもまったく苦になりませんでした。
海外出張が多い人にとっては雑誌や書籍の重さは大切です。
1ヶ月の出張だからといって書籍を10冊もカバンに入れるわけにはいきません。海外だから駅でちょっと買う訳にも行かない。

女性も重さを気にします。
若い女性のバッグは男が想像するよりずっと重く「女性は非力」なんてウソだろうと思うほどですが、元々重いので、さらに重いのは敬遠したがる。分厚いファッション誌を買うのを控えるのはそのせいです。

結局、持ち運びやすさに関しては「個人差が大きい」が結論です。

年間228冊、雑誌を買わないと元が取れない

まとめる前に、もうひとつ。電子書籍の価格です。

「価格と価値のバランスが取れれば普及する」

と先ほど書いたので、価格の問題をスルーする訳には行きません。

多くの雑誌の価格は週刊誌350円から月刊誌700円まで幅広いですが、電子雑誌では週刊ダイヤモンドでは紙が690円に対して電子雑誌ではマガストアで700円。日経ビジネスは紙で980円が電子雑誌で900円とまったく変わりません。
このままでは計算ができないので希望を込めて週刊ダイヤモンド電子版が半額になったとします。350円。
書籍でも価格は似たようなものです。
ビジネス書の「99%の人がしていないたった1%の仕事のコツ」では紙で1,470円なのに電子書籍(紀伊国屋Book Web)だと同額の1,470円。
これも希望を込めて半額だとすれば735円。

iPadを例に計算をしてみます。
iPad自体の本体価格は5万円程度ですが、通信業者への支払いを忘れてはいけません。
ソフトバンクの定額プランでは月額4,725円。年間5万6千円です。2年で11万円。本体と合わせて16万円(2年間)です。
本体と合わせて年間8万円が総額だとして、元を取ろうとすると、年間換算で228冊の電子雑誌を買わないといけません。
月間にして19冊。

逆の計算をします。
2誌の週刊誌を定期購読する人なら、1冊当たり833円が「電子雑誌代金とは別に」かかってしまいます。本屋で700円の週刊ダイヤモンドが電子雑誌だと1,148円になる。

書籍だとどうなるか。
元を取るには、1,500円の書籍が半分の価格になったとして年間107冊、月にして9冊買わないと元が取れません。年間61冊以上本を読む人は4.9%しかいませんから、その人たちの一部しか恩恵を受けない
逆の計算で、月1冊読む人にとっては、本屋で1,500円の単行本が電子書籍だと8,889円にも跳ね上がる。

iPadの契約を工夫すれば、通信量が半額になることもあります。しかし、万人が工夫しないと行けない市場は市場ではありません。
第一、工夫したところで、現在は紙と電子では価格差がありませんから、永遠に元が取れない状況です。上の試算は電子書籍に有利になるように希望を込めて計算しただけですから、現状はもっと悲惨です。

あとは、先ほどお話ししたように、捨てる手間、保管場所、持ち運びやすさに対して、個人個人がどれだけの金銭価値を見い出すかです。
本棚の家賃分が不要になるから、それだけで年間8万円の価値があると思うかどうか。
携帯電話15台がカバンからなくなるなら、年間8万円の価値があると思えるかどうか。
そうでなければ、iPadで読む電子書籍はとんでもなく割高です。

ははぁ、これで納得しました。
iPadは

「電子書籍リーダーではない。いろんなことができるマシンだ」

と言わないと、日本では普及しないと、きちんと計算済みだったのですね。
うーん、賢い。

ちなみに、アメリカではキンドルには年間通信費がありません。電子書籍の価格に通信費が含まれているので、新たに本を買わなければ通信費は永遠にゼロです。
キンドル本体は3万円。アメリカの書籍は日本より高く2,000円~3,000円、電子書籍だと1,000円~1,500円です。20冊~30冊買えば元が取れる。ハードルはぐっと低い。

ここまでの計算は「通信費をiPad専用に支出するなら」が前提でした。無線LANをすでに契約している人なら、月々の通信費は余分にかかりません。本体価格の5万円だけで済みます。
2年間で週刊誌5誌を定期購読すれば元が取れる。3年目以降は紙と電子書籍の差額分が丸々お得になります。

だから、通信費用がかからない無線LAN対応で本体価格が安ければ、有利になります。
楽天のkoboは7,980円、ソニーは9,980円。どちらも無線LANで本を買えますから、通信費はゼロ。
本体価格だけなら、書籍で13冊で元が取れる金額。一般人の読書量でちょうど1年分です。雑誌なら28冊分。週刊誌の定期購読で2誌なら1年分です。

ただし、無線LANの普及率は通信白書によると2011年でまだ39%ですから、一握りの人たちしか恩恵は受けません。
また、書籍の購入に屋外で気軽にというわけには行きません。屋外の無線LANはほとんど有料だからです。無料LANを使うだけのためにスターバックスやローソンに行くのは「気軽」とは言いません。
アメリカでキンドルが普及した理由の一つに、本体単独で本を買えるようになったからだと言われています。
ここに市場拡大の壁が存在します。

これまでをまとめると、次のようになります。

●紙と電子書籍の値段が変わらない現状では、本体や通信費を考えると電子書籍の方が高くなる。

【(電子書籍の価格が下がったら)電子書籍のメリットを享受できる人たち】
●定期購読雑誌が数誌以上の人たちで
●無線LANを持っている人で
●彼らが購読する雑誌の電子書籍版が揃うようになったら

電子書籍は一気に普及するというわけです。

どんな人たちか。書店の雑誌や実用書コーナーに行けば、すぐに見つかります。
思いつくまま上げれば、
●ビジネスマン
●IT関連技術者
●カメラ・写真が趣味の人たち
●ファッション誌好き
などなど、きりがありません。

逆に、電子書籍が普及しにくいのは

【(電子書籍の価格が下がっても)電子書籍にメリットを感じない人たち】
●「保管しておきたい」書籍を良く読む人たち
●出版業界のプロ
●「保管しておきたい」種類の雑誌を良く読む人たち(マニア)

です。

こうやってみると、皮肉なことに、普及しにくい人たちが現在では発言力があることになる。
考えたら当然ですよね。今まで、出版というある種、特権階級にいる人たちが発言力を持っているのですから。
そして、その人達がまさに電子書籍が普及すると「蚊帳の外」に置かれてしまう。そりゃ、電子書籍に反対するわけです。

さて、ここで大事なことがあります。
電子書籍は雑誌の方が書籍より有利だとお話ししました。
だから、電子書籍は雑誌から普及させないと買う人が少ないという点。
ここにひとつの問題があります。
カラーです。

文字を追うだけならモノクロで十分です。だから、キンドルもソニーのリーダーもkoboもすべてモノクロです。書籍を中心に「書籍」で考えているのだから当然です。
しかし、本屋の雑誌コーナーに行ってみてください。
カラーページのない雑誌は文芸誌以外ほとんどありません。
キンドルもソニーのリーダーもkoboも雑誌を見るには不十分です。

しかも、雑誌は見開きを中心にレイアウトが考えられています。それを雑誌1ページの2/3くらいの小さな6インチ~7インチの画面で見ようとすると、拡大しないと文字すら読むことができません。

大半の電子書籍リーダーは雑誌を読むことを前提に作られていないのです。

出版社と生活者の「負のスパイラル」

それでは、明日からでも雑誌を次々と電子化し、キンドルカラー版で大型のリーダーが発売されれば、電子書籍は急激に普及するのか。
それは、「ちょっと待った」です。
いくつかの理由がありますが雑誌の電子書籍化の普及はそんなに早くないでしょう。

出版社は商売だから先行投資はする。だから、一定の数の雑誌は電子化される。
だけど、買ってくれる人がいなければ次の雑誌の電子化にブレーキがかかる。
出版社のガマンが先に切れるか、電子雑誌を買う読者が増えるのが先かのチキンレースになる。

詳しく説明しましょう。
1つ目の理由は購読雑誌の組合せの問題です。
例えば、佐藤さんは日経トレンディとPC Fan、週刊アスキー、週刊SPA!、週間ダイヤモンドを読んでいます。
価格のところで説明したように、このうちの1誌が電子化されたくらいではメリットを感じない。せめて3~4誌は電子化されないと電子書籍リーダーは買いません。

だから、「電子機器を買うことに抵抗がない人たち」でも、それまではリーダーを買わない。買わない人が多ければ、出版社は雑誌を電子書籍化するのに慎重になる。
その堂々巡りがしばらくの間、続くだろうと私は見ています。

2つ目の理由はターゲット人口の少なさです。
年間8万円の元を取ることができたり、無線LANを駆使できる人数は限られます。
彼らはヘビーユーザーですから人口の5%、500万人程度でしょう。
一見、もの凄い数に見えますが、消費人口9,000万人を相手に販売する現在の雑誌だって、せいぜい5万部~50万部の発行部数しかないわけですから、電子書籍では数千部、数万部しか売れなくても不思議ではない。

ただでさえ「不況なので確実に売れるものしか出版しない」と及び腰になる出版社は電子書籍化に手を出しにくい。

すると、一番目の理由に戻ります。
つまり、雑誌の電子書籍化が遅れるから電子書籍リーダーが売れない。
リーダー本体が売れないと電子書籍化も遅れるという「負のスパイラル」です。

18万点が普及ライン

それでは、どれだけ電子書籍の販売点数があればいいのか。
巷では、「5年後には100万冊を電子化」と掲げる出版デジタル機構が官民一体となって旗揚げされ、電子書店国内最大手「eBookJapan」は7万点、koboが約4万点とかまびすかしい気がします。
しかし、在庫点数の多さを誇るジュンク堂池袋店の取り扱い点数は約30万点です(冊数では150万冊)。
とてもではありませんが、電子書店の7万点なんて郊外のちょっとした中型書店並の品揃えでしかない。
これでは「今の電子書籍では欲しい本や雑誌がない」というのも納得がいきます。

そこで、アメリカの例を見てみましょう。
米国アマゾンにおける NewBook(紙の本)の点数は、およそ1,200万点。それに対して、KindleStoreでの点数は約85万点。この比率は約7.3%です。
私がよく使うクープマンの目標値の「存在シェア」6.8%に限りなく近い。

クープマンの目標値は普及率の目安にもなります。
詳しい話はシストラットのホームページを見てもらうことにして、簡単に説明すると、

●普及率が6.8%(12-13人に1人)になると、人は「最近、よく見かける」と感じる
●普及率が10.9%(10人に1人)になると、人は「持っている人が多い」と感じる
●普及率が26.1%(4人に1人)になると、人は「みんな持っている」と感じる

という訳です。
都内でのスマートフォンの普及率が約30%、iPodの普及率が約20%ですから、感覚をつかむことができるでしょう。

これはつまり、「世の中にある本や雑誌のうち」6.8%以上あれば、「(すべてではないが)かなり、欲しいものがある」という感覚になることを示しています。

これを日本の市場に当てはめるとどうなるか。
日本のアマゾンでの和書の取り扱い点数は約450万点。この6.8%は約30万点。
なんと、ちょうどジュンク堂池袋店と同じ数字になってしまったではありませんか。
アマゾンの点数をベースにするのはちょっと条件が厳しいので、ゆるめましょう。
書籍流通の大手トーハンのデータベースには絶版本を含めて260万点が登録されています。これをベースにすると6.8%は約18万点です。普通の大型書店並になりました。

さて、この18万点という数字は出版社から見るとどうなるか。次のデータはトーハンのデータベースでの出版社別の出版物点数です(雑誌は除くがコミックスは含む)。

講談社 約96,800点
小学館 約54,100点
集英社 約47,400点
【↑ここまでで19万8000点】
角川書店 約34,300点
岩波書店 約23,200点
新潮社 約20,400点
文藝春秋 約15,800点
秋田書店 約13,000点
宝島社 約8,900点

つまり、主要3社の出版点数を足し上げて、ようやく「(すべてではないが)かなり、欲しいものがある」という感覚になる訳です。

それと比較すると、既存の電子書籍の本屋さんの品揃えの寂しいこと。これでは電子書籍がブレイクしないのは当然です。

「では、どんどん電子書籍化すればいいじゃないか」と思いきや、出版社の懐事情もかなり影響しています。
ここでは、生活者からの視点で記事を書いていますから簡潔に言うと、トップの講談社で経常利益が6億円。小学館は18億の赤字。
仮に経常利益が6億円の講談社がすべての本を電子書籍化しようとすると、約240億円もの投資が必要になってしまいます。
成功するかどうかも分からないのに、利益の40倍もの投資ができるはずもありません。
かくして、電子書籍化は遅々として進まないのです。

電子書籍の普及はデジカメ型

電子書籍は音楽業界と比較されることが多い。
コンテンツを格納するハードがあり(紙とプラスチック)、それを取り扱う販売店があるのは共通です。
だから、音楽業界がiPodによって壊滅的状況に陥れられたように、出版業界もアップルやアマゾンを警戒します。

しかし、電子書籍はこと生活者の視点で見る限り、音楽よりデジカメに近いのではないかと私は思っています。
反論はあるでしょう。業態としての構造が電子書籍とデジカメでは違うからです。

でも、生活者の理屈で言うと、電子書籍とデジカメの見逃せない共通点があります。
写真の世界にも「ストック」と「フロー」という概念があるのです。
「ストックの写真」は結婚式、七五三、見合い、新婚旅行、家族旅行などの写真のように「記念として取っておくもの」です。
プロが頂点の価値観です。
「きれいに撮る/撮れる」ことが一番大切な価値です。

「フローの写真」は、スナップ写真などの日常のもの、仕事での記録程度の写真などです。HPやブログ、SNSなどへアップする写真の多くはこれに当たります。
「きれい」よりも「即時性(すぐ撮って、すぐ見れる)」が大切です。
雑誌のように「気軽に捨てる」訳にはいきませんが、かといって「ストック」写真のようにアルバムに整理してラベルもつけて保存するほどではない。一昔前なら束にしてゴムバンドでくくる写真たちです。

さて、ここからが大切です。
デジカメは「フローの写真」から普及しました。
前者の「ストックの写真」の頂点であるプロやハイアマチュア(上級者)は、しばらくデジカメをバカにして普及が大幅に遅れたものです。
(この構造は私独自のマーケティング理論で「ダブルイノベーター構造」といいます)

普及が遅れたプロやハイアマチュアたちの言い分も出版業界のプロたちとよく似ていました。

「フィルムの質感にデジタルは及ばない」
「シャッター音や持ったときのカメラの質感はフィルムカメラが圧倒的に上だ」
「フィルムの文化は不滅だ」

「フィルム」や「フィルムカメラ」を「紙の書籍」と置き換えれば、そっくりではないですか。

興味深いのは、デジタル写真革命では「フロー」から先に普及し、「ストック」は普及が遅れたという点です。
構造が同じ電子書籍でも同じ道を歩む可能性が高そうです。

いや、すでにネットが普及して「フロー」の出版物が浸食されています。
雑誌の売り上げが減少したのはニュースサイトやブログ、SNSなどのネットの影響だとも言われています。新聞は「フロー」の代表格ですが、ネットから打撃を受けている。

しかし、検索でたどり着いた記事をひとつひとつ自分で吟味して読んでいくのは大変な作業です。NAVERまとめや2ちゃんねるまとめサイト、はたまたウィキペディアやyahoo知恵袋などの質問サイトに人気があるのは「関連した情報を探す手間が省ける」からです。
雑誌もその手間を省いてくれる存在の一つであるハズです。

しかし、ネットに雑誌もあれば雑誌のネット版もある。だから、電子書籍がそこに入る隙がないという見方もあります。
一方で、それらの記事を見るにはパソコン、スマートフォンくらいしか選択肢はありません。
パソコンは移動中に見るのは回線の問題もあるし、バッテリーも続かない。スマートフォンでは1画面の情報量が少なすぎて読みにくい。

「活字好き」の人たちが4インチ画面のスマートフォンを使わず、10インチ画面のiPadや7インチ画面のタブレットで「自炊する(自分の蔵書をパソコンに取り込んで読めるようにすること)」のはそのせいです。

実際、4インチ画面のスマートフォンで長い記事や小説を読もうとすると、スクロールは頻繁にしないといけないし、ビールをおちょこで飲むように、すぐにお腹が一杯になってしまう経験を持っている方も少なくないと思います。

また、誌面の全体像が分からないので、雑誌サイトを見ても自分が興味を持つ記事を探すのに苦労する。だから、勢い「新着記事」や「人気記事」の中から読む記事を決めるようになってしまう。

紙の雑誌の大きさのメリットはまだあるのです。
そして、それが電子書籍リーダーのメリットにもなりうる。

まだまだ出版業界はやることがあるはずです。
本や雑誌の企画調査(どんな本が読みたいか)や、売上げに影響すると言われる本のタイトルに関する消費者調査(どんなタイトルだと興味を引くのか)もしないで「本が売れない」のは当たり前です。
また、そういう調査データがあるのに無視して、編集者が自分の好みで構成を決めてしまうようでは読者・購入者を考える姿勢とは言えません。

宝島社がマーケティングで進撃を続けていると言われますが、私から見るとまだまだマーケティングとは言えない状態です。それでも成功するのは、競合の他社がまったくマーケティングができていないからです。
競合相手が脆弱な今ならまだ間に合います。
これから来るであろう「本当の電子書籍元年」を制覇するのはどこか。個人的にとても大きな興味をもって見ていきたいと思っています。
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