■「ウルトラ富士ジャパン」??【ネーミング・コピー】 

artc20020201マーケティングでは様々な言葉や文字を使います。しかし、普段の私たちの生活とはまったく違う神経を使って言葉を選びます。
ここ最近続いた「どんでん返し」のストーリーではありませんが、ちょっと違った言葉の視点をお楽しみ下さい。
タイトルのUFJ銀行はほんの数行しか登場しません。税務署、銀行は刺激したくないですもの(笑)


コピーライターという商売

「おいしい生活」

西武百貨店の広告コピーです。このたった6文字で1982年の当時、2,000万円を稼いだ男がいました。
名前は…「糸なんとか」という人でしたが、忘れました(笑)

「走っているベンツの室内で、もっともうるさい音は、時を刻む電子時計の針です」

この1文で、世界的に有名な広告代理店を創設したアメリカ人がいました。

広告コピーは打ち出の小槌ならぬ、魔法の文字です。
だから、一時期、コピーライターがもてはやされました。コピーライター学校なるモノも乱立し、受講生が押し寄せる。

「仕事?コピーライターやってるんだけど」

といえば女性にもてる。
うらやましかったなぁ。

カタカナ職業が流行った懐かしきバブルの時代の伝説です。
この頃は、カメラマンやプロデューサー、ディレクター、スタイリストなども人気職種の仲間でした。

そのおかげで「感性でコピーを書く」ことが大流行しました。同時に「感性でしかコピーが書けない」コピーライターも多く輩出したことになります。
なんとなく、かっちょいいことばを羅列すれば、それが広告コピーになる。
たばこの広告で「頭の中で遊んでいました」と書けば、何百万円もの請求書が届きます。

バブルが弾ける寸前から失業するコピーライターが急増しました。当然といえば当然です。

「最近のクライアントはコピーを大事にしてくれない。
我々のコピーの良さが分かってくれない」

と捨てぜりふを残して、広告界を去っていく彼ら。

感性広告の代表格であるパルコも最近は「No image(もうイメージ広告は要らない)」と宣言しているほどです。あれがイメージ広告でないかどうかは、皆さんの判断にお任せしますが。

一方、コピーは「文字」なので、漢字とひらがな、そしてカタカナが書ける人間なら、誰でもできる気がする。

「この単語、好きじゃないんだよね。変えてよ」

と気軽にクライアントさんはおっしゃってくれるとコピーライターは嘆きます。
中には

「この言葉ってさぁ、品質が悪い印象を与えちゃうんだよね。
だから、やめてくんないかなぁ」

とあたかも「自分ではなく」「一般常識」のような言い方で修正を迫る担当者も出現します。

昔、こんなエピソードをメーカーに勤める友人から聞きました。

「ある広告で『い・か・す』という広告コピーが出てきたんだよね、広告代理店から。
『いかす』つまり『かっこいい』と『エッチな意味』を掛け合わせたんだと。
新商品のコピーとしてどうかなという気がしたんだけど、ま、私としては黙っていた訳よ。担当者じゃないし。
ところが、次に続く説明を聞いて、ムッと来たんだよね。
彼らが言うには
『六本木や渋谷で遊ぶ、高校生を代表とする若い女性の中で流行っていることばなんですよ』
だそうだ。
若い女性がそんなことばを使うなんて聞いたことがない。
それまで傍観していた私も
『本当だな?オレはそんなこと、聞いたことないぞ』
と確認したところ、代理店はいけしゃあしゃあと
『もちろんです』
なんて、答えちゃうんだな、これが。
あったま来たから、その会議の直後に担当者に
『おい、これから渋谷に行くぞ』
と引っ張って行ったんだわ。
彼は何が起きたか分からずに、目を白黒させて私についてきた。
渋谷ハチ公前に着いた途端、彼にこう言ったんだ。
『さあて、これから若い女性100人にインタビューだ。
まず第1問は<いかす>という言葉を知っているか。第2問。<普段、いかすということばを使うか>だ。
オレは半分、お前は半分の50人ずつな』
結果?もちろん、そんなことばを普段使っている女性は100人のうち一人もいやしないよ。
そのコピーが修正されたかって?
いいや。代理店との無用なトラブルは避けたいというんで、採用になったよ。
いやはや、事実でないことをしゃあしゃあと言ってのけるような広告コピーを変更することが『無用なトラブル』なんだとさ(笑)」

コピーライターにもクライアントにもれっきとした「プロ」はいます。
冒頭に上げたベンツの名コピーはデイビッド・オグルビーという、現在のコピーの基礎を作ったと言っても言い過ぎではないプロ中のプロの作品です。

また、私のメルマガにも優秀なコピーが何本も登場しています。

「いそがしいのは誰のせいだ。あ、僕のせいだ」
「サービス悪けりゃ、命取り~」
「記録に勝る、記憶はない」

プロとニセモノの違いは何か?良いコピーには何が必要なのか?
広告だけではなく、マーケティングには文字表現がつきものです。
今回はマーケティングにおける「文字」の役割を解説してみました。
紙面の都合もあるので、ネーミングとコピー(キャッチフレーズとパッケージの説明文)を取り上げました。

タイトルの「UFJ銀行」はこの記事のほんの一部です。
警察、税務署、銀行は怖すぎてメルマガのテーマにできません。私も人の子です(笑)

以前発表した「歌え水のように【サントリー】」はマーケティングの「音」を題材にしましたが、今回は「言葉」。同じシリーズと考えても良いでしょう。
では、はじまり、はじまりぃ~。

音が大事なネーミング

まずは文字数が少ないネーミングの話から行ってみましょう。
サントリーごめんねの記事の時もネーミングに紙面を大きく割きました。その時は「発声したときの音」が中心テーマでした。
ネーミングにおいて最も重要なのが「音」だからです。

しかし、ネーミングの「音」があまり売れ行きに影響しない商品もあります。その時、大切なのは「文字」としてのネーミングです。
ちなみに「音」が重要な位置を占める商品には特徴があります。

●発声することが多い商品

例えば、たばこは「マイルドセブンちょうだい」と声を出してたばこ屋さんに自分が欲しいモノを伝えます。
また、外に出して消費する(吸う)ことが多いので、新製品などは人の話題に乗ることが多くなります。
「えっ、これ何?初めて見た」
「ミスティっていうんだけど・・」
という会話です。

その時に覚えにくかったり、言いにくいネーミングでは、売上げにも影響してしまいます。従って、たばこは文字よりも音が大事な商品だと言えます。

●商品の存在を知った時と、買うときに時間差がある商品

例えば広告である商品を知ったとしましょう。
でも、生活者がスーパーに買いに行った時、その商品名を忘れてしまっては目的のものが買えなかったり、他社商品を間違って買ってしまう。つまり、メーカーとして大事な購買チャンスを逃してしまいます。
だから、広告によって商品を買ってもらうようなものには、記憶に残りやすいような名前をつけることが大事になります。

私が経験したものでは、「大きな野菜が入っているカレー」がありました。テレビ広告ではいかにもおいしそうだったので、スーパーに買いに行ったところ、どれがどれだか分からなくなってしまったのです。パッケージに、お目当ての「大きな野菜がゴロゴロ入っている」と説明が載っていれば、ヒントにもなったのですが、あいにくどれにも書いていない。
結局、買った商品には普通の大きさの野菜しか入っていませんでした。
実は今でもそのカレーの商品名を思い出せません。

●主婦をターゲットにしている一部の商品

以前もお話ししたことがありますが、主婦向けの広告はナレーションが命です。画面に文字(キャッチフレーズ)が入るテレビ広告には、普通の場合、それを読み上げることはしません。しかし、主婦向けの商品のテレビ広告では必ずと言って良いほど、画面の文字を読み上げるナレーションが入っています。

●スプーン一杯で驚きの白さに。アタックぅ~
●選んでカルカン、ネコまっしぐら
●プラーク・コントロールしましょ

なぜか。
一般的に主婦はテレビの前に座って、画面を見ることが少ないからです。例えば台所仕事をしながらテレビの音声を聞いている。アイロンをかけながらテレビをつけて、気になるところだけ手を止めて画面を見るといった具合です。
彼女たちに広告メッセージを届けるには画面の文字だけでは足りないのです。そしてその時に聞きにくかったり、覚えにくい商品名では広告の意味をなしません。

文字が主役のネーミング

一方で、文字が大事なネーミングにはこんな特徴があります。

●意味を伝える商品(広告費用が取れない商品)

このタイプの商品で、最も有名なもののひとつが「通勤快足」という男性用靴下です。
ムレにくい素材と縫製で、足の匂いが気になる男性のための機能性靴下です。このネーミングだと、どんな特徴をもった商品がはっきり分かります。

これがなぜ、良い例になるのか。
初めからこのネーミングなら、「あ、そうか」で終わってしまうのですが、実は、商品名を変える前は「フレッシュ・ライフ」というネーミングでした。
その頃は、売り上げも泣かず飛ばずだったのが、「通勤快足」にした途端にヒット商品になってしまったのです。

商品名はその商品の特徴(コンセプトと呼ばれます)を端的に表す最も大切な媒体のひとつであることを証明した例です。
他には「植物物語」「キリン一番搾り」「サラスパ」などがあります。
前者は植物成分でできたシャンプーとリンスであること、2番目は一番目に絞った麦汁を使ったビールであること、最後は「サラダのように食べるスパゲティ」という製品特徴を示しています。

●スーパーに陳列することで売る商品
(商品の存在と買う時の時間差がない商品)

これはちょっと説明が要ります。
スーパーやコンビニでは、グリコポッキーやメリットシャンプーのように広告をする商品もありますが、広告予算が取れない商品もたくさん並んでいます。それでも、きちんと売上げを確保している。
例えば、ペット用おやつのヘルシージャーキー、関東のうどん・そばメーカー、シマダヤの商品群などがこれに当たります。

これらの商品の特徴は、広告はあまりしないもののスーパーの棚に占める面積が極めて多いことです。広告で売るのではなく、売り場を占有することで売る。
例えば、関東ではシマダヤのうどんやそばの商品群は、そば・うどんコーナーの2/3を占めるケースも珍しくありません。

広告をしないわけですから、商品名を覚えてもらうよりも売り場で商品の特徴が分かれば良い。覚えやすい、発音しやすいネーミングよりも一目見て意味が分かったり、商品特徴が分かることを優先する訳ですから、文字が重要な要素となります。
「流水麺(水にさらすだけで食べられる、ざるそばやざるうどん)」が典型例です。

ちなみに、このタイプの商品はパッケージデザインも大切です。
ヘルシージャーキーのメーカー、ハヤシの商品にはすべて赤と白のストライプがほどこされています。だから、ハヤシというメーカー名は知らなくても、ヘルシージャーキーという商品名を知らなくても、「赤と白のストライプの犬用ジャーキー」さえ覚えてくれれば良いという発想です。

シストラットは最悪のネーミング

さて、どんなネーミングがいけないのかには共通するポイントがあります。
まず第一に上げられるのは、アルファベットの組み合わせです。
最近では三和銀行と東海銀行が合併してできあがったUFJ銀行が良い例(悪い例?)です。

理由は簡単です。
覚えにくいし、内容が想像できないからです。
ネーミングとしては最低評価の部類に入ります。
アルファベットの母国であるアメリカですら、早々と20年以上前から、頭文字の組み合わせは意味が分からず覚えにくい悪い例だと言われてきているのです。
英語になじみのない日本人にとっては、何をかいわんやです。

逆に言えば、生活者に覚えてもらうだけの広告費をかけられるのであれば、頭文字「でも」良いということです。また、業務用の会社は「広く名前を覚えてもらう」必要がないので、頭文字「でも」大した問題はありません。
IBMは業務用企業の典型です。

面白い話があります。
ペディグリーチャムやカルカンで有名な「マスターフーズ」は、その昔「エッフェム(ジャパン)」という社名でした。オーナー(Forest Mars)の頭文字であるF.M.をドイツ語読みしたものだと言われています。
この会社はペットフードの他にチョコレート(M&M’sやスニッカーズ)も作っているので、会社名は覚えてもらわない方が良いという事情がありました(だって、チョコレートを買ったら、肉や魚が入っていそうな気がするではないですか)。

ところが、日本での売上げが上がり、社員数が増えるに従って、「やりにくい」と社員から苦情が出てきたのです。
取引先への電話や領収書をもらう時に、聞き間違えて「SM(アブナイ方(笑))」や「(ラジオの)FM」と思われてしまうことが多いからでした。
「エッフェム」から「マスターフーズ」への社名変更はそういった事情があったという、嘘のような本当の話です。

ちなみに、「シストラット」はネーミングとしては最悪な落第社名です(笑)
言いにくいし、覚えにくいことおびただしい (^^;
商品特徴ならぬ、会社の業務内容すら分からない。
一見すると、危ないモデル・プロダクションと間違えられても仕方がない社名です。

私が独立した時には、まさか私の会社がメルマガで一般の人たちの目にさらされるようになるとは夢にも思っていなかったのでした。
コンサルタントなんて一部の企業に知ってもらえば良い。イメージではなく中身で判断すればよいと思っていました。実際、一般的な営業などまったくしないで済みましたし、これからもするつもりはありません。

それならば、むしろ覚えにくい変わった名前の方が印象に残るだろうという判断です。日本マーケティング戦略研究所なんて社名は掃いて捨てるほどいそうですもの(あ、検索エンジンで調べないように(笑))。
いやはや、私の読みが甘かったのでした。

ということは、覚えにくくて読みにくく、発音しにくい「UFJ銀行」は一般生活者のことなど考えていないということになります。「銀行」がついているだけシストラットよりはまだマシというものです。
まあ、現在の銀行の象徴的なジコチューの経営姿勢が露呈したと言うことですね。

面白いことに昔の三公社五現業のJR、NTT、JTはみんなこの「頭文字組」です。
正式名称はあくまでも、東日本旅客鉄道株式会社、日本電信電話株式会社、日本たばこ産業株式会社ですから、親しみやすい社名にしようとしたのでしょう。もっとも、彼らは皆「広告予算」が潤沢にありますから、頭文字「でも」良かったし、オリジナルの漢字名よりは確かにマシではあります。

では、どんなネーミングが一番良いのか。
発音の場合は過去記事でお話ししたように、「シストラットのネーミング原則」があります。
しかし、文字としてのネーミングの基準は戦略やターゲット、市場環境などによって変わります。一概に「これだ」とは言えません。

コンサルタントとして私が最も評価しているのは、実はJRのサービス・ネーミングです。

●スイカ
●オレンジカード
●イオカード
●トレン太くん

誰でも分かりやすくて覚えやすい。
この場合の「誰でも」は幼児から老人までを指します。
若者や中年といった「中途半端な『誰でも』」ではありません。
幼児から老人まででも覚えやすいネーミングなんて、そうざらにあるものでありませんし、意外に難しいものです。

単なる平凡な名前はたくさんあります。しかし、私のメルマガの最後にいつもついている「このメルマガの楽しみ方」で紹介したように、「(突き抜けた)偉大なる平凡人」には、そう簡単になれるものではありません。
国鉄からJRに社名変更された直後に「E電(首都圏の路線の総称)」という失敗作を排出してしまったことはありますが、多くは大変秀逸なネーミングなのです。

また、別な意味で私が評価しているのはたばこのネーミングです。
キャビン、キャスター、ミスティ、ホープなど、短くて覚えやすく、また余計な意味を連想させないネーミングが非常に多いのが特徴です。

もっとも、たばこも複雑な名前をつけてしまうと、たばこ屋さんのおばあちゃんたちが覚えられず、客の注文に応えられないという事情もありました。
20年前に発売されたたばこ、「シャンパーニュ」は、「シャンパン」や「チャンピオン」と混同され、たばこ屋さんが完全に名前を覚える前に、売れ行き不振で製造中止になったという笑い話があったといいます。
もっとも、現在は自動販売機からの売上げが半分近くを占めるので、デザイン重視のネーミング戦略でも良いのかも知れません。

コピーライターの資質は論理性

さて、ネーミングはこれくらいにして、コピーの話題に移りましょう。
感性が中心のクリエイティブの世界ではコピーライターは物事を最も論理的に考える職種です。もちろん、かつてのバブル時のように、感性だけで勝負しようとする勘違い組も多いですが、他の視覚系(スチール、ムービー)よりも感性派の人口比率が圧倒的に少ないのが特徴です。

昔、私がクライアント時代に、ある広告プロデューサーがこんなことを言っていました。

「森さんも知っているように、プロデューサーの大半はクリエイティブの現場出身者ですよね。
コピーライター、グラフィック(ポスターや雑誌などの写真を使う広告。「平面」「スチール」とも呼ばれます)、ムービー(テレビ広告のように動画を扱う広告)の3種類の出身分野がある。
そのうち、最もプロデューサーに向いているのはどれだと思いますか?」

「うーん。やはり派手な分野のムービーかなぁ」と当時の私。
「いいえ、違います。
プロデューサーの役割とはコピー、グラフィック、ムービーを統括して1つの商品の世界を作り、それをできるだけ魅力的にターゲットである生活者に見せることですよね。
その時に大事になる資質というのは、『生活者にどう見せるか』を理解したり、作ったりできること。
それはつまり全体戦略です。
戦略は感性ではなく理屈の側面が非常に強い。
すると、向く分野と向かない分野が出てくるわけです」

「ほう。出身分野によって、差が出てくるのですか」
「はい、そうです。
人にもよりますが、総体的にコピーライターが一番向いています。
コピーはコンセプト(開発意図やセールスポイント)に一番近いものだからです。
ムービー出身プロデューサーの私としては、それが一番苦労している部分なんですよ、本当は」

屈託のない笑顔を浮かべて、彼は笑っていました。
彼はマーケティングを理解しているクリエータとして珍しい存在だったので、「苦労している」と聞いて驚きが大きかったのを覚えています。

もちろん、彼が言うように個人差があります。
コピーライターがすべて論理的な思考を持っているとは限りません。
私の友人のコンサルタントがこぼしていました。
彼はトップ3に入る大手広告代理店から仕事があり、広告戦略を作った時、そこにいたコピーディレクター(プロデューサーの下、コピーライターの上に位置する中間管理職)からこんな発言がありました。

「これは、気にくわないな」
「なぜですか?」
「フレーズになっている。気に入らない。この戦略はダメだ」

彼は耳を疑いました。
「フレーズになっている」というのは、「キャッチフレーズのようになっている」という意味です。
つまり、そのコピーディレクターはマーケティング担当のコンサルタントが彼の聖域に入っているから、戦略の内容の善し悪しは関係なく、気にくわないと言っているのです。

コンサルタントの文章を広告のコピーに使えと言っているのではありません。
あまりにも、クライアント不在の非論理的なわがままにあきれ果てたところに、その代理店の部長が

「マーケターは、大なり小なりコピーライティングの素質が必要だ」

と助け船を出してくれたので、彼はケンカをせずに済みました。

「これが日本でも屈指の広告代理店だと思うと情けないよ」

彼は、その後、代理店からの仕事をほとんど断っているそうです。理由は違いますが、私と似たような方針です。

「新スタンダード」の悪いクセ

さて、マーケティングから見たキャッチコピーの良い例はいくらでもあります。そのほとんどは、生活者に「商品に興味を持たせる」「手に取ってみようかなと思わせる」「買う気にさせる」ものです。
それをひとつひとつ上げるのも大変なので、今回は悪い例を挙げましょう。

その典型的な、良くある間違いは

「新スタンダード」
「これからの新基準」

といったコピーです。
読者の大半は生活者なので「当たり前じゃん。こんなキャッチコピーで買う気なんか起きないよ」と思うことでしょう。
しかし、こういった間違いは広告の歴史が続く限り何回でも起きてしまう。

それでは、何が間違いか。

「新スタンダード」と言っている広告のほとんどが、
「今までとは違う」と言っているモノの、
「どう違うか」は言っていないからです。

従来のものを否定しているだけ。
人間でも良くあることですよね。現状に文句は言うけれど、
「それではどうすれば良いか」
の建設的な意見は全く出てこない人。
相手をこけおろすことでしか、自分の優位性を表現できない人。

これと全く同じことが広告の世界でも起きてしまいます。
原因は何か?
そういうコピーだとクライアント企業が「何だか凄い商品のように見える」と思うからです。自分の会社の新製品が、その分野のスタンダード、基準だと言われると「すごい」「売れる」という雰囲気になる。
自尊心をくすぐられてしまうのです。

広告代理店を責めるのはお門違いです。
1つには、そんな中身のないキャッチコピーにゴーサインを出す判断の甘さは、クライアント企業の勉強不足が原因です。

もうひとつの理由は、中身のない商品を出すからです。
代理店の中には、良いコピーが出てこないために、ごまかしのコピーとしての常套手段、伝家の宝刀を出したということもあるかも知れません。しかし、まともなクリエータは商品に良いところや生活者の琴線に響くポイントがあれば、それをキャッチコピーにするものです。

つまり「新スタンダード」という逃げ方は、どうしても「商品の良いところが見つからない」ことを意味します。従って、「元々、そういう特徴のない、『出しておけば売れるだろう』という安直な商品を出す」クライアント企業自体に問題があるということです。
広告代理店が「新スタンダード」をコピー案に持ってきたら、まずは自分の商品がそんなに魅力に乏しいのかと疑った方が早いというものです。コピーライターや代理店が怠けているかどうかを疑うのはその次です。

似たようなものに「今までの常識は通用しない」なんてのもあります。
広告コピーではなく、企画書に良く出るパターンです。

ユニクロがまさかの売上げ減。
今や中小企業が元気で大企業倒産の時代。
パン屋の大半は自分でパンを焼いて、それが売れる時代。

だから、今までの常識は通用しない。
だから、今までのタブーに挑戦。

…という訳です。
間違った事実認識と(中小企業より大企業の方が倒産する?パン屋の全部が釜を持っている???)、「何が起きるか分からない」までは良いとしても「だから、何をしても良い」と自分のやりたい方向に強引に持ってくるやり方は疑問です。まったく因果関係がない非論理的で、間違った情報で煙に巻く。
ここ半年間に5件もこんな事例を見たので、怒るより先に笑ってしまいました。

実はこんな前段階のプレゼンの企画書から出てくるのが「新スタンダード」だったりもします(笑)
アバウトな論理構成からはアバウトなキャッチコピーしか出てこないのです。

同じハンバーグなのに味が違う?

さて、マーケティングの分野で関わりが深いのは、キャッチコピーよりもパッケージの説明文です。
キャッチコピーはクリエータが自分たちのクリエイティブ力を発揮する場なので、こだわりがあります。従って、必然的にマーケティングとぶつかることが多い。
しかし、商品の説明文はコピーライターが比較的軽く見がちな分野なので、マーケティングの意見が通りやすいという特徴があります。

実はキャッチコピーと同じくらい購買に結びつく力を発揮するのがパッケージの説明文なので、マーケティングとしては社内交渉の余計な手間がかからずに、戦略に忠実に生活者の買う気を刺激できるのです。

例えば、まったく同じハンバーグを2つ用意します。
1つは「おいしいハンバーグ」とだけ箱に書いてある。
もうひとつは「●●産のリブロースだけを使った…」といううんちくを書きます。

まったく同じハンバーグなので同じ味がするはずです。
ところが、「おいしいハンバーグ」よりも「●●産…」の方が、「コクがある」「風味が良い」といった意見が生活者から多く出てくるのです。しかも、「次に食べるならこちらが良い」とまで言う。
パッケージの説明文のチカラをまざまざと見せつけられる好例です。

ただし、本来は説明文は広告コピーと同じであることが望ましいのです。
大きな野菜がキャッチコピーなのにパッケージに何も書いていなければ、他の普通のカレーと見分けがつかず、買いたくても買えないからです。

ちなみに、マーケティング的に言えば、コピーライターはキャッチコピーの上手い人より、ボディコピーの上手い人を優先します。
キャッチコピーは広告と一緒に流れ、流行語を生み出すことも多いので派手です。また、コピー大賞といった賞はキャッチコピーがほとんどなので、賞が欲しい多くのクリエータはキャッチコピーの方がエライと思っています。

しかし、キャッチコピーはたった1行の文章なので、フロック(偶然のヒット)も多いのも実情です。ましてや、現代の生活者のように、「ピンと来たからおしゃれだい!」といった浮ついた姿勢で商品を見ていないだけになおさらです。

ボディコピーをきちんと書ける人こそ、マーケティング的には「最良のコピーライター」です。

ドーナツで一番大切なのは、真ん中の穴

文章の力をあなどってはいけません。
素人さんと分かっている人(プロとはいいません)の大きな違いは、素人さんはビジュアルを大事にしようとするのに対して、分かっている人はコピーに力を注ぎます。

私たち生活者は無意識なのでピンと来ませんが、例えば、流行語はたくさんあっても流行したビジュアルというと、せいぜいがこんな程度です。

●オー・モーレツ(菊川怜ではなく、小川ローザです)
●エリマキトカゲ
●サントリーのアニメのペンギン
●レナウン・イエイエ・ガール
●ウォークマンのサル

古い例ばかりなのは、私が古い人間だからではありません。
流行語と違ってビジュアルは、そう簡単に「歴史に残る」例がないからです。

先のハンバーグの例も文字の力を端的に物語っています。
音楽でも歌詞の力は大きい。曲もいいけれど、歌詞がよいからファンになる人は多い。
また、恋愛の世界でも、心に響いた瞬間はビジュアル(情景など)もあるけれど、「言葉」の方が印象が強いという人が多くいます。
「相手をイヤになる」のも「ちょっとした一言が引っかかった」のが原因だったりします(個人的に思い当たる節がたくさんあります (笑))。

実演販売で包丁などを売っているプロも、「一番気を遣うのは、口上の内容だ」なのです。実演販売なのだから「見せること」が一番重要だと思うと、実は間違えます。口頭ではあるものの「ビジュアル」より「文章」の方が「買わせる力を持っている」というわけです。

もちろん、文章が万能だとは言いません。
ビジュアルと合わさった時に、大きくその威力を発揮することが多々あります。
いずれにしても、マーケティングや「ものを売る」時に、文章をあなどってはいけないことは確かです。

ある昔話があります。
中国の話です。
本を読んでいる皇帝の目の前で車輪作りの職人が作業をしていました。
皇帝が彼に話しかけます。

「うむ。この本は真実を説いている。お前も読むのがよかろう」
「お恐れながら、本には真実はないと思います」
「なぜだ。その理由によっては首をたたき落とされよう」

「私は車輪を作っています。その中で最も大事なのは、心棒が通る穴です。
穴が大きすぎると心棒が外れてしまう。でも、小さすぎると心棒が通りません。
私には何百人もの弟子がいます。彼らに車輪の外側の作り方を言葉で教えることはできます。しかし、心棒の穴の大きさを教えることはできません。
それは弟子たちが自分の身体で覚えなければならないことなのです」

職人は首切りを免れただけではなく、大層な褒美をもらったとさ。

別な話があります。

「私は詩人だよ。だから、言葉を紡ぐのが私の仕事。
でもね、言葉では自分の気持ちを正確に伝えることができないのは、良く分かっている。
だけど、できるだけ近い言葉を束ねることで、気持ちの周りを埋め尽くすことはできる。ドーナツのようにね。
そう、ドーナツで一番大切なことは、真ん中の穴なんだ」

マーケティングは哲学や文学ではありません。
しかし、人という存在を相手にしている限り、言葉の持つ力と限界を知ることは、マーケティングを理論だけでもてあそぶ学問にしないためにも大事なことです。
ましてや、企業が活動する、ものを売るためには絶対に必要なことでもあるのです。

【使用画像】RENOWNINX
signature




こちらの記事もどうぞ


 
この記事はいかがでしたか? 今後の参考のために教えて下さい。

メールアドレス
(匿名アドレスの場合は
そのまま送信してください)
ご感想 かなりおもしろい
ややおもしろい
どちらともいえない
ややつまらない
かなりつまらない
わからない
コメントがありましたらどうぞ
【ヒミツ】等と書いて頂ければ公表はいたしません。
ご安心下さい。