■サルにもわかるプレゼンテーション・企画書講座 その3 完結編

■サルにもわかるプレゼンテーション・企画書講座シリーズ

パワポ

大きな反響、ありがとうございました

昨年12月に予告編を発表して以来、予想だにしないほどの反響があった「サルにもわかるプレゼンテーション&企画書」も初級編の大詰めを迎えました。
お寄せ頂いた数多くの読者からは「参考や勉強になった」とお褒め頂きました。
嬉しかったのは、その大半が学生さんや20代の若手社員だったことです。20代は読者構成比約20% (トップの30代が約50%) と決して多くない層であることから考えると、記事は大成功だったといえます。

また、クライアントと同時に読者でもある方からは

「びっくりしました。こんなにノウハウをばらして、他のコンサルタントが困るのではないですか?
プレゼンテーションだけで飯を食っている人も多いのに」

と言われてしまいました。この方は以前、大手外資コンサルティング会社に在籍されていた経歴を持っていますので、尚更そう感じたのでしょう。

もちろん、私には同業者の邪魔をする気はまったくなく、言われた私がびっくりしました。プレゼンテーションは1つの立派な技術ですから、それで飯を食うこと自体は否定しませんが、前回の記事はあくまでも初級編です。それを公開されて困ってしまうようなコンサルタントなら、飯を食う資格すらありません。

そんな反響の元、「予告編 (1999年12月)」「プレゼンテーション編 (2000年2月)」と続いたシリーズはこの記事で一通り完了です。今後、自己啓発シリーズのネタがなくなったら中級編の公開を考えていますが、まずは中締めです。

今回も出血大サービス。惜しみなくノウハウを公開します。
ええい、全部持ってけ、ドロボー (笑)

この記事で取り上げる企画書はこんなもの

まずは、ここで取り上げる企画書とはどんなものかを説明しなければなりません。というのも、企画書は名前は同じでも業界や企業によって内容が全然違うからです。
例えば、私たちのコンサルタント業界では一般的に企画書は、契約の前段の仕様書を指します。

「プロジェクトを遂行するにあたって、こういう視点で考えます。それに当たって、おすすめの調査手法や分析手法はこれこれです」

ということを記述した冊子です。

従って、枚数は40枚程度と短いものになります。
しかし、例えば広告代理店でいう企画書は、私たちにとって「報告書」あるいは「戦略策定書」というような名前で呼ばれます。枚数も数百ページにおよぶのは日常茶飯事です。

また、「企画書は1枚でまとめること」といった制限が付いている企業もありますし、例えば雑誌や書籍の編集者が企画会議に提出する企画書も1~2枚の簡単なものです。
最後に、企画書には文字がびっしりと書いてある「文書原稿」と概念図を多用している「OHP原稿」の2種類があります。

これらすべてを少ないスペースで網羅するわけにはいきません。
従って、ここでは「企画書」を次のものと定義します。

●企画書は「分析」「報告」「提案」などの機能を持つもので、ページ数に関わらず説明に最低30分は必要とするもの
●原稿スタイルは聞き手に対してより効果が高いOHP原稿とする

要するに私が普段提出する報告書や戦略立案書をイメージしています。
なぜなら、私の持っているノウハウは、メーカー時代から「商品開発」「広告開発」「販売促進開発」などのマーケティングに関わるものに限られるからです。

雑誌記事の企画を通すための企画書や、商品アイデアだけを記述している企画書については、申し訳ありませんが、この記事を参考に読者の皆さんが各自で工夫してみてください。

もうひとつ前提があります。
この記事では戦略構想、アイデア、分析などは事前にきちんとできあがっていることを前提とします。

市販の「企画書の書き方」の中には、企画のひねり出し方や分析の仕方を混在させているものも少なくありません。一方、私は企画やアイデアそれ自体は薬、企画書やプレゼンテーションは注射器や錠剤などの薬を飲む方法とそれぞれを分けて考えています。創出する能力と伝達する能力は別々のものだからです。

そして、最後のお断りです。
メルマガの構成上、前半は本当の意味での初心者向けの3つのノウハウを紹介しますが、後半の5つは中級者に足がかかる感じになってしまいました。プレゼンテーションのテクニックは初心者から上級者まで幅が広いのですが、企画書はどうしても初心者卒業寸前くらいからでないと書けないからです。

実際、シストラットでもプレゼンテーションは早ければ入社半年目くらいからデビューさせますが、企画書は早くても3~4年目でないと任せられないからです。

【第1章 : 企画書体裁編】
#1 : 1枚に100文字以内に収めよ

初級編は企画書の中身ではなく、外観に重視が置かれます。
その第1弾がこれです。

100文字というと1行20字の個条書きが5本です。
かなりシンプルなものに仕上がります。
例えば、次の例で大体100文字強です。

これを1枚のシートにして、プレゼンテーションでは1分間で説明するというリズムになります。

100字の文章量と1分間のプレゼンテーションは、予告編でお話ししたように、「あるある大辞典」のような情報娯楽番組のリズムなのです。言い換えれば、現代人が最も心地よく感じるリズムです。

さて、100字を越えて文字が多すぎると何が起きるか。
まず、文字が小さくなって読みずらくなります。その分、プレゼンテーションでの最大のポイントである「相手を疲れさせないこと」から外れてしまいます。

もうひとつ。
文字が多いと聞き手は文章を読んでしまい、プレゼンテータの話を聞いてくれなくなってしまいます。その分、プレゼンテーション効果が薄れてしまうだけではありません。後述するように、文章を読むだけで内容が分かるなら、わざわざ説明者が同席してOHPスクリーンの前でとうとうと喋る必要がなくなります。時間の無駄です。

「では、わざとわかりにくく企画書を作るのか」ということでもありません。
プレゼンテーションは音声と視覚の調和で相手にメッセージを伝達するものです。
音声は発した瞬間に消えます。その特性を利用して、説明という多くの量のメッセージを伝達します。

一方、視覚であるスクリーン上の企画書は数10秒とはいえ目の前に残ります。しかも、人間は視覚を通じて外部情報の70%を得る動物ですから、視覚はそれだけインパクトが強い感覚です。
すると、視覚によって多くの量のメッセージを伝えようとすると趣旨が分散したり、混乱が生じる危険性が出てきます。従って、視覚は重要なポイントだけを提示するために使うのです。

【第1章 : 企画書体裁編】
#2 : 書体選びは意外に大事

書体のサイズが大きいと読みやすくはなりますが、48ポイントのような大きな書体だとA4のOHP1枚に50文字くらいしか入りません。これでは、1ページの説明時間は30秒。つまり、せわしなくOHPをめくっていかなければなりません。

24ポイントの書体は100文字くらいの文字数でA4に収めるには丁度バランスが取れている大きさです (マックの場合です。ウィンドウズは23ポイントといった奇数になります)。

また、書体に関していえば、ゴシック体を使うのには意味があります。
1つ。ゴシックは明朝と比べて力強い書体なので、企画書の印象が強く頭に残るからです。
もうひとつ。日本人にとってゴシックは「見せる書体」、明朝は「読ませる書体」だからです。

元来ゴシック体はブランド名や店名などの短い文字数で使用するように、線の間やプロポーションがデザインされています。つまり本来、見せるために開発された書体なのです。
一方、明朝体は長い文章でも疲れないように開発された書体です。

従って、新聞や雑誌などの本文には明朝が使われることが多く、タイトルにゴシックが使われることが多いことから、私たちが、その使い分けに慣れてしまっているというのも大きな理由です。

すると、先ほど説明したように「読ませる」のではなく「見せる」ためにはゴシックが適しているという理屈です。

企画書は「読ませる」のではなく「見せる」。そして、プレゼンテータの説明が主役という考え方を徹底させると、このような書体選びになるのです。

【第1章 : 企画書体裁編】
#3 : 概念図を多用せよ

企画書で大切な「ひと目、ひと言、なるほど」を最も効果的に引き出すには、文字ではなく概念図が効果的です。
単純な図形の組み合わせをうまく利用すると、100の言葉を代弁してくれるからです。また、概念図は1枚のシートをシンプルにするには極めて便利だし、構造も把握しやすくなります。

例えば、私はイノベーター理論をアレンジして概念図化しています。
イノベーター理論とは、生活者にはオピニオンリーダーやマニアのように、他人に先駆けてその商品を買い、周囲に広げてくれる人たちがいることを解説したものです。例えばインターネットやパソコンがその代表例ですし、ファッションもイノベーターから大衆に流行が移っていく好例です。

そのイノベーター理論の提唱者であるロジャースは、真ん中が高い山のような曲線グラフで、左端の数か少ないグループがイノベーター、真ん中の数が多いのが中庸グループというように、数の大小の概念しか表現しない図で説明していました。

それを私は、三角形の図に変えて、頂点の小さい三角がイノベーター、下の台形が大衆と表現し、それぞれに下へ伸びる矢印をつけました。
ロジャースと比べて、若干、正確さを欠きますが、イノベーター理論で重要な

「イノベーターは数は少ないが、大規模の大衆に影響を与える」

ことが一目で理解できるようになっています。「ひと目、ひと言、なるほど」を重視した結果です。

良くできた概念図は同時に、覚えやすいという利点もあります。シンプルな三角と矢印だけで構成されているので、記憶に残りやすいのです。パッケージデザインとまったく同じ基本理論を使用しています。

概念図を上手に作れるようになったら一人前というのは言い過ぎですが、真実をついた側面であることもまた事実です。

【第2章 : 企画書構成編】
#1 : 企画書はアメリカ、ハリウッド映画だ

さて、外観を飾る企画書のテクニックは以上の3つです。
ここから、企画書にとって最も重要な「どう構成するか」という点に移ります。初心者というより「中級者に限りなく近い初心者向け」です。

本業で、企画書を作るに当たって、私が一番神経を使うのは

「どういうストーリーにするか」

その1点です。

事実や考察を単に並べるのではなく、企画書の内容をストーリーとして因果関係やドラマチックな展開を意識して盛り込むのです。それによって、聞き手の注意が喚起できますし、記憶に残る割合も高くなります。

企画書は「こうである」「こうあるべき」「オススメはこれだ」を相手に伝えるためのものです。
だから、まずは記憶に残って欲しいメッセージをいかに伝えるかが重要になります。

そのための手法として

「繰り返して強調することで記憶に強引に植え付ける」
「強調したい部分をインパクトのある書体やサイズで表現する」

のもひとつの手です。これらは私も使うテクニックです。
でも、これらのテクニックはあくまでも相手に力技で押しつける方法です。

例えて言えば、グリム童話のように、旅人のコートを脱がせるのに北風さんがコートを吹き飛ばそうと努力するようなものです。旅人は飛ばされまいとしてコートのはじをしっかりつかんで放さない。太陽さんは気温を暖かくして旅人が自主的にコートを脱ぐように仕向けます。

ストーリーの工夫による「重要ポイントを覚えてもらう」テクニックは太陽さんの技法と同じです。相手が自主的に「よし、これはポイントだから覚えておこう」と自覚してもらうようにし向けることなのです。

ところで、ストーリーには起承転結が大事だと言われます。
これを企画書に当てはめるとこんな感じになります。

「前段、プロローグは何を言うか。単なるあいさつではなく、この企画書からどんなことを受け取って欲しいのか」【起】
「本編はどう整理するか」【承】
「クライアントが思ってもみなかったこと、あるいはもやもやしていたけど私の整理で『そうそう、それが言いたかったんだ』と思ってもらえるポイントはどれか」【転】
「最終的に、この企画書で最も重要な点は何かをもう一度整理する」【結】

でも、これだけでは印象的なストーリーにはなりません。
起承転結がありさえすれば、感動する映画や小説が作れる訳ではないのとまったく同じ理屈です。

そこで私が参考にするのが映画や小説です。
冒険もの、恋愛もの、推理もの、戦争ものなど、様々なスタイルを企画書に盛り込みます。
例えば、推理ものならこんな風な構成になります。

●事件があった【対象商品が売れないという事実があった】
●状況証拠や聞き込みをする【調査から関連しそうなデータを抽出する】
●集まった情報から容疑者候補を複数割り出す【考えられる原因をリストアップする】
●それぞれの容疑者に対して、アリバイ、犯行動機などを1つ1つ検証する【原因に対して、マーケティング理論や心理学そしてデータから、シロなのかクロなのかを判断する】
●真犯人、あるいは犯人グループを特定する【売れないことの関わり度合いによって、原因に優先順位をつけて、解決方法を提示する】

【 】内の文章だけを読んでいると、市販の教科書に載っているようなことです。どこが違うのか。実は各ブロックの繋ぎ目と企画書の言葉選びにその差が顕著に現れてきます。

例えばこんな風に繋ぎ目ができあがります。容疑者候補の割り出しを終えて、アリバイ、犯行動機の検証に移る場面です。

【通常のパターン】「考えられる原因をリストアップしました。さて、そこで次はそれぞれについて『どれがどれだけ売れない原因に関わっているのか』を見ることにしましょう」
【推理映画をイメージした場合】「さて、ここで犯人候補が上がった訳です。次にやることは?そうですね。それぞれの容疑者に出頭をお願いして、取り調べを行うのが定石ですよね」

何が違うか?通常のパターンはあくまでも、マーケティング戦略立案に至るまでのプロセスを知っていなければ、次にやることがイメージしにくいという欠点があります。

一方、推理映画なら聞き手は身近に親しんでいますから、次のステップが簡単に想像できるし、その情景も何となく頭に浮かんできます。
狭い部屋でライト1本。刑事が怒鳴ったりしんみりと故郷の母親のことを口に出したり。はたまた、カツ丼が目の前に出されたり。

古典的な推理ものが好きな人なら、パイプをくわえてハンチング・キャップをかぶったちょっとでっぷりした探偵が、犯罪現場の豪邸の北欧家具に囲まれた1室で、登場人物を目の前に1つ1つ質問をしていく光景が目に浮かびます。

もちろん、企画書は娯楽ではなくビジネスに関連するものですから、これらの情景を聞き手の頭に浮ばせるのは一瞬で十分です。やりすぎると逆効果になります。

でも、この一瞬の親しみとそうでないひっかかりの差は、たった2時間の短い企画書やプレゼンテーションでは、聞き手の記憶に残ったり印象づけられることに大きく影響することも確かです。

企画書でのことば選びも同様です。さすがに「犯罪」ということばは使いませんが、「犯人」「証拠」「動機」「取り調べ」などの単語は企画書の中でも有効に使うことができます。
戦争ものなら「攻略」「パラシュート部隊」「弾薬・食料の補給線」といった言葉が上がってきます。

ストーリー作りとは、相手の頭の中にどれだけ具体的なイメージを描いてもらうかの勝負とも言えるのです。

【第2章 : 企画書構成編】
#2 : プロは30分に1回の山場を作る

映画や小説では、いくつかの見せ場を用意し、次の展開への興味を引くことで観客や読者の興味を持続させる構成になっています。また、一方で、興味の糸をあえて緩ませて、次の山場に備えることもテクニックとして多用されます。

企画書をストーリーで語るということは、同じように山場もいくつか用意することも意味します。ただし、山場は多すぎても印象が散漫になるし、少なすぎても間がだれてしまいます。

聞き手個人個人で企画書の内容に対する興味の度合いが異なりますので、その数や山場間のタイミングも異なりますが、経験上、私は30分に1回の割合で山が来るように章立てを調整します。枚数で言えば30枚に1回。2時間の説明なら4~5つくらい。1時間なら2~3個が理想です。

ここでいう、山場とは、聞き手が

●ほう、そうだったのか
●え?そうなの?
●あ、やっぱりね

という反応を示す事柄です。
これらには新しい発見もありますし、今まで考えていたことを理論的に整理されたと満足する場合や、今までの疑問が解消されたというすっきり感も含みます。

【第2章 : 企画書構成編】
#3 : 相手を知ることが上手な企画書への近道

ということは、企画書を書く際に、相手の反応があらかじめ予想できていなければなりません。
企画書の上手下手の境目はこの点だと言い切ってもいいでしょう。

相手のニーズに答えるという一元的な尺度ではなく、相手の反応を先回りして読むという感覚です。これを言ったら驚くだろう、これは喜ぶな、これは言い過ぎると危険だ、これは普通に言っても気がつかないから怒る寸前くらいまで強く言ってしまおう。
乱暴な言い方をすれば、クライアントとの心理戦。それが企画書です。

ということは?そうなんです。相手が分からないで企画書は書けないということです。
私が最も苦手なのが初めて出会う方に対して、その場で説明する企画書です。その際たるものが営業用の汎用企画書です。ひな型があって、どのクライアントに対しても通用する同じフォーマットの企画書です。

それだけに、初めてのクライアントに対しては、事前の打ち合わせや問題意識の抽出などにかなり多くの労力を割きます。事前準備で企画書の半分は決定すると言っても過言ではありません。
だって、幾ら万人を唸らせることができる企画書を書く能力があっても、ピントがずれていては能力ゼロと同じですから。

【第2章 : 企画書構成編】
#4 : 知っていることの6割しか書いてはいけない

日立の樹企画書の初心者が犯しがちなミスは、自分が知っていることをすべて企画書に盛り込もうとすることです。
その結果、企画書は様々な視点や事実、そして考察がごちゃごちゃに入り組んでしまって、収集がつかなくなってしまいます。起承転結は当然ゼロ。

例を挙げましょう。
本来なら、

「日立は企業規模は大きいけど赤字になった」
「というのは、ばらばらに手を広げた結果、すべての家電分野で3位以下しか占めていないからだ」
「だから、どこでもいい、1位の分野を作れば業績は安定する」

という3つの点だけが言えれば良い企画書があったとします。
それに肉付けをするのは、

「どれくらいの赤字か」
「なぜ3位以下ではいけないのか。それと業績不振とどう関係があるのか」
「なぜ1位だと良いのか」

の3つがあれば良いことになります。

それなのに、日立の生い立ちや情報分野や重電部門の話を延々としたり、日立のCPUがいかに高性能かということを綿々と綴ったとしても、自分がいかにそれらのことを知っているのかという自慢にしかなりません。

もしかしたら、相手は「日立の技術がそんなに良いのなら、なぜ3位なのか」を初めとした疑問が次々に沸いて来るかも知れません。でも、あなたはその回答を企画書に用意していません。企画書で言いたい結論はそこにはないからです。
その結果、相手の目には「論理が穴だらけの企画書」と写ってしまいます。

余計なことを書いてはいけないのは、それだけではありません。
先ほど、ストーリーが大事だとお話しましたが、ストーリーを作ると言うことは骨子に合わないものは削っていく作業が必要になります。

それなのに、色々な要素がごちゃごちゃ入ってしまっては、効果半減どころかマイナスになることもしばしばです。

たくさん書きたい初心者の気持ちは分かります。
彼らのほとんどが、それらすべてを吐き出さないと不安になってしまうからです。

「これを書かないと説得できないのではないか」
「このデータがないと、妙な質問をされるかも知れない」

聞き手がどんなことを欲しがっているかが整理されていないので、優先順位がつけられないのです。「中身を知り過ぎているからポイントが絞れない」のは良くあることですが、「中身を知っていること」と「聞き手のニーズに合わせた優先順位をつけること」とは本来別物です。

「たくさん書かなければ心配症候群」には、もうひとつの原因があります。
知識不足です。
自分の持っている知識、集めた資料のほとんどを使わないと相手を説得できない気がしてしまう。いや、事実、それだけでは足りない場合すらあります。
解決策は簡単です。知識を増やせば良いだけです。勉強不足によって企画書の完成度が低くなるのはノウハウ以前の問題です。

相手のニーズをくみ取ることができない。勉強不足。そのいずれも経験不足の初心者にありがちなミスです。

逆に言えば、企画書に盛り込む内容は自分の知っていることの60%以下に止めおくくらいが丁度良い目安です。それで不足なら勉強不足だし、勉強はきちんとしているのに60%以上企画書に盛り込まないと不安なら、優先順位がつけられていない。

60%で止めておくのはもうひとつの理由があります。
時々見かけるのはスクリーンをただ読み上げるだけのプレゼンテーションです。これほど時間の無駄はありません。だって、目で読むほうがよほど早いからです。わざわざプレゼンテータが目の前に立っている必要はありません。

この原因の大半がスクリーンの原稿以外に話せる知識がない、つまり自分の持っている知識をすべて放り込んでしまった結果です。

【第2章 : 企画書構成編】
#5 : 矢印だらけの企画書は論外

企画書でかなり頻繁に見かけるのが矢印だらけの概念図です。
四角やだ円で囲った文字や個条書きを、線で結んだものです。

矢印だらけ

矢印は論理のつながりを示すので、私も良く使います。しかし、頻繁に見かける原稿では、私の原稿の3~4倍もの数があります。
特に多いのが広告代理店のマーケティング部門が作った企画書ですが、プロのマーケターやコンサルタントでも良くあるパターンです。

しかも(ここが大事なのですが)線と線で結ばれた内容に関連性がまったくないことが多いのです。
最も良く見かけるのが、結論めいたフレーズ(例えば「現代の生活者は『安らぎを求めている』」)を四角で囲って、周囲に様々な事実や理論を並べ立てて、その1点に集中するように矢印を引くような図です。

例えば、

「安らぎ系の商品がヒットしている」
「安らぎを与える心理効果があるグリーン色が様々な商品の売れ筋になっている」

という文言を囲った四角から、矢印が「現代の生活者は『安らぎを求めている』」に向いている図です。

恐らく企画書を作成した人が言いたいのは、

「こういう様々な事実や観察、データから総合的に生活者は安らぎを求めていると判断しました」

ということなのでしょう。
一理あります。証拠を上げていって、1つの事実や考え方を証明するのは正々堂々とした論理構成の作り方ですし、私も使います。

しかし、その便利さがくせ者なのです。
矢印を挙げて事実を羅列するだけでは、なぜ安らぎ系の商品がヒットしているのか、なぜグリーンが売れ筋なのかが明確になっていません。

「安らぎを求める」というような生活者心理の場合は、さまざまな事情が並列に影響しているわけではありません。ある1つが半分近くの理由を占めて、別な事実は1割くらいしか理由になっていないということは日常茶飯事です。

例えば、乱暴に言えば次のような構造になっているのです。

入れ子
「現代人は人とのつき合いが下手になった→→下手でも生きていける商品やサービスが充実しているからだ
(昔は、育児も先輩から聞かなければできなかったが、現代ではテレビも雑誌もある)→自分は傷つきたくない願望が強くなったので、人付き合いの練習をしていない

でも結局、人はひとりでは生きていけない。
従って、どこかで安らぎを与えてくれる存在を探している」

ある事象の要因は一辺に作用するのではなく、ある要因が別の要因の原因になったりと玉突き式に関係していくことが多いのです。上の例で言えば、「下手でも生きて…」と「自分は傷つきたくない…」は、「つき合いが下手」の原因です。そして、「つき合いが下手」は「安らぎ」欲求の原因となっている、そんな具合です。

それを無視して、いや考えずして矢印ですべてを繋げればそれっぽく見えてしまう。それが問題なのです。

企画書で矢印を多用する人は、その便利さに相手だけでなく、自分自身もごまかしてしまって考えるくせをなくしてしまった人です。
ああ、くわばらくわばら。

企画書の書き方の本質とは

私のマーケティングの師匠といえば「ランチェスター戦略」の田岡氏と「マーケティング・マネジメント」のコトラーですが、論理の素晴らしさを教えてくれたのが「広告の科学」のチャールズ・ヤン氏でした。
彼の著書は当然ですが、大変興味深かったのが、ブレーンという広告とマーケティングの専門雑誌に掲載されたヤン氏とある大手広告代理店のマーケティングの偉いさんとの対談記事でした。実に20年前のことです。

ヤン氏は彼の著書がそうであるように、実にきれいなステッブバイステップで話を進めていきます。一方、日本のマーケティングの偉いさんの論理は跳びはねてしまっているのです。

内容はまったく記憶していませんが、こんな感じの跳びはね方でした。

「タイムズスクウェアは新宿にありますよね。
だから、プレイステーション2は120万台の大ヒットになったんですよ」

タイムズスクウェアとプレステ2とどう関係があるのか。あったとしても、一介のショッピングセンターが120万台の売り上げに影響力を持つのか。謎です。

この論理の飛び方はもしかしたら日本の大学の教科書のせいかも知れません。
アメリカのものと比べて、日本の教科書は無駄なものはすべて省いて詰め込むだけ詰め込むというのが私の印象です。

そのせいか、教科書にはあちこちに論理の飛躍があります。実はマーケティングの基本あるいは上級概念が分かっていれば飛躍でも何でもないのですが、詳しいことをはしょってしまっているので飛び地イメージが強いのです。

また、文化的背景、宗教的背景が異なる人の集まりのアメリカと違い、日本人は若い人でも「いわなくても分かるでしょ」的な暗黙の了解を前提にしたコミュニケーションの仕方をします。いや、若い人のほうが他人との浅い接触を好み、ことばの使い方が不十分なだけに、その傾向は強いといっていいかも知れません。

こういうものに慣れてしまうと、ビジネスでの客観性を重んじる企画書に不向きな頭(思考)になってしまうのです。

企画書の上手な書き方…その本質は物事をいかに突き詰めて、整理して考えられるか。
その1点だけなのかも知れません。

タイトルについて一言

このシリーズでの最後の記事ですので、タイトルについてちょっとだけ補足です。
このタイトルは「サルにもわかるパソコンシリーズ」から頂きました。名前の生みの親の須田早氏によると、「『サルでも・・』では、あまりにも人間である読者に失礼だから、『サルにも』としたのです」とのこと。編集者のこだわりを感じます。

■サルにもわかるプレゼンテーション・企画書講座シリーズ

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