(【注】この記事は97年2月16日執筆分の再録です)
ビール首位交代
とうとうやってしまった。何がって、キリンがアサヒに市場シェアで抜かれてしまったことだ。
1997年1月の出荷数量で、単月だがアサヒ38.3%の市場シェアに対して、キリンが37.1%。
通常なら、調査の誤差範囲として片づけられる差だが、酒類はご存じのとおり正確な数字である。キリンも申し開きが立たない事実なのだ。
原因については、今後、単行本などで様々なケーススタディが紹介されることだろうから、ここで詳しくは述べない (ビール業界はケーススタディ本の最大のお客様のようで、とにかく、無数の書籍が発行される)。
しかし、1点だけ述べておきたい。
1997年2月15日付けの朝日新聞では、その原因を以下の3点から説明している。
(2) ラガーの若年層ユーザーの取り込みの失敗
(3) ラガーに力を入れすぎたための一番絞りのシェア低下
これらは間違いではない。今回の首位交代劇のかなりの部分を、特に量販店対策の失敗のような流通対策に見ることができる。
しかし、長期的に言えば、ラガーのブランドイメージの拡散、そして、それが原因となってラガーのシェアが落ち込んだことが大きな原因であることは間違いない。
ラガーさえしっかりしていれば、一番絞りのシェア低下を防ぐことができたはずだし、若年層ユーザーをそれなりに獲得できたハズだからである。
キリンのラガー戦略のミス=ブランドの意味性の崩壊
もともと、キリンのラガー戦略はあまりにもずさんすぎた。
1994年に執筆した私の著書でも指摘したとおり、ターゲットを若者と中年の二股にし、コミュニケーション戦略も1992年に小泉今日子を使ったと思えば、わずか半年後の1993年には仲代達也、その半年後の11月からは牧瀬里穂と目まぐるしくキャラクターを変えている。1994年からはご存じのハリソンフォード、伊藤四郎、菊池桃子などの老若男女 (?) グループの広告展開を行っていた。
この段階でラガーの凋落は目に見えていた。著書で「断言してもよい。『ラガー』は今年も (1994年) うまくいかない」と言い切ったが、そのとおりになってしまった。1995年12月時点のラガーとスーパードライの差はわずか4ポイント。その半年後の1996年6月にはラガーがスーパードライに抜かれてしまったのである。
そして、今回の企業単位での首位交代劇である。当然と言えば、当然の結果である。
一旦確立したブランドイメージはそう簡単に手を入れてはいけない。ここで、ブランド論を長々とするスペースはないが、簡単に言ってしまえば、ブランドとは「中身の意味性を連想させる記号」である。だから、例えば以下の例のような記号と意味の連結が生活者の頭の中に完成する。
ボルボ (記号)=「安全 (意味)」
スクウェア (記号)=「おもしろいRPG (意味)」
ラガーの場合、「うまさ」や「楽しさ」などのキャラクター以上の意味性を付加しないまま、広告キャラクターを一貫性なくバラバラに採用した。その結果、自らの意味性を壊したのである。
ラガー (+仲代達也)=大人のビール (?)
ラガー (+牧瀬里穂)=若者のビール (?)
ラガー (+4人)=みんなのビール (?) / 会社でのビール (?)
事実、キリンの企業としてのシェア凋落は1994年から始まっている。ラガーのような大型ブランドのコミュニケーション戦略の失敗はボディ・ブローのように長期的にブランドを蝕んでいく。早くて1年、長ければ3年~5年はその外傷が表出しない。1992年からのコミュニケーション戦略の失敗は、結果的に2年間かけてラガーのブランドの意味性を失わせ、1995年の大幅なシェア低下を招いたと考えべきである。
自分の予言が当たったけど、悲しい
1997年2月16日