■「ひゅーひゅー」桃天は本当に売れる戦略か?【JT桃の天然水】

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元気な桃天

桃天が売れている。年間300万ケースという。これは対前年比300~400%に相当する。その直接の原因は、あの華原朋美の「ひゅーひゅー」のCFである。

JTの子会社、JT飲料は今まで不遇の企業だった。

たばこの香料の技術は世界でも最も進んでいると言われる。直接舌に感じさせ、鼻に働きかける普通の香料と異なり、「燃やし」たものを「煙の形で」感じさせる、間接的な効果を計算しなければならないからである。

また、たばこのマーケティングは世界でも最も進んでいる業界の1つと言われる。
アメリカのPOP大賞の銅像は、昔たばこ屋の店頭にあったインディアンがたばこを吸っているデザインである。

【注】「桃の天然水CM」(2013年7月5日追記)

「公社」という影に隠れて見えないが、日本たばこ(専売公社)は明治時代からマーケティングが最もしっかりしていた企業でもあった。
昭和34年に、日本にマーケティングの概念が伝わった年から、すでに当時の専売公社はマーケティング組織を作っている。また、現在、当たり前のように使われている林のII類やIII類などの統計理論は、林教授と専売公社の共同研究だった。

また、全国の支社にまで調査課を持ち、全部で120名を越す人材が調査に従事している企業などはそう見当たらない(現在は本社に集約されている)。

贈り物にたばこを。職人さんに2~3箱のたばこを持たせる。一部の地域で行われている、葬式でのたばこの返礼等の慣習は自然とできたものではない。明治から昭和にかけて当時の専売公社が仕掛けた「キャンペーン」の成果なのだ。
しかも、昭和初期には、現在のようなたばこのキャンペーンガールがすでに存在していた驚きの事実もある。
最近でも、街にサンプルを配るキャンペーンガールの草分けは昭和55年から当時の専売公社であったし、自販機にパネル形式のポスターやボタンにシールを張って、新製品をさりげなく訴求するPOPは、やはり、昭和55~56年に同社が始めたことを知る人は少ない。

そんな公社の枠からはみ出して新規事業を考える時、飲料事業が候補に上がるのは当然の成り行きである。
しかし、技術が良いだけではものは売れない。
客観的に見ても、JT飲料の商品は「おいしい」ものが多かったのは事実だ。

が、販売力とマーケティング力は永らく「公社病」にかかっていたスタッフにとって、思った以上に厚い壁だった。なにせ、JTはトップの企業の戦略はお手のものだが、新規参入の戦略はからっきし。キリンの飲料事業やサントリーの清涼飲料水部門が永らく低迷していたのと全く酷似していると思えば良い。

初年度の広告費の総額20億円が売り上げ総額と変わらないという状態は「悲惨」の何者でもない。ちなみに、JTと吉富製薬との合弁事業であるライフィックスも同じような状況だった。

当然、経費縮小である。一時、田原俊彦を起用して「完熟コーヒー」のCFを投入するなど、小ヒットはあったものの、泣かず飛ばずの状況が続いたのである。

流通とマーケティングは両輪

イメージカット2初期の惨敗の理由はいくつもあるが、最大の失敗は流通施策とコミュニケーション施策のチグハグさを見誤ったことである。

たばこ市場では、営業マン2千人強を抱える同社である。

新製品の配荷など、お手のものである。発売後1ケ月もしないうちに、店頭配荷率90%は楽に越える。店頭POPの掲出率も本気になれば、同期間で70%は簡単に押さえられる。
だから、広告はそのタイミングを見て露出すれば良い。

しかし、飲料ではそう簡単に配荷率があがらない。特に、流通の大きな比率を占める自販機となると、良い場所は皆コカコーラを初めとする先発企業に占領されている。元もと、たばこ販売店の自販機スペースをあてにしていた同社だったが、それはたばこのスペースではない。いつもの日本たばこの流通支配力はほとんど及ばない。
たった数千台の自販機と一部のコンビニ、スーパーという流通で、20億円もの広告を露出したのだ。しかも、トップ企業の戦略方程式で(スーパー、コンビニでは『あの巨大企業だから、ものすごいだろう』という期待が大きく、初回の配荷はかなり楽だったと言う)。

うまく行くほうがおかしい。
マーケティングだけで、モノは売れない。
広告だけで、モノは売れないのだ。
いくら、広告を100本テレビで流しても、店頭に1個も商品がなければ売り上げはゼロである。
逆に、まったく広告をしなくても、店先に商品があれば細々とではあっても商品は売れる。
この大原則を見誤ったのだ。

日本市場から撤退した、米国トップ企業

よくやる間違いだが、つい最近も同じ失敗をしでかして撤退した企業がある。
アメリカでトップシェアを誇るペットフードメーカーの雄、ピュリナである。
昭和40年代からピュリナは大洋漁業との合弁会社、ピュリナ大洋で日本市場において健闘してきた。代表商品は「ピュリナ黒缶」。缶詰タイプのキャットフードである。この分野はモンプチやカルカンが元気での影に隠れた存在だったが、十分に3位の地位を永らく保持していたブランドであった。

1980年代の後半にペットフードブームが発生。黒缶も販売額を伸ばしたが、広告を初めとするマーケティング戦略の弱さから、市場全体の伸びに追いつくほどではなかった。しかも、販売の現場ではダンピンクと呼んでも良いくらいに価格が下落。
ひどい時には、定価3,000円の10kgのドライ・ドッグフードが980円で売られていた状態だった。当然、利益は悪化する。

大洋漁業は伝統的にマーケティングに弱い。セールス部門でもっているような企業だから当然である。
それに業を煮やしたピュリナ米国本社は大洋と大ゲンカ。ついに独立して日本法人を作った。ピュリナ黒缶も「黒缶」と名前を改め、大洋漁業に残った。
ピュリナの主力と言えば、ドッグチャウ、キャットチャウ。黒缶とはブランド力が違う。たちまちのうちに、スーパーやホームセンターの店頭から両ブランドが消えていった。マーケティング力はあったものの、日本市場に精通し、力を持つ販売部隊がいなかったからである。
結局、大型ブランド(のハズの)Oneの新規投入を最後に、本年5月に正式に日本市場から撤退することになったのだ。

桃天チャンスとその背景

わき道にそれてしまった。
桃天の話だ。

そんなJT飲料にチャンスが来た。
本業であるたばこ事業の大幅な広告自主規制である。
昭和52年に当時無名だった、かとうかずこを起用したパートナーというブランドをスタートに、テレビ広告を強力に推し進めてきた同社だった。

JTは新聞や雑誌などの広告は古くから経験がある。
「今日も元気だ。たばこがうまい」や「たばこは動くアクセサリー」などの名コピー、「女優シリーズ」と銘打って、当時の若手俳優であった池内淳子、浜美枝などの喫煙ポーズの雑誌やポスターの広告が市場をにぎわせた。今なら、女性喫煙団体からの抗議が殺到しそうなものだった。

そのセンスを生かして、テレビを始めたのである。
後世に残るような名コピーなどはなかったものの、キャビン、キャスター、マイルドセブン等がテレビ広告に後押しされてヒットした。

それが、米国の圧力を皮切りに年間の広告量や露出時間等の自主規制を強め、とうとうテレビ全廃となってしまったのだ。
外国たばこの攻勢に必死に対抗しているとはいえ、JTは赤字ではない。年間1,000億円の経常利益を出している堂々たる黒字企業である。

その浮いた広告費はどこに行くか?
もちろん、周辺事業である。
一時は大失敗とは言いながら、それなりに10年以上も事業を続けている。
撤退を余儀なくされているほどひどい赤字ではない。
そんな飲料事業に広告予算が回ってきたのである。

今回のJT飲料の追い風

初期と異なり、市場は好転している。
さすがに、JTの企業力に期待していたスーパーやコンビニのバイヤーは、JT実力に落胆したものの、着実に自販機網は増えていた。約3万台という小規模ではあったものの、初期の数十倍の販売拠点数である。

スーパー、コンビにでも自社の棚スペースは多少ではあるものの確保している。品質、つまり味はスタート当初から折り紙付きである。しかも、最近俄然注目を浴びている500mlのペットボトルが当たった。
そこに、「ひゅーひゅー」の大量広告である。
担当代理店の電通は鼻高々であろう。

何も伝わっていない「ひゅーひゅー」

イメージカット3でも、本当にそうなのか?

桃天を飲んでいる女性に街中だろうが、他社のオフィスだろうが、友人だろうが、誰彼構わず、

「なぜ、桃天を飲むのですか?」

と聞くと

「おいしいから」

という回答が返ってくる。当然である。「ひゅーひゅーだから」という回答を期待していたわけではない。

問題は次の質問だ。

「あの華原朋美のCF知ってますか?どう思いますか?」
「ばかっぽくて好きではありません。あんなコマーシャル見て、これを飲んでると思われるのは抵抗があります」

「『ひゅーひゅーな気分』って、何だかわかりますか?」
「全然わかりません。この飲み物のどこが『ひゅーひゅー』なんだろうねって友だちと話したことがありましたけど、結局わからずじまいでした」

生活者に何も伝わっていない。
つまり、広告の意味をなしていないのである。

何だかわからない広告は無意味の頂点

私がこう言うと、

「『なんだかわからないから、興味を持って飲んでみよう』という趣旨の広告ではいけないのか」

と質問が来ることが多い。その時は

「いけません」

と答えるようにしている。

理由は1つ。
今の生活者は「わからないから興味を持つ」ほど甘くないからだ。

つまり、「何だか分からないから、試してみよう」という広告は効果がない。だから、作る価値はない。
実際に彼女たちにその後質問をしている。

「何を言っているのかが(その広告で)わからないから、飲んでみようって気になりますか?」

「そんな訳ありません。何か分からない広告なんてたくさんあるのですから、そんなものをいちいち興味を持って試すほどヒマではありません。
私がこれを飲み始めたのは友だちが飲んでいたのを見て、ちょっと飲ませてもらったからです」

「その友だちが飲み始めたのは、『桃の天然水』という名前を広告で見て、おいしそうだったと言ってたからです」

特に、現在露出している第2弾の広告は「なぜ『ひゅーひゅーなのですか?』『飲んでみたらわかります』」という典型的な「勘違い広告」であるから、この議論は尚更当を得ているハズである。

この例を見ると、コカ・コーラのタブクリアの失敗を思い出す。あの商品も坊さんに「飲めば分かる」とやった。唯一の違いは、商品力である。タブクリアは「不健康イメージ」を払拭するために透明にしたコーラがアメリカでウケたので、単に日本に持ってきただけである。背景が違うのだし、味はセブンアップやスプライトのようなものなので、コンセプトが間違えれば受け入れられる余地はゼロである。

【試せばわかる式の回答はシストラットの面接では減点、という参考事例に行く】

元祖パルコの勘違い

ちなみに、「何だか訳の分からない広告」の代表例といわれるパルコには、実はきちんとしたメッセージが盛り込まれていたことを理解している業界人は少ない。

当時、1980年代の初期に登場したパルコは、その運営形態が目新しいものだった。ビルを作り、店子を入れる。しかし、一定の水準を維持できない店子は追い出されてしまう。だから、スクラップ・アンド・ビルドがきっちりとできる。その結果、生活者はパルコに行くたびに違うパルコを見ることになる。

それまでの商業ビルや商業施設は、店子が撤退する意志がなければそのままずっと居座ることができた。そして、その中で有名な店もできあがったり、初めから誘致することになる。だから、「あそこに行けば、あの店がある。ああいった洋服が置いてある」という安心感と退屈感が同居した存在であった。

だから、「何だか分からないけど、パルコに行けば何か新しいものがある」というコンセプトを具現化したものが、あの広告だったし、それは十分にパルコというブランドの差別優位性をきっちりと伝えたものだったのだ。

もちろん、細かくいえば、当時の生活者の価値観も背景として無視できない。
一言でいえば、発信ではなく受け入れ、常に新しいものが善、ヒトと違うことだけで善、という価値観である。
それだけに、未だにあの路線でパルコは広告を制作しているのは間違いである。パルコ自身が自分たちの当初のコンセプトを見誤ったのだ。

知名度というマーケティングの大原則

では、なぜ、桃天が売れたのか?

簡単である。
知名度が上がったからだ。そして、商品とボトルが「おいしかった」からだ。

それ以外の何者でもない。

商品の知名度は「ひゅーひゅー」でなくてもいい。
華原朋美が「モモテン、モモテン、モモテン」と10回繰り返すだけの表現でもよいのだ。後は、予算(に支えられた露出量)が面倒を見てくれる。

1台何百万円もするクルマや住宅、商品説明が重要な医薬品等とは違い、飲料などの「小物」は、広告の露出量と知名度は極めて密接に連動する。
知名度だけを見るならば、広告表現が要素として占める割合は比較的小さい。
表現が良ければ、若干少ない予算でも知名度が上がるし、悪ければ多少予算を増額しなければ、同じ水準の知名度に到達しない。それでも、金をかければ知名度は上がるし、下がることは100%ない。

理解や好意となると、話は完全に変わる。金をかけて露出量を増やしても、好意度は上がるどころか、CF表現によっては「嫌われる」ことすらあるからだ。

むしろ、妙な広告表現をするくらいなら、商品連呼型の広告のほうがよほど効果がある。あるいは、次のステップの「商品内容やコンセプトの理解」結びつけるのに無理がないだけ、やりやすい。
妙な表現を使い、イメージができあがってしまうと、それを修正するのに苦労する(余計な金がかかる)からである。

恐らく、「ひゅーひゅー」広告のために、あらゆるデータやケーススタディが詰まっている企画書が広告代理店から提出されたことだろう。そして、多分それを読めばなぜ「ひゅーひゅー」なのかは理解できるように書かれているのだろう。

しかし、クライアントがわかってもモノは売れない。生活者に伝わらなければ何もないのと同じである。
そして、桃天は「桃の天然水」というコンセプトが直結するネーミングが伝わっただけなのだ。

最も怖いのは、「売れれば良し」とする姿勢である。

なぜ売れたのかをきちんと把握しなければ、今回のような「美しき誤解」は避けられない。恐らく「成功経験、方程式」として、JT飲料にこのケースが残り、いつか同じような手法を使おうとするだろう。しかし、その時はうまくいかない。何故なら、同じ条件を次の商品は持っていないからだ。そして、結論が出る。

「以前うまくいったけど、今回はダメだったのは、時代が変わったからだ」

これでは、企業はいつまでたっても成長しない。
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