人間の五感と産業
過去20年近く私が注目しているものがある。
触覚産業である。
実はまだ、その実態は確立されていない。
だから、おもしろいのだ。
人間には五感がある。
視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚である。
そして、それぞれの感覚に立脚した産業が存在する。
例えば、視覚産業にはテレビ、映画はもちろんのこと、写真・アート、雑誌、新聞などがある。
聴覚産業は音楽産業が牛耳っている。
味覚産業は言うにおよばず、飲料、食品産業だ。
日本人の嗅覚は欧米人と比較して弱いと言われるが、それでも香水を代表とする産業が成立している。
ところが、触覚産業だけはセックス産業以外に目立つものはなかったのが現状だ。
心理学の面から見た触覚という感覚
触覚は精神状態を安定させる働きを示すことが、心理学の研究でわかっている。
こんな実験がある。
産まれたばかりの子猿を母親から、五感すべてをシャットアウトして育てると、ミルクを与え続けても間もなく死んでしまう。
視覚を刺激した場合はどうか。
ガラス越しに母親が見える環境を作る。その中で子猿を育てようとしても、同様に死んでしまう。
聴覚の場合は、スピーカーで母親の声が聞こえる環境。嗅覚は母親の匂いがする毛布、等々、五感の接触を工夫してもダメ。
唯一、金網越しに手が触れる環境、つまり触覚が刺激されてようやく生き残る。ただし、性格は悪くなるが。
もちろん、最も健康的にすくすくと育つのは、母親のスキンシップを十分に受けた子猿ということになる。
人間に対する実験でも触覚が重要なキーを握ることは、図書館での心理実験が証明している。
その実験とは、こうだ。
まず、本の貸し出し係に演技をしてもらう。
ある期間は、ぶっきらぼうな役を演じてもらう。
本を借りる客に対して、まともに受け答えせず、本も乱雑に扱う。
さて、この期間に出口で調査をするとどうなるか。
「暗くて本が読みにくいですね」
「カーペットは?」
「毛足が長すぎて、つんのめりそうです」
「天井の高さは?」
「低すぎて威圧感があります」
と散々な答えが返ってくる。
一方、ある期間は友好的な貸し出し係になってもらう。
ニコニコして本を受け取り、その時にちょっとだけ相手の手に触れる。
すると、アンケート調査の評価は一気に変化する。
「ちっょと暗いけど、この位のほうが本が読みやすいです」
「カーペットは?」
「フカフカして気持ちがいいです」
「天井の高さは?」
「この位の高さだと丁度落ち着く感じですね」
ストローキングという概念の説明で良く出てくる例だが、それほどさように、触覚という感覚は情緒安定に極めて大きな働きをする。
現代人の触覚充足度
本能レベルで触覚が重要な役割を占めているのはわかった。
では、現代の日本人は触覚を十分刺激しているのだろうか?
恋人の日米比較データがある。
いつも触れ合う身体の部分をイラスト上で黒く塗っていくと、アメリカでは身体中が真っ黒になる。それだけお互いに触れ合っていることがわかる。
しかし、日本人のカップルは手のひら程度しか塗ることができない。
触覚の充足度合いは絶対的に少ない。
それを日本文化だという人がいる。しかし、触覚が精神を安定させる働きを示すメカニズムは極めて本能レベルであり、文化がそれに強弱をつけることがあっても、制することはできないはずだ。
ここまでをまとめよう。
触覚は情緒を生物学レベルで安定させる働きがある。
しかし、日本人は触覚を十分に満足させてこなかった。
供給と言えば、従って、触覚産業といえるものはセックス産業しか発達していなかった。触覚産業のお寒い状況が理解できたと思う。
触覚産業の息吹
最近、他の産業が触覚という視点を入れて成功し始めている。
例えば、下着産業やアパレル産業である。
付け心地や肌触りが生活者の商品選択の上位に食い込んできており、メーカーはそれに気がつき始めている。
エステ産業は表向きは「美しくなる」という美の追及だし、新規参入消費者はこの視点から入ってくる。しかし、リピーターとなると、俄然話が変わる。
マッサージが気持ち良くて通う割合が圧倒的に多くなるのだ。
もっと直接的なものだと、一時期雨後の竹の子のように出現した15分マッサージがその筆頭であるし、女性用サウナのマッサージ・サービスも触覚産業として確立し始めている。
静かだが、着実に触覚産業の芽が生まれている。
セックス産業の静かなる変革
先ほど、「触覚産業はセックス産業しかない」という表現をした。ところが、日本のセックス産業ほど発達している国はないといっても過言ではない。
誤解を恐れずに言えば、日本の歴史、特に民族史をひも解くと、日本民族は実にセックスに対して開放的なのが良くわかる。
ここは歴史のサイトではないので説明は避けるが、現代の日本の性意識は儒教から始まったといっても良い。本来の民族としての日本人は、セックスを実におおらかに生活に取り込んでいる。夜這いの文化は戦後まで存在していたし、遠く平安時代での巫女は、お布施をもらって夜を共にした「神聖なる売春婦」であった。
その日本の現代のセックス産業に大きな変化が生じている。
市場規模約5兆円、全国の風俗嬢推定10万人(援助交際の素人は除く)は、実にアメリカのほぼ2倍と言われる。
その内容もバリエーション豊かである。
ソープ、ホテトル等の本番系はもちろんのこと、ファッションマッサージ、性感、イメクラ、ピンサロ等の射精系、ランパブ、ノーパン・ラウンジなどの非射精系まで、実に様々な形態の風俗がひしめいている。マーケティング的に言えば市場細分化が極めて発達している市場である。
ちなみに、欧米のセックス産業は本番一本やりである。ヘルス・スパ等の業態もニューヨーク等の大都市に存在するが、これは1970年代に日本のソープを輸入したものであり、元からアメリカにあったものではない。カリフォルニアのラブホテルも日本からの輸入文化である。
1分間3,300円の天国
さて、この産業(風俗産業と言い替えさせていただく)で、最近おもしろい現象が起きている。射精より単なるおさわりに金を払う生活者が着実に増加しているのだ。
筆頭がおさわり系のランジェリー・パブ(ランパブ)の大人気である。
ランパブとは、女性従業員が下着姿で接客する業態だ。「おさわり系」は、20~30分に1回、ショータイムと称して3分程度、バストを触らせるサービスを提供する店である。
料金は、40分~60分滞在して2万円程度と高額である。
3年前には東京新宿に1件しかなかったものが、今では推定100店を越える。そのいずれの店も客で一杯だ。
バストが触さわれて2万円の飲み屋。どうにも大人気というのが合点がいかない。
それらの店からちょっと歩けば、その半額でファッション・マッサージや性感マッサージ等の射精店が見つかるにもかかわらず、おさわり系ランパブの店内は客で一杯だ。「過激な」射精系風俗店では当然バストだって触れる。でも、ランパブに行く客はバスト「だけ」を目当てに2倍の値段を払う。
乱暴な言い方をすれば、付加価値ならぬ減算価値に金を払う奇妙な現象が起きている。
マーケティングからの解釈
この記事は風俗産業におけるマーケティングを扱うものではないし、風俗とマーケティングの融合テーマについては、その道の権威burt氏の遠く足下にも及ばないので、これ以上は詳しく述べない。
マーケティング的に言えば、こういう逆転現象が起きるということは、全く別な次元での価値軸がこの2つの業種を分割していることであり、それぞれが独自の市場を形成していると判断すべきだ。
そしてその判断基準は従来の「さわる」より「射精する」方が価値がある、という一元的な価値尺度が崩壊している、あるいは、それが歪むほどの別な価値尺度が発生したことを意味する。
その尺度が「触覚」なのだ。
「射精」のベネフィットは「興奮」である。
しかし、「おさわり」のベネフィットは「沈静(リラクゼーション)」と正反対の意味をもつ。
女性従業員に抱きついてバストを触る。恥ずかしさ(客と従業員)の排除のために、店内や行動は明るい雰囲気を演出しているが、客はあくまでもリラックスしている。ユーザーに対する小規模インタビューでも、エッチなワクワク感は影が薄い。
こうなると、風俗産業の形を借りたリラクゼーション産業といっていい。ピンサロやヘルスなどと競合しないのは当然である。
リラクゼーションというベネフィットの視点で言えば、むしろ競合はエステだ。
そうなると、これらのライト風俗はエステより割安であり、客が集中するのは自然な行動である。ましてや、男性のエステは認知が低い。リラクゼーションが欲しいときにそれを提供してくれる業態がなかった、と彼らが考えても不思議はない。だから、リラクゼーション風俗に集中してしまう。
詳しい方はこれを聞くとピンと来る風俗業態があるだろう。
今、人気の韓国マッサージだ。
つい、1年前には2件しか都内に存在しなかったのが、現在では推定50件。風俗業界ではイメクラに続く久々の大ヒットである。
蒸しタオルを多用し、按摩系の正統派マッサージが受けられる一方で、手でのサービス(射精)もする。しかし、そこには、色っぽさはない。無表情にマッサージのプロの手つきで淡々と客を射精させる。そして、後半の正統派マッサージが続くのだ。
言葉尻でいえば「マッサージのリラクゼーションと、興奮の『抜きを』どうぞ」ということになる。が、どう考えても正反対のベネフィットのミスマッチが実際に成立すると考えるには無理がある。それよりも「マッサージと抜きのリラクゼーション」という方が、あれだけの人気を得るのに納得がいくし、体験者へのインタビュー結果もそれを裏づけている。
ここまで来ると、「射精=興奮」という図式すら崩れていく。
そうなのだ。「射精」や「おさわり」という規格(現象)での価値基準が消滅し、「興奮」、「リラクゼーション」というベネフィットでの価値基準で判断される。風俗産業はそういう先進層まで出現してしまった。
触覚産業の意外なる突破口
これまでに見てきたように、触覚産業の独立宣言が小さな声ではあるものの、確実に聞こえている。
それは、アパレルなどの表の産業からの動きもさることながら、旧態依然としていた本家本元の風俗産業から、新たなる決定打が出現するのかも知れない。
それは、もはや風俗とは呼べないような形をとって現れるかも知れない。いや、本当に触覚産業が市民権を得るためには、風俗という匂いを感じさせない形態が条件といってよいだろう。
まだまだ、目が離せない、楽しみな分野である。
なお、サイト本体の第1回目のアンケート・テーマの「ひざまくら」は、このような背景から思いついたものである。ただ、ひざまくらはビジネスにはなっても、「新たな決定打」になるとは思えないが(笑)。
【補足】リラクゼーション産業の失敗要因
今まで、いや、現在でも、現代人のストレス解消を大きなニーズとして捕らえてきた企業があった。
胎児体験をさせてくれる風呂や、聴覚からのアプローチ(例えば1/fゆらぎ理論)による音楽CDや音響メーカー、パイオニアの音楽カプセルなどがその代表である。
しかし、残念ながらある一定の話題性や売り上げは上げても、とても産業と呼べるだけのユーザー数は確保できなかった。
一方、リラクゼーションの最も手軽な形である「15分マッサージ」は、今やビジネス街には必ず見つかるほどポピュラーな存在になり、十分な市民権を得ている。
ここまで読んだ方々なら、今までの「リラクゼーション」産業の成功阻害要因が理解できると思う。
いくら聴覚に情緒安定の作用が含まれていても、また、「音薬効果」として医療の現場で音の精神安定に対する影響力が証明されていても、触覚の効果にはかなわない。
そして、触覚は永らく仲間外れの感覚として、まじめな研究の対象から外されてきていた。
しかし、そろそろ触覚という隠れた感覚を正面から捕らえても良いのではないだろうか。日本における触覚は「ツボ」という側面でしか触覚が研究されない。が、アメリカでは情緒発達過程におけるペットとの触れ合いによる影響力が研究され、近年多くの発見がなされているのだ。