読者の声 : 98.11.23号 (2) 励ましや、おしかりの言葉、ありがとうございます。 他の読者の方々の中にも、同じご意見を持った方がいらっしゃるかも知れません。自分の考えをまとめるための参考になる場合もあります。だから、「読者の声」は大事にしたいと考えています。原則として、原文を掲載しています。新しい声から順番にご紹介しています。 それぞれの方々へのご意見もお待ちしています。こちらのフォームで投稿するか、voice2@systrat.co.jp へお送り下さい。 この色は皆さんの声 (お返事付) この色は皆さんへのご意見です この色は皆さんの声 (お返事なし)
励ましや、おしかりの言葉、ありがとうございます。
他の読者の方々の中にも、同じご意見を持った方がいらっしゃるかも知れません。自分の考えをまとめるための参考になる場合もあります。だから、「読者の声」は大事にしたいと考えています。原則として、原文を掲載しています。新しい声から順番にご紹介しています。
それぞれの方々へのご意見もお待ちしています。こちらのフォームで投稿するか、voice2@systrat.co.jp へお送り下さい。
ミニ大企業、日立の悲劇【日立製作所】 98.9.15 掲載
日立の記事は大変おもしろく、共感するするところが大です。 というのも、10年位前に日立関連のソフト会社で働いた経験があり、さらに5年程前から、我が国のグローバル企業No1 といわれる電器メーカーの情報部門で働いていることから、この2社の【守り】と【攻め】の大きな風土の違いを痛感させられるからです。 日立を見ていると、行き詰まった日本の政治と似ている気がします。先日、日立のトップが「国の政策に期待する」ような発言をしていましたが、今時の気の利いた企業は政治には期待せず、市場原理(消費者中心。モラルも含め。)を見据えた活動を行っているのではないでしょうか?
日立の記事は大変おもしろく、共感するするところが大です。
というのも、10年位前に日立関連のソフト会社で働いた経験があり、さらに5年程前から、我が国のグローバル企業No1 といわれる電器メーカーの情報部門で働いていることから、この2社の【守り】と【攻め】の大きな風土の違いを痛感させられるからです。
日立を見ていると、行き詰まった日本の政治と似ている気がします。先日、日立のトップが「国の政策に期待する」ような発言をしていましたが、今時の気の利いた企業は政治には期待せず、市場原理(消費者中心。モラルも含め。)を見据えた活動を行っているのではないでしょうか?
自分自身の舞台裏・「私はこう見る」市場導入戦略 98.10.15 掲載
はじめまして。私は学生のみどりと申します。このメールは50秒で読み終わります。いつも興味深い記事ありがとうございます。その中でも私が「かなりおもしろい!」と思ったのは、「桃天」です。じっくり読みました。特にJTの香りの技術がジュースに生かされたという下りは「へえーっ」と感心しました。 一方ぱーっと見るだけで終わってしまう記事もあります。この違いは何かと考えてみたところ、文章の内容と自分の日常生活の関連具合にあるようです。桃天は毎日飲み物を選ぶときの対象の一つであり、よく飲みました。逆に例えば日立は特にフローラを使っているわけでもなく、ひいきでも無いです。もし自分の父親が日立に勤めていたりしたらじっくり読んだのかもしれません。 前置きが長くなりました。これから質問と要望です。 さて、「市場導入戦略」の文章でどのように潜在読者を惹きつけるのかがありました。最後に「本当の勝負はこれからです」と書いてらっしゃいますね。それから一ヶ月がすぎようとしています。 (そこで質問)森様は今、この地位を維持するためにどのような戦略を立案・実行なさっていますか?特にどのようにして配信する記事を決めるのか気になります。森様自身が「これはいける!」と感じる記事を優先するのでしょうか?1500近くいる受信者の最大年齢層(20代から40代?)に合った記事でしょうか? 私は業種と関係なしに読者の生活に密着しているものを取り扱った記事が一番読まれると思います。その点「桃天」はよかったと思います。私のバイト先のじいちゃんまで「桃の天然水?だっけ?あれうまいねえー」と言うほどですから。 ぜひ、次は、「市場寡占(!?)戦略」を書いていただきたいですね。 (要望)1.また、いろいろ記事の希望が読者から出ていると思いますが、そんなわけでなるべく対象が広い生活密着型の文章をお願いしたいです。 2.それからいつも「本記事は○○行です」とありますが、実はメールの行数って数えたことがないので私は長短の判断基準として使いづらいです。「このメールは○○秒/分で読み終わります」にしてみるのはいかがでしょうか? でも最初は慣れないですかね?文頭、どうとらえましたか。 (質問 part2) 桃天はその後、カビが入っていて回収する騒ぎがありました。(オープラスもでした。)それから売れ行きが落ちたのは必至でしょう。このように不潔なイメージが付いてしまって落ち込んだ製品をまた人気商品にするとします。コンサルとしてはそのためにどのような戦略を立てるのですか?一度非衛生というレッテルが付いたらなかなか離れないと思うんですが。 別の製品を開発して忘れさせるのでしょうか?それともお詫び広告を大々的にやるのでしょうか?それとももっと有効な方法があるのでしょうか? (おまけ) モスバーガーも「海老竜田」を食感がダメといって発売延期にしましたよね。私がこのニュースで驚いたのは「エビ廃棄損 3億円 特損に」というところ。「ぷりぷり」のために3億分のエビを捨ててしまうなんて、、、 その後モスでハンバーガーを食べる機会がありましたがいくら「有機野菜でホクホクのポテトフライ」「美味しいバーガー」とあっても美辞麗句に見えて魅力を感じなくなりました。 本当に消費者はそんなに「こだわった」バーガーを求めているのでしょうか?それより個人的に傷み野菜で安いバーガーを作ってくれたほうが親近感が持てます。 モスはあまりにも「こだわり」を追求しすぎている気がします。「モス憲章」とかメッセージとかべたべた貼っていますが、どうも偽善に見えて仕方ないです。 森様のモスバーガーのイメージはいかがですか? 【お返事】 【注】かなり長い内容なので、別ページにしました。ご興味のある方は、こちらをクリックして下さい。 【みどりさんへのお返事】
はじめまして。私は学生のみどりと申します。このメールは50秒で読み終わります。いつも興味深い記事ありがとうございます。その中でも私が「かなりおもしろい!」と思ったのは、「桃天」です。じっくり読みました。特にJTの香りの技術がジュースに生かされたという下りは「へえーっ」と感心しました。
一方ぱーっと見るだけで終わってしまう記事もあります。この違いは何かと考えてみたところ、文章の内容と自分の日常生活の関連具合にあるようです。桃天は毎日飲み物を選ぶときの対象の一つであり、よく飲みました。逆に例えば日立は特にフローラを使っているわけでもなく、ひいきでも無いです。もし自分の父親が日立に勤めていたりしたらじっくり読んだのかもしれません。
前置きが長くなりました。これから質問と要望です。 さて、「市場導入戦略」の文章でどのように潜在読者を惹きつけるのかがありました。最後に「本当の勝負はこれからです」と書いてらっしゃいますね。それから一ヶ月がすぎようとしています。
(そこで質問)森様は今、この地位を維持するためにどのような戦略を立案・実行なさっていますか?特にどのようにして配信する記事を決めるのか気になります。森様自身が「これはいける!」と感じる記事を優先するのでしょうか?1500近くいる受信者の最大年齢層(20代から40代?)に合った記事でしょうか?
私は業種と関係なしに読者の生活に密着しているものを取り扱った記事が一番読まれると思います。その点「桃天」はよかったと思います。私のバイト先のじいちゃんまで「桃の天然水?だっけ?あれうまいねえー」と言うほどですから。
ぜひ、次は、「市場寡占(!?)戦略」を書いていただきたいですね。
(要望)1.また、いろいろ記事の希望が読者から出ていると思いますが、そんなわけでなるべく対象が広い生活密着型の文章をお願いしたいです。
2.それからいつも「本記事は○○行です」とありますが、実はメールの行数って数えたことがないので私は長短の判断基準として使いづらいです。「このメールは○○秒/分で読み終わります」にしてみるのはいかがでしょうか? でも最初は慣れないですかね?文頭、どうとらえましたか。
(質問 part2) 桃天はその後、カビが入っていて回収する騒ぎがありました。(オープラスもでした。)それから売れ行きが落ちたのは必至でしょう。このように不潔なイメージが付いてしまって落ち込んだ製品をまた人気商品にするとします。コンサルとしてはそのためにどのような戦略を立てるのですか?一度非衛生というレッテルが付いたらなかなか離れないと思うんですが。
別の製品を開発して忘れさせるのでしょうか?それともお詫び広告を大々的にやるのでしょうか?それとももっと有効な方法があるのでしょうか?
(おまけ)
モスバーガーも「海老竜田」を食感がダメといって発売延期にしましたよね。私がこのニュースで驚いたのは「エビ廃棄損 3億円 特損に」というところ。「ぷりぷり」のために3億分のエビを捨ててしまうなんて、、、
その後モスでハンバーガーを食べる機会がありましたがいくら「有機野菜でホクホクのポテトフライ」「美味しいバーガー」とあっても美辞麗句に見えて魅力を感じなくなりました。
本当に消費者はそんなに「こだわった」バーガーを求めているのでしょうか?それより個人的に傷み野菜で安いバーガーを作ってくれたほうが親近感が持てます。 モスはあまりにも「こだわり」を追求しすぎている気がします。「モス憲章」とかメッセージとかべたべた貼っていますが、どうも偽善に見えて仕方ないです。
森様のモスバーガーのイメージはいかがですか?
【お返事】
【注】かなり長い内容なので、別ページにしました。ご興味のある方は、こちらをクリックして下さい。 【みどりさんへのお返事】
【注】かなり長い内容なので、別ページにしました。ご興味のある方は、こちらをクリックして下さい。
【みどりさんへのお返事】
好奇心の強い、若い女性(23)です。私は正直言うとタイトルと説明文だけでは森さんの記事に取り分け惹かれませんでした。中身を読んでみて、私でもわかり易いのでブックマークしています。 私も何十というまぐまぐの記事を登録しているので、自分のためになったりしなければすぐに解除します。(私は現在アメリカ留学でAdvertisingを専攻し、卒業真近なので就職活動中、という私の状況を説明すると参考になるかもしれません。) 1日にInboxに入ってくる時に、他のメルマガと見分けがつくタイトルじゃなかったので、最初は森さんの記事を亥の一番に読む、という物ではありませんでした。(だから例えば私にとって、MSNニュースの記事は長い物が多いので、興味があまりない内容の場合は読まずに貯めてしまったりします。) それにしても勉強になっています。
好奇心の強い、若い女性(23)です。私は正直言うとタイトルと説明文だけでは森さんの記事に取り分け惹かれませんでした。中身を読んでみて、私でもわかり易いのでブックマークしています。
私も何十というまぐまぐの記事を登録しているので、自分のためになったりしなければすぐに解除します。(私は現在アメリカ留学でAdvertisingを専攻し、卒業真近なので就職活動中、という私の状況を説明すると参考になるかもしれません。)
1日にInboxに入ってくる時に、他のメルマガと見分けがつくタイトルじゃなかったので、最初は森さんの記事を亥の一番に読む、という物ではありませんでした。(だから例えば私にとって、MSNニュースの記事は長い物が多いので、興味があまりない内容の場合は読まずに貯めてしまったりします。)
それにしても勉強になっています。
いつも面白くてためになる無料マガジンありがとうございます。こんなのが無料でいいものかと思っちゃいます。 今回はメルマガの話だったので参考になりました。実は私もメルマガを作っています。 ┏━メールマガジン☆ FROM まぐまぐ━━┓┃ 悪妻より愛を込めて…ID:0000007379 ┃┗http://rap.tegami.com/mag2/index.htm┛ しかし購読者が減っております。。 660人→644人 コンサルタントさんの法則によれば、特化することが必要のようです。つまりうちのメルマガで言えば、悪妻を極めることですかね。(笑)とりあえず、やってみます。 趣味でやってるので別に購読者数が減ってもかまわないはずなのに、なぜか気になってしまいます。 【お返事】 【注】かなり長い内容なので、別ページにしました。ご興味のある方は、こちらをクリックして下さい。 【悪妻ハニ子さんへのお返事】
いつも面白くてためになる無料マガジンありがとうございます。こんなのが無料でいいものかと思っちゃいます。
今回はメルマガの話だったので参考になりました。実は私もメルマガを作っています。
┏━メールマガジン☆ FROM まぐまぐ━━┓┃ 悪妻より愛を込めて…ID:0000007379 ┃┗http://rap.tegami.com/mag2/index.htm┛
しかし購読者が減っております。。
660人→644人
コンサルタントさんの法則によれば、特化することが必要のようです。つまりうちのメルマガで言えば、悪妻を極めることですかね。(笑)とりあえず、やってみます。
趣味でやってるので別に購読者数が減ってもかまわないはずなのに、なぜか気になってしまいます。
【注】かなり長い内容なので、別ページにしました。ご興味のある方は、こちらをクリックして下さい。 【悪妻ハニ子さんへのお返事】
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携帯にお金取られてる 98.6.1 掲載
確かに納得できる部分があるが、なんか物足りない。それに携帯を単に「ダベリ」とイコールにしてるところは違うように感じる。 ●何がどのように物足りないのか 記事全部が読めるこのコーナーに来て、他の記事を一切読まずにこの記事を最初に読んでいきなり回答したものだというのがまずあります。「私はこう見る」が軽く読めるものだというのを忘れてたように思います。 で、他の記事もざっと読んでみたんですが、その中でもこの携帯の記事はやっぱり物足りなかったです。 理由を考えてみました。 若者(学生からせいぜいフリーターまで)の間でのヒットしか問題にしていないこと。この世代だけのヒットじゃないから携帯は大変なことになったんだと思います。その辺に全く触れてないのが物足りなかった。確かに他の世代までに話を広げると話がえらいことになりますから避けたんだと思いますが、全く触れないと物足りなすぎます。だってテーマが「携帯にお金とられてる」なんですもん。30歳の僕も携帯にお金とられてますもん。 察するに、大きなテーマを選んでしまったはいいが、語ることが多すぎて適当なボリュームに納めきれなかったんじゃないでしょうか? ●携帯とダベリはどう違うのか まず上の物足りなさから来ることですが、上記の若者以外では「無駄話」を携帯でしない人がほとんどのはずです。 また「無駄話」は「ダベリ」ではないと思います。僕が思う「ダベリ」は「会話をしているということよりも、時間を共有していることを楽しむこと」だと思います。会話はあくまでおまけです。ですからダベってる間にインベーダーをする、漫画を読むってことはごくごく自然な行為です。 上記の若者は「無駄話」が「ダベリ」に変化することもあると思いますが、ダベるための環境が整っていないと出来ないでしょう。つまり常に携帯でダベることは不可能なはず。 ここからはこの記事のテーマからはずれますが、連中の「無駄話」がもしかして「粋な話」ななんじゃないかとも思うんです。最近僕が感じるのは20歳前後の世代は、僕らの世代よりもずっと古風なんじゃないかということ。 *浮気チェックするために男が女の携帯にかけ何をしているか確認する*自分が気に入ったことやものの話を伝える 極論かもしれませんが、これって平安時代の和歌を送りまくったのに似てません? ま、平安時代は大げさですが、ちょっとしたことで手紙を送る昔の人に似てる気がするんです。もちろん今の連中はそんなかっこよくないですが。 また、 > 自分の存在の確認のためだけに友だちと浅いつきあいしかしてない層です。 この一文がなんかオヤジ臭いというかチャラいというか引っかかりました。他者は誰にとっても自己を確認するために必要です。というか、自己を確認するためにだけに必要と言ってしまっても言い過ぎではないと思います。 また「若いやつ=浅い付き合い」というのは僕らの世代までは言えてたように思いますが、連中は僕らよりずっと重い付き合いをしてると思います。もっというと浅い付き合いの何が悪いんでしょう? この文からは「浅い付き合いを見下してるオヤジ」が臭ってきます。 > ダベリに負けるなんて悔しいではないですか。 というよりは、「ダベリながら熱心にやれるもの、ダベリのツールになるものを作っていこうじゃないですか」じゃないでしょうか? 少なくとも勝つ負けるではないと思います。 こうやって考えをまとめてみると、この記事で気になったのは「携帯=ダベリ」という点ではなくて「会話=ダベリ」という点だと気がつきました。 【お返事】 >30歳の僕も携帯にお金とられてますもん。 テーマの振り方が悪かったかも知れません。実際、あのコーナーの中で、一番掲出したくなかったのが、実はこの記事です (笑)確かに内容は薄いです。反省しています (笑) 「自分が悪かった」というのを前提に、ちょっとお話しします。だから、反論というより、補足という視点で読んで下さいね。 私が問題にしているのは、「今まで携帯ほど定期的に大きな金額の出費を継続的に『若者から』搾取した産業はなかった」ということです。20代から30代は結構1つのことにお金を使う傾向が強いのです。ですから、20代後半からの年代については、大きな問題にはしていません。 ------------------------------ >> ●携帯とダベリはどう違うのか>まず上の物足りなさから来ることですが、上記の若者以外では「無駄話」を携帯>でしない人がほとんどのはずです。 上の問題意識があるので、この点については、クリアかと思います。 ------------------------------ >また「無駄話」は「ダベリ」ではないと思います。僕が思う「ダベリ」は「会話 えっと、ここが私の見方と少々違うところです。「ダベリ」という言葉の定義はとりあえず、おいておいて言います (というのは、蓬田君が「ダベリ」ということばに敏感になっていたので、そこまで気にしていなかった私としては、ちょっととまどっているからです) 詳しくは「なっております症候群」を思い出して頂ければ良いのですが、今の20代前半より若い層の「会話」はあくまでも「他人との共有を自分で納得させる(ごまかす)ためのもの」という理解です。ちなみに、インベーダゲームの時のカップルは会話がなくて、ゲームだけやってデートをする、から他の年代に気持ち悪がられたのです。 それは、現在のプリクラや写真に近いものがあります。プリクラや写真は、若い人たちの言語障害 (?) を補足するための一種のビジュアル言語です。そして、それは、単に、時間や見ているもの (この場合は、プリクラや写真) を共有しているだけであって、人間や考え方を共有しているのではない、という視点です。極端に入ってしまえば、相手は「イヤなヤツ」でなければ、誰だって良いのです。 もうすこし、例を出すと最近の女の子の「身体を奪うのは」昔と比べてかなり簡単です。でも「心を奪うのはかなり難しい作業」です。「性の開放」や「性を特殊に見ない」ということばでくくられていますが、極端に言えば「相手がイヤでなければ」セックスくらいは OK ということです。彼女たちのセックスには、相手の人格や性格は含まれません。セックスはセックスとして単体で見るからこそ、「時間共有」と同レベルで簡単に身体を奪う事が出来るのです。 ここでは、時間共有がいけない、と言っているわけではありません。ただ、若い人たちの時間共有はベル友に代表されるように、「誰でも良いからベル鳴らして。でないと、寂しくて死んじゃう」ようなな表層的な意味でしかない、ということに問題があります。 つまり、企業に対して、「時間共有に負けるのがいけない。もっと魅力的な商品を出せば、不況なんて言ってられないよ」といいたいわけです。 ------------------------------ >「粋な話」ななんじゃないかとも思うんです。最近僕が感じるのは20歳前後の世>代は、僕らの世代よりもずっと古風なんじゃないかということ。 彼らが古風というのは同感です。実際、価値観調査をすると、現在の10代の価値観は40代の女性、つまり、おばさんに極めて近いからです。どこかマジメでだけど自分を守ろうとする保守的傾向が極めて強いのです。ただ、価値観レベルで「粋か?」と聞かれると、ちょっとつらいですけど (笑) ------------------------------ >極論かもしれませんが、これって平安時代の和歌を送りまくったのに似てません>? ま、平安時代は大げさですが、ちょっとしたことで手紙を送る昔の人に似てる そういう意味では平安時代と近いという蓬田君の仮説は正しいと思います。つまり、男女の立場が逆転している、自己中心的になっている、という点です。 元来、子供を生んで生産性を上げる農耕民族である日本民族は、女性上位の思想を持っています。日本書紀でも、アダムとイブと違い、「女が男を追いかけてもこどもはできない、逆に男が女を追いかけなさい」とアドバイスされて、人間と言うこともが出来た、というのが伝説ですから。 また、平安時代の貴族は生活環境が極めて安定していたので、マズローの5段階の欲求の「自己実現」の段階まで行っていました。戦後、経済が安定し始めた日本人は、現在ようやく「自己実現」のフェーズに入っています。ただ、この段階はもともと「判断価値が自分にあって他人ではない」ため、他人に振り回されたり、他人の和を常識以上に追いかけることはしない代わりに、初期段階では、人間ができあがっていないと、単なる自己中心的な発想になってしまうのです。そういう意味で、蓬田君の仮説は正しいです。 ------------------------------ >> 自分の存在の確認のためだけに友だちと浅いつきあいしかしてない層です。>この一文がなんかオヤジ臭いというかチャラいというか引っかかりました。他者 ここまでで、分かってもらえると思いますが、ここでいう「浅いつき合い」は結局「誰でも良い」的な発想での自己確認です。自己の存在をきちんと知るには、例えば蓬田君は、文句ばかり言っているけど、何もしてないチャライ17才のプー男を対象にはしていないはずです。 その証拠に、彼ら自身「自分って何?」の問題意識を20代中間にぶち当たり、それまでの自分が表層的な「存在 (存在価値ではありません)」だけで自己確認をしていることに気が付いているではありませんか。逆に言えば、それがなければ、「浅い」という言葉を使う必要はありません。彼ら自身が「浅い」と認めているからこそ、客観性を重んじるコンサルタントとして、「浅い」という単語を使えるのです。 ------------------------------ >また「若いやつ=浅い付き合い」というのは僕らの世代までは言えてたように思 浅いつき合いが悪い、というのは、彼ら自身が認めていることです。ここには、私の価値観は入っていません。蓬田君がオヤジ臭く感じるのは、私がオヤジだからではなく、若い人たちが我々40代男性以上にオヤジ臭い (保守的な) 価値観を持っているからです。この記事でのコンサルタントは彼らの鏡としての存在です。 従って、見下しているのは (というより、後悔しているのは)、「数年たった彼らの未来」の自分であって、私ではありません。 ------------------------------ >というよりは、「ダベリながら熱心にやれるもの、ダベリのツールになるものを>作っていこうじゃないですか」じゃないでしょうか? 少なくとも勝つ負けるでは ツールを作ろう、という主旨はそのとおりです。ただ、マーケティングの視点から言うと、限られたパイ (つまり、彼らの可処分所得) を振り向けるのは、勝ち負けなのです。逆に言うと、そういう発想がないとマーケティングはうまく機能しません。 昔、ホンダがシビックを開発するときに設定したのが、他社のクルマではなく海外旅行でした。ターゲットとなる若い層の可処分所得を海外旅行ではなくシビックに振り向けてもらうためにどうするか、という発想で価格を含めたクルマづくりをしたからこそ、業界内のシェアの奪い合いだけの発想でないクルマづくりが出来たのです。 現在も同じです。例えばセガや任天堂が敵にしなければならないのは、プレステではないよ、ということなのです。 ------------------------------ >こうやって考えをまとめてみると、この記事で気になったのは「携帯=ダベリ」>という点ではなくて「会話=ダベリ」という点だと気がつきました。 えっと、ダベリというキーワードの定義を避けたまま話を進めてきたので、ここで、私はつまずいてしまいます (笑)この話は後でしようね (笑) 【蓬田さんからのお返事】 > 私が問題にしているのは、「今まで携帯ほど定期的に大きな金額の出費を継続的に> 『若者から』搾取した産業はなかった」ということです。20代から30代は結構こ> 1つのとにお金を使う傾向が強いのです。ですから、20代後半からの年代につい> ては、大きな問題にはしていません。 釈迦に念仏だと思いますが、この辺のことを少しでも書いておいてくれたらうれしかったです。僕らの世代っていまだに「若者」って言葉で自分のことを言われてる気がするんですよ。もう違うのに。;) でも、僕らの世代が一番ネットで多い世代だと思うんです。 僕の意見でもどっか自分が「若者」に立ってしまってた気がします。20歳前の若者とも同じ「若者」なんだから理解できるはずって思いこんで。初めてのはっきりしたジェネレーションギャップに直面してます。最近、そう思います。 > 半より若い層の「会話」はあくまでも「他人との共有を自分で納得させる(ごまか> す)ためのもの」という理解です。ちなみに、インベーダゲームの時のカップルは この辺がちょっとわかりにくかったっす。「なっております症候群」、もう一度読んでみます。 > ただ、価値観レベルで「粋か?」と聞かれると、ちょっとつらいですけど (笑) すんません。僕の言語能力が低くって、こんな力ずくな言葉を使ってしまいました。こんな近世的な言葉より、もっと古代の言葉にいいのがあると思うんですよ。それこそ平安時代の言葉に。でも僕、古文得意じゃなかったんですよね...;) 今(というか少し昔)の言葉の「女々しい」ってのから悪いニュアンスを抜いたような言葉が。 > 日本書紀でも、アダムとイブと違い、「女が男を追いかけてもこどもは 共にあんましちゃんと読んだことないんですが、この話、古事記じゃなくって日本書紀でですか? > 自己の存在をきちんと知るには、例えば蓬田> 君は、文句ばかり言っているけど、何もしてないチャライ17才のプー男を対象に> はしていないはずです。 確かに。 > 彼ら自身が「浅い」と認めているからこそ、客観> 性を重んじるコンサルタントとして、「浅い」という単語を使えるのです。 くぅー、かっこいいっす! これにはマジで感心しました。嫌みじゃなく。でも、「客観」なんて立場、本当に人間にとれるもんでしょうか? それ以前に「主観」とか「自己」すらなんだか怪しいもんです、僕にとって。ま、この辺の哲学的な思考に走ってしまうと、即身成仏でもするしかないんでしゃぁ〜ないんですけどね。この辺の話は会ってしましょう。文章でやると壮絶なことになっちゃいますから。;) > 浅いつき合いが悪い、というのは、彼ら自身が認めていることです。> ここには、私の価値観は入っていません。> 蓬田君がオヤジ臭く感じるのは、私がオヤジだからではなく、若い人たちが我々> 40代男性以上にオヤジ臭い (保守的な) 価値観を持っているからです。この記事> でのひサルタントは彼らの鏡としての存在です。> 従って、見下しているのは (というより、後悔しているのは)、「数年たった彼ら> の未来」の自分であって、私ではありません。 これまた降参です...でも、ホントに後悔するのかなやつら。なんか、後悔せずに突き進んでほしいって無責任にも思ったりもします。でも、そんなやつとは一緒に仕事したくないけど。;) > ただ、マーケティングの視点から言うと、限られたパイ (つまり、彼らの可処分所>得 ) を振り向けるのは、勝ち負けなのです。> 逆に言うと、そういう発想がないとマーケティングはうまく機能しません。 確かになぁ...確かにそうだとは思うけど...なんかそういうマーケティングに左右されない人生を送りたいとは思ってます。なんか、悔しいもん。;)
確かに納得できる部分があるが、なんか物足りない。それに携帯を単に「ダベリ」とイコールにしてるところは違うように感じる。
●何がどのように物足りないのか
記事全部が読めるこのコーナーに来て、他の記事を一切読まずにこの記事を最初に読んでいきなり回答したものだというのがまずあります。「私はこう見る」が軽く読めるものだというのを忘れてたように思います。
で、他の記事もざっと読んでみたんですが、その中でもこの携帯の記事はやっぱり物足りなかったです。
理由を考えてみました。
若者(学生からせいぜいフリーターまで)の間でのヒットしか問題にしていないこと。この世代だけのヒットじゃないから携帯は大変なことになったんだと思います。その辺に全く触れてないのが物足りなかった。確かに他の世代までに話を広げると話がえらいことになりますから避けたんだと思いますが、全く触れないと物足りなすぎます。だってテーマが「携帯にお金とられてる」なんですもん。30歳の僕も携帯にお金とられてますもん。
察するに、大きなテーマを選んでしまったはいいが、語ることが多すぎて適当なボリュームに納めきれなかったんじゃないでしょうか?
●携帯とダベリはどう違うのか
まず上の物足りなさから来ることですが、上記の若者以外では「無駄話」を携帯でしない人がほとんどのはずです。
また「無駄話」は「ダベリ」ではないと思います。僕が思う「ダベリ」は「会話をしているということよりも、時間を共有していることを楽しむこと」だと思います。会話はあくまでおまけです。ですからダベってる間にインベーダーをする、漫画を読むってことはごくごく自然な行為です。
上記の若者は「無駄話」が「ダベリ」に変化することもあると思いますが、ダベるための環境が整っていないと出来ないでしょう。つまり常に携帯でダベることは不可能なはず。
ここからはこの記事のテーマからはずれますが、連中の「無駄話」がもしかして「粋な話」ななんじゃないかとも思うんです。最近僕が感じるのは20歳前後の世代は、僕らの世代よりもずっと古風なんじゃないかということ。
*浮気チェックするために男が女の携帯にかけ何をしているか確認する*自分が気に入ったことやものの話を伝える
極論かもしれませんが、これって平安時代の和歌を送りまくったのに似てません? ま、平安時代は大げさですが、ちょっとしたことで手紙を送る昔の人に似てる気がするんです。もちろん今の連中はそんなかっこよくないですが。
また、
> 自分の存在の確認のためだけに友だちと浅いつきあいしかしてない層です。
この一文がなんかオヤジ臭いというかチャラいというか引っかかりました。他者は誰にとっても自己を確認するために必要です。というか、自己を確認するためにだけに必要と言ってしまっても言い過ぎではないと思います。
また「若いやつ=浅い付き合い」というのは僕らの世代までは言えてたように思いますが、連中は僕らよりずっと重い付き合いをしてると思います。もっというと浅い付き合いの何が悪いんでしょう? この文からは「浅い付き合いを見下してるオヤジ」が臭ってきます。
> ダベリに負けるなんて悔しいではないですか。
というよりは、「ダベリながら熱心にやれるもの、ダベリのツールになるものを作っていこうじゃないですか」じゃないでしょうか? 少なくとも勝つ負けるではないと思います。
こうやって考えをまとめてみると、この記事で気になったのは「携帯=ダベリ」という点ではなくて「会話=ダベリ」という点だと気がつきました。
>30歳の僕も携帯にお金とられてますもん。
テーマの振り方が悪かったかも知れません。実際、あのコーナーの中で、一番掲出したくなかったのが、実はこの記事です (笑)確かに内容は薄いです。反省しています (笑)
「自分が悪かった」というのを前提に、ちょっとお話しします。だから、反論というより、補足という視点で読んで下さいね。
私が問題にしているのは、「今まで携帯ほど定期的に大きな金額の出費を継続的に『若者から』搾取した産業はなかった」ということです。20代から30代は結構1つのことにお金を使う傾向が強いのです。ですから、20代後半からの年代については、大きな問題にはしていません。
------------------------------
>> ●携帯とダベリはどう違うのか>まず上の物足りなさから来ることですが、上記の若者以外では「無駄話」を携帯>でしない人がほとんどのはずです。
上の問題意識があるので、この点については、クリアかと思います。
>また「無駄話」は「ダベリ」ではないと思います。僕が思う「ダベリ」は「会話
えっと、ここが私の見方と少々違うところです。「ダベリ」という言葉の定義はとりあえず、おいておいて言います (というのは、蓬田君が「ダベリ」ということばに敏感になっていたので、そこまで気にしていなかった私としては、ちょっととまどっているからです)
詳しくは「なっております症候群」を思い出して頂ければ良いのですが、今の20代前半より若い層の「会話」はあくまでも「他人との共有を自分で納得させる(ごまかす)ためのもの」という理解です。ちなみに、インベーダゲームの時のカップルは会話がなくて、ゲームだけやってデートをする、から他の年代に気持ち悪がられたのです。
それは、現在のプリクラや写真に近いものがあります。プリクラや写真は、若い人たちの言語障害 (?) を補足するための一種のビジュアル言語です。そして、それは、単に、時間や見ているもの (この場合は、プリクラや写真) を共有しているだけであって、人間や考え方を共有しているのではない、という視点です。極端に入ってしまえば、相手は「イヤなヤツ」でなければ、誰だって良いのです。
もうすこし、例を出すと最近の女の子の「身体を奪うのは」昔と比べてかなり簡単です。でも「心を奪うのはかなり難しい作業」です。「性の開放」や「性を特殊に見ない」ということばでくくられていますが、極端に言えば「相手がイヤでなければ」セックスくらいは OK ということです。彼女たちのセックスには、相手の人格や性格は含まれません。セックスはセックスとして単体で見るからこそ、「時間共有」と同レベルで簡単に身体を奪う事が出来るのです。
ここでは、時間共有がいけない、と言っているわけではありません。ただ、若い人たちの時間共有はベル友に代表されるように、「誰でも良いからベル鳴らして。でないと、寂しくて死んじゃう」ようなな表層的な意味でしかない、ということに問題があります。
つまり、企業に対して、「時間共有に負けるのがいけない。もっと魅力的な商品を出せば、不況なんて言ってられないよ」といいたいわけです。
>「粋な話」ななんじゃないかとも思うんです。最近僕が感じるのは20歳前後の世>代は、僕らの世代よりもずっと古風なんじゃないかということ。
彼らが古風というのは同感です。実際、価値観調査をすると、現在の10代の価値観は40代の女性、つまり、おばさんに極めて近いからです。どこかマジメでだけど自分を守ろうとする保守的傾向が極めて強いのです。ただ、価値観レベルで「粋か?」と聞かれると、ちょっとつらいですけど (笑)
>極論かもしれませんが、これって平安時代の和歌を送りまくったのに似てません>? ま、平安時代は大げさですが、ちょっとしたことで手紙を送る昔の人に似てる
そういう意味では平安時代と近いという蓬田君の仮説は正しいと思います。つまり、男女の立場が逆転している、自己中心的になっている、という点です。
元来、子供を生んで生産性を上げる農耕民族である日本民族は、女性上位の思想を持っています。日本書紀でも、アダムとイブと違い、「女が男を追いかけてもこどもはできない、逆に男が女を追いかけなさい」とアドバイスされて、人間と言うこともが出来た、というのが伝説ですから。
また、平安時代の貴族は生活環境が極めて安定していたので、マズローの5段階の欲求の「自己実現」の段階まで行っていました。戦後、経済が安定し始めた日本人は、現在ようやく「自己実現」のフェーズに入っています。ただ、この段階はもともと「判断価値が自分にあって他人ではない」ため、他人に振り回されたり、他人の和を常識以上に追いかけることはしない代わりに、初期段階では、人間ができあがっていないと、単なる自己中心的な発想になってしまうのです。そういう意味で、蓬田君の仮説は正しいです。
>> 自分の存在の確認のためだけに友だちと浅いつきあいしかしてない層です。>この一文がなんかオヤジ臭いというかチャラいというか引っかかりました。他者
ここまでで、分かってもらえると思いますが、ここでいう「浅いつき合い」は結局「誰でも良い」的な発想での自己確認です。自己の存在をきちんと知るには、例えば蓬田君は、文句ばかり言っているけど、何もしてないチャライ17才のプー男を対象にはしていないはずです。
その証拠に、彼ら自身「自分って何?」の問題意識を20代中間にぶち当たり、それまでの自分が表層的な「存在 (存在価値ではありません)」だけで自己確認をしていることに気が付いているではありませんか。逆に言えば、それがなければ、「浅い」という言葉を使う必要はありません。彼ら自身が「浅い」と認めているからこそ、客観性を重んじるコンサルタントとして、「浅い」という単語を使えるのです。
>また「若いやつ=浅い付き合い」というのは僕らの世代までは言えてたように思
浅いつき合いが悪い、というのは、彼ら自身が認めていることです。ここには、私の価値観は入っていません。蓬田君がオヤジ臭く感じるのは、私がオヤジだからではなく、若い人たちが我々40代男性以上にオヤジ臭い (保守的な) 価値観を持っているからです。この記事でのコンサルタントは彼らの鏡としての存在です。
従って、見下しているのは (というより、後悔しているのは)、「数年たった彼らの未来」の自分であって、私ではありません。
>というよりは、「ダベリながら熱心にやれるもの、ダベリのツールになるものを>作っていこうじゃないですか」じゃないでしょうか? 少なくとも勝つ負けるでは
ツールを作ろう、という主旨はそのとおりです。ただ、マーケティングの視点から言うと、限られたパイ (つまり、彼らの可処分所得) を振り向けるのは、勝ち負けなのです。逆に言うと、そういう発想がないとマーケティングはうまく機能しません。
昔、ホンダがシビックを開発するときに設定したのが、他社のクルマではなく海外旅行でした。ターゲットとなる若い層の可処分所得を海外旅行ではなくシビックに振り向けてもらうためにどうするか、という発想で価格を含めたクルマづくりをしたからこそ、業界内のシェアの奪い合いだけの発想でないクルマづくりが出来たのです。
現在も同じです。例えばセガや任天堂が敵にしなければならないのは、プレステではないよ、ということなのです。
>こうやって考えをまとめてみると、この記事で気になったのは「携帯=ダベリ」>という点ではなくて「会話=ダベリ」という点だと気がつきました。
えっと、ダベリというキーワードの定義を避けたまま話を進めてきたので、ここで、私はつまずいてしまいます (笑)この話は後でしようね (笑)
【蓬田さんからのお返事】
> 私が問題にしているのは、「今まで携帯ほど定期的に大きな金額の出費を継続的に> 『若者から』搾取した産業はなかった」ということです。20代から30代は結構こ> 1つのとにお金を使う傾向が強いのです。ですから、20代後半からの年代につい> ては、大きな問題にはしていません。
釈迦に念仏だと思いますが、この辺のことを少しでも書いておいてくれたらうれしかったです。僕らの世代っていまだに「若者」って言葉で自分のことを言われてる気がするんですよ。もう違うのに。;) でも、僕らの世代が一番ネットで多い世代だと思うんです。
僕の意見でもどっか自分が「若者」に立ってしまってた気がします。20歳前の若者とも同じ「若者」なんだから理解できるはずって思いこんで。初めてのはっきりしたジェネレーションギャップに直面してます。最近、そう思います。
> 半より若い層の「会話」はあくまでも「他人との共有を自分で納得させる(ごまか> す)ためのもの」という理解です。ちなみに、インベーダゲームの時のカップルは
この辺がちょっとわかりにくかったっす。「なっております症候群」、もう一度読んでみます。
> ただ、価値観レベルで「粋か?」と聞かれると、ちょっとつらいですけど (笑)
すんません。僕の言語能力が低くって、こんな力ずくな言葉を使ってしまいました。こんな近世的な言葉より、もっと古代の言葉にいいのがあると思うんですよ。それこそ平安時代の言葉に。でも僕、古文得意じゃなかったんですよね...;) 今(というか少し昔)の言葉の「女々しい」ってのから悪いニュアンスを抜いたような言葉が。
> 日本書紀でも、アダムとイブと違い、「女が男を追いかけてもこどもは
共にあんましちゃんと読んだことないんですが、この話、古事記じゃなくって日本書紀でですか?
> 自己の存在をきちんと知るには、例えば蓬田> 君は、文句ばかり言っているけど、何もしてないチャライ17才のプー男を対象に> はしていないはずです。
確かに。
> 彼ら自身が「浅い」と認めているからこそ、客観> 性を重んじるコンサルタントとして、「浅い」という単語を使えるのです。
くぅー、かっこいいっす! これにはマジで感心しました。嫌みじゃなく。でも、「客観」なんて立場、本当に人間にとれるもんでしょうか? それ以前に「主観」とか「自己」すらなんだか怪しいもんです、僕にとって。ま、この辺の哲学的な思考に走ってしまうと、即身成仏でもするしかないんでしゃぁ〜ないんですけどね。この辺の話は会ってしましょう。文章でやると壮絶なことになっちゃいますから。;)
> 浅いつき合いが悪い、というのは、彼ら自身が認めていることです。> ここには、私の価値観は入っていません。> 蓬田君がオヤジ臭く感じるのは、私がオヤジだからではなく、若い人たちが我々> 40代男性以上にオヤジ臭い (保守的な) 価値観を持っているからです。この記事> でのひサルタントは彼らの鏡としての存在です。> 従って、見下しているのは (というより、後悔しているのは)、「数年たった彼ら> の未来」の自分であって、私ではありません。
これまた降参です...でも、ホントに後悔するのかなやつら。なんか、後悔せずに突き進んでほしいって無責任にも思ったりもします。でも、そんなやつとは一緒に仕事したくないけど。;)
> ただ、マーケティングの視点から言うと、限られたパイ (つまり、彼らの可処分所>得 ) を振り向けるのは、勝ち負けなのです。> 逆に言うと、そういう発想がないとマーケティングはうまく機能しません。
確かになぁ...確かにそうだとは思うけど...なんかそういうマーケティングに左右されない人生を送りたいとは思ってます。なんか、悔しいもん。;)
「私はこう見る」全体について
私は音楽業界に就職を考えているものなのですが、最近の音楽業界についてのことをとりあげてほしいです。原盤制作や日本におけるA&Rのあり方、それと今の日本の音楽ムーブメント(クラブ、DJ、など・・・)皆様のご意見をお聞きしたいです。 よろしくおねがいします。 【お返事】 了解しました。 ただ、音楽業界は数字などを含め、定量的な情報が極めて少ないので、ちょっとお時間を頂ければありがたいです。 >原盤制作や日本におけるA&Rのあり方、それと今の日本の音楽ムーブメント(クラ ただ、「私はこう見る」のコンセプトから言って、生活者の視点で捉えますので、原盤制作などの話題がどこまで出るか、については、書いてみないと分かりません。あらかじめご了承下さい。
私は音楽業界に就職を考えているものなのですが、最近の音楽業界についてのことをとりあげてほしいです。原盤制作や日本におけるA&Rのあり方、それと今の日本の音楽ムーブメント(クラブ、DJ、など・・・)皆様のご意見をお聞きしたいです。 よろしくおねがいします。
了解しました。
ただ、音楽業界は数字などを含め、定量的な情報が極めて少ないので、ちょっとお時間を頂ければありがたいです。
>原盤制作や日本におけるA&Rのあり方、それと今の日本の音楽ムーブメント(クラ
ただ、「私はこう見る」のコンセプトから言って、生活者の視点で捉えますので、原盤制作などの話題がどこまで出るか、については、書いてみないと分かりません。あらかじめご了承下さい。
お返事の中で、「自分の好きなものを作る」危険性について教えていただきましたが、実は正にその通りの危険を犯し、爆進中といったところです。どうやら、何年も前からそうやって企画を立てては社内の稟議を通過せずにいるようです。かといって、社内の判断が優れているわけでもないのです。 理由を書くと、なんだか内部暴露(というより愚痴なんですが)のようですが、題材にあった日立さんも同じようなことが言えると思います。 先日、新しい上司として本社でもやり手といわれる人が赴任してきました。私の部署ではバックボーンとしてある程度の方向を決めた生活環境の研究のようなこともしています。「今年は高齢者対応などの3つのテーマをたてて、情報収集や人口動態からの予測などを行っています」と新しい上司に説明したところ、「そのテーマはうちの事業のどれに対応しているんですか?」と聞かれました。 確かに社内で多くの予算を取ってくることが、うちの会社では「仕事ができる」ということです(営業は別かもしれませんが)。それにはそういう考えが一番合理的です。ノウハウや技術がなければどんなにいいアイデアも製品にできません。でも、そういう考えに何十年も晒された人達が上にたくさんいる、というのはちょっと薄ら寒い話です。 日立さんも会社が大きい分、こういう頭の固さが染みついているのでは、といらないことを考えてしまいました。自分たちがつくる製品への愛情とか誇りはもちろん品質とともに持っていると思いますけれど。それでは今の世の中売れないと。耳の痛い話です。 本当は、商品企画では「自分の好きなもの」ではいけないと思うけれど、数値の積み重ねで見えてくる動きを予測することは大量生産を前提とした考え方に過ぎないのかも? といったことを教えてもらえたら、と思っていたのですが、長くなりましたので、終わりにします。 【お返事】 >ところです。どうやら、何年も前からそうやって企画を立てては>社内の稟議を通過せずにいるようです。かといって、社内の判断が やはりそうでしたか。歴史がそれなりにあって、規模の大きい企業がそれを「革新的」「目先を変えて」実行すると、そうなるケースが多いのですが、香林さんの会社もそのタイプなのでしょうか。また、その傾向は家電・オーディオ機器関係に多いのも実際の所なのですが。 >テーマはうちの事業のどれに対応しているんですか?」と聞かれ うーん。技術系研究開発の場合は、基礎研究と応用研究の2つの分野があって、応用研究は商品に直接関わるものですが、基礎研究は直接関わる事業は想定しないで行う、といった棲み分けが一般的ですが、マーケティング等の人文科学系では、まだその意識が定着していないのです。 私も、最初はかなり大きな企業にいたのですが、そういう時は上層部が適当に納得するような理屈を付けて稟議書を回してしまうテクニックを身につけましたが、本来の姿ではないですよね。 >確かに社内で多くの予算を取ってくることが、うちの会社では>「仕事ができる」ということです(営業は別かもしれませんが)。 納得です。予算と人員。これが多ければ多いほど「できるヤツ」になってしまう。確かに、予算が多ければできることも増えるし、人員が増えれば仕事が楽になるか、できる仕事の量あるいは質が高くなるので、わからない訳ではありません。でもねその目的をきちんと把握しないまま、図体だけが大きくなっても、役所のような力の原理になってしまいます。確かに、それが大企業病の症状の一種なのですが。 >それにはそういう考えが一番合理的です。ノウハウや技術が>なければどんなにいいアイデアも製品にできません。 いえいえ。逆にどんなに技術が高くても、アイデアがなければ良い商品は生まれません。シャープの液晶ビューカムが良い例ではありませんか。あの商品は、画期的な新技術を使っているわけでも何でもないのですから。ただ、アイデアが画期的でしたよね。アイデア (コンセプト) と技術は両輪と考えるべきなのです。どちらか一方がゼロなら、結果 (売上) もゼロです。 >でも、そういう考えに何十年も晒された人達が上にたくさんいる、>というのはちょっと薄ら寒い話です。 自分が会社を変えるか、その中で好きなことをごまかしながらやるか、あるいは外に飛び出すか。私は、3番目を選んだだけです (笑) >製品への愛情とか誇りはもちろん品質とともに持っていると思い>ますけれど。それでは今の世の中売れないと。耳の痛い話です。 正直言うと、ビジネスですから、利益がなければなりません。とはいうものの、現状に媚びているだけでも、利益は生まれません。コンサルタントというより、社会人の先輩として言えば、「2番手」を狙うのが最も現実的な、そして、最適な方法だと思っています。生活者も、「1番手」の商品は手を付けない場合が多いのです。「2歩も3歩も先を行く商品」ではダメです。「半歩先」の商品が最も分かりやすくて、受容されます。 つまり、「1番手」は後々のために取っておく。そして、時期 (チャンス) が来たら、一気にそれで押す。逆に考えれば、「1番手」の存在が分かっていれば、「2番手」を作ることなど簡単ではありませんか。それは、(見通しとして) 余裕やキャパシティのあるビジネス・パースンだけに許されるやり方ですので、悠長に構えていられる、という利点もあります。 >数値の積み重ねで見えてくる動きを予測することは大量生産を前提と>した考え方に過ぎないのかも? といったことを教えてもらえたら、 短い文章なので、主旨がはっきりしませんが、ちょっとだけコメントします。数値の積み重ねだけではきちんとした市場の動きは把握できません。平均発想に陥りやすい、ということなのです。 例えばガス・ステーションの選択基準は「近いところ」が50%もいます。だから、平均発想では、この50%に注目し、なんとか店の数を増やそうとします。でも、GS は行政指導が強いので、簡単に数を増やすわけには行きません。すると、「行政で縛られているからダメなんだ」と下位は思いがちです。 でも、逆に言えば、後の50%があるではありませんか。これを私は「クラスタ発想」と呼んでいます。大きな市場に突っ込んでいくのは結構。でも競争相手がひしめているのでは、取り分が少なくなります。でも、クラスタ発想なら、競合が少ない分取り分が多くなります。数値「だけ」での発想は、この平均発想を促進します。
お返事の中で、「自分の好きなものを作る」危険性について教えていただきましたが、実は正にその通りの危険を犯し、爆進中といったところです。どうやら、何年も前からそうやって企画を立てては社内の稟議を通過せずにいるようです。かといって、社内の判断が優れているわけでもないのです。
理由を書くと、なんだか内部暴露(というより愚痴なんですが)のようですが、題材にあった日立さんも同じようなことが言えると思います。
先日、新しい上司として本社でもやり手といわれる人が赴任してきました。私の部署ではバックボーンとしてある程度の方向を決めた生活環境の研究のようなこともしています。「今年は高齢者対応などの3つのテーマをたてて、情報収集や人口動態からの予測などを行っています」と新しい上司に説明したところ、「そのテーマはうちの事業のどれに対応しているんですか?」と聞かれました。
確かに社内で多くの予算を取ってくることが、うちの会社では「仕事ができる」ということです(営業は別かもしれませんが)。それにはそういう考えが一番合理的です。ノウハウや技術がなければどんなにいいアイデアも製品にできません。でも、そういう考えに何十年も晒された人達が上にたくさんいる、というのはちょっと薄ら寒い話です。
日立さんも会社が大きい分、こういう頭の固さが染みついているのでは、といらないことを考えてしまいました。自分たちがつくる製品への愛情とか誇りはもちろん品質とともに持っていると思いますけれど。それでは今の世の中売れないと。耳の痛い話です。
本当は、商品企画では「自分の好きなもの」ではいけないと思うけれど、数値の積み重ねで見えてくる動きを予測することは大量生産を前提とした考え方に過ぎないのかも? といったことを教えてもらえたら、と思っていたのですが、長くなりましたので、終わりにします。
>ところです。どうやら、何年も前からそうやって企画を立てては>社内の稟議を通過せずにいるようです。かといって、社内の判断が
やはりそうでしたか。歴史がそれなりにあって、規模の大きい企業がそれを「革新的」「目先を変えて」実行すると、そうなるケースが多いのですが、香林さんの会社もそのタイプなのでしょうか。また、その傾向は家電・オーディオ機器関係に多いのも実際の所なのですが。
>テーマはうちの事業のどれに対応しているんですか?」と聞かれ
うーん。技術系研究開発の場合は、基礎研究と応用研究の2つの分野があって、応用研究は商品に直接関わるものですが、基礎研究は直接関わる事業は想定しないで行う、といった棲み分けが一般的ですが、マーケティング等の人文科学系では、まだその意識が定着していないのです。
私も、最初はかなり大きな企業にいたのですが、そういう時は上層部が適当に納得するような理屈を付けて稟議書を回してしまうテクニックを身につけましたが、本来の姿ではないですよね。
>確かに社内で多くの予算を取ってくることが、うちの会社では>「仕事ができる」ということです(営業は別かもしれませんが)。
納得です。予算と人員。これが多ければ多いほど「できるヤツ」になってしまう。確かに、予算が多ければできることも増えるし、人員が増えれば仕事が楽になるか、できる仕事の量あるいは質が高くなるので、わからない訳ではありません。でもねその目的をきちんと把握しないまま、図体だけが大きくなっても、役所のような力の原理になってしまいます。確かに、それが大企業病の症状の一種なのですが。
>それにはそういう考えが一番合理的です。ノウハウや技術が>なければどんなにいいアイデアも製品にできません。
いえいえ。逆にどんなに技術が高くても、アイデアがなければ良い商品は生まれません。シャープの液晶ビューカムが良い例ではありませんか。あの商品は、画期的な新技術を使っているわけでも何でもないのですから。ただ、アイデアが画期的でしたよね。アイデア (コンセプト) と技術は両輪と考えるべきなのです。どちらか一方がゼロなら、結果 (売上) もゼロです。
>でも、そういう考えに何十年も晒された人達が上にたくさんいる、>というのはちょっと薄ら寒い話です。
自分が会社を変えるか、その中で好きなことをごまかしながらやるか、あるいは外に飛び出すか。私は、3番目を選んだだけです (笑)
>製品への愛情とか誇りはもちろん品質とともに持っていると思い>ますけれど。それでは今の世の中売れないと。耳の痛い話です。
正直言うと、ビジネスですから、利益がなければなりません。とはいうものの、現状に媚びているだけでも、利益は生まれません。コンサルタントというより、社会人の先輩として言えば、「2番手」を狙うのが最も現実的な、そして、最適な方法だと思っています。生活者も、「1番手」の商品は手を付けない場合が多いのです。「2歩も3歩も先を行く商品」ではダメです。「半歩先」の商品が最も分かりやすくて、受容されます。
つまり、「1番手」は後々のために取っておく。そして、時期 (チャンス) が来たら、一気にそれで押す。逆に考えれば、「1番手」の存在が分かっていれば、「2番手」を作ることなど簡単ではありませんか。それは、(見通しとして) 余裕やキャパシティのあるビジネス・パースンだけに許されるやり方ですので、悠長に構えていられる、という利点もあります。
>数値の積み重ねで見えてくる動きを予測することは大量生産を前提と>した考え方に過ぎないのかも? といったことを教えてもらえたら、
短い文章なので、主旨がはっきりしませんが、ちょっとだけコメントします。数値の積み重ねだけではきちんとした市場の動きは把握できません。平均発想に陥りやすい、ということなのです。
例えばガス・ステーションの選択基準は「近いところ」が50%もいます。だから、平均発想では、この50%に注目し、なんとか店の数を増やそうとします。でも、GS は行政指導が強いので、簡単に数を増やすわけには行きません。すると、「行政で縛られているからダメなんだ」と下位は思いがちです。
でも、逆に言えば、後の50%があるではありませんか。これを私は「クラスタ発想」と呼んでいます。大きな市場に突っ込んでいくのは結構。でも競争相手がひしめているのでは、取り分が少なくなります。でも、クラスタ発想なら、競合が少ない分取り分が多くなります。数値「だけ」での発想は、この平均発想を促進します。
コンサルティングという職業をやるためには、クールというか、冷静に判断できなければいけないと改めて感じました。 ところで私は、今日生まれて初めて iMac を見ました。あまりのカッコ良さに感動しました。今までマッキントッシュなんか眼中になかったけど結構いいかも。 Ward とか Exel とかがあるなんて初めて知った。(少々値は張るが・・・) 次にパソコン買う時は、マッキントッシュだ---!!!なんて興奮しているのですが、Mac はそんなに Windows にたいして劣っているのでしょうか? マーケティングとか、戦略が間違っていたのでしょうか?私は、パソコン初心者なのでわかりません。。 【お返事】 >コンサルティングという職業をやるためには、>クールというか、冷静に判断できなければいけない 訓練も大きいです。実は、私はプライベートではかなり熱くなる人間ですもの (笑)社員を教育するときも「まず自分の意見から始めるけど、慣れてきたら、自分の意見はできるだけ排除するように」教育します。大抵の場合、一時期人間不信になりますが、それが卒業できたときに初めて半人前になります。 >Mac はそんなに Windows にたいして劣っているのでしょうか?>マーケティングとか、戦略が間違っていたのでしょうか? 了解しました。ただ、パソコンの話題はかなり気をつけないと色々なところから突っ込みが入りますので、準備を相当しなければいけません (笑)。お時間を余計に下さい。 いや、ネタは充分すぎるほどあります。私は、SE からのマッキントッシュ使い (10年前です) ですし、その前は8001から9801の NEC ユーザーでした (もっと前は、ボード型コンピュータ、その前がメインフレーム、という筋金入りのコンピュータ・ユーザーです (笑))。 でも、インターネットでは、パソコンについては、それなりに自分のご意見を持っていらっしゃる方が多いので、大変なんです、皆さんを一気に納得させる論理構成を作るのが (笑) ちなみに、アップルは戦略ミスです (きっぱり)。iMac カッコいいですけど、私は買いません (笑)
コンサルティングという職業をやるためには、クールというか、冷静に判断できなければいけないと改めて感じました。
ところで私は、今日生まれて初めて iMac を見ました。あまりのカッコ良さに感動しました。今までマッキントッシュなんか眼中になかったけど結構いいかも。
Ward とか Exel とかがあるなんて初めて知った。(少々値は張るが・・・)
次にパソコン買う時は、マッキントッシュだ---!!!なんて興奮しているのですが、Mac はそんなに Windows にたいして劣っているのでしょうか?
マーケティングとか、戦略が間違っていたのでしょうか?私は、パソコン初心者なのでわかりません。。
>コンサルティングという職業をやるためには、>クールというか、冷静に判断できなければいけない
訓練も大きいです。実は、私はプライベートではかなり熱くなる人間ですもの (笑)社員を教育するときも「まず自分の意見から始めるけど、慣れてきたら、自分の意見はできるだけ排除するように」教育します。大抵の場合、一時期人間不信になりますが、それが卒業できたときに初めて半人前になります。
>Mac はそんなに Windows にたいして劣っているのでしょうか?>マーケティングとか、戦略が間違っていたのでしょうか?
了解しました。ただ、パソコンの話題はかなり気をつけないと色々なところから突っ込みが入りますので、準備を相当しなければいけません (笑)。お時間を余計に下さい。
いや、ネタは充分すぎるほどあります。私は、SE からのマッキントッシュ使い (10年前です) ですし、その前は8001から9801の NEC ユーザーでした (もっと前は、ボード型コンピュータ、その前がメインフレーム、という筋金入りのコンピュータ・ユーザーです (笑))。
でも、インターネットでは、パソコンについては、それなりに自分のご意見を持っていらっしゃる方が多いので、大変なんです、皆さんを一気に納得させる論理構成を作るのが (笑)
ちなみに、アップルは戦略ミスです (きっぱり)。iMac カッコいいですけど、私は買いません (笑)
「ひゅーひゅー」桃天は本当に売れる戦略か? 98.7.16 掲載
ところで、7月のテーマになりますが、最近HPで見たので感想を送らせてもらいます。ずばり、今回の分析はイマイチ腑に落ちないなという感じでした。それは、以下のコメントあたりを中心にです。 >では、なぜ、桃天が売れたのか?>簡単である。>知名度が上がったからだ。そして、商品とボトルが「おいしかった」から>だ。>それ以外の何者でもない。>商品の知名度は「ひゅーひゅー」でなくてもいい。>華原朋美が「モモテン、モモテン、モモテン」と10回繰り返すだけの表現>でもよいのだ。>後は、予算(に支え>られた露出量)が面倒を見てくれる。 私が思う「桃天」が売れた理由は 1)ネーミングの分かりやすさ: 全国津々浦々の小学生から母親までに一気に到達する。 →これって実はかなり勇気がいる事で、ついつい東京圏でマーケティングなんてのを発想している企業人は、東京圏視点での“今までになかった新しさ”を表現したくなっちゃうんでは?又、飲料の場合、最近主流の500PETだけでなく大型のPETも含めてスーパーで売ることも重要だろうから、母親・主婦が買いやすい事も売りを拡大した要因かと。 2)ネーミングの期待値と実感味覚のギャップの少なさ: おいしいってのは当然だけど、「桃」っていう意外と飲料になってなくて日本人が好きな味覚と、「天然水」っていう安心材料から感じられる、“健康的なほの甘水系飲料”ってのが、ネーミングですぐ分かりつつ、見た目は透明で“こんな水みたいので味するのかな”と思わせつつ、飲んでみると“へーぇ、思った通りの味がするじゃん”っていう素直な構造になっていたのが良かったのかと。 →この慢性不況の中、低価格の飲料といえども、リスク回避・浪費回避傾向が強まっていると思われるので、このあたりも重要なコト。 3)華原朋美+「ひゅーひゅー」広告: 朋ちゃんのお気楽、ノー天気、天真爛漫?というキャラクターが、いつものあの表情とポーズで「ひゅーひゅー」という生理言語を言わせたこと。これに対して、商品価値も伝えてないし、ましてや、商品理解などほど遠い的な見方はイマドキどうかと思いますねぇ。だって、飲料なんて、ほとんど無意識選択に近い低関与・高頻度型カテゴリーでしょうからねぇ、この分かりやすく、覚えやすく、味覚が想起しやすいネーミングに、広告が明るく・楽しく・イキイキ・開放的な・・・っていいう商品のキャラクターを伝えているのですから、十分にこいつの「商品価値」を魅力的に伝達していると思いますよ。決して、「モモテン、モモテン、モモテン」と10回繰り返すのと同じ効果だとは僕は思いません。 →もはやモノのブツとしての価値で差別化を理性に訴えてもダメで、要は生理的、潜在意識的にグラっとさせるかが、特にこの飲料なんてのの場合の広告には必要なんじゃないでしょうか。 確かに長期的な商品育成の為には色々大変だと思いますが、とにかく今回JTさんもやるじゃんって感じと、幅広いユーザーにたくさん売れたという実績が残せた功績は大かと。あと、もう1点気になったのは、誰彼構わず聞かれたという桃天に関するコメントが、全てネガティブなこと。 これは、良く考えずに読んでいる側は、「そうかぁ、そういう反応なんだぁ、やっぱりあの戦略はダメなんだなぁ」と思わせるには当然効果大だと思いますが、ちょっとズルイやり方ですよね?論旨に都合の良い定性情報を散りばめるのは。 ちなみに僕の周りのコメントは全く逆で「朋ちゃんてイマドキ、ノー天気でいいよね」「なんかあそこまでアホっぽいと可愛いよね」「朋チャンて、桃っていうプリティさと、天然水のみずみずしさにぴったりね」「俺も仕事煮詰まってるから、朋ちゃんと一緒にヒューヒューしたいよ」等の好意的なものが多かったなぁ。 ましてや「広告では何だか商品特長が分からないけど飲んでみた」「この飲料のどこがひゅーひゅーなのか腑に落ちない」なんてトコまで深めた人は皆無でした。 ってなコトでかなり長くなってしまいましたが、ちょっといつもの分析の鋭さが欠けてらしたような感じがしましたので自分の意見という形で反論?させていただきました。 PS:決して飲料業界、及びCM業界にいる者ではありません。 【お返事】 【注】かなり長い内容なので、別ページにしました。ご興味のある方は、こちらをクリックして下さい。 【amigoさんへのお返事】
ところで、7月のテーマになりますが、最近HPで見たので感想を送らせてもらいます。ずばり、今回の分析はイマイチ腑に落ちないなという感じでした。それは、以下のコメントあたりを中心にです。
>では、なぜ、桃天が売れたのか?>簡単である。>知名度が上がったからだ。そして、商品とボトルが「おいしかった」から>だ。>それ以外の何者でもない。>商品の知名度は「ひゅーひゅー」でなくてもいい。>華原朋美が「モモテン、モモテン、モモテン」と10回繰り返すだけの表現>でもよいのだ。>後は、予算(に支え>られた露出量)が面倒を見てくれる。
私が思う「桃天」が売れた理由は
1)ネーミングの分かりやすさ:
全国津々浦々の小学生から母親までに一気に到達する。
→これって実はかなり勇気がいる事で、ついつい東京圏でマーケティングなんてのを発想している企業人は、東京圏視点での“今までになかった新しさ”を表現したくなっちゃうんでは?又、飲料の場合、最近主流の500PETだけでなく大型のPETも含めてスーパーで売ることも重要だろうから、母親・主婦が買いやすい事も売りを拡大した要因かと。
2)ネーミングの期待値と実感味覚のギャップの少なさ:
おいしいってのは当然だけど、「桃」っていう意外と飲料になってなくて日本人が好きな味覚と、「天然水」っていう安心材料から感じられる、“健康的なほの甘水系飲料”ってのが、ネーミングですぐ分かりつつ、見た目は透明で“こんな水みたいので味するのかな”と思わせつつ、飲んでみると“へーぇ、思った通りの味がするじゃん”っていう素直な構造になっていたのが良かったのかと。
→この慢性不況の中、低価格の飲料といえども、リスク回避・浪費回避傾向が強まっていると思われるので、このあたりも重要なコト。
3)華原朋美+「ひゅーひゅー」広告:
朋ちゃんのお気楽、ノー天気、天真爛漫?というキャラクターが、いつものあの表情とポーズで「ひゅーひゅー」という生理言語を言わせたこと。これに対して、商品価値も伝えてないし、ましてや、商品理解などほど遠い的な見方はイマドキどうかと思いますねぇ。だって、飲料なんて、ほとんど無意識選択に近い低関与・高頻度型カテゴリーでしょうからねぇ、この分かりやすく、覚えやすく、味覚が想起しやすいネーミングに、広告が明るく・楽しく・イキイキ・開放的な・・・っていいう商品のキャラクターを伝えているのですから、十分にこいつの「商品価値」を魅力的に伝達していると思いますよ。決して、「モモテン、モモテン、モモテン」と10回繰り返すのと同じ効果だとは僕は思いません。
→もはやモノのブツとしての価値で差別化を理性に訴えてもダメで、要は生理的、潜在意識的にグラっとさせるかが、特にこの飲料なんてのの場合の広告には必要なんじゃないでしょうか。
確かに長期的な商品育成の為には色々大変だと思いますが、とにかく今回JTさんもやるじゃんって感じと、幅広いユーザーにたくさん売れたという実績が残せた功績は大かと。あと、もう1点気になったのは、誰彼構わず聞かれたという桃天に関するコメントが、全てネガティブなこと。
これは、良く考えずに読んでいる側は、「そうかぁ、そういう反応なんだぁ、やっぱりあの戦略はダメなんだなぁ」と思わせるには当然効果大だと思いますが、ちょっとズルイやり方ですよね?論旨に都合の良い定性情報を散りばめるのは。
ちなみに僕の周りのコメントは全く逆で「朋ちゃんてイマドキ、ノー天気でいいよね」「なんかあそこまでアホっぽいと可愛いよね」「朋チャンて、桃っていうプリティさと、天然水のみずみずしさにぴったりね」「俺も仕事煮詰まってるから、朋ちゃんと一緒にヒューヒューしたいよ」等の好意的なものが多かったなぁ。
ましてや「広告では何だか商品特長が分からないけど飲んでみた」「この飲料のどこがひゅーひゅーなのか腑に落ちない」なんてトコまで深めた人は皆無でした。
ってなコトでかなり長くなってしまいましたが、ちょっといつもの分析の鋭さが欠けてらしたような感じがしましたので自分の意見という形で反論?させていただきました。
PS:決して飲料業界、及びCM業界にいる者ではありません。
【注】かなり長い内容なので、別ページにしました。ご興味のある方は、こちらをクリックして下さい。 【amigoさんへのお返事】
【amigoさんへのお返事】
それぞれの方々へのご意見もお待ちしています。
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