ん〜、共感できる部分がたくさんあります。
思ったことをちょっと、書きますね。
特に、ちょっと人生に行き詰まったような女性の相談に乗っているような場合に必ず出てくる言葉に「海外に行ってくる」とかっていう言葉を多く聞きます。
また、「今の仕事はつまらない、英語を使う仕事がしたい」という事を良く聞きます。
「英語を使う仕事ってどういうの? 貿易の仕事とか?」って詳しく聞くと、特にわからないという。
このことは、「たかが英会話。ピリオド」って言う、この文章を思い起こさせます。
なにか、自分のアイデンティティーを失い、何かを求めている...
「なんか良いこと無いかなぁ」と思っている。
「なにかしたいなぁ」と思っている。
そういう、人達にとって「なりたい自分になれ」という、英会話スクールの言葉が飛び込んでくるのは実に自然な気がする。
身近に英語が関わる仕事に直面している中年男性より(笑)
【お返事】
のぶさんからコメントもらったのは初めてですよね。
うーん、感激だぁ!!!
>特に、ちょっと人生に行き詰まったような女性の相談に乗っているような場合に必ず
>出てくる言葉に
>「海外に行ってくる」
>とかっていう言葉を多く聞きます。
あっ、そうだ。のぶさんはカウンセラーもやってるんだものね。
これは、環境が変われば自分が変わるかも、という例ですよね。
でも、確かに本当に変わった人もたくさん見てきているから、その人次第というかんじでしょうね。
>「たかが英会話。ピリオド」
>って言う、この文章を思い起こさせます。
そう。正にそのとおりですよね。
だから、供給者側と需要者側の感覚が一致したんですね。
>なにか、自分のアイデンティティーを失い、何かを求めている...
これって、確かにそう思います。
アイデンティティの欠如とその復旧なんです。
子供の頃のアイデンティティの獲得は「反抗期」という形で現れますけど、大人の場合は「自分探し」で現れる。だから、「成長期の一過程」という言い方も良くします。
>身近に英語が関わる仕事に直面している中年男性より(笑)
えっ?
あっ、出張のことだよね。
頑張って下さい。
いつもHomepageで購読記事を読んだ後返信していただけなので、匿名アドレスになっているとは知りませんでした。ご指摘ありがとうございます。森さんは公開メール以外にもお返事を書かれているのですか?私もお返事をもらいましたらすぐに返したいと思いますので、もうちょっと深まった議論が出来るのを大変楽しみにしております。
【お返事】
ようやく、すだともこさんと連絡が取れて嬉しいです。
いつも、コメントを頂いているのでお返事を書きたくても書けなかったので、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
>森さんは公開メール以外にもお返事を書かれているのですか?
はい。
というより、「読者の声」に掲載している私の返事はすべて「非」公開メールなんです。公開メールはすだともこさんが初めてです。
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では、前回のお返事を。
>何を根拠に「一見生き生きしている」とわかるのですか。
「生き生きしている」と感じるのは2つの理由があります。
まず、私自身が彼女たちに会って、話をしてそう感じること。もうひとつは、彼女たちが
(少なくとも表面的には) 雑誌などの「女性が目標にしたい女性」の像に近く、周囲の評価や評判もそうだからです。
では何故「一見」とつけたのか。
これは、彼女たちと話をするにつれて、本音がかいま見えるからです。場合によっては、ストレートに「相談されること」も多くなります。表の姿と裏腹に、実のところ非常に悩んでいるのが良く分かります。もちろん、その悩みは「消極的自分探し派」と根っこが同じです。
そして最後に、「価値観調査」を実施すると、それが数字で裏づけられるからです。
>こういうタイプは結局いつまで自分を見付けられずに探し続けるのでしょうか。
これは、人によって様々です。
ただ、積極タイプは回答を見つけることが多いです。
自分が見つからない人というのは、「悶々としているけど、結局何も行動に移していない人」です。
この場合の「行動」とはどんな小さなことでもいいんです。「できるだけたくさんの人と会うこと」「本をたくさん読むこと」「ワインを飲み歩くこと」どんなことでもいいんです。
行動をしていると、気が紛れるという側面もありますが、一番大事なのは「動いているうちに何らかの答えが見つかる」ことや「動いているうちに、自然と自分が成長していること」です。
ですから、消極タイプでも「精神的援助交際」をしていても、回答を見つける人がきちんと出てきます。
>あれでもない、これでもない、と模索しているから生き生きし続けているわけで
>あって、ひとたび見付かっても次の自分探しの為にすぐまた動き、常に自分に満
>足していないタイプ?
「模索しているから生き生きし続けている」という側面も確かにあります。
でも、ひとたび自分が見つかると自分の行動や考え方のベースができ上がります。すると、ほっと一安心する一方、今までの自分探し過程の経験で自信がついたり、他のものも色々と見えてくるようになりますので、「本当の意味で」生き生きしだすのです。かりそめの「生き生き」と本当の「生き生き」は端から見るだけでは分かりません。でも、本人の心の安定感は圧倒的に違います。
前者は「マイナスをゼロにする努力」ですが、後者は「ゼロをプラスにする努力」あるいは「プラスをもっとプラスにする努力」です。心の持ちようが違うのは分かると思います。
希に、「探し続けなければ気が済まない」という一種病的な方も存在しますが、数は極め少ないです。
>それとも見付かったらその後はどうするの?探し続けるのを止めてしまっても生
>き生きしたままでいられますか?
「自分が見つかった」場合でも、時がたつにつれて、「次の自分」を探すようになることもあります。ただ、それぞれのはざまの期間は数年から数10年と長期に渡るので、2回目の自分探しの時には「ひとかどの大人」になっています。従って、若いときのような「慌て方」はしなくなるのが普通です。
むしろ、問題は、「自分探しをあきらめ」たり、「結婚などで一時期自分をごまかす」ことで、停戦状態に入った人たちです。こういう人たちは、またぞろ「慌てながら自分探し」をすることもあります。
私見を言わせていただけるなら、最も重要なのは「自分を捜し当てたかどうか」より、「『自分探し』という1つのステップを踏んだ経験があるどうか」だと思います。
というのも、「自分探し」は、「大人の自我の目覚め」のようなもので、このステップを踏まない人の方が恐いからです。周囲に当たり散らすオバサンたちや「いきなり、カルチャースクールに目覚めて、家庭のことをおっぽらかして、小学生のこどもに食事も与えずに没頭してしまう」オバサンたちに
(私の知り合いに、こういう人がいます (笑))、「大人の自我の目覚め」ステップを踏んだ経験のない人がちらほらと見えかくれするからです。
>実際には「今の若い女性」ではないのに見事にそれを見抜かれている森さんの洞
>察力にはいつも感心しています。
ありがとうございます。
それは、恐らく自分が「今の女性でない」からだと思います。
(禅問答のようでごめんなさい)
「人として」の女性に対しては感覚的にも理解できますが、「女性としての女性」は私のような男性、しかも中年には分かりようがありません。ただ、普通の方々と違うところがあるとすれば「分からないことを徹底して理解しているからこそ、中途半端な『わかった気持ちになる』ことがない」ことではないか、と思っています。
「中途半端な『わかった気持ちになる』ことがない」、ということは具体的に言えば、例えば女性から相談を受けた時、アドバイスや自分の考え方を伝えるよりも先に、「何故この人はそういうことで悩むのか」をまず理解しようとします。根っこの部分が分からないとアドバイスも無駄になってしまうからです。
当然、仕事でもその姿勢は崩しません。
生活者がある商品をなぜ買わないか、なぜこぞって群がるのか、を単に「おいしいから」「安いから」という表層的なところではなく、「何故おいしいと買うのか。おいしければ、何が良いのか」「安いと何故良いのか。安ければよいのか」という「Why?」を繰り返して行きます。
結局、プライベートでの「相談」と仕事での「なぜ」の積み重ねではないかと思っています。
もちろん、まだまだ、私にとっては女性は「謎」で「神秘的な存在」です (笑)
>森さんの記事を読む度に、私は普段気にしていなかったことを、立ち止まって考
>える機会を与えてもらっています。
ありがとうございます。
私は材料を提示しているに過ぎません。
それを踏み台にして頑張って下さい。応援していますから。
こんにちは、「ブランドの明日が見える」を頂いたオダと申します。
「読者の声」を読んでいて、私のメールが未到着だったようです。
というわけで遅くなってしまい申し訳ありません。
「ブランドの明日が見える」は、とてもわかりやすく説得力のある内容で感動しました。
「推薦のことば」で長岡様もおっしゃっておりましたが
「これでご飯食べている人がここまでしゃべってしまっていいの?」
と私も思ってしまいました。
以前、メーカーで商標の調査や商品化契約を担当していた私にとって、
ううっあの頃読んでいたら、もっといいやり方が出来たのに・・・と悔しさ?がこみ上げてきました(笑)
いやはや今後の参考にさせて頂きます。
参考どころかマーケティングに関心を持ち出した私にとってバイブルの1つに加えさせて頂きます。
プロダクトコーン理論は、混沌としている状況をシンプルに極限近くまで絞り込んでいる理論ではないでしょうか。
すばらしいです。
企業でだろうが大学でだろうが、プレゼンを聞いている時に感心させられるのは、内容をこういった核心の極限まで絞り込んでいる方です。
その一行に絞り込んである中には、何十行もの言いたかったことが時間も労力もかけて凝縮されていて・・・とても素敵です。
自分の行動や目に付いた広告をプロダクトコーンに当てはめて考えて楽しませて頂いています。
あと何度か読み返すつもりですので質問する時はどうかよろしくお願い致します。
話が変わって恐縮ですが「自分探し」についてのメール興味深く読みました。
「これ私も入るよね・・・」と笑ってしまいました。
また大学に入り、関心分野の勉強を突き進み、先日、米国大学に編入の出願をし、相談にのってもらう男性は30代40代のいわゆる勝ち組の優秀な方。
私がよい結果を出せる出せないは別として「積極的自分探しタイプ」だろうなぁ、と。
森さん、ここまでズバリと淡々と理論的に分析して頂き、読んだ私はすっきりしました。
共感出来る文章や自分に近い状況が文字になっているのを見付けるのは、ある意味快感ですよね。
私も1年程前まで自分が「自分探し」をしていることに自覚症状がありませんでした。
友人から「小姑から、おいっこを1ヶ月押しつけられた。
『自分探し』と言ってロンドンに行っている」と聞き、
「ははは無茶ヤルねぇ」と笑いながらハタと我に返りました。
『私も自分探ししてるのかも・・・』
思えば社会人入試で大学に入ってきた友人達は自分探し真っ最中ごろごろです。
自分や社会に問いかけ、積極的で、はた目から見ると活き活きして。
ダイヤモンド社・自己啓発雑誌「exective」によく友人が記事に出るのですが、思えばあれは「自分探し雑誌」ですものね・・・
日本の大学側の少子化対策による社会人の受入枠拡大と女性達の自分探しは上手く噛み合っていますね。
今までは「大学側の少子化対策と不安定な経済状況下に於ける勉強したい社会人たち」の噛み合わせだと思っていたのですが、それよりこちらの方が、奥に流れている物だったのですね。
しかし「自分探し」というものは、何故本人は自覚症状がないのでしょうか・・・
森さんならおわかりでしたら、ぜひお聞かせ下さい。
それでは、今後とも、よろしくお願いいたします。
【お返事】
>「読者の声」を読んでいて、私のメールが未到着だったようです。
>というわけで遅くなってしまい申し訳ありません。
はい。初めて読む内容でした。
でも、私こそお返事が遅れてしまい、あまつさえ、ミス送信までしてしまったごめんなさい。
>「これでご飯食べている人がここまでしゃべってしまっていいの?」
ご心配ありがとうございます。
まだまだネタはありますので、充分ご飯が食べられます
(笑)
>以前、メーカーで商標の調査や商品化契約を担当していた私にとって、
>ううっあの頃読んでいたら、もっといいやり方が出来たのに・・・と悔しさ?
>がこみ上げてきました(笑)
いや、今からでも遅くはありません (^^)v
「死ぬまで勉強」が私の心情の一つですし
(笑)
>参考どころかマーケティングに関心を持ち出した私にとってバイブルの1つに加
もったいないお言葉ありがとうございます。
でも、本当にもったいないです。
もし、よろしければ、私の師匠 (と勝手に呼んでます (笑)) の田岡信夫氏の「ランチェスター販売戦略」とコトラーの「マーケティング・マネジメント」のご一読をお勧めします。前者は全部で5巻もありますが、触りだけなら第1巻で充分です。2〜4巻は「市場参入戦略」とか「代理店戦略」とかのテーマ別になっていますので、興味のあるところを深く突っ込んでいく勉強ができます。
>その一行に絞り込んである中には、何十行もの言いたかったことが
>時間も労力もかけて凝縮されていて・・・とても素敵です。
ありがとうございます。
「マーケティングは『わかりにくい』という1点だけで、すでに悪だ」
というのが私の哲学なので、嬉しいです。もちろん、「わかりやすさ」は対象によって変わります。初心者の「分かりやすさ」と実務家、それも経験のある方の「分かりやすさ」は違うので、その調整は必要ですが。
また、複雑なものは自分自身が混乱してしまうから、というのが本音でもありますが
(笑)
>自分の行動や目に付いた広告をプロダクトコーンに当てはめて考えて楽しませて
はい。結構、街を歩く別な楽しみが増えますよね (笑)
ただ1点だけご理解いただきたいのは、広告の全てがプロダクトコーンに基づいているわけではないので、「何にも言っていない広告」や「いうことが整理されていない広告」は当てはめずらいです。
慣れていない内は、自分の問題か広告の問題かがわかりにくいので、例えば、P&G
や花王などの極めてベーシックに広告を練り込んでいるところを中心に見てみることをお勧めします。これらの広告でプロダクトコーンに当てはまらない場合は、自分が慣れていないケースが多いです。
>あと何度か読み返すつもりですので質問する時はどうかよろしくお願い致しま
どうぞどうぞ。いくらでもご連絡下さい。
--------------------------------------
>「これ私も入るよね・・・」と笑ってしまいました。
はい。自分も書いていて、オダさんを始めこうやってメールをやり取りしている読者の方々を思い出していましたもの
(笑)
>共感出来る文章や自分に近い状況が文字になっているのを見付けるのは、ある意
>味快感ですよね。
同感です。
広告にしても文章にしても、「本当のインパクト」は大きな声でも、派手なデザインでも何でもなく、「(心情的に)
ハッとする」一言や一場面だったりします。
そして、その時のキーワードは「共感」なんです。
人間でもそうですよね。声のでかいがなりたてる人よりも、核心を突いて共感する言葉を、静かにボソっとつぶやいたりささやいたりする人の方が、何年も心に残る。
>今までは「大学側の少子化対策と不安定な経済状況下に於ける勉強したい社会人
>たち」の噛み合わせだと思っていたのですが、それよりこちらの方が、奥に流れ
>ている物だったのですね。
同感です。
もちろん、経済が不安定だから勉強する社会人が増えるという側面は否定しません。そういう方も実際にはある程度の規模を持っています。
でも、それは、経済の発展段階の初期だろうが後期だろうが存在します。が、「自分探し」現象は、文明と文化が進んだ社会でしか見られないもの、という点で大きく異なります。で、現在の日本では正にこちらの方が規模が大きいと考えています。
>しかし「自分探し」というものは、何故本人は自覚症状がないのでしょう
いくつかの理由があります。
最大のものは、「自分探し」というのがまだ一般的に語られていないことでしょう。
人間の判断というのは、社会的に認められているものほど、単純でやりやすくなります。
「電車で携帯電話で話してはいけない」というのは、今でこそ一般的ですが、携帯電話の普及の初期段階では、そんなことすら思いつかなかった訳です。そして、「あっ、これはもしかしたら迷惑なのかな」と思うのは、自分が携帯を使っている時ではなく他人が使っているのを見て「いやだな」と思うからです。
そこに至るまでは時間がかかります。
でも、次の段階では、社会的に「電車で携帯電話で話してはいけない」と言われていますし、それがヒントとなって周りを見回すと確かに迷惑だ。だから自分も携帯を持ったらやらないようにしよう、となります。だから、その人は携帯を持つ前から「自覚症状」があるわけです。つまり、結論が出るのには短期間で済みます。
もし、今以上に「自分探し」というのが表面化し、友人立ちとそのことについて話す機会も多くなり、「ああ、今はまだ自分探しをしていないけど、あの年代になったらするんだろうな」という意識が事前にあったらどうでしょう。その人はその時が来たら「あっ、もしかしたら、これが自分探しということなんだろうか」と、ヒントがつかめるのです。
「人間は鏡を見て行動する」や「人のふり見て我がふり直せ」は、この場合かなりぴったり当てはまる人間心理なのです。
次に、上のことがらを補足するポイントですが、自分探しをしている人を外から判別するのが難しいこと。そして、それは下手をすると自分自身でもわかりにくい。
自分探しは、ある意味、極めて個人的な心理です。だから、コミュニケーションをきちんととらないと、その人が自分を探しているのかどうがわかりません。端から見ると
(そして、自覚症状がないと本人すら)、単に「毎日がつまらないだけ」「現状に不満を持っているだけ」「不倫をしているだけ」
(消極派の場合) か「勉強や仕事を頑張っているだけ」(積極派の場合) か、自分探しをして一生懸命もがいているのかどうかはわかりません。
話が複雑になるのは、記事でも指摘したように、現在の若い人は他人と言葉でのコミュニケーションをするのは得意ではありません。だから、深層心理をテーマにした会話は成立しにくい状況にあります。
これがなおさら他人からその人が自分探しをしているかどうかをわかりにくくしているわけです。
外からわかりにくいということは、上の項目で触れた「社会的に認められにくい」ということに拍車がかかるわけです。
現代の若い人は心理をつきつめて考える訓練が不足していること。
人の心理を知ることは難しいですが、自分の心理はもっと難しいです。
「下宿談義」という言葉があります。
要するに友人たちと取り留めのない話をするのですが、そのテーマは「人間とは」とか「理想とは」とか、かなり哲学的
(私は哲学は苦手ですが (笑)) な領域の場合の時を指す言葉です。時には、夜を徹して話し合ったりするわけですが、これが他人や自分の心理を探る訓練に繋がります。
良い悪いを言っているわけではありません。でも自分が必要としているときに、その訓練が身に付いていない場合は損です。苦しまなければいけない場合も往々にしてあります。
その「壁」があるから、自然とそちらの方向に思考が動かない。だから、すっきりとした答えは出ない・・うーん。何故だろう。わからない。
これが自覚症状がない、という現象になります。
「自分探しは成長過程の一現象」という言い方を私は良くします。
「この過程がないと返って恐い」とつけ加えます。
それは、正に、人間が成長する一つの要素である「自分を知ること」あるいは「そのきっかけを掴むこと」が自分探しに該当するからです。
もっと言えば、自分探しを経験した人は人に優しくなれます。
長くなりましたので、今回はこの辺でペンを置きます。