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迷走路線、爆走中【百貨店】 2000.7.1

百貨店は日本人の心?

海外からのお客さんを迎えると、違和感と親近感が交差します。
特に、外資系企業に勤めていたころは、海外から担当者が来ることも日常茶飯事でした。

彼らと私たちの感覚が違うことを見せつけられるのが百貨店です。郊外型スーパーに彼らを連れていき、「このスーパーは・・」と言おうものなら、「ノー、ユキオ。これは百貨店です」と言われてしまいます。

私たち日本人から見れば、ウールワースやA&P(アメリカの郊外型デパート)は立派な百貨店です。ダイエーやヨーカ堂などのスーパーとは品揃えも風格も違います。
でも、彼らにとって、ビルに入っている店はすべて百貨店です。

風格と言えば、銀座プランタンが開業した1980年代は、百貨店というより親会社ダイエーのスーパーのような安っぽい雰囲気がありました。スーパーでよく見かける宣伝チラシ風の手書きポスターが多用されていたからでもあります。だから、プランタンを百貨店と呼ぶには違和感がありました。

日本人にとって百貨店とは特別な存在なのかも知れません。
Department Storeという名前だけが一緒で、心の中の位置づけが違う。
コカコーラがアメリカ人にとって特別な存在なのと同じなのでしょう。

アメリカでニューコークと従来のコークを入れ替えた時、大騒動になり、昔からのレシピであるクラシックコークを改めて発売せざるを得なかったのは有名な話です。その時のアメリカ国民の論調は「コークはアメリカ人の心である。決して一私企業の商品ではない」だったのですから。

長引く不況に百貨店業界は業績を一様に落としています。
三越は東京新宿南口店を閉鎖しました。
現在は大塚家具のショールームになっています。

高島屋も無傷ではありません。
新宿南口にタイムズスクウェアを大々的にオープンしたものの、当初こそ行列ができるほど顧客の関心を集めたのに、すぐに飽きられ各テナントのお荷物店になってしまっています。

1999年に30年の幕を閉じたのが東急百貨店日本橋店。
閉店セールスが押すな押すなの大盛況だったのが記憶に新しいイベントでした。
なにせ、それまでの半年分をその1ヶ月で売り上げてしまったのですから。

そして、そごうが巨額の負債を抱え、大阪心斎橋店を三越に売却。
心斎橋そごうの不振は、東京で言えば東急百貨店・渋谷店が崩れるのと同じようなインパクトがあります。
地方では九州の岩田屋がリストラの真っ最中ですが、芳しい成果はあがっていないようです。
唯一、京王百貨店新宿店がリニューアルで頑張っている程度です。

原因ですか?
お客さんが来ないからです。
なぜお客さんが来ないのか?
百貨店で扱っているような商品は買わなくなったからです。
なぜ買わないか?不況だからです。

百貨店業界は常にこういった理由を探していました。
でも本当にそうなのでしょうか。
本当に「それだけが」理由なのでしょうか。
もしそれが理由だとしても、百貨店はなぜ対策が打てないのでしょうか。

流通の王者、百貨店と言われながら迷走している。今回はそんな百貨店業界を眺めて見ることにします。

百貨店の生き残り策は高級化だった

流通の歴史には、こんなことがあると言われています。

●まず、一般商店があった
●そこに、スーパーという価格破壊の業種が現れる
●しかし、競争が激しくなり、小切手(アメリカの学説なので)やサービスカウンター、24時間営業などの付加サービス競争が始まる
●付加サービスはコストアップ要因となり、価格競争力はどんどん落ちていく
●かつてのスーパーの座を奪うように、今度はディスカウント・ストアが登場する
●しかし、これもスーパーと同じ道を歩みつつある

確かに、日本でもこういった動きはありましたから、間違いではありません。
今ではカテゴリーキラーという激安店が最終地点です。

カテゴリーキラーといえば、トイザらスの「ら」はなぜひらがななのかという質問がありました。
実は、英語では「TOYSARUS」の「R」が鏡に移したように反転しているのです。これは、ロゴデザインを見れば一発で分かります。いかにも小さな子供がクレヨンで書いたような文字なのです。つまり、アルファベットを覚えたての幼児が「R」を間違えて書いてしまったのを表現したものです。

ちなみに、ディスカウントストアくらいまでは学説の通りですが、それ以降は価格以外の進化の道筋が派生します。
例えば、コンビニの価格は決して安くありません。当初は深夜まで営業していることが進化の方向でした(ちなみに、セブン・イレブンの店名の由来が、「営業時間が朝の7時から、夜の11時まで」という意味であることを知っている若い人は少なくなりました)。
今のコンビニの進化方向は弁当屋さんです。もとい、若い人たちの憩いの場です (笑)
・・過去記事をご覧下さい。

流通の歴史の中で、スーパーや量販店が百貨店にも打撃を与えます。
瀕死の状態に追い込まれた百貨店が歩んだ道は高級化です。
元々、百貨店が低価格化することは構造上不可能です。従業員の給料は高く、一等地がゆえに家賃も高い。インフォメーション・センターの人件費はかかる。
高級化路線は百貨店にとって自然の流れでもあったのです。

そして昭和50年代に一躍飛び出たのが西武百貨店。
当時、三越や高島屋などの「一流」に対して「二流」だった西武が躍進したのは「情報発信基地」というコンセプト。顧客のニーズを汲み上げるのではなく、「西武が良い、おしゃれと考えるものを提案する」という高ビーな姿勢でしたが、これが大当たり。オイルショックを抜け出たバブルとともに、大きく成長する発端となりました。

余談ですが、広告業界では、西武大躍進のきっかけはウディ・アレンが登場し、「おいしい生活」という糸井重里氏が書いた広告コピーのキャンペーンだったと言われています。

その成功に気をよくした堤清二氏が空白の小切手を糸井氏に渡し、「好きなだけ数字を書きなさい」と言ったところ、糸井氏は2,000万円と書いたという伝説が残っています。
実際はその数分の1だったそうですが、まさに当時の西武の象徴ともいえる出来事です。

「うなぎの寝床」と揶揄される、増改築で細長くなってしまい迷子になりそうな池袋西武が頂点に立ったのはほどなくしてからでした。全国最大の売り上げを誇る百貨店の誕生です。

【以下、小見出しと最初の段落のみをご紹介します】

成功体験の小ネタ、シューフィッター

そんな黄金時代を誇った百貨店も青息吐息。リストラの成果で利益率は改善されたものの、売上げは依然低迷中。対前年比3%のマイナス成長が今でも続いています。
では、百貨店はどうしたら良いのか。
そのヒントを探るひとつの方法は成功例を見ることです。

まずは小ネタから。
シューフィッターと呼ばれる専門職がいます。
足の状態に従って、最適な靴を客に提案する知識を持った人たちです。

10年も隔てて、同じ理由で成功した東武と京王

そんな中、一見小ネタに見えますが、10年近く期間が過ぎても同じことで成功した2つの百貨店があります。
ひとつは東武百貨店・池袋店、そしてもうひとつは京王百貨店・新宿店です。

東武百貨店は全国で1位の売り上げを誇る西武百貨店・池袋店の隣です。分が悪いことおびただしい。
しかし、これがまた、1990年のリニューアル時に意外な成功を博したのでした。

ブランド離れとその理由

ブランド(ハコ)離れが進んでいる、というと奇異に感じる読者も多いことでしょう。プラダ、ヴィトン、ユニクロなどが世間を賑わせており、大きく売り上げを伸ばしているからです。
しかし、ごく少数が注目され人気を集めているだけです。ブランド全体で見ると、売り上げは下がっています。音楽業界やゲーム業界のようなものです。

答えはイケイケ

先人たちが勇気を振り絞って選んだボディ・コンシャスネスですが、それが、「いい女の象徴」のように扱われるようになると、外見だけを真似る女性たちが出現します。
おまけにボディコンを着ると男性の注目を浴び、もててしまう。

「インスタントいい女」の出来上がりです。
中には勘違い組(確信犯?)も登場します。
それがイケイケです。
次々と男性を試食するワンレン・ボディコン軍団です。

おいしい派遣社員

百貨店がハコ離れに気がつかなかった理由の一つは、メーカーからの派遣社員制度がおいしいからです。
知らない方のためにちょっと説明しましょう。

ハコをファッションメーカーに提供する代わりに、百貨店は平均25%の「家賃と手数料」をメーカーから受け取ります。これはそのまま百貨店の取り分ですから正当な流通マージンです。

ニコニコすれば接客か?

従業員の問題点をもうひとつ上げましょう。
彼は先日独立したばかり。会社相手のビジネスです。
せっかく独立したのだから、気を引き締める意味もあってスーツを新調することにしました。

人が丁寧というだけの価格が高い衣料品スーパー

もう一人登場してもらいます。
平均的な女性よりファッションに関心が高い21才の女子大生。

小ネタが大ネタになる日

さてここで、小ネタだったはずのシューフィッターの成功を思い出して下さい。
シューフィッターは靴選びのプロです。
彼らは客の足の状態を診断して、それに最も合う靴をメーカーに関係なく提案します。

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