励ましや、おしかりの言葉、ありがとうございます。 他の読者の方々の中にも、同じご意見を持った方がいらっしゃるかも知れません。自分の考えをまとめるための参考になる場合もあります。だから、「読者の声」は大事にしたいと考えています。原則として、原文を掲載しています。新しい声から順番にご紹介しています。 それぞれの方々へのご意見もお待ちしています。こちらのフォームで投稿するか、voice2@systrat.co.jp へお送り下さい。 この色は皆さんの声 (お返事付) この色は皆さんへのご意見です この色は皆さんの声 (お返事なし)
励ましや、おしかりの言葉、ありがとうございます。
他の読者の方々の中にも、同じご意見を持った方がいらっしゃるかも知れません。自分の考えをまとめるための参考になる場合もあります。だから、「読者の声」は大事にしたいと考えています。原則として、原文を掲載しています。新しい声から順番にご紹介しています。
それぞれの方々へのご意見もお待ちしています。こちらのフォームで投稿するか、voice2@systrat.co.jp へお送り下さい。
「なっております」症候群 98.7.16 掲載
<shimadaさん> 【自分の会社の駅でのアナウンスには疑問を感じます】
「かなりおもしろい」99.8.12
送信後すぐに返事が来ていたのにはビックリしました。でも、「すぐ」が大切なんですね。これも学ばなくては・・・ この記事も今読み終わったところです。「なっております」の件・・・まさしくそのとおりです。私も自分の会社(某電鉄会社)の駅でのアナウンスや車内放送には疑問を感じます。まず、しゃべっている本人ですが(私も駅のアナウンス・車掌経験あります)上から言われたことに何の疑問も感じずに放送していることが一つ問題です。 ちなみに放送内容については一応マニュアルはあるのですが、絶対にそのとおりに話さなくてはいけない訳ではありません。でもだいたい誰でも同じ内容になってしまいます。つまりマニュアルどおりにやること自体、ひとつの「責任回避」になってますね。乗客の苦情があっても「会社の方針ですから・・・」の一言で逃れられるのですから。 特に携帯電話や禁煙タイムは投書や苦情が多いために、しつこいくらいやっているのです。車掌側からみれば携帯も禁煙も自分の場所(乗務員室)には関係ないんですがね。(笑)多分迷惑してる方もおられるのでしょう・・という他人事と、自分の仕事が一致しているだけで深く考えてはいないです。 ただ、車内の携帯については迷惑なのが、話し声なのか、呼び出し音なのか(私は音量の大きいベルがずっと鳴り続ける状態が一番むかつきます)なぜ守れないのか、誰が迷惑してるのか、もう少し考えてみるべきだと思います。この件については、また書きたいと思います。 【お返事】 >送信後すぐに返事が来ていたのにはビックリしました。>でも、「すぐ」が大切なんですね。これも学ばなくては・・・ 私が速攻メールをもらうと嬉しいタイプなので、同じ事をしているだけ、という単純な理由だったりします (笑)ただ、仕事が混むとさすがに溜めてしまいますが。shimadaさんはshimadaさんのペースでどうぞ。長く続けることが大事ですから、自分のペースを持っておつきあい下さいね。 >まず、しゃべっている本人ですが(私も駅のアナウンス・車掌経験あります)>上から言われたことに何の疑問も感じずに放送していることが一つ問題です。 最終的には、組織人ですから、企業の方針と違ったことはできませんが(例えば、私だって「車内ではご自由におたばこをお吸い下さい」なんて言えませんもの (笑))、問題意識があって、積極的に賛同することや積極的に反対の立場をとることは、職業人として自立するには大切なことですよね。といって、それがきちんとできる人はなかなか少ないのはご存じのとおりですが。 >つまりマニュアルどおりにやること自体、ひとつの「責任回避」になってます マニュアルのひとつの機能がそれです。風邪薬の中に入っていた睡眠薬のように、主機能ではありませんが、確実に「現場の責任の限定」という側面を持っています。 >特に携帯電話や禁煙タイムは投書や苦情が多いために、しつこいくらいやってい>るのです。 良く言えば、抑制のメカニズムが働いているということでしょう。また、情報過多状況下では、問題解決を当事者同志ではなく第三者を介して行う傾向が顕著になりますから、直接喫煙者に注意するより、鉄道会社に苦情をいうことが増えるのだと思います。 悪く言えば、振り回されている、とも言えます。生活者のニーズをくみ取るのとニーズに迎合するのとは概念が違うからです。 どちらになるのかは、正にその企業の方針です。もし、ソニーが冷蔵庫や洗濯機を作ってくれという要望にそのまま従って、白モノ家電まで作り始めていたら、今のソニーはなかったでしょうから。 もちろん、「鉄道会社は公共機関だ」という認識での方針もありますし「私鉄だから独自性を」という認識での方針もあり得ます。また、「ここまでご時世が進んだのだから」という方針があっても良いわけです。事実、もうひとつの公共機関である国内航空会社で、シェアの低い JAL が独自性を考えて一番に全面禁煙を決定、同じくシェアの低い JAS がギリギリまで全面禁煙を見送ったのはその例です。 ただ、いずれにしても、大事なのは「自分が何をやっているのか」「自分がやっていることはどういう意味があるのか」を企業も個人も知っていてこその「責任」なんだと思います。 >車掌側からみれば携帯も禁煙も自分の場所(乗務員室)には関係ないんですが 確かに、隔離されていますものね (笑) >多分迷惑してる方もおられるのでしょう・・という他人事と、自分の仕事が一致>しているだけで深く考えてはいないです。 全部が全部、自分が経験しなければならない、実感しなければならない訳ではありませんが、その努力は必要ですよね。 >ただ、車内の携帯については迷惑なのが、話し声なのか、呼び出し音なのか(私>は音量の大きいベルがずっと鳴り続ける状態が一番むかつきます)なぜ守れない>のか、誰が迷惑してるのか、もう少し考えてみるべきだと思います。 少なくとも、迷惑しているのが話し声なのか、呼び出し音なのかについての調査データは鉄道会社(本社?)にあると思います。もちろん、当の携帯や PHS 事業者もデータは持っています。守秘義務がありますから、細部は言えませんが、少なくともシストラットはプロジェクトを手がけたことがあります (笑) こういうデータが現場に降りてくるべきかどうかは、それぞれの企業によって議論がありますが、知っているのとそうでないのとでは違いが出ることもありますよね。 【shimadaさんからのお返事】 さっそくのお返事、本当にありがとうございました。 今回も私の仕事に結びつく内容だったので、左記のメールを出してしまいました。 実はどんな内容のお返事が来るのかと楽しみにしておりましたが、さすがプロのコンサルタントとはいえ、その洞察力と的を射るコメントには、ただ、ただ感動しております。 こういう答え方をしてくださる方は今までおりませんでした。 そして、単に知ったような言葉をただ並べる方々とは違い、明瞭でわかりやすいです。とても。 文章全部「いただき!」って感じです。 HP、読者の声も拝見いたしました。 全部は見られませんが、以前森さんがおっしゃたように自分のペースで少しずつ目を通していきたいと思います。 パソコン歴1年弱、メルマガ知ったのはつい最近という私ですがこれからもよろしくお願いします。 【お返事】 >実はどんな内容のお返事が来るのかと楽しみにしておりましたが、 ありゃ、待ちかまえていらっしゃったんですか (笑) 口を大きく開けたオオカミの中に突っ込んでいったような・・ (笑) >さすがプロのコンサルタントとはいえ、その洞察力と的を射るコメントには、 >ただ、ただ感動しております。 >そして、単に知ったような言葉をただ並べる方々とは違い、 >明瞭でわかりやすいです。とても。 ありがとうございます。 そこまで喜んで頂いて本当に嬉しいです。 私の返事メールを書く原動力がこれなんです。 でも、ちょっと照れます (照) >文章全部「いただき!」って感じです。 どうぞ、どうぞ。謹んでご進呈申し上げます。 ・・って意味が違う? (笑) >パソコン歴1年弱、メルマガ知ったのはつい最近という私ですが >これからもよろしくお願いします。 こちらこそ、よろしくお願いいたします。
送信後すぐに返事が来ていたのにはビックリしました。でも、「すぐ」が大切なんですね。これも学ばなくては・・・
この記事も今読み終わったところです。「なっております」の件・・・まさしくそのとおりです。私も自分の会社(某電鉄会社)の駅でのアナウンスや車内放送には疑問を感じます。まず、しゃべっている本人ですが(私も駅のアナウンス・車掌経験あります)上から言われたことに何の疑問も感じずに放送していることが一つ問題です。
ちなみに放送内容については一応マニュアルはあるのですが、絶対にそのとおりに話さなくてはいけない訳ではありません。でもだいたい誰でも同じ内容になってしまいます。つまりマニュアルどおりにやること自体、ひとつの「責任回避」になってますね。乗客の苦情があっても「会社の方針ですから・・・」の一言で逃れられるのですから。
特に携帯電話や禁煙タイムは投書や苦情が多いために、しつこいくらいやっているのです。車掌側からみれば携帯も禁煙も自分の場所(乗務員室)には関係ないんですがね。(笑)多分迷惑してる方もおられるのでしょう・・という他人事と、自分の仕事が一致しているだけで深く考えてはいないです。
ただ、車内の携帯については迷惑なのが、話し声なのか、呼び出し音なのか(私は音量の大きいベルがずっと鳴り続ける状態が一番むかつきます)なぜ守れないのか、誰が迷惑してるのか、もう少し考えてみるべきだと思います。この件については、また書きたいと思います。
【お返事】
>送信後すぐに返事が来ていたのにはビックリしました。>でも、「すぐ」が大切なんですね。これも学ばなくては・・・
私が速攻メールをもらうと嬉しいタイプなので、同じ事をしているだけ、という単純な理由だったりします (笑)ただ、仕事が混むとさすがに溜めてしまいますが。shimadaさんはshimadaさんのペースでどうぞ。長く続けることが大事ですから、自分のペースを持っておつきあい下さいね。
>まず、しゃべっている本人ですが(私も駅のアナウンス・車掌経験あります)>上から言われたことに何の疑問も感じずに放送していることが一つ問題です。
最終的には、組織人ですから、企業の方針と違ったことはできませんが(例えば、私だって「車内ではご自由におたばこをお吸い下さい」なんて言えませんもの (笑))、問題意識があって、積極的に賛同することや積極的に反対の立場をとることは、職業人として自立するには大切なことですよね。といって、それがきちんとできる人はなかなか少ないのはご存じのとおりですが。
>つまりマニュアルどおりにやること自体、ひとつの「責任回避」になってます
マニュアルのひとつの機能がそれです。風邪薬の中に入っていた睡眠薬のように、主機能ではありませんが、確実に「現場の責任の限定」という側面を持っています。
>特に携帯電話や禁煙タイムは投書や苦情が多いために、しつこいくらいやってい>るのです。
良く言えば、抑制のメカニズムが働いているということでしょう。また、情報過多状況下では、問題解決を当事者同志ではなく第三者を介して行う傾向が顕著になりますから、直接喫煙者に注意するより、鉄道会社に苦情をいうことが増えるのだと思います。
悪く言えば、振り回されている、とも言えます。生活者のニーズをくみ取るのとニーズに迎合するのとは概念が違うからです。
どちらになるのかは、正にその企業の方針です。もし、ソニーが冷蔵庫や洗濯機を作ってくれという要望にそのまま従って、白モノ家電まで作り始めていたら、今のソニーはなかったでしょうから。
もちろん、「鉄道会社は公共機関だ」という認識での方針もありますし「私鉄だから独自性を」という認識での方針もあり得ます。また、「ここまでご時世が進んだのだから」という方針があっても良いわけです。事実、もうひとつの公共機関である国内航空会社で、シェアの低い JAL が独自性を考えて一番に全面禁煙を決定、同じくシェアの低い JAS がギリギリまで全面禁煙を見送ったのはその例です。
ただ、いずれにしても、大事なのは「自分が何をやっているのか」「自分がやっていることはどういう意味があるのか」を企業も個人も知っていてこその「責任」なんだと思います。
>車掌側からみれば携帯も禁煙も自分の場所(乗務員室)には関係ないんですが
確かに、隔離されていますものね (笑)
>多分迷惑してる方もおられるのでしょう・・という他人事と、自分の仕事が一致>しているだけで深く考えてはいないです。
全部が全部、自分が経験しなければならない、実感しなければならない訳ではありませんが、その努力は必要ですよね。
>ただ、車内の携帯については迷惑なのが、話し声なのか、呼び出し音なのか(私>は音量の大きいベルがずっと鳴り続ける状態が一番むかつきます)なぜ守れない>のか、誰が迷惑してるのか、もう少し考えてみるべきだと思います。
少なくとも、迷惑しているのが話し声なのか、呼び出し音なのかについての調査データは鉄道会社(本社?)にあると思います。もちろん、当の携帯や PHS 事業者もデータは持っています。守秘義務がありますから、細部は言えませんが、少なくともシストラットはプロジェクトを手がけたことがあります (笑)
こういうデータが現場に降りてくるべきかどうかは、それぞれの企業によって議論がありますが、知っているのとそうでないのとでは違いが出ることもありますよね。
【shimadaさんからのお返事】
さっそくのお返事、本当にありがとうございました。 今回も私の仕事に結びつく内容だったので、左記のメールを出してしまいました。
実はどんな内容のお返事が来るのかと楽しみにしておりましたが、さすがプロのコンサルタントとはいえ、その洞察力と的を射るコメントには、ただ、ただ感動しております。
こういう答え方をしてくださる方は今までおりませんでした。 そして、単に知ったような言葉をただ並べる方々とは違い、明瞭でわかりやすいです。とても。 文章全部「いただき!」って感じです。
HP、読者の声も拝見いたしました。 全部は見られませんが、以前森さんがおっしゃたように自分のペースで少しずつ目を通していきたいと思います。 パソコン歴1年弱、メルマガ知ったのはつい最近という私ですがこれからもよろしくお願いします。
>実はどんな内容のお返事が来るのかと楽しみにしておりましたが、
ありゃ、待ちかまえていらっしゃったんですか (笑) 口を大きく開けたオオカミの中に突っ込んでいったような・・ (笑)
>さすがプロのコンサルタントとはいえ、その洞察力と的を射るコメントには、 >ただ、ただ感動しております。
>そして、単に知ったような言葉をただ並べる方々とは違い、 >明瞭でわかりやすいです。とても。
ありがとうございます。 そこまで喜んで頂いて本当に嬉しいです。 私の返事メールを書く原動力がこれなんです。 でも、ちょっと照れます (照)
>文章全部「いただき!」って感じです。
どうぞ、どうぞ。謹んでご進呈申し上げます。 ・・って意味が違う? (笑)
>パソコン歴1年弱、メルマガ知ったのはつい最近という私ですが >これからもよろしくお願いします。
こちらこそ、よろしくお願いいたします。
<宮田さん> 【その仕事に誇りと責任が持てているかの違い】
「かなりおもしろい」99.2.18
お急がしい所すみません。つい仕事の合間に読んでいた所、心に引っかかるものがありまして、またコメントさせていただきます。確かにおっしゃられる通り、『なっております』はよく聞かれる言葉で、私も大嫌いな言葉です。この言葉には、いい加減で、無責任で、押し付けがましくて、他人行儀で、この一言を聞いただけで、この会社とは係わりたくないなと思ってしまいます。ただ、この原因が、現在の若者の他人との希薄な関係とは一概にいえないのではないでしょうか、確かにこの手の言葉は、担当者が責任逃れをしているため発せられるものですが、この手の責任のがれは、若者にかかわらず、それ相応の方も使っていらっしゃいます。様は、その仕事に誇りと責任が持てているかの違いであり、会社の姿勢の問題が多い様に思います。 若者の希薄な関係を表す言葉としては、『って言うか』のフレーズが一番如実に物語っているのではないでしょうか?この言葉は、相手の意見はどうでも良くて、とりあえず自分の意見を言いたい時に、よく使われているようですが、言葉のつながり的には、これほど本来の意味とかけ離れている言葉は無いような気がします。でも、どしらにしても、『なっております』と言われると、『そっちの勝手でしょ』とつい言い返したくなってしまいますね。 最後に、内容とは離れますが、『ヴィド・フランス』と言うパン屋のチェーン店で、店内で食べてくて、パンをキャッシャに持っていったら、『お持ち帰りでよろしいですね!』と言われ、思わず『良くない』と言ってしまったことがありますが、この店の接客教育は、日本語の使い方を勉強してから、マニュアル化してほしいですね。長長とういませんでした。 【お返事】 >ただ、この原因が、現在の若者の他人との希薄な関係とは一概にいえないのでは>ないでしょうか、確かにこの手の言葉は、担当者が責任逃れをしているため発せ>られるものですが、この手の責任のがれは、若者にかかわらず、それ相応の方も>使っていらっしゃいます。 同感です。結局、若い人たちへ言葉を指示しているのは、そういった年齢の高い人たちですから。ただ、見え方として、年齢の高い人たちでそういう言い方をする割合 (あるいは、責任逃れをする人たちの割合) と若い人たちの割合は、後者の方が突出して高いので、読者の分かりやすさや共感の高さを優先して、そういった表現にしました。 >若者の希薄な関係を表す言葉としては、『って言うか』のフレーズが一番如実に>物語っているのではないでしょうか? これも、同感です。ただ、この言葉を使うと企業の問題に直結しません。記事の主旨が「今の若いもんはいかん」というのではなく、「企業にプライベート感覚を持ち込んで、公私が混乱している」のがいけない、というものですから、このことばは記事中に使いませんでした。また、「っていうか」は、高校生で顕著で、大学生・社会人になるに連れて減少する傾向が見られます。一方、なっております、は逆の傾向です (プライベートでは使わない言葉なので、当たり前ですよね (笑))。そういう意味でも、普遍性という観点から、ちょっと特殊な位置づけという理解をしています。 >最後に、内容とは離れますが、『ヴィド・フランス』と言うパン屋のチェーン店>で、店内で食べてくて、パンをキャッシャに持っていったら、『お持ち帰りでよ>ろしいですね!』と言われ、思わず『良くない』と言ってしまったことがありま すみません。思わず笑ってしまいました。良く分かります、宮田さんのお気持ち。私も気がつかない内にやっていそうです。 >すが、この店の接客教育は、日本語の使い方を勉強してから、マニュアル化して>ほしいですね。 この店に限らず、こういった日本語の使い方はありえますし、たまに見かけます。ある意味で顧客志向です。というのも、「持ち帰りが多い」ところでは、そう言った方が接客時間が少なくなるので、オペレーションが効率化されるだけでなく、客の待ち時間も少なくなるからです。これ以外には、牛丼の女性客に対して良く聞くことばです。客に「いいえ」と言う単語を発声させない、というのは接客の基本だからです。 高度な応用例としては、旅館やホテルなどでこういったケースを見かけますが、これは、従業員が客の様子を見て欲していることが分かること、という条件付きです。
お急がしい所すみません。つい仕事の合間に読んでいた所、心に引っかかるものがありまして、またコメントさせていただきます。確かにおっしゃられる通り、『なっております』はよく聞かれる言葉で、私も大嫌いな言葉です。この言葉には、いい加減で、無責任で、押し付けがましくて、他人行儀で、この一言を聞いただけで、この会社とは係わりたくないなと思ってしまいます。ただ、この原因が、現在の若者の他人との希薄な関係とは一概にいえないのではないでしょうか、確かにこの手の言葉は、担当者が責任逃れをしているため発せられるものですが、この手の責任のがれは、若者にかかわらず、それ相応の方も使っていらっしゃいます。様は、その仕事に誇りと責任が持てているかの違いであり、会社の姿勢の問題が多い様に思います。
若者の希薄な関係を表す言葉としては、『って言うか』のフレーズが一番如実に物語っているのではないでしょうか?この言葉は、相手の意見はどうでも良くて、とりあえず自分の意見を言いたい時に、よく使われているようですが、言葉のつながり的には、これほど本来の意味とかけ離れている言葉は無いような気がします。でも、どしらにしても、『なっております』と言われると、『そっちの勝手でしょ』とつい言い返したくなってしまいますね。
最後に、内容とは離れますが、『ヴィド・フランス』と言うパン屋のチェーン店で、店内で食べてくて、パンをキャッシャに持っていったら、『お持ち帰りでよろしいですね!』と言われ、思わず『良くない』と言ってしまったことがありますが、この店の接客教育は、日本語の使い方を勉強してから、マニュアル化してほしいですね。長長とういませんでした。
>ただ、この原因が、現在の若者の他人との希薄な関係とは一概にいえないのでは>ないでしょうか、確かにこの手の言葉は、担当者が責任逃れをしているため発せ>られるものですが、この手の責任のがれは、若者にかかわらず、それ相応の方も>使っていらっしゃいます。
同感です。結局、若い人たちへ言葉を指示しているのは、そういった年齢の高い人たちですから。ただ、見え方として、年齢の高い人たちでそういう言い方をする割合 (あるいは、責任逃れをする人たちの割合) と若い人たちの割合は、後者の方が突出して高いので、読者の分かりやすさや共感の高さを優先して、そういった表現にしました。
>若者の希薄な関係を表す言葉としては、『って言うか』のフレーズが一番如実に>物語っているのではないでしょうか?
これも、同感です。ただ、この言葉を使うと企業の問題に直結しません。記事の主旨が「今の若いもんはいかん」というのではなく、「企業にプライベート感覚を持ち込んで、公私が混乱している」のがいけない、というものですから、このことばは記事中に使いませんでした。また、「っていうか」は、高校生で顕著で、大学生・社会人になるに連れて減少する傾向が見られます。一方、なっております、は逆の傾向です (プライベートでは使わない言葉なので、当たり前ですよね (笑))。そういう意味でも、普遍性という観点から、ちょっと特殊な位置づけという理解をしています。
>最後に、内容とは離れますが、『ヴィド・フランス』と言うパン屋のチェーン店>で、店内で食べてくて、パンをキャッシャに持っていったら、『お持ち帰りでよ>ろしいですね!』と言われ、思わず『良くない』と言ってしまったことがありま
すみません。思わず笑ってしまいました。良く分かります、宮田さんのお気持ち。私も気がつかない内にやっていそうです。
>すが、この店の接客教育は、日本語の使い方を勉強してから、マニュアル化して>ほしいですね。
この店に限らず、こういった日本語の使い方はありえますし、たまに見かけます。ある意味で顧客志向です。というのも、「持ち帰りが多い」ところでは、そう言った方が接客時間が少なくなるので、オペレーションが効率化されるだけでなく、客の待ち時間も少なくなるからです。これ以外には、牛丼の女性客に対して良く聞くことばです。客に「いいえ」と言う単語を発声させない、というのは接客の基本だからです。
高度な応用例としては、旅館やホテルなどでこういったケースを見かけますが、これは、従業員が客の様子を見て欲していることが分かること、という条件付きです。
< 匿名さん> 【責任を取り始めることから自分の生き方が始る】
「かなりおもしろい」99.2.1
責任を取ることは、確かに重いと思います。 責任を取り始めることから自分の生き方が始ると思います。 責任を取らない人生というものは、人の人生を生きているものだと思います。
責任を取ることは、確かに重いと思います。
責任を取り始めることから自分の生き方が始ると思います。
責任を取らない人生というものは、人の人生を生きているものだと思います。
初めまして。いつも意見を拝見させていただいています。 最近の女性は「重い」気持ちを嫌がる、という記事を読んで思ったことを書きたいと思い、今こうして打っています。 本来ならばコンサルタントについての感想の方が望ましいということは十分承知しておりますが、あえて直接関係のない感想になってしまうこと先に断っておきたいと思います。 どうしてこの記事についての感想を書きたくなったかというと、私も世にいう若い女性であり、やはり「重い」気持ちを嫌がっている人間であるということにあります。それを痛感させられたのは、最近の人間関係でした。ある男性との関係が破綻し、それは私の相手の「重い」気持ちに耐えられなかったのが原因でした。 なぜ相手の気持ちを「重い」と感じてしまったのか。会話しているときに感じるギャップなども含まれるのでしょうが、特に相手が「拘束」していると私が思ってしまったときだと考えます。たとえば、ほかの異性の車に乗り込んではいけない、会っていない時間になにをしているのか、私がなんの悩みを持っているのか知りたい、など。 相手にとって当たり前の欲求であることは十分承知しています。しかし私にはそのどれも受け入れることはできませんでした。大学の帰り、友人の車なら、送ってくれるのなら乗るでしょう。会っていない時間、悩みを全てうち明ける気にはなりませんでした。一歩間違えばおもしろくない愚痴になることも知っているからです。 そうしているうちに、相手は私の性格を変えたいと言い出しました。うち明けないのは私に勇気がないから、そう考えたのでしょう。私にとってはそれが別れようと考える決定打になってしまいました。 延々と自分の人間関係を述べてしまいました。つまり「重い」気持ちというのは私にとって「拘束」を意味するのではないかと思ったのです。 女性は自由になった、と思います。私の母親の時代でさえ、女の人が仕事に生きるという選択はあまりなかった時代であったと聞いています。女の人がきちんと自立できる仕事は美容師などごく限られていたと聞かされたものです。それが、差別こそあれ、女性の選択肢は限りなく男性に近づいてきたと思います。もちろんこれは私が学術に身を置いているのでそう思うのかもしれませんが。 でも人付き合いとはそうそう変わっていくものではないと思います。その自由になってしまった女性と、変わることのない人付き合いのギャップが、「重い」気持ちを嫌がる女性が増えていっていることにつながっているのではないでしょうか。先ほど相手が性格を変えると言ったことに私が非常な反発を示したのも、性格は自分が選択し、育ててきたものという感覚が在ったからだと思います。大体性格が気に入らないのなら付き合わなければいいでしょう、というのが正直な気持ちでした。そして、そう思ってしまうほど相手に思い入れがなかったのも事実です。 自由にいきるということは、個人主義的で自立しているようにも見えますが、共同体主義からみれば、傲慢で自分勝手な生き方であると認識しています。そして、いくら個人主義を押し出しても、結局共同体からは離れることはできないことも。答えを模索する時期はもうすでにきているのかもしれません。 【お返事】 はじめまして。メールありがとうございます。大変興味深く読ませていただきました。 正に、山本様の意見に同感いたします。「重い」という感情は、大半が恋愛の初期に発生するものですが、山本様のように途中からふつふつと沸き上がるケースも多々見受けられます。そういう意味で言えば、極めて現在の若い方の持つ典型的な流れであり、場合によっては、悩みでもあります。 山本様のメールが、私の記事に対して反対しているのか、同感しているのか、はたまた、それらの尺度とはまったく別個にお話しをされているのかが、私の理解不足で把握しにくかったので、ピント外れのお返事であったら、申し訳ありません。 ---------------------- ひとつ感じたのは、記事中の「責任」という単語と、山本様のおっしゃる「束縛」は極めて近い概念だということです。特に、 > 相手にとって当たり前の欲求であることは十分承知しています。 と、山本様が理解されていることが、「(受け入れることができない) 責任」=「束縛」の図式を明確にしています。 そして、悲劇は「重い」という概念に対して、温度差が個々人にある、という事実です。これが、ビジネスだと「従来の概念で動こうとする企業」vs「若い消費者」という図式であり、山本様の例だと「従来の概念で動こうとする男性」vs「山本様」となってしまうのではないか、と思います。正に、山本様が指摘されている「ギャップ」です。 (> でも人付き合いとはそうそう変わっていくものではないと思います。その自由に)(>なってしまった女性と、変わることのない人付き合いのギャップが、「重い」気持ち)(>を嫌がる女性が増えていっていることにつながっているのではないでしょうか) もちろん、これは「男性」vs「女性」という単軸概念ではありません。女性だけに特有のものではありません。女性の一途な気持ちに応えることができない男性は、当然「重い」と感じるのでしょうから。 ただ、一般的に、山本様が指摘されたように、女性の社会進出とともに、自我を殺すことが少なくなりました。男性以上にその変化が激しいのは確かです。従って、目立つ変化であることは間違いのないことです。 個人的に言えば、この傾向自体には賛成です。 「女性だから、自我を殺さなくてはいけない」「『自分の性格を変える』と主張する相手には感謝しなければならない」 どう考えても、その論理に首を捻らざるを得ません。相手に対する人間的な最低限のマナーは必要ですが、それ以上の要求を飲む必要はどこにもないのです。ましてや、「女性だから」「女のクセに」などというフレーズには反発すら覚えます。同じ男性として、それは捨てぜりふ、あるいは、相手をシャットアウトする方便に過ぎないことが良く分かるからです。女性である前に人間であること、という大前提が理解できない人と「お友達」になるつもりはまったくありません。 もし、そこに悲劇があるとすれば、「つき合ってから相手の価値観の本当がわかってしまった」なのか、「この人はどうも、そういう価値観を持っていそうだから、初めから距離を置いておこう」なのかの違いでしょう。 そして、若い方はまだまだ好奇心や洞察力、そして、学習という観点から「とりあえず、つき合って、見てみよう」という猶予期間があるだけに、前者の結論になる機会が多くなる、とも言えます。 山本様のお母さまや私の時代とは、「とりあえず」の観点が違うことが「重い」を頻繁に感じさせているのでしよう。逆に言えば、それだけ、現在の若い方 (女性) の許容量が広くなって事を意味しているのですが。 そこには、良い悪いの尺度はありません。どちらを選んでも正解です。ただ、前者を選ぶ人が多くなればなるほど、「重い」という言葉が、色々な意味で重要なキーワードになってくる、というだけです (これが、公的なキーワードになると問題が出るのは、記事で主張しているとおりですが)。 ---------------------- > 自由にいきるということは、個人主義的で自立しているようにも見えますが、共同>体主義からみれば、傲慢で自分勝手な生き方であると認識しています。そして、いく>ら個人主義を押し出しても、結局共同体からは離れることはできないことも。 社会の共同体主義そのものが変化していくのではないか、と思っています。 従って、個人個人は極めて個人主義的ですが、共同体を成立させるために、技術が発達する。つまり、社交術が個人の価値観とは別個に発展していくのではないか、と考えています。アメリカがこういった発展を遂げています。表面上でのグループ (場合によっては、恋人、夫婦すら) のつき合いと、個人的なつき合いはまったく異なります。 あえて言えば、アメリカ人は卵の黄身が鋼鉄でできていて、そこに入り込むのはまず不可能。ただし、白身に当たる部分は非常に柔らかく、その人の世界に入っていける気がする。一方、日本人は、卵の殻はそれなりに固いけれど、それさえ破ってしまえば、一気に中心までズルズルっと入っていける。そんなイメージです。 現在の日本の若い人たちは、アメリカタイプに近づいています。プリクラ等の物的媒体を必要としているのは、まだ、社交術が未熟なためですが、確実に「自分の世界を守る」個人主義へと進んでいっています。 「重い」というキーワードは、そういう観点から見ると、発展途中の社交術が故の一時的な発熱で、知恵熱のようなものだと私は捉えています (もちろん、発展途中のものが完成するまでに、10年以上の年月は必要でしょうが)。 唯一心配なのが、自由の裏には「責任」がある、という意識が日本ではまだ一部でしか発芽していないことです。「自分の言葉や行動には責任を持つ」つまり「そんなつもりではなかった」や「自分のことは棚に上げて」という姿勢はアメリカでは通用しない、ということです。これさえ、ちゃんとできれば、本当の意味で個人主義が日本に定着するでしょう。 誤解がないようにつけ加えさせて頂ければ、山本様がそうだと言っているわけではありません。山本様の文章からはそんなことは一言も感じることができませんから。むしろ、逆に山本様はそのことをわかっていらっしゃる、というサインが見えかくれしているほどです。 一部では、既にその個人主義が未完成ではあるものの、きっちりと守られる、あるいは許容される社会が存在するのも確かです。インターネットはその最たるものでしょう。個人的に6〜7年前から Nifty を初めとするネット社会に友人や同好の趣味のグループとのつき合いがありますが、彼らは正にそのことを享受しています。 ---------------------- 大変申し訳ありません。主旨がぼやけてしまい、取り留めのない話になってしまいました。コンサルタントとしてマクロ的な視点からお話しをするのか、当社はアルバイトを含め、すべて20代の女性ばかりなので相談を受けることも多く、その観点からのお話しをすべきなのかが混在してしまい、中途半端になってしまったからです。 ご意見等ありましたら、お気軽にご連絡下さい。
初めまして。いつも意見を拝見させていただいています。
最近の女性は「重い」気持ちを嫌がる、という記事を読んで思ったことを書きたいと思い、今こうして打っています。
本来ならばコンサルタントについての感想の方が望ましいということは十分承知しておりますが、あえて直接関係のない感想になってしまうこと先に断っておきたいと思います。
どうしてこの記事についての感想を書きたくなったかというと、私も世にいう若い女性であり、やはり「重い」気持ちを嫌がっている人間であるということにあります。それを痛感させられたのは、最近の人間関係でした。ある男性との関係が破綻し、それは私の相手の「重い」気持ちに耐えられなかったのが原因でした。
なぜ相手の気持ちを「重い」と感じてしまったのか。会話しているときに感じるギャップなども含まれるのでしょうが、特に相手が「拘束」していると私が思ってしまったときだと考えます。たとえば、ほかの異性の車に乗り込んではいけない、会っていない時間になにをしているのか、私がなんの悩みを持っているのか知りたい、など。
相手にとって当たり前の欲求であることは十分承知しています。しかし私にはそのどれも受け入れることはできませんでした。大学の帰り、友人の車なら、送ってくれるのなら乗るでしょう。会っていない時間、悩みを全てうち明ける気にはなりませんでした。一歩間違えばおもしろくない愚痴になることも知っているからです。
そうしているうちに、相手は私の性格を変えたいと言い出しました。うち明けないのは私に勇気がないから、そう考えたのでしょう。私にとってはそれが別れようと考える決定打になってしまいました。
延々と自分の人間関係を述べてしまいました。つまり「重い」気持ちというのは私にとって「拘束」を意味するのではないかと思ったのです。
女性は自由になった、と思います。私の母親の時代でさえ、女の人が仕事に生きるという選択はあまりなかった時代であったと聞いています。女の人がきちんと自立できる仕事は美容師などごく限られていたと聞かされたものです。それが、差別こそあれ、女性の選択肢は限りなく男性に近づいてきたと思います。もちろんこれは私が学術に身を置いているのでそう思うのかもしれませんが。
でも人付き合いとはそうそう変わっていくものではないと思います。その自由になってしまった女性と、変わることのない人付き合いのギャップが、「重い」気持ちを嫌がる女性が増えていっていることにつながっているのではないでしょうか。先ほど相手が性格を変えると言ったことに私が非常な反発を示したのも、性格は自分が選択し、育ててきたものという感覚が在ったからだと思います。大体性格が気に入らないのなら付き合わなければいいでしょう、というのが正直な気持ちでした。そして、そう思ってしまうほど相手に思い入れがなかったのも事実です。
自由にいきるということは、個人主義的で自立しているようにも見えますが、共同体主義からみれば、傲慢で自分勝手な生き方であると認識しています。そして、いくら個人主義を押し出しても、結局共同体からは離れることはできないことも。答えを模索する時期はもうすでにきているのかもしれません。
はじめまして。メールありがとうございます。大変興味深く読ませていただきました。
正に、山本様の意見に同感いたします。「重い」という感情は、大半が恋愛の初期に発生するものですが、山本様のように途中からふつふつと沸き上がるケースも多々見受けられます。そういう意味で言えば、極めて現在の若い方の持つ典型的な流れであり、場合によっては、悩みでもあります。
山本様のメールが、私の記事に対して反対しているのか、同感しているのか、はたまた、それらの尺度とはまったく別個にお話しをされているのかが、私の理解不足で把握しにくかったので、ピント外れのお返事であったら、申し訳ありません。
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ひとつ感じたのは、記事中の「責任」という単語と、山本様のおっしゃる「束縛」は極めて近い概念だということです。特に、
> 相手にとって当たり前の欲求であることは十分承知しています。
と、山本様が理解されていることが、「(受け入れることができない) 責任」=「束縛」の図式を明確にしています。
そして、悲劇は「重い」という概念に対して、温度差が個々人にある、という事実です。これが、ビジネスだと「従来の概念で動こうとする企業」vs「若い消費者」という図式であり、山本様の例だと「従来の概念で動こうとする男性」vs「山本様」となってしまうのではないか、と思います。正に、山本様が指摘されている「ギャップ」です。
(> でも人付き合いとはそうそう変わっていくものではないと思います。その自由に)(>なってしまった女性と、変わることのない人付き合いのギャップが、「重い」気持ち)(>を嫌がる女性が増えていっていることにつながっているのではないでしょうか)
もちろん、これは「男性」vs「女性」という単軸概念ではありません。女性だけに特有のものではありません。女性の一途な気持ちに応えることができない男性は、当然「重い」と感じるのでしょうから。
ただ、一般的に、山本様が指摘されたように、女性の社会進出とともに、自我を殺すことが少なくなりました。男性以上にその変化が激しいのは確かです。従って、目立つ変化であることは間違いのないことです。
個人的に言えば、この傾向自体には賛成です。
「女性だから、自我を殺さなくてはいけない」「『自分の性格を変える』と主張する相手には感謝しなければならない」
どう考えても、その論理に首を捻らざるを得ません。相手に対する人間的な最低限のマナーは必要ですが、それ以上の要求を飲む必要はどこにもないのです。ましてや、「女性だから」「女のクセに」などというフレーズには反発すら覚えます。同じ男性として、それは捨てぜりふ、あるいは、相手をシャットアウトする方便に過ぎないことが良く分かるからです。女性である前に人間であること、という大前提が理解できない人と「お友達」になるつもりはまったくありません。
もし、そこに悲劇があるとすれば、「つき合ってから相手の価値観の本当がわかってしまった」なのか、「この人はどうも、そういう価値観を持っていそうだから、初めから距離を置いておこう」なのかの違いでしょう。
そして、若い方はまだまだ好奇心や洞察力、そして、学習という観点から「とりあえず、つき合って、見てみよう」という猶予期間があるだけに、前者の結論になる機会が多くなる、とも言えます。
山本様のお母さまや私の時代とは、「とりあえず」の観点が違うことが「重い」を頻繁に感じさせているのでしよう。逆に言えば、それだけ、現在の若い方 (女性) の許容量が広くなって事を意味しているのですが。
そこには、良い悪いの尺度はありません。どちらを選んでも正解です。ただ、前者を選ぶ人が多くなればなるほど、「重い」という言葉が、色々な意味で重要なキーワードになってくる、というだけです (これが、公的なキーワードになると問題が出るのは、記事で主張しているとおりですが)。
> 自由にいきるということは、個人主義的で自立しているようにも見えますが、共同>体主義からみれば、傲慢で自分勝手な生き方であると認識しています。そして、いく>ら個人主義を押し出しても、結局共同体からは離れることはできないことも。
社会の共同体主義そのものが変化していくのではないか、と思っています。
従って、個人個人は極めて個人主義的ですが、共同体を成立させるために、技術が発達する。つまり、社交術が個人の価値観とは別個に発展していくのではないか、と考えています。アメリカがこういった発展を遂げています。表面上でのグループ (場合によっては、恋人、夫婦すら) のつき合いと、個人的なつき合いはまったく異なります。
あえて言えば、アメリカ人は卵の黄身が鋼鉄でできていて、そこに入り込むのはまず不可能。ただし、白身に当たる部分は非常に柔らかく、その人の世界に入っていける気がする。一方、日本人は、卵の殻はそれなりに固いけれど、それさえ破ってしまえば、一気に中心までズルズルっと入っていける。そんなイメージです。
現在の日本の若い人たちは、アメリカタイプに近づいています。プリクラ等の物的媒体を必要としているのは、まだ、社交術が未熟なためですが、確実に「自分の世界を守る」個人主義へと進んでいっています。
「重い」というキーワードは、そういう観点から見ると、発展途中の社交術が故の一時的な発熱で、知恵熱のようなものだと私は捉えています (もちろん、発展途中のものが完成するまでに、10年以上の年月は必要でしょうが)。
唯一心配なのが、自由の裏には「責任」がある、という意識が日本ではまだ一部でしか発芽していないことです。「自分の言葉や行動には責任を持つ」つまり「そんなつもりではなかった」や「自分のことは棚に上げて」という姿勢はアメリカでは通用しない、ということです。これさえ、ちゃんとできれば、本当の意味で個人主義が日本に定着するでしょう。
誤解がないようにつけ加えさせて頂ければ、山本様がそうだと言っているわけではありません。山本様の文章からはそんなことは一言も感じることができませんから。むしろ、逆に山本様はそのことをわかっていらっしゃる、というサインが見えかくれしているほどです。
一部では、既にその個人主義が未完成ではあるものの、きっちりと守られる、あるいは許容される社会が存在するのも確かです。インターネットはその最たるものでしょう。個人的に6〜7年前から Nifty を初めとするネット社会に友人や同好の趣味のグループとのつき合いがありますが、彼らは正にそのことを享受しています。
大変申し訳ありません。主旨がぼやけてしまい、取り留めのない話になってしまいました。コンサルタントとしてマクロ的な視点からお話しをするのか、当社はアルバイトを含め、すべて20代の女性ばかりなので相談を受けることも多く、その観点からのお話しをすべきなのかが混在してしまい、中途半端になってしまったからです。
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