確かに納得できる部分があるが、なんか物足りない。それに携帯を単に「ダベリ」とイコールにしてるところは違うように感じる。
●何がどのように物足りないのか
記事全部が読めるこのコーナーに来て、他の記事を一切読まずにこの記事を最初に読んでいきなり回答したものだというのがまずあります。「私はこう見る」が軽く読めるものだというのを忘れてたように思います。
で、他の記事もざっと読んでみたんですが、その中でもこの携帯の記事はやっぱり物足りなかったです。
理由を考えてみました。
若者(学生からせいぜいフリーターまで)の間でのヒットしか問題にしていないこと。この世代だけのヒットじゃないから携帯は大変なことになったんだと思います。その辺に全く触れてないのが物足りなかった。確かに他の世代までに話を広げると話がえらいことになりますから避けたんだと思いますが、全く触れないと物足りなすぎます。だってテーマが「携帯にお金とられてる」なんですもん。30歳の僕も携帯にお金とられてますもん。
察するに、大きなテーマを選んでしまったはいいが、語ることが多すぎて適当なボリュームに納めきれなかったんじゃないでしょうか?
●携帯とダベリはどう違うのか
まず上の物足りなさから来ることですが、上記の若者以外では「無駄話」を携帯でしない人がほとんどのはずです。
また「無駄話」は「ダベリ」ではないと思います。僕が思う「ダベリ」は「会話をしているということよりも、時間を共有していることを楽しむこと」だと思います。会話はあくまでおまけです。ですからダベってる間にインベーダーをする、漫画を読むってことはごくごく自然な行為です。
上記の若者は「無駄話」が「ダベリ」に変化することもあると思いますが、ダベるための環境が整っていないと出来ないでしょう。つまり常に携帯でダベることは不可能なはず。
ここからはこの記事のテーマからはずれますが、連中の「無駄話」がもしかして「粋な話」ななんじゃないかとも思うんです。最近僕が感じるのは20歳前後の世代は、僕らの世代よりもずっと古風なんじゃないかということ。
*浮気チェックするために男が女の携帯にかけ何をしているか確認する
*自分が気に入ったことやものの話を伝える
極論かもしれませんが、これって平安時代の和歌を送りまくったのに似てません?
ま、平安時代は大げさですが、ちょっとしたことで手紙を送る昔の人に似てる気がするんです。もちろん今の連中はそんなかっこよくないですが。
また、
> 自分の存在の確認のためだけに友だちと浅いつきあいしかしてない層です。
この一文がなんかオヤジ臭いというかチャラいというか引っかかりました。他者は誰にとっても自己を確認するために必要です。というか、自己を確認するためにだけに必要と言ってしまっても言い過ぎではないと思います。
また「若いやつ=浅い付き合い」というのは僕らの世代までは言えてたように思いますが、連中は僕らよりずっと重い付き合いをしてると思います。もっというと浅い付き合いの何が悪いんでしょう?
この文からは「浅い付き合いを見下してるオヤジ」が臭ってきます。
> ダベリに負けるなんて悔しいではないですか。
というよりは、「ダベリながら熱心にやれるもの、ダベリのツールになるものを作っていこうじゃないですか」じゃないでしょうか?
少なくとも勝つ負けるではないと思います。
こうやって考えをまとめてみると、この記事で気になったのは「携帯=ダベリ」という点ではなくて「会話=ダベリ」という点だと気がつきました。
【お返事】
>30歳の僕も携帯にお金とられてますもん。
テーマの振り方が悪かったかも知れません。
実際、あのコーナーの中で、一番掲出したくなかったのが、実はこの記事です
(笑)
確かに内容は薄いです。反省しています (笑)
「自分が悪かった」というのを前提に、ちょっとお話しします。
だから、反論というより、補足という視点で読んで下さいね。
私が問題にしているのは、「今まで携帯ほど定期的に大きな金額の出費を継続的に『若者から』搾取した産業はなかった」ということです。20代から30代は結構1つのことにお金を使う傾向が強いのです。ですから、20代後半からの年代については、大きな問題にはしていません。
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>> ●携帯とダベリはどう違うのか
>まず上の物足りなさから来ることですが、上記の若者以外では「無駄話」を携帯
>でしない人がほとんどのはずです。
上の問題意識があるので、この点については、クリアかと思います。
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>また「無駄話」は「ダベリ」ではないと思います。僕が思う「ダベリ」は「会話
えっと、ここが私の見方と少々違うところです。
「ダベリ」という言葉の定義はとりあえず、おいておいて言います
(というのは、蓬田君が「ダベリ」ということばに敏感になっていたので、そこまで気にしていなかった私としては、ちょっととまどっているからです)
詳しくは「なっております症候群」を思い出して頂ければ良いのですが、今の20代前半より若い層の「会話」はあくまでも「他人との共有を自分で納得させる(ごまかす)ためのもの」という理解です。ちなみに、インベーダゲームの時のカップルは会話がなくて、ゲームだけやってデートをする、から他の年代に気持ち悪がられたのです。
それは、現在のプリクラや写真に近いものがあります。
プリクラや写真は、若い人たちの言語障害
(?) を補足するための一種のビジュアル言語です。そして、それは、単に、時間や見ているもの (この場合は、プリクラや写真)
を共有しているだけであって、人間や考え方を共有しているのではない、という視点です。極端に入ってしまえば、相手は「イヤなヤツ」でなければ、誰だって良いのです。
もうすこし、例を出すと最近の女の子の「身体を奪うのは」昔と比べてかなり簡単です。でも「心を奪うのはかなり難しい作業」です。「性の開放」や「性を特殊に見ない」ということばでくくられていますが、極端に言えば「相手がイヤでなければ」セックスくらいは
OK ということです。彼女たちのセックスには、相手の人格や性格は含まれません。セックスはセックスとして単体で見るからこそ、「時間共有」と同レベルで簡単に身体を奪う事が出来るのです。
ここでは、時間共有がいけない、と言っているわけではありません。
ただ、若い人たちの時間共有はベル友に代表されるように、「誰でも良いからベル鳴らして。でないと、寂しくて死んじゃう」ようなな表層的な意味でしかない、ということに問題があります。
つまり、企業に対して、「時間共有に負けるのがいけない。もっと魅力的な商品を出せば、不況なんて言ってられないよ」といいたいわけです。
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>「粋な話」ななんじゃないかとも思うんです。最近僕が感じるのは20歳前後の世
>代は、僕らの世代よりもずっと古風なんじゃないかということ。
彼らが古風というのは同感です。
実際、価値観調査をすると、現在の10代の価値観は40代の女性、つまり、おばさんに極めて近いからです。どこかマジメでだけど自分を守ろうとする保守的傾向が極めて強いのです。
ただ、価値観レベルで「粋か?」と聞かれると、ちょっとつらいですけど (笑)
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>極論かもしれませんが、これって平安時代の和歌を送りまくったのに似てません
>? ま、平安時代は大げさですが、ちょっとしたことで手紙を送る昔の人に似てる
そういう意味では平安時代と近いという蓬田君の仮説は正しいと思います。
つまり、男女の立場が逆転している、自己中心的になっている、という点です。
元来、子供を生んで生産性を上げる農耕民族である日本民族は、女性上位の思想を持っています。日本書紀でも、アダムとイブと違い、「女が男を追いかけてもこどもはできない、逆に男が女を追いかけなさい」とアドバイスされて、人間と言うこともが出来た、というのが伝説ですから。
また、平安時代の貴族は生活環境が極めて安定していたので、マズローの5段階の欲求の「自己実現」の段階まで行っていました。戦後、経済が安定し始めた日本人は、現在ようやく「自己実現」のフェーズに入っています。ただ、この段階はもともと「判断価値が自分にあって他人ではない」ため、他人に振り回されたり、他人の和を常識以上に追いかけることはしない代わりに、初期段階では、人間ができあがっていないと、単なる自己中心的な発想になってしまうのです。そういう意味で、蓬田君の仮説は正しいです。
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>> 自分の存在の確認のためだけに友だちと浅いつきあいしかしてない層です。
>この一文がなんかオヤジ臭いというかチャラいというか引っかかりました。他者
ここまでで、分かってもらえると思いますが、ここでいう「浅いつき合い」は結局「誰でも良い」的な発想での自己確認です。自己の存在をきちんと知るには、例えば蓬田君は、文句ばかり言っているけど、何もしてないチャライ17才のプー男を対象にはしていないはずです。
その証拠に、彼ら自身「自分って何?」の問題意識を20代中間にぶち当たり、それまでの自分が表層的な「存在 (存在価値ではありません)」だけで自己確認をしていることに気が付いているではありませんか。逆に言えば、それがなければ、「浅い」という言葉を使う必要はありません。彼ら自身が「浅い」と認めているからこそ、客観性を重んじるコンサルタントとして、「浅い」という単語を使えるのです。
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>また「若いやつ=浅い付き合い」というのは僕らの世代までは言えてたように思
浅いつき合いが悪い、というのは、彼ら自身が認めていることです。
ここには、私の価値観は入っていません。
蓬田君がオヤジ臭く感じるのは、私がオヤジだからではなく、若い人たちが我々40代男性以上にオヤジ臭い
(保守的な) 価値観を持っているからです。この記事でのコンサルタントは彼らの鏡としての存在です。
従って、見下しているのは (というより、後悔しているのは)、「数年たった彼らの未来」の自分であって、私ではありません。
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>というよりは、「ダベリながら熱心にやれるもの、ダベリのツールになるものを
>作っていこうじゃないですか」じゃないでしょうか? 少なくとも勝つ負けるでは
ツールを作ろう、という主旨はそのとおりです。
ただ、マーケティングの視点から言うと、限られたパイ
(つまり、彼らの可処分所得) を振り向けるのは、勝ち負けなのです。
逆に言うと、そういう発想がないとマーケティングはうまく機能しません。
昔、ホンダがシビックを開発するときに設定したのが、他社のクルマではなく海外旅行でした。ターゲットとなる若い層の可処分所得を海外旅行ではなくシビックに振り向けてもらうためにどうするか、という発想で価格を含めたクルマづくりをしたからこそ、業界内のシェアの奪い合いだけの発想でないクルマづくりが出来たのです。
現在も同じです。
例えばセガや任天堂が敵にしなければならないのは、プレステではないよ、ということなのです。
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>こうやって考えをまとめてみると、この記事で気になったのは「携帯=ダベリ」
>という点ではなくて「会話=ダベリ」という点だと気がつきました。
えっと、ダベリというキーワードの定義を避けたまま話を進めてきたので、ここで、私はつまずいてしまいます (笑)
この話は後でしようね (笑)
【蓬田さんからのお返事】
> 私が問題にしているのは、「今まで携帯ほど定期的に大きな金額の出費を継続的に
>
『若者から』搾取した産業はなかった」ということです。20代から30代は結構こ
> 1つのとにお金を使う傾向が強いのです。ですから、20代後半からの年代につい
> ては、大きな問題にはしていません。
釈迦に念仏だと思いますが、この辺のことを少しでも書いておいてくれたらうれしかったです。僕らの世代っていまだに「若者」って言葉で自分のことを言われてる気がするんですよ。もう違うのに。;)
でも、僕らの世代が一番ネットで多い世代だと思うんです。
僕の意見でもどっか自分が「若者」に立ってしまってた気がします。20歳前の若者とも同じ「若者」なんだから理解できるはずって思いこんで。初めてのはっきりしたジェネレーションギャップに直面してます。最近、そう思います。
> 半より若い層の「会話」はあくまでも「他人との共有を自分で納得させる(ごまか
>
す)ためのもの」という理解です。ちなみに、インベーダゲームの時のカップルは
この辺がちょっとわかりにくかったっす。「なっております症候群」、もう一度読んでみます。
> ただ、価値観レベルで「粋か?」と聞かれると、ちょっとつらいですけど (笑)
すんません。僕の言語能力が低くって、こんな力ずくな言葉を使ってしまいました。こんな近世的な言葉より、もっと古代の言葉にいいのがあると思うんですよ。それこそ平安時代の言葉に。でも僕、古文得意じゃなかったんですよね...;)
今(というか少し昔)の言葉の「女々しい」ってのから悪いニュアンスを抜いたような言葉が。
> 日本書紀でも、アダムとイブと違い、「女が男を追いかけてもこどもは
共にあんましちゃんと読んだことないんですが、この話、古事記じゃなくって日本書紀でですか?
> 自己の存在をきちんと知るには、例えば蓬田
> 君は、文句ばかり言っているけど、何もしてないチャライ17才のプー男を対象に
> はしていないはずです。
確かに。
> 彼ら自身が「浅い」と認めているからこそ、客観
> 性を重んじるコンサルタントとして、「浅い」という単語を使えるのです。
くぅー、かっこいいっす! これにはマジで感心しました。嫌みじゃなく。でも、「客観」なんて立場、本当に人間にとれるもんでしょうか?
それ以前に「主観」とか「自己」すらなんだか怪しいもんです、僕にとって。ま、この辺の哲学的な思考に走ってしまうと、即身成仏でもするしかないんでしゃぁ〜ないんですけどね。この辺の話は会ってしましょう。文章でやると壮絶なことになっちゃいますから。;)
> 浅いつき合いが悪い、というのは、彼ら自身が認めていることです。
> ここには、私の価値観は入っていません。
> 蓬田君がオヤジ臭く感じるのは、私がオヤジだからではなく、若い人たちが我々
>
40代男性以上にオヤジ臭い (保守的な) 価値観を持っているからです。この記事
> でのひサルタントは彼らの鏡としての存在です。
> 従って、見下しているのは (というより、後悔しているのは)、「数年たった彼ら
>
の未来」の自分であって、私ではありません。
これまた降参です...でも、ホントに後悔するのかなやつら。なんか、後悔せずに突き進んでほしいって無責任にも思ったりもします。でも、そんなやつとは一緒に仕事したくないけど。;)
> ただ、マーケティングの視点から言うと、限られたパイ (つまり、彼らの可処分所
>得
) を振り向けるのは、勝ち負けなのです。
> 逆に言うと、そういう発想がないとマーケティングはうまく機能しません。
確かになぁ...確かにそうだとは思うけど...なんかそういうマーケティングに左右されない人生を送りたいとは思ってます。なんか、悔しいもん。;)