読者の声 : 99.1.8号 (1) 励ましや、おしかりの言葉、ありがとうございます。 他の読者の方々の中にも、同じご意見を持った方がいらっしゃるかも知れません。自分の考えをまとめるための参考になる場合もあります。だから、「読者の声」は大事にしたいと考えています。原則として、原文を掲載しています。新しい声から順番にご紹介しています。 それぞれの方々へのご意見もお待ちしています。こちらのフォームで投稿するか、voice2@systrat.co.jp へお送り下さい。 この色は皆さんの声 (お返事付) この色は皆さんへのご意見です この色は皆さんの声 (お返事なし)
励ましや、おしかりの言葉、ありがとうございます。
他の読者の方々の中にも、同じご意見を持った方がいらっしゃるかも知れません。自分の考えをまとめるための参考になる場合もあります。だから、「読者の声」は大事にしたいと考えています。原則として、原文を掲載しています。新しい声から順番にご紹介しています。
それぞれの方々へのご意見もお待ちしています。こちらのフォームで投稿するか、voice2@systrat.co.jp へお送り下さい。
カジュアル・フード文化と女性【牛丼と定食とちょっと菓子】 98.12.15 掲載
くだらないかも知れませんが、「つゆだく」は華原のともちゃんがTVで「だぁい好き・」と言ったので、それがブームの元と思われます。キティちゃんブームと一緒ですね。
ドトールコーヒーとかで右のドアから入ってきてサンドイッチとコーヒーをピューっと食べて、風のように左のドアから去っていく、かっこいいお姉さんが増えたような気がする
新年あけましておめでとうございます。皆様のご健勝とご多幸を心よりお祈りします。新年も面白く、そして勉強になるメルマガを期待しています。本年も宜しくお願い申し上げます。 内容は、すぐに読むことができたものですから、ことある毎に周りの様子を観察していたのですが、「水飲み鳥」を見ることはありませんでした。 今回の文章を読みながら思っていたことは、東京での0.1%の波は地方では感じれないのかなということです。確かに0.1%の波は小さな波ですので地方で感じた時には、小さな波でないのでしょうね。では、地方の0.1%の波は大きな流れになるのでしょうか。現在、交通も便利になり都市間の時間的距離はかなり縮まったと思います。さらに、インターネットによりいろいろな所から、どこへでもアクセスでき、様々な情報があらゆる所から発信されています。 しかし、現実的には大都市の流れが地方へ押し寄せて来るものだと思います。地方の小さな波は大都市の大きな波に飲み込まれ、跡形も無く消えてしまいます。 読みながら、このような事を考えていたのですが、だからと言って内容にどう関係するかは分かりません。何が言いたいのかすら自分でも分かりません。自分の考えをまとめようと考えてはいたのですが、結局分からないまま、書かせて頂きました。申し訳ございません。 地方に居たのでは、大都市に居る人のアンテナや普段の観察力では、やはり日本を包み込む流れは捉えられないんではないのでしょうか。逆に地方の企業をコンサルタントしようとする際に大都市においてどのくらいの流れを利用するのでしょうか。地方と大都市において、どのくらいの差があるとお考えでしょうか。自分では分からないし、この考え方自体が合っているかも分かりませんので、宜しければご意見を聞かせていただきたいのですが・・・。 今回の記事では、情報の地域差(この言葉が私の言いたい事かも怪しいですが・・・)を感じたものですから、森さんが言おうとしたことを捉えられなかったことがちょっと残念です。また、落ち着いた時に読み直して真意を捉えたいと思います。 また、次の記事を楽しみにしています。本年も頑張って下さい。 【お返事】 >「水飲み鳥」を見ることはありませんでした。 滅多に私も遭遇しません。半年に1-2回というところでしょうか。ただ、最近、目撃頻度が増えた気がしますけど。 >東京での0.1%の波は地方では感じれないのかな 否定はしませんが、東京での0.1% は東京に住んでいる人ですら大半が感じない「さざ波」です。Nobさんが感じないのは気になさることはないと思います。 >では、地方の0.1%の波は大きな流れになるのでしょうか。 >しかし、現実的には大都市の流れが地方へ押し寄せて>来るものだと思います。地方の小さな波は大都市の 実は、東京は情報や流行の発信地ではないケースが多いのです。本当の波は地方から来ます。ただ、首都圏は人口が多いので、そこでブレイクしたものは他の地域に波及し、一見発祥に見えるだけです。典型的な例がファッションです。ファッションメーカーの知り合いは口を揃えて「流行の流れは九州を見れば分かる」と言います。エバラ浅漬けの素は元々東北で売られていた商品を真似て作られたものです。下世話な分野では、かつて日本を席巻したノーパン喫茶は、九州が発祥地、京都が火をつけ、東京で爆発した、という経緯もあります。 ただ、地方都市でもそれぞれ性格があります。つまり、保守的な色合いが強い都市、例えば札幌や神戸から波が発生することは多くありません。九州 (特に、福岡と熊本) は新しい文化の発祥としては定番の地域です。一時期、関西は元気でしたが、ちょっと最近大人しくなっています。 >逆に地方の企業をコンサルタントしようとする際に>大都市においてどのくらいの流れを利用するのでしょうか。 首都圏に関係しない地方企業のコンサルテーションは数少ないのですが、上記の観点から、「東京で流行っているから」というだけでコンサルテーションをすることは100%ありません。タワーレコードやミナミスポーツが「東京から来たんだぞ」というコンセプトで地方に出店して失敗を重ねているのは良い例です。東京の動きを横で睨みつつ調査票を設計しますが、それは、調査項目に漏れがないよう整備する、という意味あいしか持ちません。常にその地方の生活者の嗜好を独立して捉えることを主眼としています。 今回の記事は、男性にとって疎遠だったというのも一つの原因だった気がします。総じて評価は高くなかったのですが、それでも、今回は女性からのコメントが今までよりも圧倒的に多かったのが特徴です。新しい発見でした。
新年あけましておめでとうございます。皆様のご健勝とご多幸を心よりお祈りします。新年も面白く、そして勉強になるメルマガを期待しています。本年も宜しくお願い申し上げます。
内容は、すぐに読むことができたものですから、ことある毎に周りの様子を観察していたのですが、「水飲み鳥」を見ることはありませんでした。
今回の文章を読みながら思っていたことは、東京での0.1%の波は地方では感じれないのかなということです。確かに0.1%の波は小さな波ですので地方で感じた時には、小さな波でないのでしょうね。では、地方の0.1%の波は大きな流れになるのでしょうか。現在、交通も便利になり都市間の時間的距離はかなり縮まったと思います。さらに、インターネットによりいろいろな所から、どこへでもアクセスでき、様々な情報があらゆる所から発信されています。
しかし、現実的には大都市の流れが地方へ押し寄せて来るものだと思います。地方の小さな波は大都市の大きな波に飲み込まれ、跡形も無く消えてしまいます。
読みながら、このような事を考えていたのですが、だからと言って内容にどう関係するかは分かりません。何が言いたいのかすら自分でも分かりません。自分の考えをまとめようと考えてはいたのですが、結局分からないまま、書かせて頂きました。申し訳ございません。
地方に居たのでは、大都市に居る人のアンテナや普段の観察力では、やはり日本を包み込む流れは捉えられないんではないのでしょうか。逆に地方の企業をコンサルタントしようとする際に大都市においてどのくらいの流れを利用するのでしょうか。地方と大都市において、どのくらいの差があるとお考えでしょうか。自分では分からないし、この考え方自体が合っているかも分かりませんので、宜しければご意見を聞かせていただきたいのですが・・・。
今回の記事では、情報の地域差(この言葉が私の言いたい事かも怪しいですが・・・)を感じたものですから、森さんが言おうとしたことを捉えられなかったことがちょっと残念です。また、落ち着いた時に読み直して真意を捉えたいと思います。
また、次の記事を楽しみにしています。本年も頑張って下さい。
【お返事】
>「水飲み鳥」を見ることはありませんでした。
滅多に私も遭遇しません。半年に1-2回というところでしょうか。ただ、最近、目撃頻度が増えた気がしますけど。
>東京での0.1%の波は地方では感じれないのかな
否定はしませんが、東京での0.1% は東京に住んでいる人ですら大半が感じない「さざ波」です。Nobさんが感じないのは気になさることはないと思います。
>では、地方の0.1%の波は大きな流れになるのでしょうか。
>しかし、現実的には大都市の流れが地方へ押し寄せて>来るものだと思います。地方の小さな波は大都市の
実は、東京は情報や流行の発信地ではないケースが多いのです。本当の波は地方から来ます。ただ、首都圏は人口が多いので、そこでブレイクしたものは他の地域に波及し、一見発祥に見えるだけです。典型的な例がファッションです。ファッションメーカーの知り合いは口を揃えて「流行の流れは九州を見れば分かる」と言います。エバラ浅漬けの素は元々東北で売られていた商品を真似て作られたものです。下世話な分野では、かつて日本を席巻したノーパン喫茶は、九州が発祥地、京都が火をつけ、東京で爆発した、という経緯もあります。
ただ、地方都市でもそれぞれ性格があります。つまり、保守的な色合いが強い都市、例えば札幌や神戸から波が発生することは多くありません。九州 (特に、福岡と熊本) は新しい文化の発祥としては定番の地域です。一時期、関西は元気でしたが、ちょっと最近大人しくなっています。
>逆に地方の企業をコンサルタントしようとする際に>大都市においてどのくらいの流れを利用するのでしょうか。
首都圏に関係しない地方企業のコンサルテーションは数少ないのですが、上記の観点から、「東京で流行っているから」というだけでコンサルテーションをすることは100%ありません。タワーレコードやミナミスポーツが「東京から来たんだぞ」というコンセプトで地方に出店して失敗を重ねているのは良い例です。東京の動きを横で睨みつつ調査票を設計しますが、それは、調査項目に漏れがないよう整備する、という意味あいしか持ちません。常にその地方の生活者の嗜好を独立して捉えることを主眼としています。
今回の記事は、男性にとって疎遠だったというのも一つの原因だった気がします。総じて評価は高くなかったのですが、それでも、今回は女性からのコメントが今までよりも圧倒的に多かったのが特徴です。新しい発見でした。
創刊号から興味深く読んでいます。今回は自分にかなり身近なテーマだったのでアンケートの回答をしてみようと思いました。 自分は営業職なので、営業車を与えられて「外回り」をしています。当然昼食は一人で取ることがほとんどですが、ファーストフードとファミレスに順番に入っているのが現状です。どんぶりもの・定食屋にほんとは行きたいんですが、誰も何も言わないけど、一人で入ることにかなりの抵抗があります。だから牛丼食べたいときは、会社の男性と同行しているときや、彼にお願いしていっしょに行ってもらいます。 年齢的に女子高生とは10年近くへだたりがあるので、なかなか・・・(自分の記憶では、牛丼がはやり出したのはカハラトモミがTVで「牛丼をつゆだくで食べる」と言ったのもひとつの要因だったように思えるのですが、いかがお考えですか?) 学生のときは学食でひとりで昼食を食べるのがイヤでした。やっぱり周りを見渡してもそんな女子はいないんですね。だから昼食時に友達がつかまらないときは、繁華街まで出て食べていました。街中の(誰も知っている人のいない)店だったらぜんぜん平気なのに、わざわざヘンだよな、とは自分でも思うんですがやはりその居心地の悪さを想像すると「学食一人食い」をすることはできませんでした。 私は喫煙者でもあるのですが、女子喫煙者じたいがここ九州では忌み嫌われております。というのはオオゲサですが、男性だけでなく女性のなかにも「あの人タバコ吸うんだよ」的な非難が日常的に見られます。 「タバコすう人=だらしない女」 が彼らの論理のようです。あまりにステレオタイプで笑えますが、自分にとっては「スイカが好き」「カレーが好き」といった嗜好のなかのひとつでしかないので、喫煙という行為だけで喫煙者の人格を判断されることに驚きます。・・・でもほかのことでは自分も知らず知らずにそういうことをしているのでしょうね。(それを思うたびドキリとします。) コブシ振り上げて差別だ!というほどのことでもありませんが、いまだ女子へのこういった目に見えない「圧力」は脈々と生きつづけています。ときに息苦しくなるほど。森さんの言われる「波」が、この息苦しさに風穴を空けることになれば・・・私も好きなときにヨシギューが食べられますね。ハハハ。 いきなり長々と失礼しました。お忙しいとは思いますが、来年もマガジンを楽しみにしています。 【お返事】 >あります。だから牛丼食べたいときは、会社の男性と同行>しているときや、彼にお願いしていっしょに行ってもらいます。 同行をお願いできる相手がいるのは、匿名さんの人徳ですね。私の周辺に、そういう存在がいなくて悶々としていた女性も多くいらっしゃいました。「なぁんだ、そんなことだったら、いつでも連れてったげるよ」と、何人の女性を牛丼屋に連れていったことか。行ったことがないと、どんどん期待が膨らんでいってしまうものです。ほとんどの人が「こんなもんだっんだ」とコメントして帰ります。が、その割には、定期的に通っている人も多いですが (笑) >年齢的に女子高生とは10年近くへだたりがあるので、なかなか・・・ あっ、いえ、そういうのは、年齢とは関係がありません (笑) >(自分の記憶では、牛丼がはやり出したのはカハラトモミが>TVで「牛丼をつゆだくで食べる」と言ったのもひとつの要因だった はい。実は知りませんでして、他の方からご指摘で初めて知ったのです。華原朋美説の方が3通 (匿名さんの分を入れてます)、小室ファミリーの樺原ともみ説が1通です。結局、つゆだくを流行らせたのは、小室哲也ということになります (笑) >街中の(誰も知っている人のいない)店だったらぜんぜん>平気なのに、わざわざヘンだよな、とは自分でも思うんですが そういう方は男女問わず多いですよね。つまり、環境に合わせないとなぜか居心地が悪い。人間は「群」の動物であるということをしみじみと感じる一時でもあります。良く言えば「社会性」ということなのですが。 >女性のなかにも「あの人タバコ吸うんだよ」的な非難が日常的に>見られます。>「タバコすう人=だらしない女」>が彼らの論理のようです クライアントのひとつが九州なので、良く出張に行きます。細かいことは知りませんが、その雰囲気は感じます。私の郷里は高知県なのですが、距離的には近いのに、女性に対する感覚がまったく違うのには驚かされます。高知は特殊な文化と言われますが、そのとおりなのかも知れません。だって、「なめたらあかんぜよ」のお国ですから。 >自分にとっては「スイカが好き」「カレーが好き」といった嗜好の>なかのひとつでしかないので、喫煙という行為だけで喫煙者の人格を>判断されることに驚きます。 はい。嗜好は人間が人間を判断するのに、ある意味もっとも手っ取り早い材料になり勝ちです。今でこそ少なくなりましたが、「あたりめ (するめ)」が好きというだけで女性扱いされなくなったり (つまりオヤジの食い物だ、というわけです)、ピンクの色が好きだというだけでホモ扱いされる男性が出現します。 今度は、喫煙者の中でも、バージニアスリムを吸う女性は女性らしいけど、ハイライトを吸う女性はおかしい、といった訳の分からない論理がまかり通ります。逆に、マイルドセブンを吸っている中年はいかにもサラリーマンだけど、パーラメントはちょっとかっこいい、というヤツです。 マーケティングでは、極めて重要なイメージ要因なのですが、現実社会では恐くもあり、楽しくもあるのが、こういった「趣味・嗜好による決め付け」でしょう。 >いまだ女子へのこういった目に見えない「圧力」は脈々と生きつづけて>います。ときに息苦しくなるほど。 同感です。本当の意味での性差なんてそんなにないのに。 >森さんの言われる「波」が、この息苦しさに風穴を空けることに>なれば・・・私も好きなときにヨシギューが食べられますね。ハハハ。 大丈夫です。意外に早く「波」が来るでしょう。たまに、揺れ戻しもあるかも知れませんが。私の勘では2年くらいです。 女性が営業職につくことですら、20年前までは考えられなかったですものね。あの当時は (今でも少し) 何かあったら「女じゃ話にならん。男を出せ、男」なんて堂々と言宇人ばかりの時代でした。今そんなこと言ったら仕事になりませんし、総スカンを食らうのは目に見えています。 >いきなり長々と失礼しました。 いえ、いつでも遊びに来て下さい。
創刊号から興味深く読んでいます。今回は自分にかなり身近なテーマだったのでアンケートの回答をしてみようと思いました。
自分は営業職なので、営業車を与えられて「外回り」をしています。当然昼食は一人で取ることがほとんどですが、ファーストフードとファミレスに順番に入っているのが現状です。どんぶりもの・定食屋にほんとは行きたいんですが、誰も何も言わないけど、一人で入ることにかなりの抵抗があります。だから牛丼食べたいときは、会社の男性と同行しているときや、彼にお願いしていっしょに行ってもらいます。
年齢的に女子高生とは10年近くへだたりがあるので、なかなか・・・(自分の記憶では、牛丼がはやり出したのはカハラトモミがTVで「牛丼をつゆだくで食べる」と言ったのもひとつの要因だったように思えるのですが、いかがお考えですか?)
学生のときは学食でひとりで昼食を食べるのがイヤでした。やっぱり周りを見渡してもそんな女子はいないんですね。だから昼食時に友達がつかまらないときは、繁華街まで出て食べていました。街中の(誰も知っている人のいない)店だったらぜんぜん平気なのに、わざわざヘンだよな、とは自分でも思うんですがやはりその居心地の悪さを想像すると「学食一人食い」をすることはできませんでした。
私は喫煙者でもあるのですが、女子喫煙者じたいがここ九州では忌み嫌われております。というのはオオゲサですが、男性だけでなく女性のなかにも「あの人タバコ吸うんだよ」的な非難が日常的に見られます。
「タバコすう人=だらしない女」
が彼らの論理のようです。あまりにステレオタイプで笑えますが、自分にとっては「スイカが好き」「カレーが好き」といった嗜好のなかのひとつでしかないので、喫煙という行為だけで喫煙者の人格を判断されることに驚きます。・・・でもほかのことでは自分も知らず知らずにそういうことをしているのでしょうね。(それを思うたびドキリとします。)
コブシ振り上げて差別だ!というほどのことでもありませんが、いまだ女子へのこういった目に見えない「圧力」は脈々と生きつづけています。ときに息苦しくなるほど。森さんの言われる「波」が、この息苦しさに風穴を空けることになれば・・・私も好きなときにヨシギューが食べられますね。ハハハ。
いきなり長々と失礼しました。お忙しいとは思いますが、来年もマガジンを楽しみにしています。
>あります。だから牛丼食べたいときは、会社の男性と同行>しているときや、彼にお願いしていっしょに行ってもらいます。
同行をお願いできる相手がいるのは、匿名さんの人徳ですね。私の周辺に、そういう存在がいなくて悶々としていた女性も多くいらっしゃいました。「なぁんだ、そんなことだったら、いつでも連れてったげるよ」と、何人の女性を牛丼屋に連れていったことか。行ったことがないと、どんどん期待が膨らんでいってしまうものです。ほとんどの人が「こんなもんだっんだ」とコメントして帰ります。が、その割には、定期的に通っている人も多いですが (笑)
>年齢的に女子高生とは10年近くへだたりがあるので、なかなか・・・
あっ、いえ、そういうのは、年齢とは関係がありません (笑)
>(自分の記憶では、牛丼がはやり出したのはカハラトモミが>TVで「牛丼をつゆだくで食べる」と言ったのもひとつの要因だった
はい。実は知りませんでして、他の方からご指摘で初めて知ったのです。華原朋美説の方が3通 (匿名さんの分を入れてます)、小室ファミリーの樺原ともみ説が1通です。結局、つゆだくを流行らせたのは、小室哲也ということになります (笑)
>街中の(誰も知っている人のいない)店だったらぜんぜん>平気なのに、わざわざヘンだよな、とは自分でも思うんですが
そういう方は男女問わず多いですよね。つまり、環境に合わせないとなぜか居心地が悪い。人間は「群」の動物であるということをしみじみと感じる一時でもあります。良く言えば「社会性」ということなのですが。
>女性のなかにも「あの人タバコ吸うんだよ」的な非難が日常的に>見られます。>「タバコすう人=だらしない女」>が彼らの論理のようです
クライアントのひとつが九州なので、良く出張に行きます。細かいことは知りませんが、その雰囲気は感じます。私の郷里は高知県なのですが、距離的には近いのに、女性に対する感覚がまったく違うのには驚かされます。高知は特殊な文化と言われますが、そのとおりなのかも知れません。だって、「なめたらあかんぜよ」のお国ですから。
>自分にとっては「スイカが好き」「カレーが好き」といった嗜好の>なかのひとつでしかないので、喫煙という行為だけで喫煙者の人格を>判断されることに驚きます。
はい。嗜好は人間が人間を判断するのに、ある意味もっとも手っ取り早い材料になり勝ちです。今でこそ少なくなりましたが、「あたりめ (するめ)」が好きというだけで女性扱いされなくなったり (つまりオヤジの食い物だ、というわけです)、ピンクの色が好きだというだけでホモ扱いされる男性が出現します。
今度は、喫煙者の中でも、バージニアスリムを吸う女性は女性らしいけど、ハイライトを吸う女性はおかしい、といった訳の分からない論理がまかり通ります。逆に、マイルドセブンを吸っている中年はいかにもサラリーマンだけど、パーラメントはちょっとかっこいい、というヤツです。
マーケティングでは、極めて重要なイメージ要因なのですが、現実社会では恐くもあり、楽しくもあるのが、こういった「趣味・嗜好による決め付け」でしょう。
>いまだ女子へのこういった目に見えない「圧力」は脈々と生きつづけて>います。ときに息苦しくなるほど。
同感です。本当の意味での性差なんてそんなにないのに。
>森さんの言われる「波」が、この息苦しさに風穴を空けることに>なれば・・・私も好きなときにヨシギューが食べられますね。ハハハ。
大丈夫です。意外に早く「波」が来るでしょう。たまに、揺れ戻しもあるかも知れませんが。私の勘では2年くらいです。
女性が営業職につくことですら、20年前までは考えられなかったですものね。あの当時は (今でも少し) 何かあったら「女じゃ話にならん。男を出せ、男」なんて堂々と言宇人ばかりの時代でした。今そんなこと言ったら仕事になりませんし、総スカンを食らうのは目に見えています。
>いきなり長々と失礼しました。
いえ、いつでも遊びに来て下さい。
いつも楽しく読ませて頂いています。今回、新しい発見はありませんでしたが、確かに…と思いました。今後の動向は、確かに楽しみです。森さんの「勘」がどんなものか、何ヶ月(何年?)後に結果が出るのかはわかりませんが、そのうち「ね、言ったでしょう」なんてメルマガを読めることを楽しみにしています! 今から8年前の1990年頃、吉野屋の牛丼に引っ張っていく私の友人(女性)は一風変わった子でした。夜中ラジオ局で(女子大生番組をやってました)過ごし、たまにマック、たまにロイヤルホスト、そして稀に吉牛で「朝定」や牛丼…という感じでしたが、彼女にとっては「大学生活の中でたまに食べに行くお店」として普通にランキングされていました。暇だからパチンコ…とか、いわゆる「オヤジギャル」な子だったのかもしれません。 しかし、今では。30という年齢のせいもあると思いますが、立ち食い蕎麦も吉牛も、平気で入れるように、また入っても注視されないようになりました。…実は「注視されなくなった」というのが、輪をかけて普及させた要因のような気が大いにするのですが…。 お忙しい中、本当にパワフルにメールを書かれている姿には驚かされます。厳冬の折り、どうぞ身体にはお気を付けください。来年も森様の文章を楽しみにしています。よいお年をお迎えください! 【お返事】 コメントははじめてですね。どうも、ありがとうございます。 >のかはわかりませんが、そのうち「ね、言ったでしょう」なんて>メルマガを読めることを楽しみにしています! あっ、是非書きたいです!!そういうのって、楽しみです。 >暇だからパチンコ…とか、いわゆる「オヤジギャル」な子だったの>かもしれません。 8年前といえば、かなりのイノベータですね。「オヤジギャル」自体は10年くらい前から発生していたので、普通のイノベータのようですが、牛丼では珍しいです。ラジオ番組に出演していた方ですから、珍しい環境であることは間違いないです。でも、食やエンターテイメントに基本的な性差はありません (笑)男だろうが女だろうが、面白いものは面白い。おいしいものはおいしいのです。 >…実は「注視されなくなった」というのが、輪をかけて普及させた>要因のような気が大いにするのですが…。 ご指摘のとおりです。牛丼屋の効率的な U の字型のカウンターが女性に嫌われたのも、他の男性客に注視されるのがあからさまにわかるからです。 乱暴に言ってしまえば、注視 (あるいは希少価値) というのは、普及率の二乗で低下します。例えば、普及率が倍になれば、希少価値は1/4になる。ただし、普及率の爆発ポイントというのがあって、6.8%、10.9% が壁になります。1度でも経験したことのあるユーザーの比率が、これらのポイントを過ぎると、一気にマスに広がります。この普及ポイントの考え方は家電製品メーカーでは常識的なものですが、サービス、文化、食品など、ほとんどの分野で見られます。牛丼屋での女性比率は推定で25%は超えている。注視されなくなってしまったのも納得です。 >お忙しい中、本当にパワフルにメールを書かれている姿には驚かさ>れます。 ありがとうございます。本人は、楽しくやっているので、集中して没頭しているという感覚でしょうか。ただ、モバイル機器がこれだけ発達していなかったら、さすがに私も対応できなかったとは思います。いや、モバイルギアがなかったら、こういうメールマガジンを作る計画は出てこなかったでしょう。 今でこそ SE の時代から使っている Mac エバンジェリストのような私ですが、元々は TK-80 から PC-8001 の NEC 党でした。PC98シリーズを何台知り合いに売ったか、わからないくらいです (笑)久しぶりに NEC バンザイですね (笑) >厳冬の折り、どうぞ身体にはお気を付けください。来年も森様の>文章を楽しみにしています。よいお年をお迎えください! ありがとうございます。コンサルタントは頭脳労働ではなく、実は肉体労働ですから、身体にだけは気をつけるようにしています。それでも、1年に1回、2月頃に大きな風邪を引いてしまいます。 「文章を楽しみにしている」なんて、初めて言われました (照)。なんだか、スキップしてしまうような嬉しさです (笑) たかはしさんも良いお年をお迎え下さい。そして、99年も最高の年になりますように、お祈りしています。
いつも楽しく読ませて頂いています。今回、新しい発見はありませんでしたが、確かに…と思いました。今後の動向は、確かに楽しみです。森さんの「勘」がどんなものか、何ヶ月(何年?)後に結果が出るのかはわかりませんが、そのうち「ね、言ったでしょう」なんてメルマガを読めることを楽しみにしています!
今から8年前の1990年頃、吉野屋の牛丼に引っ張っていく私の友人(女性)は一風変わった子でした。夜中ラジオ局で(女子大生番組をやってました)過ごし、たまにマック、たまにロイヤルホスト、そして稀に吉牛で「朝定」や牛丼…という感じでしたが、彼女にとっては「大学生活の中でたまに食べに行くお店」として普通にランキングされていました。暇だからパチンコ…とか、いわゆる「オヤジギャル」な子だったのかもしれません。
しかし、今では。30という年齢のせいもあると思いますが、立ち食い蕎麦も吉牛も、平気で入れるように、また入っても注視されないようになりました。…実は「注視されなくなった」というのが、輪をかけて普及させた要因のような気が大いにするのですが…。
お忙しい中、本当にパワフルにメールを書かれている姿には驚かされます。厳冬の折り、どうぞ身体にはお気を付けください。来年も森様の文章を楽しみにしています。よいお年をお迎えください!
コメントははじめてですね。どうも、ありがとうございます。
>のかはわかりませんが、そのうち「ね、言ったでしょう」なんて>メルマガを読めることを楽しみにしています!
あっ、是非書きたいです!!そういうのって、楽しみです。
>暇だからパチンコ…とか、いわゆる「オヤジギャル」な子だったの>かもしれません。
8年前といえば、かなりのイノベータですね。「オヤジギャル」自体は10年くらい前から発生していたので、普通のイノベータのようですが、牛丼では珍しいです。ラジオ番組に出演していた方ですから、珍しい環境であることは間違いないです。でも、食やエンターテイメントに基本的な性差はありません (笑)男だろうが女だろうが、面白いものは面白い。おいしいものはおいしいのです。
>…実は「注視されなくなった」というのが、輪をかけて普及させた>要因のような気が大いにするのですが…。
ご指摘のとおりです。牛丼屋の効率的な U の字型のカウンターが女性に嫌われたのも、他の男性客に注視されるのがあからさまにわかるからです。
乱暴に言ってしまえば、注視 (あるいは希少価値) というのは、普及率の二乗で低下します。例えば、普及率が倍になれば、希少価値は1/4になる。ただし、普及率の爆発ポイントというのがあって、6.8%、10.9% が壁になります。1度でも経験したことのあるユーザーの比率が、これらのポイントを過ぎると、一気にマスに広がります。この普及ポイントの考え方は家電製品メーカーでは常識的なものですが、サービス、文化、食品など、ほとんどの分野で見られます。牛丼屋での女性比率は推定で25%は超えている。注視されなくなってしまったのも納得です。
>お忙しい中、本当にパワフルにメールを書かれている姿には驚かさ>れます。
ありがとうございます。本人は、楽しくやっているので、集中して没頭しているという感覚でしょうか。ただ、モバイル機器がこれだけ発達していなかったら、さすがに私も対応できなかったとは思います。いや、モバイルギアがなかったら、こういうメールマガジンを作る計画は出てこなかったでしょう。
今でこそ SE の時代から使っている Mac エバンジェリストのような私ですが、元々は TK-80 から PC-8001 の NEC 党でした。PC98シリーズを何台知り合いに売ったか、わからないくらいです (笑)久しぶりに NEC バンザイですね (笑)
>厳冬の折り、どうぞ身体にはお気を付けください。来年も森様の>文章を楽しみにしています。よいお年をお迎えください!
ありがとうございます。コンサルタントは頭脳労働ではなく、実は肉体労働ですから、身体にだけは気をつけるようにしています。それでも、1年に1回、2月頃に大きな風邪を引いてしまいます。
「文章を楽しみにしている」なんて、初めて言われました (照)。なんだか、スキップしてしまうような嬉しさです (笑)
たかはしさんも良いお年をお迎え下さい。そして、99年も最高の年になりますように、お祈りしています。
確かに女性の食に対する態度・姿勢は変わってきていると思います。それも、大きく二極分化しているように思えます。オヤジギャルと言う言葉も、今では死語に近くなりましたが、その存在は確実に増えています。焼鳥屋や屋台のおでん屋などは当たり前で、牛丼屋や立ち食いそば屋でも良く女性を見かけます。しかし、そういった女性が高級なレストランに行かないかというとそんなことはなく、ワインの蘊蓄も持っていたりするんですね。 ちょっと前まで女性の食べるという行為そのものに抑圧があった所為でしょうか?その反動のように「美味しい物」を「好きな時」に「好きな場所」で「好きなだけ」食べたいという欲求をストレートに実行している女性が増えており、それを許す雰囲気も出てきているように思います。シズルって言うんでしたっけ?「ズルズル」とお茶漬けを掻込んだり「ふーふー、ずるるー、ぴちゃぴちゃ」と音を立ててカップヌードル食べるといったCMがあったり、ハーゲンダッツのCM、ベッドの上で男性とふざけながらチョコレートを食べる江角のCM、隣の席の客が食べるのを見て思わず一緒に口を開けてしまうクリームチーズのCM・・等、「多少品が悪くても美味しい物なら許される」的な感じがあるように思えるのです。 これは、メーカーが今の女性達の行動・意識を調査して打ち出してきたものなのでしょうか?それとも、これらのCMを見て女性達(とそれを取り巻く男性達)が変わったのでしょうか? 【お返事】 初めてのコメントですね。ありがとうございます。 >オヤジギャルと言う言葉も、今では死語に近くなりましたが、その存在は確実に>増えています。 同感です。オヤジギャルという言葉が死語になったのも、その数が増えたため、区別する意味がなくなったからでしょう。もっと泥臭く言えば、「オヤジギャル」という言葉を使っても、誰も珍しがらなくなったので、TV や雑誌などのメディアでは使えない言葉になってしまったからでしょう。それだけ身近になっていることの傍証ですが。 >ば屋でも良く女性を見かけます。しかし、そういった女性が高級なレストランに>行かないかというとそんなことはなく、ワインの蘊蓄も持っていたりするんです お見事です。良く観察されていますね。陥りがちなミスは、「特定のグループ=特定の行動、ピリオド」というステレオタイプで物事を見ることです。このことのメカニズムは PI の記事でもご紹介しました。従って、「女子高生=援助交際、ルーズソックス」「オヤジギャル=いつも競馬新聞を読んでいる」のような論調がまかり通ります。 一般の社会現象を紹介する新聞などでは、わかりやすいこれらの「単一シンボル」で語る方が良いのですが、マーケティングとなるとこういった「平均発送」「単一発送」では、物事がきちんと見えません。特に、対象となるグループが変化した時は、その変化の芽を見逃しがちになります。(私も報告書などでは、こういったステレオタイプを利用して、クライアントに理解してもらう工夫をすることもままありますが (笑)) >ちょっと前まで女性の食べるという行為そのものに抑圧があった所為でしょうか? それもひとつの原因だと思います。現象面で言えば、スリムな女性が必ずしも人気がある訳ではないことがメディアを通じて分かったことも一因でしょう。例えば、藤原紀香は若い男性に一番の人気ですが、必ずしもスリムな体型ではありません。実際、ある雑誌社の調査では、スリム型の女性を好む男性は30%、ぽっちゃり型は30% (残りはどちらでも、という回答) です。もちろん、絶対値としての定義は示されていませんので、天童よしみがぽっちゃりなのか、普通なのかは判断できません。 それ以上に大事なのは、女性の「女性らしさ」に対する価値基準の変化です。また、それから発生する割り切り、あるいはメリハリです。価値基準の変化については、別な機会に記事を書きますので、ここでは詳しく述べませんが、メリハリについて若干お話しします。 例えば、たくさん食べる女性は体型を気にしていないか、というと必ずしもそうではありません。また、ダイエットが必要な体型かというとそうでもありません (ダイエットが必要かどうかの女性自身の判断基準はまったく別個です。身長160cm、体重41kg の普通の職業の女性が一所懸命ダイエットする姿を私は何100人となく見てきています)。 彼女たちはたくさん食べる時と普段の時を分けているだけです。意識して分けている人もいますが、大半は「食べたい時はたくさん食べる」けど「そうでない時」は普通に食べている。大戸屋に出演した22才の女性と同じような感覚です。 チョコレートのゼロがヒットしましたので、若干変化している部分はありますが、従来、「ダイエット用」のお菓子やケーキがヒットした試しがなかったのは、「ケーキを食べるときはダイエットのことは気にしたくない」「それをするくらいなら、初めからケーキを食べない、という選択をする」のが原因でした。それと同じで、食べるときと食べないとき (普通にする時) とを無意識に分けているだけなのです。 一方、体型そのものを (そんなに) 気にせず、食べたいものを、食べたいだけ、いつも食べている層も存在します。トドさんはおわかりかと思いますが、誤解を避けるためにつけ加えておくと、彼女たちがいわゆる「女性を捨てている人たち」かというと全くそんなことはありません。体型に対する優先順位が高くないだけです。 >シズルって言うんでしたっけ? はい。「シズル感」ともいい、語源はステーキを焼くときややフライなどの「ジュージュー」という意味の単語です。アメリカの大衆ステーキハウス「シズラー」は正にこの「sizzle」をしゃれたネーミングです。 >けてしまうクリームチーズのCM・・等、「多少品が悪くても美味しい物なら許>される」的な感じがあるように思えるのです。 同感です。実は、多少品が悪い方がおいしそうに感じます。以前、西武百貨店が Coo という食品館を作ったことがあります (東京成城では高級スーパーとしての展開をしています)。ここでやった失敗が、食品をブティックのようにきれいに棚に並べたことです。売上は散々でした。 同時期に横浜そごうでやったマグロなどの大型鮮魚をその場でさばいたり、カゴに大盛りに果物を積んだり、といった「市場」的な演出をして大成功を納めたのと対照的でした。(ちなみに、私見を言えば、「ズルズル」の広告は最初にやった永谷園以降のものは「多少でなくなってしまった」と思っています) >これは、メーカーが今の女性達の行動・意識を調査して打ち出してきたものなの>でしょうか? 優等生的な答えをすれば、「両方が相乗効果」で出てきたものです。 が、本音は「生活者のニーズありき」です。広告は「ものを作る」力は原則的にありません。あるものを拡大するスピーカーのような力はあります。だから、女性達の行動・意識がまずあって、その呪縛を広告が取り払った、と考えています。 また、食品メーカーが意識調査をきちんとしたかどうかは分かりません。一部のメーカーを除いて、食品業界は伝統的に意識調査というものに関心がないからです。恐らく、広告クリエータ達の力でしょう。
確かに女性の食に対する態度・姿勢は変わってきていると思います。それも、大きく二極分化しているように思えます。オヤジギャルと言う言葉も、今では死語に近くなりましたが、その存在は確実に増えています。焼鳥屋や屋台のおでん屋などは当たり前で、牛丼屋や立ち食いそば屋でも良く女性を見かけます。しかし、そういった女性が高級なレストランに行かないかというとそんなことはなく、ワインの蘊蓄も持っていたりするんですね。
ちょっと前まで女性の食べるという行為そのものに抑圧があった所為でしょうか?その反動のように「美味しい物」を「好きな時」に「好きな場所」で「好きなだけ」食べたいという欲求をストレートに実行している女性が増えており、それを許す雰囲気も出てきているように思います。シズルって言うんでしたっけ?「ズルズル」とお茶漬けを掻込んだり「ふーふー、ずるるー、ぴちゃぴちゃ」と音を立ててカップヌードル食べるといったCMがあったり、ハーゲンダッツのCM、ベッドの上で男性とふざけながらチョコレートを食べる江角のCM、隣の席の客が食べるのを見て思わず一緒に口を開けてしまうクリームチーズのCM・・等、「多少品が悪くても美味しい物なら許される」的な感じがあるように思えるのです。
これは、メーカーが今の女性達の行動・意識を調査して打ち出してきたものなのでしょうか?それとも、これらのCMを見て女性達(とそれを取り巻く男性達)が変わったのでしょうか?
初めてのコメントですね。ありがとうございます。
>オヤジギャルと言う言葉も、今では死語に近くなりましたが、その存在は確実に>増えています。
同感です。オヤジギャルという言葉が死語になったのも、その数が増えたため、区別する意味がなくなったからでしょう。もっと泥臭く言えば、「オヤジギャル」という言葉を使っても、誰も珍しがらなくなったので、TV や雑誌などのメディアでは使えない言葉になってしまったからでしょう。それだけ身近になっていることの傍証ですが。
>ば屋でも良く女性を見かけます。しかし、そういった女性が高級なレストランに>行かないかというとそんなことはなく、ワインの蘊蓄も持っていたりするんです
お見事です。良く観察されていますね。陥りがちなミスは、「特定のグループ=特定の行動、ピリオド」というステレオタイプで物事を見ることです。このことのメカニズムは PI の記事でもご紹介しました。従って、「女子高生=援助交際、ルーズソックス」「オヤジギャル=いつも競馬新聞を読んでいる」のような論調がまかり通ります。
一般の社会現象を紹介する新聞などでは、わかりやすいこれらの「単一シンボル」で語る方が良いのですが、マーケティングとなるとこういった「平均発送」「単一発送」では、物事がきちんと見えません。特に、対象となるグループが変化した時は、その変化の芽を見逃しがちになります。(私も報告書などでは、こういったステレオタイプを利用して、クライアントに理解してもらう工夫をすることもままありますが (笑))
>ちょっと前まで女性の食べるという行為そのものに抑圧があった所為でしょうか?
それもひとつの原因だと思います。現象面で言えば、スリムな女性が必ずしも人気がある訳ではないことがメディアを通じて分かったことも一因でしょう。例えば、藤原紀香は若い男性に一番の人気ですが、必ずしもスリムな体型ではありません。実際、ある雑誌社の調査では、スリム型の女性を好む男性は30%、ぽっちゃり型は30% (残りはどちらでも、という回答) です。もちろん、絶対値としての定義は示されていませんので、天童よしみがぽっちゃりなのか、普通なのかは判断できません。
それ以上に大事なのは、女性の「女性らしさ」に対する価値基準の変化です。また、それから発生する割り切り、あるいはメリハリです。価値基準の変化については、別な機会に記事を書きますので、ここでは詳しく述べませんが、メリハリについて若干お話しします。
例えば、たくさん食べる女性は体型を気にしていないか、というと必ずしもそうではありません。また、ダイエットが必要な体型かというとそうでもありません (ダイエットが必要かどうかの女性自身の判断基準はまったく別個です。身長160cm、体重41kg の普通の職業の女性が一所懸命ダイエットする姿を私は何100人となく見てきています)。
彼女たちはたくさん食べる時と普段の時を分けているだけです。意識して分けている人もいますが、大半は「食べたい時はたくさん食べる」けど「そうでない時」は普通に食べている。大戸屋に出演した22才の女性と同じような感覚です。
チョコレートのゼロがヒットしましたので、若干変化している部分はありますが、従来、「ダイエット用」のお菓子やケーキがヒットした試しがなかったのは、「ケーキを食べるときはダイエットのことは気にしたくない」「それをするくらいなら、初めからケーキを食べない、という選択をする」のが原因でした。それと同じで、食べるときと食べないとき (普通にする時) とを無意識に分けているだけなのです。
一方、体型そのものを (そんなに) 気にせず、食べたいものを、食べたいだけ、いつも食べている層も存在します。トドさんはおわかりかと思いますが、誤解を避けるためにつけ加えておくと、彼女たちがいわゆる「女性を捨てている人たち」かというと全くそんなことはありません。体型に対する優先順位が高くないだけです。
>シズルって言うんでしたっけ?
はい。「シズル感」ともいい、語源はステーキを焼くときややフライなどの「ジュージュー」という意味の単語です。アメリカの大衆ステーキハウス「シズラー」は正にこの「sizzle」をしゃれたネーミングです。
>けてしまうクリームチーズのCM・・等、「多少品が悪くても美味しい物なら許>される」的な感じがあるように思えるのです。
同感です。実は、多少品が悪い方がおいしそうに感じます。以前、西武百貨店が Coo という食品館を作ったことがあります (東京成城では高級スーパーとしての展開をしています)。ここでやった失敗が、食品をブティックのようにきれいに棚に並べたことです。売上は散々でした。
同時期に横浜そごうでやったマグロなどの大型鮮魚をその場でさばいたり、カゴに大盛りに果物を積んだり、といった「市場」的な演出をして大成功を納めたのと対照的でした。(ちなみに、私見を言えば、「ズルズル」の広告は最初にやった永谷園以降のものは「多少でなくなってしまった」と思っています)
>これは、メーカーが今の女性達の行動・意識を調査して打ち出してきたものなの>でしょうか?
優等生的な答えをすれば、「両方が相乗効果」で出てきたものです。
が、本音は「生活者のニーズありき」です。広告は「ものを作る」力は原則的にありません。あるものを拡大するスピーカーのような力はあります。だから、女性達の行動・意識がまずあって、その呪縛を広告が取り払った、と考えています。
また、食品メーカーが意識調査をきちんとしたかどうかは分かりません。一部のメーカーを除いて、食品業界は伝統的に意識調査というものに関心がないからです。恐らく、広告クリエータ達の力でしょう。
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