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間違いだらけのプレゼント【全日空】 2002.3.1

プレゼントという摩訶不思議なもの

「あ・・当たった」

SMAPの仲居君がぶつぶつ言いながら文句をたれていた矢先の出来事です。

「お前、何で全日空なんかにしたんだよ。
あ、プレゼントをやっているからだろう。
何々が貰えますとか言っちゃって、いい加減飽き飽きしたよな」

そこにスーパー

「どんなお客様にも当たります。50人に一人無料キャンペーン」

仲居君のように文句を言う客にも公平に当たりますよ、うちは太っ腹なのよという広告でした。
ふーん。全日空は寛大な会社だと言いたいのかぁ (笑)
で、寛大な航空会社だから、出張の時には全日空を選んで下さい・・訳ないですよね (^^;
もしかしたら旅費がタダになるかも知れないから、どうせなら全日空にしてね、と言いたいのでしょ?。

で、キャンペーンが終わったらどうするのでしょうか、そういう生活者は。
当たった人は感謝の気持ち一杯で、全日空のファンになる・・ホントか?
当たらなかった人は何事もなかったように、またいつもの航空会社を選ぶ。

そうしたら、キャンペーンの意味って何なのでしょうか。
キャンペーンが終わったら、みんな元の木阿弥になるだけなのですから。
このキャンペーンの結果はまだ出ていませんから、どうなるかは知りません。でも、確かに良くあることなのです。キャンペーン期間中は売上げが上がるけれど、終わったら売上げも元に戻る。
現在、様々な企業が実施しているキャンペーンの半分以上はそのパターンです。

残りの半分は、期間中も実施後も売上げが変わらない、あるいは期間中は売上げが上がったものの、終わったらいつもより売上げが減り、結局プラス・マイナス・ゼロです。
ほんの一握りのキャンペーンだけが、期間中も実施後も売上げが上がる。つまり「効果があった」と言えるものなのです。

企業はタダで、ボランティアで生活者にものを上げたり割引をするのではありません。自社製品がもっと売れるだろうと期待するからこそ大金をかけるのです。
今回の「私はこう見る」では、そんなプレゼント・キャンペーンという摩訶不思議なものを取り上げます。

たまたま、私の友人である阪本啓一さんのメルマガと似たテーマになってしまいましたが、偶然です。共同企画ではありません。うー、残念 (笑)

プレゼント・キャンペーンとは

さて、プレゼント・キャンペーンの話からスタートしましたが、企業は様々な販売促進を私たち生活者にぶつけてきます。プレゼントはほんのひとつです。
ちょっと上げただけでも、販売促進活動にはこんなにたくさんの種類があります。

●プレゼントキャンペーン
●イベント主催・協賛(コンサート、試写会、仕掛け)
●編集記事
●サンプリング
●特売
●チラシ協賛
●フェア
●ユーザー組織
●特売・大量陳列
●コンテスト

いきなりですが、ちょっと頭を切り換えてください。
マーケティングの基本のひとつは

●良いものを作って
●できるだけ広く売る
つまり、商品開発と流通獲得さえあれば、マーケティングや広告なんてうさんくさい (笑) モノはいりません。
ことばを変えれば「(お店に)置けば、売れます」が基本です。

しかし、残念ながらそんな恵まれた商品ばかりではありません。
しかも、「広く」売るためには、「広く置く」つまり、できるだけ多くのお店に取り扱ってもらう必要がありますが、それだけの営業力があるのはJTや松下電産などほんの一部の企業だけだからです。大半の企業はそれがなかなか実現できない。

基本二重苦だけではありません。「広く置いて」も生活者が商品の存在に気がつかなければ、スーパーの店頭で売れ残り、売場の棚から外されてしまいます。だから「広く置『き続ける』」ためには、「広く」知らせることが必要になります。要するに、次に続く3番目に大切な活動は「広告」です。

例えば、過去記事でも紹介しましたが、巨人軍王選手がテレビ広告で
「ナボナはお菓子のホームラン王です」の後に続けて
「森の唄もよろしく」
と付け加えるだけで、森の唄の売上げが40倍にもなってしまう。

だから、企業は「商品開発」と「流通(営業マン)活動」、そして「広告」を高いレベルにしようと一生懸命頑張ります。

ところが、これだけではまだまだ足りない。もっと売りたいと企業は欲張ります。テレビ広告で売る分はすでに売ってしまった。もっと売るにはどうしたら良いか、と考えます。
あるいは、予算が少ないので潤沢にテレビ広告が打てない。それを補完するものはないかと企業は模索します。

それを補うのが、「販売促進活動(略して販促)」と呼ばれる分野です。
「聞いたことがあるけど、何となく買わない」生活者にどうやって商品を買ってもらうか。
「今、買っている商品をもっと買いたくなる」ようにするためには、どうするか。
販促は、「商品」「営業」の2大要素と、従者である「広告」に続く、第三の販売活動です。

さて、販促とはどんなものなのかのイメージを多少はつかんでもらえたと思います。
今回のテーマ、プレゼント・キャンペーンはその販促の代表格のひとつです。

「ふーん。それじゃあ、商品を買わなくても応募できて、プレゼントがもらえるのは?
あれもプレゼント・キャンペーンなんですか?」

はい、そうです。
それじゃあ、ちょっと説明しましょうか。
プレゼント・キャンペーンの種類です。

景表法と呼ばれる法律によって、プレゼント・キャンペーンの定義や制約が決められています。
簡単に言えば、商品を買わないと景品を渡さないタイプ(クローズド・キャンペーンと呼ばれます)と、誰でも応募できるタイプ(オープン・キャンペーン)の2種類があります。

冒頭の全日空のキャンペーンはクローズドですし、史上最大1,200万通の応募があった飯島直子時代のジョージアのジャンパー・プレゼントも、広告はキャンペーンの告知しかしないと徹底しているミスタードーナツの「いいことあるっぞぉ〜、ミスタードーナツ」もクローズドです。

最近、ペプシやコカコーラが頻繁にやっている、スターウォーズやスヌーピー人形がキャップとして「もれなく」ついてくるキャンペーンはクローズドの親戚の「ベタ付け」です。
古典的にはお酒メーカーが良くやる「何とか小鉢プレゼント」もベタ付けです。

クローズド・キャンペーンの目的は明快です。

「商品を買わないと応募できないので、景品を目当てに買う人が増える。
だから売上げが上がるはずだ」

という思惑です。
法律があるのは、過激になるとギャンブルと同じになってしまうからです。

さてさて、これ自体は何の問題もありません。
私はプレゼント・キャンペーンを否定するつもりは毛頭ありません。有効に使えば、これほど強力な販促手段はないからです。
しかし、冒頭で説明したように、必ずしも売上げが上がっていないのが実情です。本来の機能がきちんと発揮できていないことに危惧を感じているのです。

私たち生活者も「失敗しようが企業の勝手でしょ」と対岸の火事を決め込む訳にはいきません。企業が無駄金を使えば使うほど、面白くもないテレビ広告につきあわされるだけでなく、コストダウンが遅れ、研究開発費に回す金が少なくなり、わくわくする新製品がなくなってしまうからです。

それ以上に一部の生活者にとって大事なことがあります。
販促が機能しないと企業は儲からず、私たちの給料も上がらない。プレゼント・キャンペーンの費用を価格に反映しても数%しか下がりませんが、給料に還元してくれれば、一般的な会社なら10%〜20%は給料が上がる計算です。

給料が上がるためのプレゼント・キャンペーンはいくらやってくれても社員は喜びますが、金をドブに捨てるキャンペーンは反対しなければなりません (^^;

なぜなのでしょうか。
一体、何が本来のキャンペーン機能を邪魔しているのでしょうか。
紙面の都合上、今回はクローズド・タイプだけに話を絞ります。

【以下、小見出しと最初の段落のみをご紹介します】

景品に魅力がないプレゼントなんて意味がない

問題点その1です。
景品に魅力がないからです。
「こんなもん、誰が欲しがるのだろう」というものを景品としているキャンペーンが多すぎる。

「どうせタダだから」という幻想

「モノがあふれているから、タダでもいらない」生活者が多いと言いました。だから、真剣に景品は選ばなければならない。
しかし、本当はそれだけではありません。
企業の「どうせタダだから・・」の認識には根本的な勘違いがあります。

インターネット・キャンペーンの落とし穴

さて、手間がかかる(=コストがかかる)から応募しないということは、コストがかからなければ良い訳です。
プレゼント・キャンペーンのネットでのメルマガやホームページに人気があるのもそのせいです。

ゲンキ〜ンの勘違い

まだ続きがあります。
「誰にとって、魅力があるか」と言う点です。
マーケティングではターゲットといいます。
これが考えられていないキャンペーンがいかに多いことか。

ブランド・イメージと景品の蜜な関係

次の間違いです。
商品イメージとあまりにも違う景品ラインナップです。
活動的なイメージの商品なのに落ち着いたおしゃれな景品。食品なのにクルマが景品になる。「ピクニックをこれで行こう。お弁当にはこの商品を使おう」というメッセージもなしに、単に「今話題のクルマが当たります」だけ。

基本に戻ると、商品力

ビジネス(マーケティング)の基本は

●(存在、特徴を)知って
●試して
●もう一度買いたい

と生活者に思ってもらうことです。
企業側から言えば、

「贈り物」は「ココロ」

随所、随所で私は企業のプレゼント・キャンペーンを「個人 対 個人」のプレゼントや贈り物に例えました。

「どうせ、相手は何100万人もいる生活者という
『一塊りの存在だから』」

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