励ましや、おしかりの言葉、ありがとうございます。 他の読者の方々の中にも、同じご意見を持った方がいらっしゃるかも知れません。自分の考えをまとめるための参考になる場合もあります。だから、「読者の声」は大事にしたいと考えています。原則として、原文を掲載しています。新しい声から順番にご紹介しています。 それぞれの方々へのご意見もお待ちしています。こちらのフォームで投稿するか、voice2@systrat.co.jp へお送り下さい。 この色は皆さんの声 (お返事付) この色は皆さんへのご意見です この色は皆さんの声 (お返事なし)
励ましや、おしかりの言葉、ありがとうございます。
他の読者の方々の中にも、同じご意見を持った方がいらっしゃるかも知れません。自分の考えをまとめるための参考になる場合もあります。だから、「読者の声」は大事にしたいと考えています。原則として、原文を掲載しています。新しい声から順番にご紹介しています。
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棚からぼたもちのおいしい商売【写真フィルム】 99.12.1 掲載【その4】
タナボタは、販売計画・生産計画外のことでしょうから、全社的な効率という面ではマイナスに作用することもあって、必ずしも歓迎されるものではないように思います。 それと、ギャル化ですが、個人的な感覚としては、人生50年といわれていた頃の25歳と、人生70年の現代の35歳とがほぼ同じように思います。寿命から逆算しての割合ととらえています。学生の時の同級生(私は33歳)などでまだ結婚していない人も結構いて、そのような人も、「まぁ、35くらいには...」というのを聞くとこんな考え方もありではないかと思いました。 【お返事】 > タナボタは、販売計画・生産計画外のことでしょうから、全社的な効率という > 面では マイナスに作用することもあって、必ずしも歓迎されるものではないよ > うに思います。 失礼しました。 まじめに議論すれば、松浦さんの言うとおりです。 記事ではちょっと揶揄してみました。誤解があればごめんなさい。 > 人生50年といわれていた頃の25歳と、人生70年の現代の35歳とが > ほぼ同じように思います。 傾向としては正しいです。 しかし、その比率が計算に合わないのです。 例えば、記事にあるように、奥村チヨの頃(1970年代)の平均寿命が、現在の半分ではありませんよね。 でも、ギャル化、あるいは大人化の遅れは(どこを起点にするかの議論はありますが)ほぼ、半分近い。 また、人生の先を見た人たちの「半分の年齢」が一緒なのは分かりますが、今の人たちは女性に限らず、昔の人たちと比べて「人生の先を見ていない」のです。 個人個人が自分の寿命を見据えて行動し始める、と考えるには無理があります。 例えば、若い女性に良くあるのは「こどもを産むのが怖い。なぜなら、こんな社会では自分の子供がどうなるのか見当もつかないから」ということばですが、これは、自分の寿命を意識していると言うより「一定期間から先は霧のようなもの」ととらえる方が自然です。 > 学生の時の同級生(私は33歳)などでまだ結婚していない人も結構いて、 > そのような人も、「まぁ、35くらいには...」というのを聞くとこんな考 > え方もありではないかと思いました。 この点については時間感覚という「個の意識(心理学)」というより、「群や社会の意識(社会学)」ととらえた方が良いです。 というのも、昔の結婚はある意味、社会としての儀式でした。例えば、男性は「結婚していないと一人前ではない」と言われていたし、女性は「25才まで結婚していないと恥ずかしい。変だ」などといった「社会の規律」がありました。だから、結婚しなくてはいけないという社会的なプレッシャーが結婚の動機として強かったのです。 それが、最近はなくなった。社会の価値観より、個の価値観を優先するという風潮のせいで、自分の意に添わない行動を取る必要がなくなったという訳です。 また、人口が多い方が有利な農産業で生計を立てていた明治時代以前、そして「産めよ増やせよ」という、「人口は国力」といった社会的(政治的)な要請がなくなり、人口が多すぎることへの意識、最後に動物として一定の面積に住む個数の限界意識など、さまざまな要因が絡んでくるからです。 ここまでくると完全にマーケティングの範囲外ですが (笑)
タナボタは、販売計画・生産計画外のことでしょうから、全社的な効率という面ではマイナスに作用することもあって、必ずしも歓迎されるものではないように思います。
それと、ギャル化ですが、個人的な感覚としては、人生50年といわれていた頃の25歳と、人生70年の現代の35歳とがほぼ同じように思います。寿命から逆算しての割合ととらえています。学生の時の同級生(私は33歳)などでまだ結婚していない人も結構いて、そのような人も、「まぁ、35くらいには...」というのを聞くとこんな考え方もありではないかと思いました。
【お返事】
> タナボタは、販売計画・生産計画外のことでしょうから、全社的な効率という > 面では マイナスに作用することもあって、必ずしも歓迎されるものではないよ > うに思います。
失礼しました。 まじめに議論すれば、松浦さんの言うとおりです。 記事ではちょっと揶揄してみました。誤解があればごめんなさい。
> 人生50年といわれていた頃の25歳と、人生70年の現代の35歳とが > ほぼ同じように思います。
傾向としては正しいです。 しかし、その比率が計算に合わないのです。 例えば、記事にあるように、奥村チヨの頃(1970年代)の平均寿命が、現在の半分ではありませんよね。 でも、ギャル化、あるいは大人化の遅れは(どこを起点にするかの議論はありますが)ほぼ、半分近い。
また、人生の先を見た人たちの「半分の年齢」が一緒なのは分かりますが、今の人たちは女性に限らず、昔の人たちと比べて「人生の先を見ていない」のです。 個人個人が自分の寿命を見据えて行動し始める、と考えるには無理があります。
例えば、若い女性に良くあるのは「こどもを産むのが怖い。なぜなら、こんな社会では自分の子供がどうなるのか見当もつかないから」ということばですが、これは、自分の寿命を意識していると言うより「一定期間から先は霧のようなもの」ととらえる方が自然です。
> 学生の時の同級生(私は33歳)などでまだ結婚していない人も結構いて、 > そのような人も、「まぁ、35くらいには...」というのを聞くとこんな考 > え方もありではないかと思いました。
この点については時間感覚という「個の意識(心理学)」というより、「群や社会の意識(社会学)」ととらえた方が良いです。 というのも、昔の結婚はある意味、社会としての儀式でした。例えば、男性は「結婚していないと一人前ではない」と言われていたし、女性は「25才まで結婚していないと恥ずかしい。変だ」などといった「社会の規律」がありました。だから、結婚しなくてはいけないという社会的なプレッシャーが結婚の動機として強かったのです。
それが、最近はなくなった。社会の価値観より、個の価値観を優先するという風潮のせいで、自分の意に添わない行動を取る必要がなくなったという訳です。
また、人口が多い方が有利な農産業で生計を立てていた明治時代以前、そして「産めよ増やせよ」という、「人口は国力」といった社会的(政治的)な要請がなくなり、人口が多すぎることへの意識、最後に動物として一定の面積に住む個数の限界意識など、さまざまな要因が絡んでくるからです。
ここまでくると完全にマーケティングの範囲外ですが (笑)
ビジネス向けのインターネットサービスの企画をしています。 「時間感覚を捉えた商品開発」。う〜ん、どうもわかりません。このあたりの話、もう少し詳しく聞かせていただけないでしょうか? いちばん重要なところがわからず、口惜しいので、断片的な感想を書かせていただきます。 1.「懐かしい」ということ まず、時間の感覚についてですけど、たとえば10歳の子どもと50歳の人では、同じ1年でも、感覚的に違うと思います。前者にとって1年は1/10、後者にとっては1/50なので、とうぜん、子どもの1年間は長く感じるはずです。だから、数ヶ月前でも、かなり昔、という感覚は当然かな、と思います。 くわえて(ここからは想像ですが。私、森さんと違って、女子高生との付き合いがないので・・・)、やはり言葉の定義の問題はあると思います。我々が使っている「懐かしい」という意味合いと、女子高生のそれとは、ひょっとして、意味するところが違うのではないか。 最近はどうか知りませんが、以前は、なんでも「かわいい」の一言ですべてが表現されていました。だから、懐かしいという言葉も、意味するところが広がっているのでは、と思うのですが、いかがでしょう。 2.かわいくなる大人の女性 これは、実際そうですね。私も30で、周りにいる女性も同世代ですが、挨拶するとき手をヒラヒラするし(そう挨拶されて、こっちはどう対応すればいいんだ!)、興味の対象もかわいい系ばっかり。 思うに、子ども時分の体験が強力で、それをいまだに引きずっているのではないか、と勘ぐりたくなります。(我々の世代のアイドルは、松田聖子ですからね)。もっとも、そういう中で成長してきた私は、いまの若い子は怖くてしかたありませんが(笑) あと、人間はかわいくなることで新化してきた、という話もありますよね(たぶんに眉唾物ですが)。つまり、人間はかわいいものには目がないわけで、どうしても、それを大切にしたがる。だから、社会的弱者(とくに生まれたばかりの子ども)の生存戦略でいちばん重要なのはかわいいこと。実際、人間(大人も)って、生まれたばかりのサルにそっくりですし。 中途半端な感想で、すみません。でも、毎回楽しみにしています。これからもよろしくお願いします。 【お返事】 >「時間感覚を捉えた商品開発」。う〜ん、どうもわかりません。このあたりの > 話、もう少し詳しく聞かせていただけないでしょうか? この点については、あえて回答を出しませんでした。 というより、メールマガジンではマーケティングでいうところの分析フェイズで止めてあります。 というのも、提案レベルまでお話ししようとすると、分析フェイズの数倍の労力がかかってしまうからです。 月間2本の記事をそのレベルまで突っ込んでいくことは、無料である以上、不可能なことですので、ご了承ください。 その代わりといっては変ですが、それなりにヒントはちりばめています。 > では、同じ1年でも、感覚的に違うと思います。前者にとって1年は1/10、後 > 者にとっては1/50なので、とうぜん、子どもの1年間は長く感じるはずです。 傾向としては佐々さんのおっしゃるとおりです。 しかし、記事中でも指摘しましたが、その比率が圧倒的に違うのです。 例えば、今の例では「1/10」と「1/50」ですから、5倍の差ですよね。 でも、彼女たちと大人(例えば、20代ですら)の感覚の差は10〜20倍にもなります。これはどう見ても計算に合わない。この記事の発端はまさにそこにあります。 > やはり言葉の定義の問題はあると思います。 言葉の定義が若い人たちと我々大人とでは違うことは良くあります。 「かわいい」は確かにそうでした。 だからといって、すべての言葉が根拠も無しに「そうだ」というのは、ちょっと乱暴です。 今回の場合、彼女たちが使う「懐かしい」は、大人の「懐かしい」とまったく同じです。 記事には明記しませんでしたが、それは確認済みです。 というのも、我々コンサルタントはことばに対して普通以上に神経を使います。 例えば、グループインタビュー(座談会形式の調査手法)では、出席者の言葉を分析することで、深層心理やニーズを探っていきますが、表層的なことばだけを追いかけていくととんでもない目に遭います。 出席者が嘘をついているというのではなく、 ●他の出席者の発言を聞いているうちに、意見が変わる(ただし、気がつかないうちにそうなるので、表面的には「嘘」「矛盾」に見えます) ●自分の気持ちを表現し切れずに、違う事を言ってしまう ●自分の所属しているコミュニティで使う用語をそのまま使うので(例えば今回のような「かわいい」)、企業側にはわかりにくい、誤解が生じる といったことがあげられます。 従って、ことばという形のデータ分析は、その裏にある出席者ひとりひとりの心理や背景を読み込んだ上で、発言の意味をくみ取ったり取捨選択をするという作業が必要になるのです。 また、アンケートのような数字という形でのデータ収集も同じように、ことばに神経をとがらせます。 それは、質問の作り方です。 これを間違えると、いくら数字としてのデータが集まってもまったくピントはずれの解釈(分析)をしてしまうことが往々にしてあるからです。 > 思うに、子ども時分の体験が強力で、それをいまだに引きずっているのではな > いかと勘ぐりたくなります。 かわいい仕草については、こちらより、下の方が当たっています。 > だから、社会的弱者(とくに生まれたばかりの子ども)の生存戦略でいちばん > 重要なのはかわいいこと。 彼女たちは自分たちを「社会的弱者」だとは当然思っていません。 しかし、周囲との軋轢を避けるための最も手っ取り早いのが「社会的弱者を演じること」です。 これは、「対男性」に限りません。 女性同士の関係の方がより重要です。他人と適当な距離を保ち、かつ離れすぎないためには便利な方法なのです。 もちろん、これだけではありません。 「老いること」に対する恐怖心や、常に若くあることへの願望など、他にも要因はありますが、長くなるのでここでは割愛します。 ただ、この視点は極めて重要なので、どこかで記事のテーマにしたいと考えています。
ビジネス向けのインターネットサービスの企画をしています。 「時間感覚を捉えた商品開発」。う〜ん、どうもわかりません。このあたりの話、もう少し詳しく聞かせていただけないでしょうか? いちばん重要なところがわからず、口惜しいので、断片的な感想を書かせていただきます。
1.「懐かしい」ということ
まず、時間の感覚についてですけど、たとえば10歳の子どもと50歳の人では、同じ1年でも、感覚的に違うと思います。前者にとって1年は1/10、後者にとっては1/50なので、とうぜん、子どもの1年間は長く感じるはずです。だから、数ヶ月前でも、かなり昔、という感覚は当然かな、と思います。
くわえて(ここからは想像ですが。私、森さんと違って、女子高生との付き合いがないので・・・)、やはり言葉の定義の問題はあると思います。我々が使っている「懐かしい」という意味合いと、女子高生のそれとは、ひょっとして、意味するところが違うのではないか。
最近はどうか知りませんが、以前は、なんでも「かわいい」の一言ですべてが表現されていました。だから、懐かしいという言葉も、意味するところが広がっているのでは、と思うのですが、いかがでしょう。
2.かわいくなる大人の女性
これは、実際そうですね。私も30で、周りにいる女性も同世代ですが、挨拶するとき手をヒラヒラするし(そう挨拶されて、こっちはどう対応すればいいんだ!)、興味の対象もかわいい系ばっかり。
思うに、子ども時分の体験が強力で、それをいまだに引きずっているのではないか、と勘ぐりたくなります。(我々の世代のアイドルは、松田聖子ですからね)。もっとも、そういう中で成長してきた私は、いまの若い子は怖くてしかたありませんが(笑)
あと、人間はかわいくなることで新化してきた、という話もありますよね(たぶんに眉唾物ですが)。つまり、人間はかわいいものには目がないわけで、どうしても、それを大切にしたがる。だから、社会的弱者(とくに生まれたばかりの子ども)の生存戦略でいちばん重要なのはかわいいこと。実際、人間(大人も)って、生まれたばかりのサルにそっくりですし。
中途半端な感想で、すみません。でも、毎回楽しみにしています。これからもよろしくお願いします。
>「時間感覚を捉えた商品開発」。う〜ん、どうもわかりません。このあたりの > 話、もう少し詳しく聞かせていただけないでしょうか?
この点については、あえて回答を出しませんでした。 というより、メールマガジンではマーケティングでいうところの分析フェイズで止めてあります。 というのも、提案レベルまでお話ししようとすると、分析フェイズの数倍の労力がかかってしまうからです。 月間2本の記事をそのレベルまで突っ込んでいくことは、無料である以上、不可能なことですので、ご了承ください。 その代わりといっては変ですが、それなりにヒントはちりばめています。
> では、同じ1年でも、感覚的に違うと思います。前者にとって1年は1/10、後 > 者にとっては1/50なので、とうぜん、子どもの1年間は長く感じるはずです。
傾向としては佐々さんのおっしゃるとおりです。 しかし、記事中でも指摘しましたが、その比率が圧倒的に違うのです。 例えば、今の例では「1/10」と「1/50」ですから、5倍の差ですよね。 でも、彼女たちと大人(例えば、20代ですら)の感覚の差は10〜20倍にもなります。これはどう見ても計算に合わない。この記事の発端はまさにそこにあります。
> やはり言葉の定義の問題はあると思います。
言葉の定義が若い人たちと我々大人とでは違うことは良くあります。 「かわいい」は確かにそうでした。 だからといって、すべての言葉が根拠も無しに「そうだ」というのは、ちょっと乱暴です。
今回の場合、彼女たちが使う「懐かしい」は、大人の「懐かしい」とまったく同じです。 記事には明記しませんでしたが、それは確認済みです。
というのも、我々コンサルタントはことばに対して普通以上に神経を使います。 例えば、グループインタビュー(座談会形式の調査手法)では、出席者の言葉を分析することで、深層心理やニーズを探っていきますが、表層的なことばだけを追いかけていくととんでもない目に遭います。 出席者が嘘をついているというのではなく、
●他の出席者の発言を聞いているうちに、意見が変わる(ただし、気がつかないうちにそうなるので、表面的には「嘘」「矛盾」に見えます) ●自分の気持ちを表現し切れずに、違う事を言ってしまう ●自分の所属しているコミュニティで使う用語をそのまま使うので(例えば今回のような「かわいい」)、企業側にはわかりにくい、誤解が生じる
といったことがあげられます。 従って、ことばという形のデータ分析は、その裏にある出席者ひとりひとりの心理や背景を読み込んだ上で、発言の意味をくみ取ったり取捨選択をするという作業が必要になるのです。
また、アンケートのような数字という形でのデータ収集も同じように、ことばに神経をとがらせます。 それは、質問の作り方です。 これを間違えると、いくら数字としてのデータが集まってもまったくピントはずれの解釈(分析)をしてしまうことが往々にしてあるからです。
> 思うに、子ども時分の体験が強力で、それをいまだに引きずっているのではな > いかと勘ぐりたくなります。
かわいい仕草については、こちらより、下の方が当たっています。
> だから、社会的弱者(とくに生まれたばかりの子ども)の生存戦略でいちばん > 重要なのはかわいいこと。
彼女たちは自分たちを「社会的弱者」だとは当然思っていません。 しかし、周囲との軋轢を避けるための最も手っ取り早いのが「社会的弱者を演じること」です。 これは、「対男性」に限りません。 女性同士の関係の方がより重要です。他人と適当な距離を保ち、かつ離れすぎないためには便利な方法なのです。
もちろん、これだけではありません。 「老いること」に対する恐怖心や、常に若くあることへの願望など、他にも要因はありますが、長くなるのでここでは割愛します。
ただ、この視点は極めて重要なので、どこかで記事のテーマにしたいと考えています。
わたしは大学時代マーケティングの勉強とナンパの勉強??をしていたのでこのコギャル話はうなずけるところばかりでした。大変面白いきりくちでした。 わたしは、スーパーマーケットに勤めていたのですがコギャルとは逆に”おばあちゃま”と”主婦”が相手(メインのお客様)でした。まさにコギャルをデジタル世代としたら、こちらはアナログ世代といえるでしょう。 たとえるならば、どんなに安く・機能的にも優れている商品があったとしても、昔ながらずっと使っている商品をお買い上げになるといった行動です。スポーツ飲料ならアクエリアス(コカコーラ社)より、ポカリスエット(大塚製薬)を選ぶといったところなどまさにそうです。 いろいろと小さなところにマーケティング要素が詰まっているのがスーパーマーケットの魅力なのです。次回以降もし、スーパーのお話がありましたらメールください。微力ながらお手伝いします(しばらくは暇人なもんで)。また、面白い話待ってます。 【お返事】 > わたしは大学時代マーケティングの勉強とナンパの勉強??をしていたのでこ > のコギャル話はうなずけるところばかりでした。 ははは。適任ですね。 ナンパとマーケティングは相性がよいというか、マーケティングの要素がないとナンパはうまくなりません。 特に、ナンパの上級者となると今回の記事は共感されることも多いでしょう。 メーカー時代に商品開発チームを作ったのですが、そのときの条件が「ナンパがうまいこと」でした。 ただ、残念ながら、まじめな集団だったので該当者がおらず、その条件をあきらめた経験があります。 > まさにコギャルをデジタル世代としたら、こちらはアナログ世代といえるでしょう。 ご指摘のとおり、彼女たちは彼女たちで、大変興味深い生活者行動を取りますね。 若い人と重なる部分と独自の価値観とが混在している。 また、子供の年齢や有無で、また違った行動を取る。 そういう意味では興味が尽きない生活者層です。 いろいろと小さなところにマーケティング要素が詰まっているのがスーパーマーケットの魅力なのです。 まったく同感です。 マーケティングという科学はスーパーを初めとする「パッケージ・グッズ(箱に入った低価格の商品群)」の分野で発達したものですから、マーケティングとスーパーは切っても切れない関係にあります。 私も、わかりやすく自分の商品分野を説明するときには「スーパーやコンビニに並んでいる商品が対象です」という時があるくらいです。 > 次回以降もし、スーパーのお話がありましたらメールください。 > 微力ながらお手伝いします(しばらくは暇人なもんで)。 ありがとうございます。 その時は是非よろしくお願いいたします。
わたしは大学時代マーケティングの勉強とナンパの勉強??をしていたのでこのコギャル話はうなずけるところばかりでした。大変面白いきりくちでした。
わたしは、スーパーマーケットに勤めていたのですがコギャルとは逆に”おばあちゃま”と”主婦”が相手(メインのお客様)でした。まさにコギャルをデジタル世代としたら、こちらはアナログ世代といえるでしょう。
たとえるならば、どんなに安く・機能的にも優れている商品があったとしても、昔ながらずっと使っている商品をお買い上げになるといった行動です。スポーツ飲料ならアクエリアス(コカコーラ社)より、ポカリスエット(大塚製薬)を選ぶといったところなどまさにそうです。
いろいろと小さなところにマーケティング要素が詰まっているのがスーパーマーケットの魅力なのです。次回以降もし、スーパーのお話がありましたらメールください。微力ながらお手伝いします(しばらくは暇人なもんで)。また、面白い話待ってます。
> わたしは大学時代マーケティングの勉強とナンパの勉強??をしていたのでこ > のコギャル話はうなずけるところばかりでした。
ははは。適任ですね。 ナンパとマーケティングは相性がよいというか、マーケティングの要素がないとナンパはうまくなりません。 特に、ナンパの上級者となると今回の記事は共感されることも多いでしょう。
メーカー時代に商品開発チームを作ったのですが、そのときの条件が「ナンパがうまいこと」でした。 ただ、残念ながら、まじめな集団だったので該当者がおらず、その条件をあきらめた経験があります。
> まさにコギャルをデジタル世代としたら、こちらはアナログ世代といえるでしょう。
ご指摘のとおり、彼女たちは彼女たちで、大変興味深い生活者行動を取りますね。 若い人と重なる部分と独自の価値観とが混在している。 また、子供の年齢や有無で、また違った行動を取る。 そういう意味では興味が尽きない生活者層です。
いろいろと小さなところにマーケティング要素が詰まっているのがスーパーマーケットの魅力なのです。
まったく同感です。 マーケティングという科学はスーパーを初めとする「パッケージ・グッズ(箱に入った低価格の商品群)」の分野で発達したものですから、マーケティングとスーパーは切っても切れない関係にあります。
私も、わかりやすく自分の商品分野を説明するときには「スーパーやコンビニに並んでいる商品が対象です」という時があるくらいです。
> 次回以降もし、スーパーのお話がありましたらメールください。 > 微力ながらお手伝いします(しばらくは暇人なもんで)。
ありがとうございます。 その時は是非よろしくお願いいたします。
それぞれの方々へのご意見もお待ちしています。
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